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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎12

 爆発音が聞こえたのを受けて、Jは無言で立ち上がった。


 周囲の観覧客は、全員硬直した様子で音の方向を見つめていた。Jはその中を、なるべく目立たないように歩きながらそっと半そでパーカーのフードを被る。


 そして俯いて歩きながら、Jは脳裏に満月を思い描く。血が、ざわざわと騒ぎ出す。


 全身に、獣性が漲っていくのが分かった。しなやかに伸び出す骨、逞しく太る筋肉、全身の皮膚に生え伸びる狼の毛、視界に自己主張し始める高い鼻。


 遠吠えしたくなる衝動を押し殺して、Jは静かにウルフマンとなった。隣を歩く男がその姿に気付いてギョッとする。それにニッと笑って、ウルフマンは伸びた口先に黒く爪長い人差し指を当て、「シー……」と静かにするよう伝えた。男は一拍おいてコクコクと頷く。


「協力サンキューな。これ感謝状」


 ARFのウルフマンカードを渡しつつ、ウルフマンは軽く伸びをした。それから伸脚をして、「さぁて」とクラウチングポーズを取る。


 そして、誰の目にも留まらない速度で駆け出した。


 ウルフマンの速度は見る見る内に人間の速度を超える。そろそろ横を通り過ぎるだけで誰か転びかねないという速度になったところで跳躍し、足の爪を駆使して天井を駆けた。


 そしてそのまま通気口の檻を破り、内部へと侵入する。鉄を曲げる音がしたが、直後にヒルディスの部下突入の声が聞こえたし、間一髪と言ったところだろう。


「おっし。んじゃこっからいくらか身をひそめて、イッちゃんたちへの情報収集と行くかね」


 脳裏に太陽を思い浮かべると、少しずつ体が縮み、普段の姿に戻っていった。この姿でも通気口は窮屈だったが、狼の巨大な姿に比べればマシというもの。


「早速今聞こえたヒルディスさんとこの様子を見に行きますか」


 Jはヒルディスと親しくしていただけあって、彼の部下は大体知り合いだ。ほぼ全員亜人の姿と人間の姿のどちらも有するタイプだったから、変装もしていまい。つまり、亜人の姿の方を見れば誰かが分かるという事だ。


 しかし、それにしてもヴィーとヒルディスに繋がりができる余地がいまだに分からないJである。ヒルディスの周囲は武骨な荒くれものだらけで、一方ヴィーは最近こそイッちゃんや仙文とつるんでいたものの、もとはと言えば分かりやすいくらいのクイーンビー。スクールカーストの頂点に立っていたような女子である。


 この謎もこの戦いで勝利したら発覚するのかね、と考えてから、ウルフマンは首を振って任務に集中しなおした。


 そんな訳でよじよじとJは通気口を進んでいく。人間の姿でも耳のいいJだから、どちらに進めばいいかはすぐに分かった。建物内の様々な場所で部下たちが観覧客を誘導すべく大声を上げていて紛らわしいが、ひとまずそのどれかに辿り着ければいい。


 と、そう思いながら狭い通気口を伝っていくと、出口の一つに辿り着いた。ここで誰がしゃべってんのかな、と覗き込むと、イッちゃんが見覚えのあるヒルディスの部下の一人を打ちのめしていた。


「ありゃ、何かあったか?」


 イッちゃんの背後からもう一人の部下が襲い掛かろうとしたが、それも無事ハウンドが始末した。殺傷していないのを見るに、最近話題だったフィアーバレットとかいう奴だろう。あの勇猛果敢なファイアーピッグ部隊があれほど怯えるとは、とちょっと驚きだ。


