8話 大きくなったな、総一郎11
キャンバスに、向かっていた。
パレットには、赤い絵の具を多く出しておいた。それから黒。灰色。総一郎はしばらく目を瞑って深呼吸してから、自分の記憶の一部をアナグラムに変換し、電脳魔術で自動演算にかける。
そして、その答えに身を任せ、筆を動かし始めた。
赤。記憶を彩る真っ赤な炎。その中に見える影。蠢く二つ。異形と少女。悪魔と魔女。悪魔とは何か。魔女とは何か。信仰、あるいは、冒涜。
総一郎は、没頭していた。絵を描くこと以外が頭の中から消えていく。そして、その中に強く迷わない瞳を見出した。
日が傾く。絵が、描きあがる。
それは、悪魔と背中合わせにしてこちらに向かう魔女の姿だった。炎に巻かれ崩れ落ちた瓦礫の中で、少女は大きな魔女帽の下から強い目で総一郎を見つめている。そしてその背後には、毛むくじゃらで少女の何倍も大きな悪魔が背中を見せている。
シェリルの時とは真逆だ、と思った。この二人は、あまりに分かちがたい。そしてそれでいいのだと、瞳が訴えかけてきた。ここに依存はなく、破綻はなく、ただ、絆として強い。
「……ヴィー」
君は、何者だったんだ? 総一郎のそんな疑問は、夕暮れの中に溶けていった。総一郎の脳裏にあるのは、ハキハキとしていながら、清や仙文のように日常の中に生きていた彼女の姿だけだ。
赤くまっすぐに伸びた彼女の長髪は、戦わない人間のそれ。戦う女性は、アーリのように髪を結わいて隠す。ああやってまっすぐに伸ばせるのは、白羽のように現場に出ない女性の特権だ。霧や蝙蝠になれるシェリルなどは例外である。
「総一郎、何をやってるんだ?」
形だけのノックを軽く済ませて入ってきたのは、清だった。総一郎は少し背をかがめて目線を合わせ、「久しぶりに絵を描こうと思ってね」と視線でキャンバスを示す。
「ん……。おぉ、すごいな! 格好いい。何の絵なんだ?」
「んー……、何の絵って言われると難しいんだけど」
総一郎はぼかしつつ自らが描き出した絵を見る。恐らくヴィーなのだろう少女と、ファイアーピッグの絵。だが、その上で改めてこの絵は何だ、と考えると首を捻らざるを得なくなってくる。
今まで、何となく知人をそれぞれ独特に描いてきたモノ。相手によっては描いたり描かなかったりしたが、今回は描いてしまった。何故だろうと考え、きっと予感がしたからだ、と思った。
「見本、かな」
「見本? 何のだ?」
「うーん、何のだろ。でも、多分見本。これはすでに完成されてて、これ以上付け足すものがないんだ。だから、というか」
総一郎はそこまで言って「抽象的なものは説明するもんじゃないね」とはにかんで笑った。それから「それで清ちゃんは誰に言われて俺を呼びに来たの?」と聞く。
「ああ、あの……パッキンツインテールの」
「パッキンて」
アーリか、と思って清を連れて階下まで行くと、図書とアーリが談笑していた。彼女は総一郎を見つけると「お、来たなソウ」とニッと笑う。
「いくらか出揃ったから、そろそろ働いてもらうぜ。これ資料」
ほれ、と投げ渡されたQRコードを受け取って、電脳魔術でクラウド上のデータを受信する。中身は、ファイアーピッグの目撃情報と建物情報から逆算した次の予測襲撃地点だった。
「ここに行けって?」
「ああ。今回は結構情報が分かりやすかったから、特に会議とかは無しだ。直接指定時刻までに指定場所に向かえってよ。んで、ソウの今回の相棒はアタシとJだ」
「そういえばアーリとJと組んでって地味に初めてじゃない? よろしく頼むよ」
「ハハハッ、まぁえげつないほどの攻撃重視チームだからな。逆に言えば、敵はそんだけ手堅く強いって訳だ」
「なるほど?」
ウッド時代に叩きのめしたような記憶がないでもないが、今のファイアーピッグも少し前の愛見よろしく強化されている、ということらしい。
「何だお前ら。ゲームの大会でも出んのか?」
そして惚けているのか本当に分かっていないのか、図書は総一郎たちの会話に茶々を入れてきた。総一郎は肩を竦めて「いやいや、俺たちはもっと激しいよ。何せ今日の敵はARFのファイアーピッグだ」と返す。
