8話 大きくなったな、総一郎19
話し合いが終わって、二時過ぎ、J、イキオベさん、そして総一郎の三人は、Jの案内に従ってスラムを歩いていた。
向かう先がどこになるのか、という説明は、道すがら短く受けていた。
「おれの親父が経営してた酒場に行く。今は元『宴』の、犯罪には関わってこなかった人が経営してんだ」
要するに、そこで腹に一物抱えた連中の相手をしてみろ、という事のようだった。総一郎はいざというとき、必要な相手を無傷で無力化する役目を自分に課してついていく。
「J、そこってどのくらい人が居るの? 酒場なら、今の時間は居ないんじゃ」
「たまり場なんだよ。だから、マスター以外に必ず一人はいる。つっても小さい店だから多くを集めるったって限度があるし、なら人数集める必要もねぇだろ? 何より酒が入ってちゃ聞いてくれる話も聞いちゃ貰えねーしな」
なるほど、と納得して、今度はイキオベさんに問いかける。
「イキオベさん、その」
「総一郎君は気負い過ぎだ。君は君の役目を果たしてくれればいい。アーカムに元から住んでいた亜人の方々との話し合いは、私の役割だ」
逆に励まされるようなことを言われてしまい、総一郎は少し、肩の強張りが抜けた。Jはここに来て初めて少し笑って「イッちゃんも大人には一枚上手をいかれるんだな」とからかってくる。
「はは、俺もまだまだ未熟者だよ」
そんなことを話していると、Jが足を止めた。「ここだ」と指差す建物を見上げる。昼間ゆえに光らないネオンに彩られる看板は、酒樽の形をしていた。
『The Monster's Tavern』
怪物たちの酒場、と書かれた酒樽を、大口を開けて飲み干そうとする角の生えた毛むくじゃらの怪物。怪物は満面の笑みで、実に楽しそうな様のまま、さび付いていた。
Jに導かれて、扉をくぐり薄暗い中に入る。昔ながらの木造の酒場といった雰囲気があったが、中で話していた立った二人の住民たちは、総一郎たちの三人の登場に黙り込んだ。
「……お前、Jか? オヤジんとこの、一人息子の」
「ああ。子どもの頃何度か会ったよな、あんまこっち来なくてごめんな、マスター」
「いいや、仕方ないさ。こっちに来る奴は、どっかでリッジウェイの監視がつく。お前みたいな若造が、そんなリスクしょってまで来る必要ねぇさ」
少々荒っぽい様子の酒場のマスターが、何だか無性に懐かしいものを見るかのようにJを見つめた。それから「しかし、こんな時間に学校に行ってねぇとは不良だな。一杯飲んでくか?」と酒を勧めた。
だがJは首を振って「いいや、今日はちょっと用事があってきたんだよ。ここで、ある人に話してほしくってさ」とやんわり断る。
「ん、そうか。……そっちの子はJの友達か? それで、そっちのじいさんは――」
酒場のマスターは、そこで息を詰まらせた。
「……ヒューゴ・イキオベ」
その言葉に、客全員が反応した。それから、玄関近くに立つイキオベさんに注目を浴びせる。初老の老紳士は、想定していたのか自然な所作で帽子を取って胸のあたりに押さえ、目を閉じて腰を追った。
「かつて、お会いした方もいらっしゃいますでしょうか。ヒューゴ・イキオベ、と申します」
「知ってるよ。というか、この界隈で知らねぇ奴は居ない。憎きJVAのトップだ。俺たちの時代をあっさりと瓦解させた、侵略者たちの長だ」
―――だろ。そう確認を取られて、イキオベさんは「返す言葉もございません」と頭を下げ続けている。その殊勝な態度に怒りのぶつけどころはないと踏んだのか、声をかけてきた中年は「フン」と鼻を鳴らして目をそらした。
すると、その背積の向かいに座っていた男が「なぁ、イキオベ」と声をかけてくる。
「あんた、市長選に立候補したんだってな。Jと一緒に現れたのは、そういうことか? つまり、おれたちの票が欲しいって」
「ありていに言えば、そうなります」
「ハッ! それならやるこたぁ簡単だ! こいつの対抗馬に投票してやればいい! おいJ! こいつについて来たってことは、多少関わってんだろ。こいつの対抗馬はどいつだ」
「ロレンシオ・コロナードって奴だぜ。そいつが市長選に勝つと、亜人は全員強制収容されて働かされんだと。根っからの亜人差別主義者だ」
