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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎21

 目の前で、辻が口端を吊り上げていた。


「では、結論をまとめようか」


「ええ、そうしましょう」


 答えるのはイキオベさんだ。その横に、総一郎、白羽が付き添っている。


「ひとまずJVAの方で、十万発ほどフィアーバレットをお買い上げだ。その後市長選の成り行き次第で、大規模に政府側への定期契約。また、フィアーバレットの効果を解除する装置の開発と納品、及び“条件付き市井への販売の禁止”の確約。この三つ、と」


「そうですね。それでとりあえずはいいでしょう。言い忘れなどはありませんか?」


「ないとも。イキオベ氏には、気になるところはないかな?」


「ええ、今のところは」


「では、商談成立だ。あなたとは末長い付き合いになりそうだ。仲良くやっていきたいものだね」


「そうですね。あなたは厄介な人のようだが、利益に忠実なだけに付き合いやすそうだ」


「これはこれは、過分な言葉をありがとう」


 ルフィナの可憐な外見ながらのその老獪なアルカイックスマイルは、相変わらず見る者に雲をつかむような感覚を抱かせる。だが、イキオベさんは見事人柄を捉えてのけたらしい。その様子を、総一郎と白羽はほっとした様子で見つめていた。


 二人は固く握手を交わし、そして同時に立ち上がった。「では、私はここで失礼させてもらおう。アルノ」と機械仕掛けの執事を呼んでルフィナとアルノに分かれる辻に、「ははは、まったくお互い、忙しい身ですね」とイキオベさんは鷹揚に笑った。


 以前イキオベさんに招かれた、純日本風の料亭での商談だった。外見こそ国際色豊かだが、中身は全員日本人という事で執り行われた、この場でのJVAとシルバーバレット社の契約締結だ。


 早々にルフィナとアルノは「では、急いでフィアーバレットの生産に取り掛かりますね。御機嫌よう、皆様」「ではこれにて、失礼いたします。お嬢様、こちらです」と慌ただしく出て行った。それを見送ってから、イキオベさんは一言。


「しかし、見れば見るほど不思議な二人組だったね。いや、一人なのか、あの人は」


「中身がどうなっているのか、という点に関しては俺たちも全然分かってないくらいですから」


「何度見ても不思議だよね、ルフィナちゃんのアレ」


 三人でうんうん頷いてから「では、私たちもお暇しようか」とイキオベさんが料亭の廊下を先導して歩き出す。


「いやー! でも、これで結構市長選の準備整ってきた感じあるね! 市民の求める安全対策としてルフィナちゃんのフィアーバレット支給、っていうのはかなりインパクトあるだろうし、何より亜人が犠牲にならないし!」


「ハハハ、超長期的に見るとなかなか恐ろしい武器ではあるのだがね、フィアーバレットというのは……」


 イキオベさんは少々口端を引きつらせているが、その辺りに関しては悪影響が出にくい形にカバリスト達が鋭意調整中でもある。出たとこ勝負、といったところだろうか。


 とにかく、今はまずイキオベさんを市長にするのが先決なのだ。でなければ、何も変わらない。いや、むしろもっと悪くなる。だからこそ、ここで踏ん張らねばならないのだ。


 とはいえ、と総一郎は前を歩く二人の顔色を窺う。そこに溢れているのは、希望へと向かう強い光だ。朗らかな喜色の中に、前へ前へと進もうとする力が満ち満ちている。


 料亭の入り口にある門をくぐると、すでにイキオベさんを迎える無人タクシーが乗りつけていた。


「ではまた会おう、二人とも。これからは細かいことばかりになってしまうとは思うが」


「任せてよイッキーおじさん。おじさんの市長当選まで、ARFがちゃーんとレッドカーペット敷いといてあげるから」


「ははは、それは心強いね」


 イキオベさんは車に乗り込み、中から窓越しに総一郎たちに手を振っていた。車は電動のためにほとんど無音で走り出し、遠ざかっていく。


「……ふーっ」


 白羽は、それを見送ってから大きく息を吐きだした。それから「総ちゃん」と呼んでくる。


「やっと、やっと見せてあげられるよ。亜人差別のない、新しいアーカムを」


 天使のように優しく微笑む白羽に、総一郎は何だか胸を突かれるような気持になった。どういった言葉を返すのが正解なのか分からなくて、まごついて、ちょっと目元が熱くなるような気持で「……うん」と頷く。


 その瞬間だった。


「……ソウ……?」


 掠れる少女の声に呼ばれて、総一郎たちは振り返った。そして、背筋が凍り付く。


 誰なのか、一瞬分からなかった。夕方で、逆光がすごくて、その素顔は閉じた瞳孔に隠されているのだと思った。だが、一拍遅れておかしいことに気が付くのだ。


 総一郎の瞳は、天使の瞳。


 逆光に目がくらむことなど、ありえない。


「……君、は?」


 総一郎は、そこで脳が認識を拒否していることに気が付いた。ナイ対策に習慣化していた精神魔法が、とっくに弾け飛んでいたことを理解する。慌てて自分の中の精神汚染を排除して、初めて彼女の姿を見ることが出来た。