「亜人を怪我もなしに無力化とは、ちょっと恐ろしいな」


 一応持たされた、腰に突っ込んだフィアーバレット入りの拳銃を意識する。ウルフマンの姿では碌に扱えもしないだろうと言ったが、無理にシラハに持たされたものだ。


 案外使いどころあるかもな、なんてことを考えながら成り行きを眺めていると、イッちゃんの新しいコードネームが決まったのを見た。


「ティンバーな、了解」


 EVフォンを起動して連絡事項に『よろしく頼むぜティンバー』と書くと、『情報収集は順調のようだね』とイッちゃん改めティンバーから返信がある。『もちろんだぜ!』と返しながら、Jは「やっべ。次のとこ行かなきゃな」とまたよじよじ通気口を伝い始めた。


 そうやって一人コソコソと動き回って見てみるに、やはりファイアーピッグ部隊の人員が集合しての活動らしかった。誰も彼もが見たことのある面々ばかり。ただそれだけに「何だと、……分かった。警戒する」とティンバーがはしゃいだことはすぐにバレていたようだったが。


「この辺りの連携は流石だよな」


 能力が一点特化で不揃いな亜人を、それぞれの分野で能力を生かせるように配置し、一つの生き物のように運用する。そうやって出来たファイアーピッグ部隊は、かつて好き勝手動いたARFの幹部チームを模擬戦で軽く打ちのめした。


 懐かしい話だ、と思う。ARFの幹部連中はJ含めてワンマンなタイプが多く、組ませて戦う必要が出てきたとき上がった「一人で十分だ」というそれぞれの反論を、シラハがねじ伏せるためにセッティングしたのだ。


「その影響でハウンドが部下を持ち始めた時には度肝抜かされたよなぁ。思えば、あの頃にはもうロバートじゃなくなってたんだったか」


 切ねぇ話だよな。そうボヤキながら、Jはまた次の通気口へ向かった。そして覗き込んだ先に居た人物を見つけて、「大当たりだ」と口端を吊り上げる。


「隊長、客は例の以外すべて奥の小部屋に集めました」


「おう、ご苦労だったな」


 そう労ったのは、Jのウルフマン姿をも超えるような巨大な体躯をした、豚の亜人だった。ヒルディスヴィーニ。かつては神話に身を置いていたという悪魔の亜人。だが、かつてに比べてもずっと存在感を増しているように思う。


 マナミのように、妙なものを邪神から受け取ったのか。その辺りの情報について、この作戦を前に尋問が行われたらしいが、『彼は生憎、ボクの手を離れてしまったからね。何も話すことはないよ』の一点張りだったらしい。相変わらず腹の立つ態度だ。


「三番部隊の二人は」


 ヒルディスが昔ながらの無線で連絡を取り始める。すると、無線機から声が聞こえ始めた。


『す、すいません、連絡復旧しました。身元不明の十代男女二人によって無力化されてます。場所は目標F室。扉を封鎖されているようで、内側からは開けられません』


「無力化されてて話せるってのはどういうことだ。もう一人は」


『女の方の銃で撃たれて以来、そ、その、魔法が、使えねぇんです。相棒は棒状のもので叩きのめされ失神してます。ひとまずF室の目標物を破壊しようとしたんですが、全身が震え、て、ぐ、う、うまく、出来ません』


「……分かった。客は?」


『我々を無力化した男女二人が、全員を昏倒させました。起き出す様子はありません』


「魔法使いか……。JVAの手練れか、あるいは。分かった。お前は相棒のことを見つつ、客が起きて騒ぎ出さねぇようそこ見張っとけ。事が済んだら回収しに行く」


『了解です、ボス』


 通信が終わる。耳がいいJだからこそ聞き取れた会話のすべてだろう。となると、とJは今得た情報をEVフォンで通達する。ハウンドから、こう返ってきた。


『さっきのアーリとしての姿で警戒されてるなら、今のハウンド姿で意表を突けるかもな。なるべくファイアーピッグ部隊が固まってる場面を窺い突入する』


「了解、っと」


 返信しつつ、一応Jは下の人員を数え始める。ヒルディスで一人、部下たちで三人。計四人。今まで数えてきた面々は十人を少し超えるほどと考えると、固まっているとは言い難い。