「む……」
鬼の首を取ったように騒いでいた男は、Jの一言ですん、と黙り込んだ。一方、立候補を確認してきた男は、続いて質問する。
「広場の大騒ぎのニュース、見たぜ。楽しそうだったな。亜人のパフォーマーなんて、聞いたことなかったよ。そんなことしたらリッジウェイに殺されるって分かってたからな。死人は出なかっただろうな?」
「もちろん。あの場のパフォーマーは、全員ARFの幹部メンバーです。誰をとっても腕の立つ手練れでしたから、心配はしていませんでした」
「なるほど、危険を承知でやったわけじゃないんだな。安全を、ちゃんと確保してやった、と」
「はい」
男とイキオベさんのやり取りに、文句をつけていた男が「おい、何の話だ?」と小声で尋ねる。「これだよ」とEVフォンでの情報共有を経て、文句男は動画を食い入るように見始めた。
「悪いな、こいつ情報に疎くって」
「いえいえ、構いません。彼のような人に情報をどう届けるか、というのも我々の役目だと考えております」
「そうかい、立派だな」
文句男が吹き出す。動画で佳境に入ったのだろう。ゲラゲラと笑って「J! お前滅茶苦茶目立つ役やってんじゃねーか!」とはやし立ててくる。それから、「お? 少しわかりにくいが、そこの兄ちゃんも出てたのか! はっはっは! 楽しそうに踊るなぁおい!」と。
「やっぱ誰よりも楽しんでたのイッちゃんじゃね?」
「同じくらいだよ」
「同じくらいか」
同じくらいなのである。そう若者二人で頷きあっていると、文句をつけていた男が「まぁ座れよ。イキオベもな」と近くの席を勧めてくる。
「では、ありがたく」
「失礼します」
「んじゃ邪魔すんぜ」
三者三様の返事をして、席に着く。マスターが寄ってきて「注文は?」とホログラムデバイスを起動したので、それぞれ思い思いに頼んでから近くの男たちとの会話を再開した。
「これ、JVAとARFの共同か?」
冷静な方の男の質問に「はい」とイキオベさんが答える。それに彼はしばらく考え込んだ後、「最近アルフタワーもあんなことになったのに、ARFの財政状況って大丈夫なのか?」と踏み込んだ質問をしてくる。
「それについては、私よりも彼の方が詳しいですね」
イキオベさんのパスを受けて総一郎は冷静な男に軽く会釈を。そこでJが、「ああ、この人、元『宴』の会計担当でさ」と説明してくれる。なるほど、と納得して、総一郎は口を開いた。
「詳しくは言えませんが、一応回ってはいます。ただ、以前のように贅沢は言っていられない、というところですね」
「なるほど……。ARFなんて子供のお遊びだと思っていたが、いつの間にか大きくなっていたんだな。食うに困った奴らがARFに行って、あいつらはすげぇだの何だのと褒めていたのを、俺は疑わしく思っていたが……」
元会計の人は、そうしみじみと呟いた。すると文句男の方が、「ってことは何だ? イキオベ、お前まさか亜人差別の撤廃目的で市長選に立候補したのか?」と確認を取る。
「はい。元々は立候補するつもりはなかったのですが、ARFのトップより説得を受けまして」
「ほう、それでか……。で、その為に俺たちに声をかけようって腹になったわけだな?」
「はい、その通りです」
「その狙いは、まぁ間違っちゃないと思うぜ。俺たちは一応、選挙権は持っちゃいるが、それがきっかけで身元を調べられれば亜人だとバレて身の危険が及ぶ。だからほとんど投票もせずにこうやって生きてきたが、数だけはそれなりに居るからな」
ここで言う俺たち、というのは、元『宴』に関わる、選挙から離れて生きてきた亜人、という意味合いか。ARFとも距離を置き、古い世界観のままに生きている世代だ。
「どのくらいなんですか?」
総一郎の問いに、男は「ああ。ざっくりだが、このくらいか」と数で示す。総一郎は目を剥いた。大体総票数の15%ほど。ARFで押さえている亜人票の数を、何なら上回るほどに居る。
「こんなに居るんですか」
「ん、おう。っていうかスラムだけじゃないしな。かなり人間の血が濃い奴らになってくると、普通に都市部で暮らしてる奴も少なくない。純血の人間しかいない地域なんて、旧市街の方だけだ」
