8話 大きくなったな、総一郎7
あの当時の、私なりの正義観に従ったまでだよ。イキオベさんは、そう語った。
「当時と言っても、五十路後半のような時分だ。他国の文化に、例えそれが悪辣なものであろうと、強制的に手を入れるなんていうのは愚行だと分かっていたとも。だがね、それでも見過ごせないことがあった。だから、ああいう形になったんだ」
「見過ごせないこと、とは?」
総一郎の問いに、イキオベさんは口惜しさを笑みで誤魔化すような顔になる。
「日本人が、モンスターズフィーストに所属する構成員に無残に殺された、という情報があったんだ。それがちょうど、白羽ちゃんのように――私の、戸籍上での娘でね 。ひどいありさまだった。とても食事の場では言い表せないほどに」
「その報復、ってこと?」
「……どう取り繕っても、そうだとしか言えないね。アーカム警察が犯人を検挙できない以上、我々でどうにかするしかないと思った。だから持てる人脈すべてを使って、日本人による日本人の自警団を成立させた。そして」
「モンスターズフィーストを、壊滅させた、と」
白羽の斬って捨てるような言い草に、総一郎は咎めるような視線を送った。だが、白羽は知らん顔でそっぽを向くばかり。「いいんだよ」とイキオベさんは困り顔で言う。
「事実だ。例え私が犯人の特定と私人による現行犯逮捕のみを狙いとしていたと言っても、結果がこうなってしまった以上、指揮に付いていた私の責任だ。白羽ちゃんの糾弾は、甘んじて受け入れるつもりだとも」
「……そういうまるっきり大人な対応見せられると、こっちもこれ以上言いにくいなぁ。ま、でもいいよ。JVAが出てきたおかげで日本出身の亜人が守られてきたのは確かなことだし、マジックウェポン携えたアーカム警察に一網打尽にされるよりかはマシだったから」
JVAによって拘束されたモンスターズフィーストの面々は、一応生きている、という事になっている。理由はひとえに、魔法を使う日本人がアーカムの亜人たちよりも格段に強かったから。拘束とは、殺すことそのものよりもよっぽど高度な行為なのだ。
そして刑務所にJVAの圧を掛けることも出来ていて、少なくとも囚人として妥当な扱いは受けられている、という話をARF内で聞いたことがある。だから、恐らく、大丈夫なのだろう。事実如何は分からないが、そう信じるしか総一郎には出来ない。
ひとまず聞きたいことは聞いた。と白羽が緊張を緩めたことで、部屋全体の空気が程よく弛緩した。そこでちょうど給仕さんが三人分の料理を持ってきたため、「では二人とも、いただこうか」とイキオベさんに催促されて舌つづみを打つことになった。
久しぶりの和食に総一郎はガッツいてしまい、白羽に微笑ましげに見られて恥ずかしい思いをする。そんなやり取りに気付いたイキオベさんは「いつ見ても仲が良くて、羨ましい限りだ」と笑った。
「羨ましい……というと、前にも言ってた反抗期の娘さん?」
「ああ。どうにも私には手が負えなくてね。今は市長選前の空白期間というのもあるし、君たちの騒動にも一区切りついたという事で、どうか力になってもらえないだろうか」
イキオベさんは頭を下げ、こちらに頼み込んでくる。これだけ年を重ねてなお、自分のような若造に頭を下げられるなんてすごい人だな、と総一郎は思った。そして、これだけ真摯に頼まれては断れないとも。
ほとんど承諾するつもりで総一郎は白羽を見ると、彼女は何故か、微妙な顔つきでイキオベさんと食べていた食事の間で視線を行き来させていた。それから、一言。
「イッキーおじさん、だから今回は食事代持ってくれたの?」
「何がだい? 今回招待したのは、前回招待を受けたお返し以上の意味はないが」
