8話 大きくなったな、総一郎6
無人タクシーが止まったのは、アーカム、というかアメリカらしくない和風建築だった。
すっかり日の落ちた夏。涼しい風を肌で感じながら、ライトアップされた地面に足をつける。白羽の手を取って開かれた冠木門をくぐり、砂利に挟まれた石畳みの道を歩き、小さな池の中の錦鯉まで鑑賞したあたりで「すごいね、ここ」と総一郎は漏らした。
「ね。イッキーおじさんもいいところ見つけたよ。JVA所属の人が建てたのかな」
「何だか懐かしいね。あつかわ村の神社を思い出す」
相槌を打ちながら歩を進めると、甚平を着た給仕さんに「ようこそいらっしゃいました、武士垣外様でございますね。五百旗頭様が奥の座席でお待ちです」と出迎えられる。
案内に従って鴬張りの廊下を進み、給仕の人が跪いてそっと障子を開くのを持つ。その奥で、良い生地で出来たスーツの背をこちらに向けて、掛け軸にかかれた文字をじっと見つめている人物がいた。
イキオベさん。老齢ながらJVAをまとめ上げる闊達な人で、悪と見定めた相手をその場切り捨てようとすらする、血の気の多い剣士でもある。
だが、総一郎はそれよりも掛け軸に目を取られた。そこに書かれていたのは、忘れもしない。父の道場に垂れていたことわざ。
『武士は食わねど高楊枝』
その所為で、声をかけるのが遅れた。白羽に背中を軽く叩かれて、ハッとする。
「ご無沙汰してます。武士垣外総一郎です」
「イッキーおじさん、可愛い娘の一人が来てあげたよ!」
呼ぶと「君たちは元気だね。どうぞ座ってほしい」と彼は振り返る。
その言葉に従って、総一郎たちは並んで座る。早速本題に切り出すような無粋なことはせず、まずは給仕さんがお茶を出すのを待った。
ゆっくりとした動きで、イキオベさんは湯飲みを取り一啜りする。湯気のないその一口に、味わうように目を細めた。
嬉しそうな表情には初老らしい深い皺が刻まれていて、何とも好々爺然とした所作だと総一郎も緊張がほぐれる。
「ああ、夏はやはり氷水で出した緑茶が旨い。茶葉の甘みが引き立つ」
言われて総一郎も口にした。夏と言えば麦茶というイメージのあった総一郎だったが、夜の今はこちらの方がいいかもしれない。仄かで、だからこそ味わい深い甘みだ。
「それで――本題は、来週に迫る市長選についてだね」
イキオベさんが切り出したのを受けて、白羽は「うん」と口端を静かに吊り上げた。その笑みは攻撃的で、身内ながら何だか怖くなる。
「ついに、ついにここまで来たよ。正直色々ありすぎたせいで下準備とかしっちゃかめっちゃかになってるけど、それでも、ついに!」
「……そうだね。私が市長になれれば、それだけ民意が亜人差別に反対していることの証明となる。とても、とても大きな意義ある活動だ。必ず、成し遂げなければならない」
白羽は激しさをもって、イキオベさんは静かさの中に、しかし同様に熱い思いを抱えていた。総一郎も、何だか体が熱くなるような気分になってくる。
「それで、差し当たって市長選をどうやって成功させるかってことなんだけど、ひとまずこっちでしてきた調査結果を全部出すね」
白羽はホログラムデバイスを用意して、再生ボタンを押した。すると様々なデータとその前で、仏頂面で居るアーリが映し出される。
『あー……という訳で、これからヒューゴ・イキオベ氏が市長になるにあたっての障害についての調査を報告する』
「白ねぇ。自分で説明するんじゃないの?」
「この手の作業はハウハウには敵わないからね、適材適所って奴だよ」
絶対怠けただけだ、と総一郎は思った。とはいえ、白羽は白羽で忙しいから仕方ないことなのかもしれないが。
『当然だが、氏が市長選で勝ち抜くための障害として最も大きなものは、対抗馬だ。元は十数名いた候補だったが、その内後ろ暗い組織をバックにした連中は全てARFで証拠を掴んで告発済み。だから、有力候補はたった一人に絞られる』
アーリの操作によって、ホログラムに大きな顔写真が映し出された。浅黒いヒスパニック系の男性だ。人種の違い故に年頃が分かり辛いが、恐らく四十を少し過ぎたくらいだろう。
総一郎が真っ先に思ったのは、目が誰かに似ている、というものだった。目の形が似ているというのではない。その奥に潜む精神性が、鷹揚そうで朗らかに挑戦的な顔では隠しきれていない。
『こいつはロレンシオ・コロナード。メリーランド、ボルチモアの事業家だ。元はアーカムの警察官だったが、十五年前に退職。後にメリーランド州で亜人利用のエネルギー事業で資産を築き、アーカムに戻ってきた』
「この通り、敵はガッツリ亜人差別主義者だよ、イッキーおじさん。ただ亜人を食い物にして資産を築いたって点以外では、驚くほどきれいな人生を送ってるのが奴の特徴なの」
白羽の注釈に応えるように、動画上のアーリは『思うところは分かるが、こいつの厄介なところはその経歴の潔白さだ』と映す画像を変化させる。