「ハッハッハ! そりゃ強敵だ! ARFでもあいつは強ぇぞ? 装備はしっかりしてけ」
「もちろん。じゃあ出ようかアーリ」
「……。おう、んじゃ行くか」
微妙そうな顔つきのアーリと連れだって家を出る。玄関扉を閉めた瞬間に、「冗談に見せかけて真実全部暴露すんのやめろって。心臓に悪いぜ」と苦言を呈される。
「え。あ、ごめんごめん。ちょっとローレルの影響でつい」
「あー……大人しそうな顔して任務でも一番過激だもんな、あのちっこいの」
ローレル、総一郎の知らないところでも中々やってるらしい。昔からこういうところは変わらないなぁと、恐ろしいやら愛おしいやら。
そこから少し離れたコンビニエンスストアまで歩く。暮れかけの夕日を受けて、街並み全体が赤く染められていた。夜の気配。だが、気温は汗ばむほどだ。
コンビニに着くと、JがEVフォンを弄っていた。彼は総一郎たちが近づくのを分かっていたかのように自然に顔を上げ、「んじゃ行くか」と笑顔を見せる。どう察知したのだろうと考え、ああ、狼男の嗅覚か、と納得した。
アーリが路地裏で呼び出した三つの無人バイクにまたがって、三人は目的地まで走った。バイクというものに不慣れな総一郎だったが、よくよく考えれば総一郎の魔法飛行より遅かったので何とかなった。そのことを話したら「あんなのと比べんな」とアーリから一蹴された。
そうしてたどり着いた建物を、総一郎は見上げる。夕暮れに赤くなった、キリスト教系の建物。しかし教会ではないらしい。
「ここは」
「確か博物館だったか? この辺りの地理は詳しくねぇからなぁ。そもそもARFの構成員はこの手の建物にはそもそも近づけないことが多いし」
ほら、見ろよアレ。とアーリが顎で指す。その先に居たのは頭を押さえて「うごぁあああ」ともだえるJの姿だった。何だろうかアレ。
「……J? キツイ?」
一応本当にダメージを負っているといけないから声をかけたが、その瞬間Jはケロッとした顔になったので、総一郎はちょっと呆れた。そもそも論を言えば、天使の白羽が人事を割り振った時点で問題がある訳がないのだが。
そんな総一郎の複雑な心境も知らず、Jはキョトンとした様子で言う。
「え? あー、そこまでではないんだがよ。何つーか……本屋で参考書コーナーにたまたま迷い込んじまったときみたいな嫌な感じと言うか」
「その例え全くピンとこないんだけど」
「マジで!?」
理解を拒絶する好奇心の犬と、その拒絶にどよめく差別者狩りの猟犬である。これが異文化か、と思わなくもない。
「で、ここをファイアーピッグが襲撃するはず……と?」
「ああ。ヒルディスの旦那はデータを見る限りキリスト教系の建物を襲撃してる。目的も盗難じゃなく破壊だ。とにかく壊して回る。ARFの仲間とは言え、アタシなんかは気分のいいモンじゃない」
僅かに眉をひそめながらも、ほとんど無表情でアーリは言った。宗教。アーリはまずARFとして亜人差別者を過激に攻撃してきてはいたが、それとはまったく別口でキリスト教徒でもある。
逆に悪魔の一種でもある狼男のJは、何かを感じ取ろうとするかのようにじっと博物館を見ていた。彼は首を二度振って、「行こうぜ。ヒルディスさんのこと待ち伏せすんだろ」と総一郎たちを先導して博物館に入場した。
総一郎たちはそれぞれ電脳魔術、BMC、EVフォンで入場チケットを電子決済し、館内に足を踏み入れた。仄暗いながら足元のライトで照らされた内部は、芸術品に集中できるように静かで神秘的な雰囲気を醸している。
人の入りはまばらで、前情報の通りならことさら避難誘導する必要もないかな、と総一郎は考えていた。あとは、事が始まるまで静かに鑑賞でもしていればいい。
が、Jはいざキリスト教系の遺物を前にすると流石に感じるところがあるらしく、「あー、ヒルディスさんが来るまで鑑賞するつもりなら、おれはその辺のソファで座っとくな」と速足で抜けていく。
「……亜人ってのは窮屈だよな。人間が差別するまでもなくさ」