「って思わせてここまで呼んで、ってことでしょ? しかも、私が前回市長にならない? ってお願いしたときの意趣返しも含んでさ。……いいけどね、そんな大した手間じゃないし。ただ、私より一枚上手だなって思って悔しいだけだもん」
なんのこっちゃ、と思っていると、イキオベさんの口端が一瞬だけニヤと歪んだのを見た。総一郎はその瞬間内心震えあがる。組織の長同士の腹芸が恐ろしい。
「総一郎君はどうだろうか」
自分にも矛先が来て、総一郎は身を竦ませる。
「えっ、もっ、もちろん構いませんよ?」
「何でそんな恐縮した様子なのかね」
「いやぁ……何でもないので、お気になさらず」
「そうかい?」
総一郎は激しく頷くことで追及を逸らす。「では、この後に頼んだよ、二人とも」と重ねて頭を下げられる。そこまですることなのか、という警戒が、総一郎の中に芽吹いた。
夕食後、料亭を出て、イキオベさんを筆頭にJVAで経営する孤児院に向かった。到着した先の大きな四角い建物からは灯りが漏れ、微かに子どもたちの騒がしい声が聞こえてきた。
「みんな元気ですね」
総一郎の簡単な感想に、イキオベさんは和やかな笑みを浮かべ、顔の皺を深くする。
「やんちゃな子たちばかりでね。昔は白羽ちゃんが遊びに来てくれていたんだが、如何せんその、ね」
そして何故か最後に言葉を濁した。
「何したの白ねぇ」
「……別に?」
こっちを向いて言ってみて欲しい。が、答えてくれなさそうなので、総一郎はイキオベさんに質問する。
「何したんです?」
「いや、悪いことをしたという訳ではないさ。ただすごい人気でね。白羽ちゃんが遊びの指揮をとると過激になりすぎるから、図書くんに任せる形で引き離したということがかつてあったんだよ」
「……」
総一郎、複雑な感情を込めた目で白羽を見つめた。
「何! 何か言ってよ怖いよ! そんな目で見ないでよ!」
「そんな訳だから、白羽ちゃんはなるべく子どもたちを刺激しないように。少しの挨拶くらいなら構わないから」
「白ねぇは何? 暴動を生み出すようなカリスマ性って、動物を前にしたファーガスか何か?」
「あんなにひどくないよ私!」
さらりとあんな扱いされて、ファーガスも草葉の陰で泣いていることだろう。総一郎は十字を切る。アーメン。
そんなやり取りをしながら、三人で孤児院の中に入っていく。子どもたちは「あ! お父さん!」と微笑ましくもイキオベさんを父と呼び、それから「白姉ちゃん!? 白姉ちゃんだ! 遊んで! ねぇねぇねぇねぇ遊んで!」とゾロゾロ集まってくる。
その様はまさしく群衆。動物に異様に群がられるファーガスと何が違うのか。
「あーっと、ごめんねみんな、ちょっと今日は遊べないっていうか、あの、ちょっと服引っ張るのやめて。これ結構高い奴だからやめて。だからやめっ、やめなさい! やめろ!」
そんでもってキレていた。総一郎は口角が上がるのを堪えきれず、そっぽを向いて誤魔化す。
「総ちゃん! 笑ってる暇があるなら助けて! もー!」
「はいはい。ほら子供たち、ダメだよお姉さん困ってるでしょ?」
じろ、と子どもたちから揃って睨まれる。総一郎は一瞬だけ目を細めると、子どもたちは肩を跳ねさせて波のように引いていった。
「……モーセ?」
「アハハ、じゃあ行こうか天使様」
すでに奥の方で待っていたイキオベさんの下に、総一郎は白羽の手を引いて歩いていく。イキオベさんに「子どもを脅かすのはいただけないな」と苦言を呈され、「すいません、ちょっとその、嫉妬心で」と冗談めかして答えた。
白羽、何故か目を剥いて言う。
「総ちゃん今日サービス良くない……? どうしたの……?」
「そうやって引かれるのは納得いかないんだけど」
と言いつつイキオベさんに連れられて廊下を少し進む。後ろから興味に突き動かされ、見え見えの隠密で子供たちが追ってくる。