 そして、見なければよかったと後悔した。


「わた、たし、ね、謝り、たくて、ききき、君に、ソウに、他の、みん、みんなに」


 “彼女”は、原形をとどめていなかった。白羽が、キョトンとした顔で「んん? ごめんそこ眩しくって……、あなた誰?」と疑問に声を上げる。“彼女”は、「きみ、きみにも、あや、謝らなくちゃ、あやま、らなくちゃ」と呟いて、痙攣する。


「ごめ、ごめん。私、あんな、裏切るつもりなんて、本当に、無かったんだ。許してなんて言わない。ただ、あやま、あやまり、が、がぁ、……」


 くずおれる。総一郎は、一歩後退る。白羽に小声で「先に帰って。守りながら対処できる相手じゃない」と告げた。


「え、何。誰なの? 謝る? な、何を」


「早くッ! ここから逃げ――違う、精神魔法!」


 総一郎は精神魔法を白羽に施し、彼女の中に入り込んだ汚染を排除する。それから『灰』を記すと、白羽は正常な精神性を取り戻して息をのんだ。


「嘘、ベルちゃん、何でそんな――総ちゃん! 絶対生きて帰ってきてよ!?」


 言うが早いか、白羽は脱兎のごとく駆け出した。その様子に「本当、白ねぇは即断即決で助かるよ」と異次元袋から桃の木刀を抜き出す。


 クリスタベル・アデラ・ダスティン。イギリス時代からの友人。総一郎ではないもう一人の修羅。彼女は、体の半ばを肉塊のようにして蠢いていた。なまじっか人間の形を残しているのが、見る者の精神を侵す。


「私、ごめん、ごめんなさい、裏切りたくな、なんか、なくて、ごめんなさい、ごめんなさい、うぅ、うぅぅううううウゥゥゥヴヴウウゥぅぅぅウウウゥゥゥ」


 肉塊はまるで別の生き物のように蠢いて、ベルを内側から責め立てているようだった。それがしばらくすると、肉塊が急激に腕の形を取った。ベルの頭を掴み、そして地面に押し付けて叩き潰す。


 その振る舞いは、憎悪に満ちたものだった。乱暴に何度も何度もベルは地面に叩き付けられて、血を垂れ流して潰れる。僅かにベルの形をしていた部分は、そうして沈黙した。肉塊の腕はジュクジュクと泡立って、口になり、舌になった。


「殺してやるッ! クリスタベル・アデラ・ダスティンッ! この悪魔め! 我らを化け物に変容させていくおぞましい怪物めッ!」


 総一郎は、意味不明な光景に木刀を握る手を固くした。口はベルへの罵詈雑言を喚きたてる。その声色は老若男女問わず、無数の人間の憎悪を溶かして混ぜ合わせたような大合唱だ。


 だが、それは両脇から生えてきた嫋やかで美しい二つの腕によって包まれ、沈黙させられた。


 総一郎は、深呼吸する。肉塊は腕から少しずつ少女の形を取り始める。芋虫のように縦に伸び上がり、少しずつ形を洗練させていき、最後に色素の薄い、銀髪に見間違えそうな色素の薄い金髪が伸びる。


「……ベル」


「……」


 ベルのように見える少女は、しかしアナグラム分析で見るにまったく別の生き物だった。あまりに多くの人間と混ぜ合わされ、それでもなお勝ち抜き、生き残ったベルめいた何か。


 彼女は、背筋を伸ばして総一郎を見た。修羅の外皮が変化してできた、懐かしい貴族学園の制服に身を包み、言う。


「『見苦しいところを見せてしまったね、ソウ。今日は、宣戦布告をしに来たんだ』」


「ッ」


 総一郎は、表情を引きつらせる。言語に聞こえた今の音は、違う。そこに意味などない。アナグラムが示すのはもっと明快な数字の列。つまり、今の言葉のような音は、その生物の『鳴き声』であると。


「『君のところでシスターナイがお世話になっているだろう? だが、彼女は元々我々の仲間だ。取り返さなければならない、守るべき対象。だろう? だからそれを取り戻させてもらう。そのことを、礼儀として伝えようと考えたのさ』」


 総一郎は、全身の震えを抑えられない。何があったら、こんなことになるのか。ベルの形をして、ベルそっくりに鳴く、ベルに極限にまで似た生物。それを、どうやって作ったというのだ。どれほどの事をしたら、こんな事になってしまうというのだ。