「けど、いの一番にヒルディスさんを無力化出来れば、かなりデカい」


 どうしたもんか、と思う。一応シラハからは『ウー君は基本的に情報収集だけど、好きなときにやめて暴れていいよ』と裁量は渡されてはいるのだが。


 EVフォンで問う。『おれ、どうすればいい?』と。僅かに時間が空いて、『好きにしていいよ』とイッちゃん―――ティンバーから連絡が来た。


『部隊の人間の捕捉はウルフマンのお蔭で概ね終わったはずだし、一人一人の居場所はハウンドのバグドローンで掴んでる。なら、情報収集の時間はもう終わりだ。勝負時だと思ったなら、その直感を尊重する』


「―――嬉しいもんだな、信頼ってのはよ」


 Jは満月のイメージの中でウルフマンへと変貌する。その勢いそのままに通気口の鉄格子を蹴り破って、ヒルディスへと強襲を仕掛けた。敵四人が瞬間硬直する。その隙に、ウルフマンは一撃を入れた。


 ラビットよろしく、天井蹴りからの踏み付け。それを通気口から飛び出て天井近くで反転し、ヒルディスの頭上で行った。重力とウルフマンの脚力の合わさった踵落とし。


 手応え。「ぐっ、テメェ何者だぁ!」とヒルディスが叫ぶ。左手の燃える拳で振り払われるのに合わせて空中を回転しながら、「おれのこと忘れちまったのかよ、寂しいな!」と憎まれ口を返しつつ、続いて部下の一人に足払いを一つ入れる。


「おっ、お前、ウルフマ、んがっ!」


 足払いがもろに決まって、その部下は倒れ伏し頭を地面に強打した。そのまま頭にスタンピングすれば、そのまま気絶だ。四人が早くも三人になる。


「……坊ちゃん、体、取り戻せたんですね」


「人の心配してる場合かよ、ヒルディスさん」


 ウルフマンが一撃入れた踵落としは、防ぐ右手をへし折ったようだった。ぶらんと腫れて垂れさがるそれは、もう使い物にならない証。


 ウルフマンはうまく行き過ぎたそれを忸怩たる思いで睨みながら、口を開く。


「いきなり襲い掛かっておいて今更だろうとは思うが、一応言っとくぜ。ヒルディスさん、ARFに戻って来いよ。もうウッドの脅威はない。シラハさんが指揮を執って、もうすぐアーカムから差別が消える。だから、その最後のひと踏ん張りを手伝ってくれよ」


 ヒルディスは目を細めて、首を振る。


「出来やせん、坊ちゃん。オレはもう、本懐を遂げつつある。ARFに戻る理由がないんです。そして、ARFに戻ることでそれが壊れちまう」


「……ま、そうでもなきゃ戻ってこねぇ意味が分からねぇもんな。じゃ、当初の予定通りだ。殴って動けなくして連れていく」


 ウルフマンは腕を後ろに伸ばして強く一撃を入れる準備をした。それを見て、ヒルディスは―――ファイアーピッグは鼻で笑う。


「ハッ、どうしたんです坊ちゃん。随分過激じゃねぇですかい。そんなにイキっちゃってまぁ。奇襲で腕をやれたのが、そんなに嬉しかったんですかい?」


「とりあえずよぉ、敵を坊ちゃんとか言うのや止めろやオッサン!」


 ヒルディスに向かう、と見せかけてウルフマンは脇に立つ部下のもう一人に襲い掛かった。彼の真横で立ち止まり、急激に拳にたまった運動エネルギーを独楽のように回転し叩き込む。ファイアーピッグ部隊らしい巨躯の亜人ですらその威力に体を浮かし、そしてそのまま意識を失った。


「フェイントなんてどこで覚えやがったこのガキャア!」


 ヒルディス付きの最後の部下が、全身に炎を纏わせ突撃してくる。単純だが、だからこそ威力でなく速度に重きを置くウルフマンでは対処できない攻撃。


 それを打破したのは、腰にしまっていた拳銃だった。


 発砲音が拳の中で爆ぜた。最後の部下一人の炎を貫通して、フィアーバレットは戦闘への恐怖を植え付ける。途端、彼は炎を失い、立ち止まり、腰を抜かして自らの全身を見て、震えた。