はー、と総一郎は驚きに息を吐いた。「兄ちゃんリアクション大きくて教え甲斐があるな」と文句男はにこやかだ。この人イキオベさん相手でもないとかなり人当たりがいいな、と内心で文句男と呼んでいたことを反省する。
それから、動揺の余り一言。
「ARFの影響力って、実はそんな大したことない……?」
「いや、んなわけねーだろ! 一時はでっけぇビルが建ってたんだぜ!? まぁだからその、シラハさんのお蔭で金はあったんだよ」
Jの驚き交じりの否定に、総一郎は正気に戻って「だ、だよね」と頷く。それから、思うのだ。経済力と政治力は、不可分だが一致はしないのだと。
「そうか……うん、そうさな……」
文句言っていた割りに愛想のいい男は、しばらく考え込んでからEVフォンを開いた。彼は何度か素早くタップしてメッセージを誰かに送る。それから「イキオベ」と名前を呼んできた。
「質問なんだがよ、お前はARFの傀儡として市長になって、亜人差別の撤廃を目指す訳か? それとも、ARFからの働きかけはきっかけに過ぎなくて、今は完全に自分の意志で市長を目指してるのか?」
「後者です。私は、私なりに覚悟を決めて事に当たっているつもりです」
「演説の経験は」
「組織の長ですから、多少人よりは慣れているかと」
「……信用していいんだな?」
「その質問に、私から答えることは出来ません。今日ついて来てくれた、彼らを見てください。彼らが、その証拠となるでしょう」
男が総一郎たちに目を向ける。総一郎は、静かに頷いた。Jはしかし、視線を逸らして「ごめん、おれはまだ、答えが出てない」と言った。
「そうか。一応聞いておくが、兄ちゃんはどこ所属だ? JVAか? それともARF?」
総一郎への問いらしく、「はい」と返事してから答える。
「ARFです。親類に幹部がおりまして」
「イッちゃん、おれが幹部だってこのオッちゃんたち知ってるし、秘密を漏らしたりとかはないと思うぜ」
「姉がARFのリーダーでして」
「お前天使の血統か! 道理でアジア人っぽい顔の癖に目の色が青いと思ってたら!」
今度は男たちが驚く番だった。彼らはのけぞって口を開き、それから「ううむ」と揃ってイキオベさんを見つめる。
「これは、どっちに転んでもJ次第かもしれないな」
口を挟んだのは、飲み物を持ってきた酒場のマスターだった。総一郎たち三人の前に飲み物を置きながら、「おい、さっき連絡とってたの企画屋だろ?」とマスターは文句男に質問する。
「ん、おう。例のごとく、相応しい場所さえあればって話だったぜ」
「人を集めて演説ってやり方なら、やっぱあそこか?」
「だろうな。あそこ以外、アーカムは空間にものを詰め込み過ぎてる」
「人を集めるとなると資金も必要だからな。今のARFの支払い能力がどんだけのものになるのか気になるところだが」
「ま、それも含めてあそこの持ち主次第ってとこだな」
マスターたち中年三人衆で話を進めてしまうので、「申し訳ありません、どういうことかお聞きしても?」とイキオベさんが割って入る。
「ん、ああ。やっぱよ、こうやってちゃんと伝えれば、お前に恨みのある人間でもちゃんとお前に投票しようって気になる訳だろ?」
「なんと。それは、それは、――ありがとうございます」
「いやいや、お前を勝たせなきゃアーカムは亜人の住める街じゃなくなるなんて聞いたらよ。それより、そのことをちゃんと伝えるイベントが必要だと思ったんだよな」
「そうですね。先日のフラッシュモブだけで済ませる気は、こちらにもありませんでしたが」
きょとんとするイキオベさんに、文句男はニヤリと笑う。
「それで、知り合いに企画屋がいるから軽く連絡しといてやったぜ。連絡が遅い奴だから、まぁ後日連絡がそっちに行くだろうよ。それまでに、人が集まるのに絶好の場所があるから、その地主に話付けて来いよ」
「地主? 誰のことだよ」
Jの疑問に、「バッカだな~Jお前!」とマスターがわしゃわしゃとJの短い髪をぐしゃぐしゃにする。
「そんなの、お前のとこのばあ様に決まってんだろうが! 『宴』の持ってた土地は今、大体お前のばあ様が権利書持ってんだぞ!? ここで使わねぇでどうする!」
「えっ、マジで!?」