『こいつはボルチモアのスラムでくだを巻いてるような亜人連中を“捕獲”して、自身で設立した強制労働施設に収容し、エネルギー事業に着手した。亜人という概念を除いた世界観で言えば、コンプライアンスに則った企業として非常に有名だ。何せ、警察の手も届き切らないような厄介者を排除した上で、格安でクリーンなエネルギーを売るんだからな。現地では雄氏として知られている』
それ故に、亜人差別が違和感として強く浮かび上がってくるというもの。搾取して当然のクズとでも言わんばかりの態度に、総一郎もイキオベさんも眉根を寄せて聞いている。
『エネルギーの大手輸送先として、アーカムも含まれている。コロナード曰く、生まれ故郷だから、とエネルギーを他の地域よりも安くアーカムに売っているらしい。要するに、アーカムの企業はこぞってこのコロナードに恩がある訳だ。一般に知られた名前という訳じゃないが、アーカムの企業勤めの人間なら自然にこいつが運営するデミヒューマン・リソーシーズ社の名前を知っている傾向がある』
「私たちは名前からして頑としてここから買ってないけどね」
冷酷な目つきで白羽はホログラムのコロナード氏を見つめた。「なるほど……」と重苦しくイキオベさんが事実を受け止める。
『まとめると、このロレンシオ・コロナードは有権者の内経営者といった影響力の大きな人間に人気がある。それでなくともサラリーマンなら大抵は社名を聞けば知っている程度には知名度がある。亜人差別者であること差し引いても、十分厄介な対抗馬だ』
アーリの総括にイキオベさんは「中々難しい戦いになるかもしれないね」とこぼした。白羽は「じゃあ敵を知った後は、自分の事を知らないとね」とホログラムを切り替える。
出てきたのは、ワイルドウッドだった。総一郎は嫌な顔をしかけて、寸でのところで耐える。「偉いね」と小声で白羽は褒めてくれてから、動画開始ボタンを押した。
『では、僭越ながら説明させていただきます。ヒューゴ・イキオベ氏は、ご自身ですから誰よりもご存知でしょうが、NPO法人Japane Viilance Association、通称JVAの創始者です』
「あれ、ビジランテアソシエーションじゃなかったっけ」
「そうすると自警団協会になる、と注意を受けて訂正したんだよ」
言語の壁は分厚いねぇ、という白羽のコメントの間を計算づくか自然に盛り込みつつ、ワイルドウッドは続けた。
『JVAは保護対象を日本人に限定していないという点で、国籍問わず人気です。強引なところのあるアーカム市警に比べても優秀である、というのが通説となっていることが確認されています』
「それは嬉しいことだね」
『しかし』
ワイルドウッドは、薄い印象の中から鋭い言葉を覗かせる。
『旧来の、強力な亜人たちによって構成されていたギャング、「モンスターズフィースト」の壊滅で生活基盤を崩された有権者たちからは、かなり人気の低い状態と言えるでしょう。亜人の中には人間と素性を偽って参政権を得ている方も居ます。そういった方々からの一票は期待すべき状態ではありません』
「そういえば気になってたんだよね。警察に比べて穏健だったり慎重だったりってところが評価されてたのに、ここだけ警察以上の強引さを見せてるんだもん」
動画を停止させてまで、「何でこんな事したの?」と問う白羽に、イキオベさんは「長い話になる。ひとまず、この話を一通り聞かせてもらいたいね」と躱した。
「分かった。約束だよ」
白羽が再生ボタンを押す。『ここで、イキオベ氏とコロナード氏の人気と有権者層を整理いたしましょう』と動画上のワイルドウッドが言った。
『まず、対抗馬のコロナード氏から。彼の人気は経営者層及び、その影響を受ける社員層に至るでしょう。アーカム全体の有権者から逆算するに、確実に30%近い投票率を誇るはずです』
円グラフの内三分の一がコロナードの色に染められる。一方、とワイルドウッドはこちらを見た。
『イキオベ氏は日本人を中心に非常に人気が高いです。しかし、日本人はアーカムでの有権者とみなされていません。幸いJVA人気により日本人以外の人気もありますので、10~15%程度の投票率が現状見込めます』
コロナードの、半分以下。その数字に、総一郎は驚いた。総一郎の知らなかったコロナードが30%もあるのだから、イキオベさんは少なくともそれを上回ってくるだろうと思っていたのだ。
『そして、例年の白票、無投票率から換算し、辞退予定の立候補者の投票数を除外して、現時点での浮動票は35~40%程度となるはずです。その浮動票を味方につけるべく、活動することをお勧めします』
ワイルドウッドは一礼し、映像が終わった。白羽はイキオベさんに向き直り「イッキーおじさんの今の政治力はこんな感じだよ。何かコメントある?」と冗談めかして問いかけた。
「ふむ……そうだね、日本人が有権者じゃなかったことが、残念でならないと言ったところか」
「あはは、違いないね。――で」
白羽は、イキオベさんに向ける笑顔に底知れなさをにじませた。
「聞かせてくれるよね? 何でイッキーおじさん、モンスターズフィースト潰したの?」