「坊ちゃん、そいつぁ」


「油断してる場合かよッ! 舐めてんじゃねぇ!」


 跳びかかる。そして、ヒルディスならば余裕で耐えるだろうと爪を振るった。死にはしないが、一撃で無力化しかねないほどの威力を持つ爪での一閃。邪神すら一時退けた必殺技。


 それを、横から現れた魔女帽の少女が易々と止めた。


「ちょっと、危ないことしないでよね。私はか弱い乙女なのよ?」


 赤い長髪を翻して、ウルフマンの爪を古めかしい木製の杖で受け止める様は、まるで伝承の中の魔女のようだった。だからこそ、ウルフマンは瞠目する。


「ヴィー……! まさか、本当に報告通りだとはな」


「あら、ウルフマンって私の知り合いなの?」


「坊ちゃんの名前はジェイコブだって話、前にしなかったか?」


「え、そんな昔のこと忘れたわよ。っていうかJなの? へー、ワイルドだとは思ってたけど、狼男だなんて本当に野生じゃない」


 ウルフマンは、信じられない思いだった。狼男たる自分の爪を、ヴィーのような華奢な少女が軽く受け止めているなんて、普通に考えてあり得ないことだ。


 冷や汗をかきながら、大きく飛び退ってウルフマンは距離を取った。「あら、力試しはおしまい?」とヴィーはクスクス笑って、くるりと杖を回す。


「……ああ、そうだな。おしまいだ」


 間髪入れず、ウルフマンは拳銃をヴィーに向けフィアーバレットを放った。着弾。これでヴィーがどんな力を秘めていたとしても、恐怖によって動けなくなるはず。


 そう、思っていたのに。


「えっ、私撃たれるほどJに嫌われてたの!? ちょっとショックだわ」


 フィアーバレットがヴィーの体に当たって落ちる。だが、恐怖した様子はない。変化は見受けられない。


「いや、その銃妙でな。そこで震えてるのがさっき撃たれた奴なんだが、どうも怪我一つしてねぇらしい」


「あら優しい。むしろ見直しちゃった」


「……いや、見直しちゃったじゃねぇよ……」


 ウルフマン、目も口も大きく開けて、平然としているヴィーを見つめる他ない。魔法での防御も破って怪我すらさせずに一撃で敵を動けなくする反則を持ち出したら、それすら無効化する反則を持ち出されたのだ。


 いわば、反則返しをされたような気分。理不尽を理不尽で返されると、こんな気持ちになるのか、と呆気にとられるばかり。


 だが、そうやって呆けている暇はないらしい。


「じゃ、優しいJに免じて、あんまり痛くないように倒してあげるわね」


 ヴィーは杖の頭を地面にこすりつけ、巨大なマッチのように大きな火を灯した。それは杖の頭の軌道に長く炎を残し、まるで棒につけられた帯のように後を引く。


 見るからに厄介そうな敵だ、とウルフマンの戦闘経験が警鐘を鳴らした。漁村連中を思い出すような不可解な異能は、ウルフマンには荷が勝ちすぎる。


 そんなとき、ウルフマンの手はどこにでも通ずるたった一つに絞られる。


「――戦略的撤退!」


 思い切り踵を返して、ウルフマンはその場から逃げ出した。後ろから「あ! 逃げた!」というヴィーの呑気な声と「いやぁ、坊ちゃんも成長したなぁ。参ったぜまったく」という本当にただ参った様子のヒルディスの声が聞こえた。






「じゃ、部下共に固まって動くよう言っとくか。しかし、十代の男女でARFとなると……難しくなってくるな。男がハウンドなら銃を使うはずだが、女だとオレが知らない奴かもしれねぇ」


「別に気にする必要ないんじゃない? 部下さんたちが固まってる状態で簡単に負けるとは思えないし、そもそも私からして無敵じゃない」


「……そりゃあ、そうだが」

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