8話 大きくなったな、総一郎23
ベルから宣戦布告を受け手からの数日は、緊張と隣合わせだった
だから特に何もないのに結構疲れた。
「そーちゃーん、構って~」
「やーだー」
「私だって構ってもらえないのやーだー。か、ま、っ、て~」
「白ねぇが俺に構えばいいじゃーん。俺はー疲れてるんですー」
そう言った理由で、せっかくの貴重な貴重な白羽の休みにこの体たらくだった。毎日いつでも襲撃に備えられるよう緊張していたので、無理はないと思う。この数日間寝られていないのだ。流石にバテテしまった。夏の暑さにゆだっているのもあるかもしれない。
「言ったね?」
しかし白羽はいつも忙しいくせに、休日も元気いっぱいだ。
「じゃあ総ちゃんが嫌って程構ってやる~! とりゃあ!」
わっ、と白羽は総一郎が寝転んで溶けている図書宅のリビングのベッドに、大胆にもダイブを仕掛けてきた。総一郎はそれを避けずに受け止める。衝撃に肺が一瞬空になる。
「ぐはぁ」
「んー! 無防備な総ちゃんってそういえばメチャクチャレアじゃない!? ほらぁー、ギュッてちゃうぞー」
「うわぁ暑いー」
白羽の体温を嫌がって、総一郎は力なく逃亡の構えだ。だがソファから転げ落ちてまで逃げる気力はないので、結局逃げるもクソもなかった。まな板の上の鯉である。
「もー! 今日の総ちゃん何か無気力でぐでっとしててかーわーいーいー! 何しても無抵抗でされるがままー!」
「うぁあ、暑い……」
声色に本気さが混じり始めた総一郎である。クーラーは州条例で定められた環境配慮の時間制限を喰らって、今は稼働していない。お蔭で今の総一郎は非常にラフな格好で寝転がるほかないのだ。
余談だがソファは何故だかひんやりしている、夏専用のそれである。電力を使わないので制限時間もない。今日総一郎はこの場から動かないつもりでいる。
「じゃあー、せっかくだからー、総ちゃんには膝枕しちゃいまーす!」
「頭が暑い……」
「膝枕して文句言われるのはちょっとお姉ちゃんショックだなぁ」
しゅんとしてしまう愛嬌のある姉に、総一郎は仕方なく我慢の構え。柔らかい太ももを楽しめるような精神的余裕をないのが悪い。
「総ちゃんが冷たいのは、やっぱり私が太ったから……?」
と思っていたらよく分からないことを言い出した。
「太ったの? 俺気付かなかったけど」
「え!? いやもう、お腹が何かちょっとポッコリしてて! でも食べすぎてるはずないのに何でだろーって思ってたの。むしろ吐き気があっていつもより小食かもしれないくらいなのに」
「んー……」
「だから最近ダイエットどうしようかって考えててね。何でもサナダムシが入ったカプセルをのんで、しばらく食べすぎた栄養を引き取ってもらうサナダムシダイエットって言うのを考えて」
「それは止めよう」
姉の体の中にサナダムシが居るんだなぁとか考えたくない。流石に正気に戻る総一郎である。
そして、正気に戻るついでに気付いてしまった。
「……そういえばさ、最近白ねぇってすっぱいもの好きじゃない? レモネードとかよく買うようになったよね」
「あ、うん。何か不意に買ったら昔よりおいしくって。メーカーの企業努力ってすごいなぁと。前までのARFならこういう大規模メーカーに参入も視野に入れられたんだけど」
雑談の規模感じゃない、のは置いておく。
「それで、太ってきて、しかも吐き気があると?」
「うん。たまに本当に吐いちゃうときなんかもあって」
「……お腹見せてもらっていい?」
「え、やだこんな昼間なのに。恥ずかしい……♡」
「お腹以上は求めてないから見せないでね」
「見せつけてやる!」
総一郎の言い方に憤慨な白羽をどうにか宥めて、腹部の辺りを見せてもらう。何度見ても均整のとれた体で、見るだけで惚れ惚れしてしまうが、それはさておき。
触れる。張っている感じが、確かにある。その感触をカバラで確かめて、総一郎は確信した。
「……白ねぇ」
「何?」
「その吐き気、つわりだと思う」
「……ん?」
「だから、その……」
総一郎は白羽の顔を見上げる。美しい姉。最愛の人の一人。血のつながりさえなければ、諸手を上げて喜んだだろう事実。
「このお腹のぽっこり、太ったんじゃなくて、赤ちゃん」
「……」
夏の昼下がり。何でもないはずだった穏やかなひと時。沈黙が、二人きりのリビングに満ちた。
