8話 大きくなったな、総一郎16
最近、スーツを着るのにも慣れてきた。
鏡の前でネクタイを締めながら、総一郎はそんな風に感慨深く思った。それだけ、フォーマルな場面に顔を出すことも多くなったという事なのだろうか。前世ではどうだったか、と少し考える。思い出すのに苦労したが、よくよく考えれば白衣ばかりだったような。
「道理でネクタイもまともに結べない訳だ」
などと言い訳がましい独り言。それから右向き左向きに鏡でネクタイに歪みがないか確かめて、「よし」と部屋を出た。
「おう総一郎、今日は一段とキマってんな」
リビングで声をかけてきたのは図書だった。総一郎の為に軽めの朝食を用意してくれていたので、席につきながら返事する。
「でしょ? スーツの堅苦しさにも慣れてきたところだよ」
「ハハ、社会人みたいなこと言っちゃってよ。白羽もフォーマルな服着てたけど、何かあるのか? 卒業式とか」
「そんな時期じゃないでしょ」
「あー、もうちょい後か? でも日本と違って秋始まりだから、割と近いと思うが」
「あ、そっか」
そう言えばそうだった、と思いつつ「俺たちにも色々とね」と肩を竦めて煙に巻いた。図書は「そうかい。コーヒー要るか?」と問いながら、総一郎の前に焼いた食パンの載った皿を置く。総一郎はすでに置かれていたベーコンエッグを食パンに載せながら「お願い」と。
「ちなみに白ねぇは?」
「あー? 散歩っつってたからそろそろ戻ってくると思うが」
「ただいまー」
「お帰り、ちょうど白ねぇの話してたよ」
「え、何々? お姉ちゃんがいなくて寂しいって?」
「大体そんな感じ」
リビングに現れた白羽は、「お姉ちゃん嬉しい~」と言いながら総一郎に抱き着いてくる。そんな様子を眺めながら図書は「何つーか、一時期の不仲が嘘のような仲の良さだな」とほっとしたような笑みを浮かべた。
「あの頃はお互い拗らせてたからね、ねー総ちゃん」
「そうだねぇ。お互いねぇ」
「何だその妙な念押しは」
言いつつ、図書は笑って肩を揺らす。白羽はそれを「はいはい、私にも朝ごはんチョーダイ」と軽くあしらいながら、総一郎の隣に着席した。
「おうよ、じゃあちょっと待ってな」
フライパン片手にキッチンに戻っていく図書を見送りながら、「今日の段取りの最終確認するね」と白羽は総一郎の電脳魔術に画像データを送信した。半自動で開かれるそれを見ながら、総一郎は話を聞く。
「今日はイッキーおじさんの政治活動についての会議がメイン。内容が内容なのもあって薔薇十字団が参加する予定になってるから、その辺りはお願いね」
「うん。アイツらの写真見続けても気分は悪くならなくなったよ。イライラはするけど」
「それ気分悪くなってるからね。で、内容としては結構小難しい話が盛りだくさんって感じ。まぁ主には信用スコア稼ぎなんだけどね。どうやって認知してもらうかとか、どう印象付けるかとか」
「思った以上に難しそうな話だなぁ」
統計の領分という気がする。その意味では何よりもカバリストが向いているという事なのだろうが、それだけに総一郎は役に立てるか不安だ。
「あとね、もう一つ懸念点というか重大発表があって」
「重大発表?」
総一郎のオウム返しに、白羽は頷く。
「そう。溜めても仕方ないから平たく言っちゃうんだけど―――」
「-――イッキーおじさんの対抗馬こと、ロレンシオ・コロナード氏は、入念な調査の結果カバリストであることが判明しました」
会議の席のこと。壇上に立った白羽はそう断言したと同時、その場の全員は揃って苦虫を噛み潰したような顔をした。つまり、総一郎とアーリに始まるARFの幹部と、そこに連なる薔薇十字団の面々だ。
総一郎は前もって聞かされていたとはいえ、何度聞いても面倒くささにため息が出ると言ったところだろうか。
隣に座るローレルに視線をやると「これは、困ってしまいますね」と。「本当だよ」と苦笑を交換し合う二人だ。
「そのため、薔薇十字団を迎えて処理能力が格段に上がった新ARF政治部隊で、この局面をどう乗り越えるか、というのが今回の主題です。何か質問は?」
「では、姉君に一つ質問させてもらってもいいかな」
手を挙げたのは、ギルだった。総一郎は白い目で見ていたが、奴はそれを気にも留めずにこう言った。
「我々薔薇十字団は、休暇はいつ貰えるのかな」
おっと?