「一神教圏は特にそうかもしれないね」
白羽のような天使以外の亜人は、一神教にまつわる何かに触れるたびに疼痛を起こす。カバラしかり、教会しかり。そうやって神から敵とみなされているからこそ出来ることもあるが。
「やめよう。宗教は個人の立場から良し悪しを測るものじゃない」
小さく首を振った総一郎は、待ち伏せの手順について脳内で再確認し始めた。
前提情報として、まずファイアーピッグ一味はその場の人間には手を出さない。襲撃に際して大声と魔法にて脅し、従順なものは無傷で、抵抗するものはなるべく軽症で無力化し、建物の隅に追いやる。
それから、彼らはキリスト教ゆかりのものをすべて燃やし、破壊し尽くすのだと。目的はそれ以上でも以下でもなく、ただそれのみ。破壊さえスムーズに行えば、彼らは余計な被害をもたらすことなく消えるのだと。
であれば、待ち伏せに際して、まず一般客装うのが取り決められた作戦だった。
総一郎はそのため、必要な変装ホログラムデータをすでにアーリから受け取っている。こういうものを使うのは初めてだな、と思いながら、電脳魔術で処理し駆動させた。静かな電子音の後、じっと見ていないと気づけないようなさりげなさで服装が変化する。
「お、すごい」
「何だ、ソウ。もしかして変装ホログラム初めてか」
「普通に生きてたら初めてでしょ、そりゃ」
「普通じゃない生き方してる奴が良く言うぜ」
総一郎を一言で黙らせつつ、アーリは笑った。総一郎はむくれて「それで、アーリは変装しないの?」と話を逸らす。
「ああ。ヒルディスの旦那、つまりファイアーピッグはまだアタシがハウンドの正体だって知らないからな。旦那の中のハウンドは、まだ」
アーリは、そこで一拍間を挟んだ。
「まだ、ロバートのままだ」
それに、総一郎はただ「そっか。じゃあ、要らないね」とだけ返した。アーリは長く息を吐きだして「こういうとき、きっと電子タバコの一つでもあれば助かるんだろうな」と肩を竦めた。
その時だった。少し離れた先、博物館の入り口の方角から、爆発音が聞こえたのは。
「ソウ、段取り通りだ」
「うん。俺たちはしばらく一般客に紛れて。Jは後で合流だよね」
アーリが頷く。総一郎もそこで声を出すのを止めた。同時大柄な黒装束の男が一人、両腕に火を纏いながら現れる。
「聞け! 今よりこの博物館は、我々が占拠する! 怪我をしたくなければ指示に従え! 抵抗するものには容赦しない!」
少ない客たちは、悲鳴をも呑み込んで縮こまった。逃げようとそれぞれ視線を巡らせるが、進行先の通路にもファイアーピッグの手下が現れることで両手を上げて伏せ始める。
総一郎たちも、それに倣って従順に従う意思を見せた。手下たちは「よぉし! 抵抗しないものは傷つけない! それぞれ壁に手を付けて立ち上がれ! 持ち物を確認した後に誘導を始める!」と大声で通達する。
総一郎、それを受け小声で確認だ。
「アーリ、大丈夫? 武器持ってたら取られそうな雰囲気だけど」
「おいおいソウ、アタシのこと誰だと思ってんだ?」
アーリは得意げにチラと視線を遠くにやる。その先には違和感のないように設置された小さな箱。アナグラム分析するに、中には銃が詰め込まれているようだった。
「流石、抜かりないね」
「だろ?」
「おいそこ! 何を話している!」
手下に気付かれ「すいません! 何でもありません!」「お願いします、暴力はやめてください、お願いします……!」と怯える演技。顔を覗き込まれるのを必死に目をそらすようにすると「怪しまれるようなことはするな。俺たちも無暗に傷つけるつもりはない」と。
離れていく様を見ながら、総一郎とアーリは顔を合わせてこっそり舌を出し合った。それも察知されないようすぐにやめ、乱雑に行われる身体検査を甘んじて受け入れる。
そこで、詰めが甘かったのは心配した側の総一郎だと判明した。
「おい、これは何だ」
「え?」
取り上げられたのは、愛用する異次元袋。総一郎はえ、バレるの? とキョトンとし、アーリはあちゃーと顔を手で覆う。手下は袋に手を突っ込んで、中身をポイポイと出し始めた。