白羽は、何度かまばたきをして、無言だった。総一郎は、その反応の読めなさに硬直するしかない。真顔である。
しばらくして、白羽は口を開いた。そして、聞いてくる。
「総ちゃん、赤ちゃん欲しい?」
「いずれ、欲しいと思ってた。けどその、今だとは思ってなかった。白ねぇと仲直りして以来はちゃんと避妊してたし」
「じゃあ、堕す?」
「そんなのダメだ!」
総一郎は思わず、食い気味に答えていた。それからハッとすると、白羽は満足げににんまりと笑みを浮かべながら総一郎を見つめていた。
「総ちゃんのそう言うとこ好き」
「……俺の負けだよ」
「やったー勝ったぁ。……でも、そっか。私、お母さんかぁ」
白羽はお腹の辺りを撫でながら、静かに笑っていた。「ここに総ちゃんとの赤ちゃんがいるんだ。えへへ」と愛おしそうに言う。
「あっ! でもだからって、総ちゃんが死んでいいわけじゃないからね! ローレルちゃんだって絶対に許さないし、私だって、その、もう総ちゃんの後を追うなんて無責任なこと出来ないけど、それでも絶対に許さないからね!」
「言われなくても分かってるよ」
総一郎は苦笑しつつ、だから難しいんじゃないか、と脳裏によぎった余計な言葉を口にしなかった。白羽とナイなら、子どもが出来た時点で片付いた。だが、ローレルが何をするか分からない今、そんな短絡的な手段はとれない。
そう考えると、総一郎は自分自身のことが本当に嫌いなのだという事に至る。正義感を胸に敵対した人々を容赦なく殺し、鬱憤のために人々の首を刈り取っておもちゃにした。
愛しい人たちに愛されていなければ、今すぐにでも殺してやるのに。
「総ちゃん?」
総一郎は我に返って、「ごめん、考え事してた」と誤魔化した。すると「いやーそっかーもう私お母さんになるのかー困っちゃうなー」と全く困っていなさそうな満面の笑みで、瞳をキラキラ輝かせながら尋ねてくる。
「それでそれで、まず何を揃えよっか。ベビー用品も買い揃えておかないとね! おむつとかそんな感じ? あー、でもかなりいいタイミングに授かっちゃったかも。だってだって、これからアーカムに差別がなくなっていくんだよ! 亜人だって堂々と言える環境で、この子を育てられるなんて。っていうか、男の子なのかな、女の子なのかな」
気付いてしまった、とばかりの態度で白羽は考える。楽しそうだなぁと思いながら、総一郎は「どっちがいい?」と聞いてみる。
「男の子かなぁー。女の子だと総ちゃん取られちゃう」
「子どもに嫉妬心出さないでよ」
「だってぇー」
ブーブー言う白羽があまりに愛おしくて、総一郎はそっと彼女のお腹に触れた。まだ何かを感じられるわけではないが。それでも、ここに新しい命が宿っている。
そんなことが、信じられなくて、信じられないほどに、じんわりと染みてきて。
白ねぇ、と名前を呼ぶ。
「ありがとう。その、経緯が経緯だけに、こういう言い方で正しいのか分からないんだけど、とにかく、ありがとう」
「……こちらこそだよ。総ちゃん、ありがとう。でも、色々考えないとね」
世間体とか。と白羽が言う。総一郎は少し黙って、そうだね、と返した。金とかは何とでもなりそうな気はするが、世間体などは手詰まりかもしれない。何とかしなければ。
そこまで話して、緊張が解けまたドッと疲れが押し寄せてきた。白羽はそんな総一郎の様子を見て「ああそっか、疲れてたんだもんね」とまた膝枕してくる。
「じゃあ、こうやってゆっくり休んでてね、お父さん」
「その呼び方は、むずがゆいなぁ。でも、慣れてかなきゃなのかな」
「そうだよー、慣れてって。総ちゃんも私のこと、お母さんって呼ばなきゃ」
「この体勢で言うと俺が息子みたいになるからヤダ」
「もー、総ちゃんの意地悪ー」
と、白羽がむくれたタイミングで、彼女のEVフォンに通知が入った。「ん?」と首を傾げながら、確認している。そして、停止した。
「何かあった?」
総一郎は上体を起こして問う。白羽の表情は数秒前の物から一変していて、据わった目で、画面をしきりにスクロールしていた。
「……休日返上だね。総ちゃんも来て。会議する」
「分かった。市長選? それとも」
「それともの方。現ARFメンバーの方にばっかり目が行ってて、気づかなかった。ヒイラギ、あの拷問狂、元のARFの、非戦闘メンバーを狙った」
許せない。端的なその一言に、総一郎は頷く。それが、行動開始の合図だった。