「市長選が終わったら解放してあげる」
その返答に、ギルは目に見えて硬直した。それから深呼吸をして「分かった。つまり、努力で休みをもぎ取れと、そういうことだね」とあくまでもポジティブに捉え、奴は手を下ろした。
……ちょっと想像以上にこき使われているらしい。ARFってこんなにブラックだっただろうか、とも思わなくもないが。アルフタワー倒壊で人員が野に散ったのもあるのか。
「じゃあ本題に入るよ。先日イッキーおじさんに見せたものよりも、さらに調査した結果報告があるから、まずはその発表から。アンジェちゃん」
「はいお呼びにあずかりましたアンジェでっす! ではでは、あたしから報告をさせていただきたいと思いま~す!」
慣れた所作で脳内パソコンことBMCを操って、彼女は会議室のプロジェクターを作動させた。固定型のホログラムは出先のそれよりも幾分か画質が良く、空中にあるのだろうBMCのAR越しのマウスカーソルをホログラムに表示させて、説明箇所を強調する。
「早速ですが、先ほど姉君様から受けた報告の通り、このコロナード氏、な、な、なんとカバリストでした! そしてさらに探ってみればその出自は、な、な、な、な、なんと! 亜人差別主義者で有名なこの街の鬼刑事こと、リッジウェイ警部の同期だったとのこと!」
「アンジェ、そういう演出はこの場に相応しいかい?」
「君たち亜人を魔物呼ばわりして平気で”駆除“してた癖によくも他人のことを差別主義者だのと言えたもんだね」
最初にギルから身内へのお諫め、そして後半は総一郎からのただの嫌みが炸裂し、アンジェは「……では、まじめに進行しま~す……」と意気消沈だ。余談だが総一郎の発言は薔薇十字団全員に刺さったらしくちょっと俯いていて溜飲が下がる。
自分でも嫌な奴だなぁと思わないでもない。
「そんな訳でですね、言うまでもないとは思うんですが、こっち陣営のカバリストがガッツリ戦略練って対抗しないと、まず間違いなく市長選は負けます。そんでもって亜人差別って奴もより酷くなることでしょう。要するに、負けられない戦いって奴です」
「そう。アンジェちゃんの言う通り、今回は負けられない戦いなの。やっとここまでこぎつけておいて、ここで負けたらまた振り出し。そうなれば爆発して暴れ出しちゃう人もいると思う。つまり、リッジウェイの格好の餌食って訳だね」
白羽の注釈に、「ああ、負けるわけにはいかねぇ」とアーリが静かだが芯の通った声で賛同する。総一郎も、無言で頷くばかりだ。
「そんな訳で、どう勝っていくか、という話になる訳ですが、その戦略を練るために図を用意しました~はいドン!」
アンジェはBMCを操作し、ホログラムに移り出す映像を切り替える。それは、知名度と人気度の二軸で描かれたグラフだった。
「こちらですね、市長選で本命、対抗の二人の信用スコアを可視化したものとなります! 要するに、『どれだけ知られているか』『どれだけ応援されてるか』を掛け算したものですね!」
ほお、と総一郎は少し薔薇十字団を見直した。ある程度のカバラは修めたつもりだったが、こう言った方向になってくるとまた違うアナグラム分析があるらしい。興味深さに前のめりになって話を聞くほどだ。
「分析上、コロナード氏は企業を中心に知られていて、そこそこに応援されている、と言ったところです。一方イキオベ氏ですが、正直知ってるのはジャパニーズと国籍問わず亜人の皆さん、といったところですかね。日本亜人の方からは熱烈に応援されていますが、参政権はなく、かと言ってアーカム出身の亜人からはどこか懐疑的、というのが現状です」
これはイキオベ氏にワイルドウッドせんせから説明した通りです、とアンジェは〆る。「もう先生じゃないだろう?」と落ち着いた声音で訂正するワイルドウッドだ。
「じゃあ知られればいいのかって話なんですが、そう簡単に事が運ぶのかっていう疑問ももちろんあるでしょう! ですので、民意に関してもアーカム全体で調べてきました!」
「民意?」
「まーマニフェストとかとの相性ってところですね。では~、ドン!」
総一郎の疑問に答えつつ、アンジェはまたホログラムの画像を切り替える。次は円グラフで、アーカムの人々が重視する項目が映し出された。
「……亜人差別の是正が、30%」