「『だから、受け取ってもらえるかな。この宣戦布告を。私は、英国淑女として――』」


「それ以上ッ、ベルを冒涜するのはやめろ!」


 総一郎は、風、重力魔法での速度上昇と共に、ベルの胴を一凪ぎにしながら駆け抜けた。瞬間的に音速に近い速度で破魔の木刀に斬られた修羅で出来た生物は、甲高い声で鳴く。


「『イ、君、守るべだろう? だろう? だろう? まったね、ソ、戦布告をし! しいと! 今日は、見苦しい受け取、国淑!』」


「黙れ、黙れよ。ベル、……――ベルッ」


 総一郎は歯を食いしばりながら、ベルの形を崩壊させながら身もだえする肉塊に、再び木刀での一撃を入れる。それを最後に、その生物はこと切れた。訳の分からないことを連呼しながら収縮し、黒ずんで炭になる。


「……ベル……。―――ッ!」


 総一郎は、その場に跪いてこぶしを握り締めた。力の限り、膝を叩く。それでも、やり場のない怒りが総一郎の全身を震えさせた。


 だが、総一郎はカバリスト。だから分かってしまうのだ。絶望しきることは出来ないのだ。


 この肉塊は『ベル』のほんの一部でしかないと、アナグラムが告げてくるが故に。


「……宣戦布告、か」


 総一郎は炭になったベルの修羅細胞を一つまみ掴んで、アナグラム分析に掛ける。複雑怪奇なその入り組んだアナグラムは、総一郎自身にも通じるもの。


 修羅の本質は究極の個。決して群れざる修羅ゆえに、たった一人で成立する完全生物。その在り様は分裂さえ己に許した。以前のベルも、小規模だが矢の形にして己の修羅を放った。


 そして、今である。先ほどまで肉塊だったこの炭は、ウッドが分身に作ったのと全く同じものだ。だが、破綻具合はかの神話群によって大いに悪影響を受けている。つまり、マザーヒイラギの手によって。


 ――総一郎の代わりに暴れまわっていたウッドを一皮むいたとき、出てきたのはイギリス時代の己自身だった。傷だらけの心を木面で固く隠して、彼は他人を傷つける形で誰か助けてと叫んでいた。


 それそのものは決して許していいものではない。誰が何と言おうと、絶対に。だが、その例に倣うならば、ベルの修羅もまた何かを強烈に訴えているとも読み取れる。


 読み取れる、が。


「……う」


 込み上げてくる吐き気に、総一郎は口元を押さえた。炭を大切に握りしめる。これほどの、これほどの冒涜があっていいものか。こんな、こんな。


「ベル」


 総一郎は、頭痛すら抱えて立ち上がる。それから魔法でちょっとした袋を用意してベルだった修羅の炭を詰め込み、異次元袋へと収納した。


 それから、総一郎は歩いてARFの新拠点へと向かう。夕暮れ空は、調子はずれなほど美しかった。総一郎は、その空に恐怖する。宣戦布告。宣戦布告。


「狂気だ」


 考える。歩く。考える。歩く。渦巻くのは大切な人々のこと。ベルのこと。彼女がわざわざ指名したナイのこと。守れるか。どうやってやればいい。肉体的な面で言えば彼らはみな強靭だ。だが心は? 彼らの心をどうやって守ればいい?


 ARFの拠点に到着する。扉を開ける。まずアーリの部屋に行って、何も言わずベルの入った袋を押し付けた。


「お、おい、何だよこれ」


「分析して。でも、そのアナグラムは自分で見ないようにしてほしい。出来るならこの袋も自分の手で開けないように」


 総一郎の沈鬱とした態度に尋常ならざるものを感じたのか、アーリはそれ以上追求しなかった。総一郎はそのままの足で階下へ向かう。


 階段を下りながら電脳魔術で確認するに、白羽は無事何事もなく家に帰れたようだった。総一郎は、ほっと一息ついて自らの安否を伝える。それから、詳細は帰ってから話すと。


 そうした文章をメールで送った時には、すでに総一郎はARFの新拠点の中でも最も地下深い、厳重な場所に居た。


 そしてそこには、今たった一人の捕虜が居るばかり。


 総一郎は、三度ノックして扉を開けた。その奥には、ベッドに拘束された小さな少女が、目隠しとヘッドフォンをされたまま横たえられている。


「そろそろ来る頃じゃないかなって思ったよ、総一郎君」


 睡蓮の匂いが強くなる。何をどうやって察知したか、ナイは目も耳も封じられたまま、総一郎に話しかけた。だが、総一郎は今更そんな些末なことを気にしない。


「やぁ、ナイ。少し、助けてほしいんだ。いいかな?」


 話しかけると、ナイは拘束されたままこう言った。


「もちろんだよ、総一郎君。その代わり、ボクの頼みも聞いてくれる?」


 総一郎の背中が粟立ったのが分かった。だが、これが最も適切な判断だろう。何せ、数千年にわたって伝え続けられた物事への対処法だ。


 目には目を。


 歯には歯を。


 狂気には、狂気を。


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