だが、それも総一郎たちが向かう先に勘づいて引いていった。総一郎は嫌な顔をしながら、イキオベさんの案内に従って立ち止まる。
「ここが、例の子の部屋だ。頼んだよ」
「うん、分かった。突入の前に情報くれる?」
白羽に言われ「ああ、そうだね、失念していた」とイキオベさんは顎を撫でる。
「申し訳ないが、私もちゃんと姿を見られたのは邂逅の一度きりでね。ひとまず、君たちくらいの年頃の女の子だったのは確かだ。驚いて精神魔法の防御が弱まってもつまらないから断言してしまうが、かなり優れた容姿をしている。印象はかなり柔らかだが、実際は他人を完全に拒絶しているので注意してくれ」
「ふーん……美人さん、ね。総ちゃんに行かせたくないなぁ」
「俺のことなんだと思ってるのさ」
「可愛い弟」
「君たち、これでも私は真面目に頼んだつもりなのだが」
とうとう怒られてしまった。「ごめんごめん。大丈夫だよ、ちゃんと手抜かりなくやるから」と白羽は総一郎に目配せする。
総一郎は肩を竦めて、手に『灰』を記した。それから鍵を受け取って回す。ドアノブをひねり、開く。
大声が、飛んできた。
「『来ないで! そのまま振り返って二度とこの扉に触らないで!』」
「うぎっ」
白羽がかなり辛そうな顔で耳を押さえた。イキオベさんも声こそ上げないが、苦しげに顔をしかめる。
だが、総一郎はどこ吹く風だ。『灰』は他者からの干渉を受け付けない。他者への干渉も行えない代償に。
「入るね」
軽すぎる肩に罪悪感すら覚えられないで、総一郎は足を踏み入れた。暗い部屋の奥で、細く白い肌が驚きに震えるのが見えた。
「『入らないで! 帰って!』――何で抵抗できるの!?」
総一郎は、天使の目で彼女の顔を見た。そして、瞠目する。白羽たちの為に電気をつけ、それから彼女に近寄っていき、長い髪に隠れた顔を至近距離から確認した。
「『やめて! 触らないで!』 誰? あなた誰なの!? 『答えて!』」
彼女の魔力のこもった命令を完全に無視しながらも、総一郎は動けなくなっていた。弱弱しい手つきで、背後から白羽たちが入ってくる気配を感じる。総一郎は振り返って、白羽に告げた。
「白ねぇ。この子、――だ」
「――はっ?」
『灰』を吹き飛ばす。少し離れると、“彼女”は安堵した様子でそれ以上の命令を下さなかった。その隙に精神魔法での防御を張りつつ、「だから」と白羽に近寄っていく。
「こっち来て。この子の顔、見て」
「ちょっ、総ちゃん」
白羽の手を掴み、再度“彼女”に近づき直す。「えっ、やだ! 『やめてよ!』 あなたは誰なの!?」という抵抗の言葉に、総一郎は竦みあがるほどの強制力を感じた。精神魔法の防御がバチバチと悲鳴を上げる。だがそれでも近づいて、髪で隠れた彼女の顔を白羽の前に露にした。
「……えっ、嘘。本当に? えっ?」
白羽は口を押えて、涙を瞳ににじませ、感極まって泣きながら“彼女”を抱きしめた。「えっ、えっ?」と戸惑いの声を上げる“彼女”を見ながら、総一郎も再会の喜びに何だか泣きそうになる。
「ど、どうしたんだい? 二人して。その子のことを、知っているのかい?」
イキオベさんの問いに、総一郎は「はい」と袖で目を拭って答えた。
「この子は、るーちゃん――般若琉歌ちゃんです。俺たちの幼馴染で、先ほどイキオベさんが言っていた、般若図書の妹です」
「るーちゃああぁぁぁん! 死んだかと思ってた! もう二度と会えないかと思ってた! よかった! 本当によかったよおおおぉぉぉぉ!」
ワーワーと泣きじゃくる白羽に、琉歌は目をパチクリと困惑を示すばかり。総一郎も口角が上がりながらも下唇を食いしばり、堪えようとして、堪えきれなくなって、泣いた。