「参政権を持った亜人の数が、アーカム全体で20%ほどだと考えると、多いとも少ないとも取れますね。ただ、アーカムは中流階級がおおく貧困の問題などは目立たないこともあって、現状最も注目されている政治的要素ではあります」
が、とアンジェは言った。亜人差別の是正以外の要素である70%が、一つ一つ太文字でピックアップされていく。
「一部のテロ行為に対する不安、治安全体の悪化、外出出来ないことへの鬱憤……要するに、安全への不安。こう言ったこまごまとした要素を一つ一つまとめると、有権者が最も注目するトピックは変わってきます。ま、ちょっと前まで隣の街で情報収集してましたけど、アーカムっていう街はあまりにも暴力に満ちています。それがどうにかならないかってとこですね」
総合すると、安全への関心がある層は50%ほどになる。残り20%は細々として、まとまりきらない内容だ。
総一郎はそんな話をローレルとしたな、と思い出す。ローレルと、アーカムで再会した時のこと。アーカムは危険なのに、なぜみんな出て行かないのだろうと問答した。総一郎はそれに、どう答えたか。
彼女も思い出したのか、総一郎に視線を送ってきていた。微笑すると、ローレルも華やかに相好を崩す。
「その不安の解消方法として有効活用されるのは、リッジウェイ警部の対亜人部隊だろうね」
総一郎の指摘に「そうだろうな」とアーリが賛同した。そこでギルが「我々は外様だから、的外れな質問だったら申し訳ないのだが」と前置きして尋ねてくる。
「警察とつながりがある、という点でアピールするのかい? それならもっと金持ち市長候補らしく、金をばらまいて警備員を雇おうとか言いだす方が想像しやすいが」
「アーカムの犯罪者にその辺の警備員が太刀打ちできるとでも?」
「……なるほど、納得したよ。確かに今のイチを相手に何秒と耐えられる手練れは、そう居ないだろうね」
というか、治安を荒らすようなギャングたちはすでにARFで大掃除したばかりなのだ。クスリの売人程度なら探せばいるだろうが、組織だっている者はもういないだろう。いざとなった時に、バックに何者かがいることを仄めかすのが関の山だ。
その意味で、本当に身近な危険、というものは実は市民の近くには無いと言える。ただ例外となり得る敵が、市民に牙を剥きかねないだけで。
「でも、それならJVAバッチで十分対抗できるんじゃないの? 要は安全そのもの以上に、安心感を与えることが重要ってことでしょ。なら今までの実績があって、日本人か否かを問わないJVAバッチがうってつけじゃないか」
総一郎が言うと、白羽は難しい顔で首を振る。
「今まではそうだったんだけど、前にゾンビ騒動で警察とぶつかったでしょ? その時戦況的に互角だったこともあって、評価が割れてるんだよ。それでなくともJVAっていうのはあくまでも日本人の互助組織な訳でさ。アメリカ人も加入できるけど、日本人をやっぱり優先するんじゃないの、とか」
「あー……」
あそこで圧倒的だったならまだしも、互角だったとなると、やはりアーカムの人間はアーカムの武力組織たるアーカム警察を頼りたくなるものだろう。その理屈は確かに納得できる話で、故に困難だという考えが募る。
「そんでもって、ジャパニーズってのはやっぱり有権者じゃない訳ですよ。それで票が割れて、亜人差別是正が一番の関心ごと、って層をすべて取り入れられたとしても、コロナード氏が50%持ってっちゃうことになるんです。つまり、我々がすべきは――」
「亜人差別是正派に知ってもらうこと。及び、安全に関心がある層を少なくとも半数は取りたいものだね」
アンジェの司会に、ギルはそう纏めた。「そんなとこですかねぇ」とアンジェは遠い目で頷く。亜人関心の30%に、安全関心の四分の一の、10%。合わせれば、40%でコロナード氏が集める30%に逆転できる。
「差し当たって知ってもらうには、ということなんだけど、一つ私に良い考えがあってね」
ニヤ、と笑う白羽に、総一郎は苦笑を、アーリは嘆息を、そして薔薇十字団はこぞって竦みあがった。どれだけ酷いことをやらされてきたのだろう、とちょっと興味が湧く思いだ。
「イッキーおじさん、SNSでバズらせちゃわない?」
いかにも若者らしい提案に、総一郎もちょっと怯んだ。