「じゃあまず決を採るよ。我々ARFは、今回の事件の報復行動として、ヒイラギ及びクリスタベル・アデラ・ダスティンを発見しこれを抹殺する。賛成なら手を挙げて」
全員が、手を挙げた。ARFの新本拠地。その一番広い部屋。全員が、義憤に燃えていた。
「満場一致をもって可決とします。では、これより、いかにして奴らの居城を突き止め、どのように攻め入るかを考えていくよ」
白羽の進行に、その場の全員が深く頷いた。「まず、前提から確認していくね。人によっては当たり前に思うかもしれないけど、知らない人が居ると困る事項だから、我慢して聞いて」と前置きして、白羽は喋り出す。
「今回の敵、ヒイラギは、前回ぶっ潰したノア・オリビアの元首魁、つまり残党だよ。奴はあの後ナイを拷問して八つ当たりしようとしたのを逃げられて、それを私たちがしょうがなく保護したのに目をつけて、弱い元メンバーを狙ってきた卑劣な奴」
全員が頷く。白羽も首肯を返して「じゃあ、今回の事件の分析から入ろう」と会議室に移しっぱなしだった現場の写真に目を向けた。
それは改めて見るのも、嫌な画像だった。何の罪もない、アルフタワーに努めていた経歴を生かして独立し、店を構えた日本亜人の一家の惨状だ。家族構成は父と娘。母親は、リッジウェイの手によって奪われたという。
「ヒイラギは、この一家二人を相手に、随分やんちゃしてくれたみたいだね。壁におっきく『悔しいなら見つけてみなさいな、ARF』って名指ししてるくらいだから、完全に挑発目的。つまり、ここで乗らないと“挑発”は続くってこと」
「シラハさん、まどろっこしいぜ。調査に長けたメンバーで、今すぐにでも現場に向かおう。それじゃダメなのか?」
「うん、ダメ。そのモチベーションの高さはありがたいけど、挑発に乗ってヒイラギの思う通りに行動するのはダメなんだよ」
「分かった。続けてくれ」
Jの意見にも乗らない白羽は、心は義憤に燃え上がっているものの、頭は極めて冷静なようだった。
「ウー君が言ってくれた通り、このまま向かいたいって思ってる人もいると思う。けど、これは単なる事件じゃない。ヒイラギっていう敵との攻防戦でもあるの。だから油断してのこのこ出て行ったら、一網打尽にされることだって有り得ることは、私たちはもう学んだはず」
「そうだな、ティンバーとウルフマンが攫われたときの失敗を二度も繰り返してやる必要はない」
アーリの賛成に白羽は頷き返して「じゃあどうやってヒイラギに迫っていくか、ってことなんだけど、ここで私たちには妙案があります」と会議室に映し出される画像が次のものに変わった。
それを、総一郎は見たことがあった。本当に手が早いな、と思いながら、キョトンするメンバーたちに説明するように声を上げる。
「これ、ランダマイザじゃないか。誰にでも変身できるアンドロイド」
「誰にでも変身できるんですか~!? 凄いですね~。となると、やっぱり開発者はワグナー博士ですか~?」
おっとり理系女子な愛見が、中々勘の鋭い指摘をした。総一郎は「そうなんですよ。本当に、隣に本人が居ても見分けがつかないくらいで」と教える。
「そ、これを使って、今回は調査するつもり。メンバーは総ちゃんに、これの操作者。残念ながらランダマイザは一機だけ借り受けてる状態だから、なるべく壊さないように立ち回れる人としてハウハウを選出する予定」
「アタシか。いいぜ」
「で、ランダマイザ越しの映像は会議室で常にモニタリングしておくから、映像分析として愛ちゃんには居てほしいんだ。シェリルちゃんもここで待機。総ちゃん、ウー君に並んで強いし、一度捕まっただけにやり口は分かってると思う。私たちを守って欲しい」
「分かったよ。ただ、思い出させるようなことは言わないで」
了承しながらも、軽度のフラッシュバックを起こしたのか、シェリルは顔をしかめ頭を押さえた。総一郎は「大丈夫?」と声をかける。「後で血飲ませて」というわがままを、「分かった。存分に飲んでいいよ」と受け入れた。
「最後にウー君は、現地で出来るだけ遠巻きに、常に移動しながら、総ちゃんたちにいつでも加勢できるように備えておいて欲しい。すこし難しい指示になるけど、同じところに立ち止まってると危ない相手だから」
「逆に言えば、走ってれば撒けるって訳だな? 分かったぜ、シラハさん。体力だけはあるからな、任せてくれ」
そうして、全員のすべきことがはっきりした。後は、行動に移すだけだった。