「おい、この木剣はな、ぐぁっ」
そして総一郎愛用の黒く染まった桃の木刀を引き当て、握り締めたことでダメージが入ったらしい。総一郎はアーリに「ごめん」と肩を落として謝り、動いた。
素早く木刀を掴む。ファイアーピッグの手下が拳に火を纏わせてこちらに向かう。総一郎は力を抜き、息を抜き、刀を振るう。
狙いは、彼らの拳だ。
振りかぶる拳に木刀を叩き込むと、炎は消えて拳が割れた。手下から悲鳴が上がりかけたから、柄で脳天を強打して眠らせる。同時、背後からもう一人拳が襲い来た。総一郎が対処する寸前に、彼は硬直し竦みあがる。
「う、あ、な、何だ。ふ、震えが、止ま、らねぇ」
彼は震えの余り腰砕けになり、総一郎たちの姿を見るのも恐ろしいといった様子で地面に伏せ始めた。この分なら、特に拘束をする必要もないかもしれない。むしろ、その情報が敵に伝わることで混乱を招けるか。
そんな考えを深める総一郎に、アーリは大きなため息を吐きながら近づいてくる。
「ったく。ソウ、何つーもの持ってんだ。それ、素材が神話由来だから亜人にはすぐにバレるし、持ってる時点で『俺は異次元収納機構を任されるヤバい奴です』って名乗ってるようなものなんだぜ?」
「そうなの? 亜人相手に潜入任務に当たったの初めてだから知らなかったよ」
「ま、アタシらがそもそも極限まで亜人寄りだからな。対亜人には弱いところがあるのは仕方ねぇよ。味方だもん」
言いつつ、アーリは先ほど示した箱から取り出したらしいアサルトライフルを下ろした。ファイアーピッグの手下が意識を持ちながら震えに動けなくなっているのを見るに、以前辻から紹介されたフィアーバレットなのだろう。恐怖の弾丸。傷つけも殺しもしないだけの残酷な弾。
「早速使ってるみたいだね」
「殺しちゃならん相手だからな。本当ならもう少し後に出番がある予定だったんだが」
「ごめんごめん。今度埋め合わせするからさ、許して」
「ったく。しょーがねー弟分だぜ」
文句を垂れつつも、アーリはちょっと得意げで嬉しげに言った。総一郎は「さて」とこちらに希望を託したような目を向ける客に向けて、言う。
「本当は素直に従った方が安全だったんですが、こうなっては仕方ありませんので、皆さんは寝ていてください」
精神魔法を部屋中に飛ばす。アーリ以外の人間が昏倒し、その場に倒れ込んだ。アーリは口笛を吹いて賞賛を。
それから彼女は大きな髑髏の刺繍の入ったジャケットを脱ぎ、裏返して着る。厚底の靴から空気を抜いて小柄な少女になり、そしてツインテールを帽子の中に隠しジャケットの前を閉めることで胸を強く圧迫し、少年になった。
ハウンド。こうやって間近でこの姿を見るのも久しぶりだ。それが味方だなんて頼もしい限り。だが、敵はいつかに比べて未知数の実力をつけたファイアーピッグの一味。そして何故か協力関係にあるヴィー。
Jの助けもあるが、油断は出来ない。そう思いながら、総一郎は変装ホログラムでさらに外見を変化させる。それは実体を持たない木面を、顔の下半分に装着した新たな怪人。ウッドに似て、ウッドではない何者か。
「新しい変装、似合ってんじゃんか。雰囲気出てんぜ、ウッド」
「そう? だけどあんな非道な奴呼ばわりは心外だな」
「いやアレもお前だろうが。んじゃ何て呼ぶんだよ」
「そうだなぁ」
総一郎は考える。そして「じゃあ」と言った。
「ティンバーで」
「それだと木面じゃなく建築用の木材って意味になるが」
「それでいいんだよ。いつか亜人と人が、分け隔てなく一緒に暮らせる家の建材。そう考えればよりARFっぽくない?」
「屁理屈ばっかうまいよな、お前」
言いながら、ハウンドは肩にかけた銃のベルトの位置を調整する。それから喉から声を出すのを止めて『では、この部屋を封鎖して敵を掃討しに行くぞ“ティンバー”』とどこから出ているのか分からない電子音声で指示を出す。
「了解、ハウンド」
総一郎改め、ウッド改め、ティンバーは木刀を手に足を踏み出した。




