8話 大きくなったな、総一郎4
ナイが起きたのは、それから数時間後。ナイの処遇に関する詳細が全て決められた深夜のことだった。
「……あれ、総一郎君……?」
「おはよう、ナイ」
ナイはぼんやりとした眼で、部屋中を見回した。他に部屋に控えていたのは、準備せずとも力を発揮できる亜人としてJ、シェリル、そしてカバリストとして腕の立つローレルだ。
「……、……」
ナイは、呆けた様子でいるように見えた。だが、一瞬の内に細かく目が動くのを総一郎は見逃さなかった。「ナイ」と名を呼ぶ。
「寝ぼけてるふりはしなくていいよ。俺たちは、ひとまず君をひどい目にあわそうとは考えてない」
総一郎の肉薄に、ローレルたちの間で緊張が走ったのが分かった。ナイは目を瞑り、ベッドの上で半身を起こし、そして開く。
そこから現れるのは、いつもの通り不敵に嗤う彼女だ。
「それはそれは、君たちは随分と甘い組織だね。どうせなら総一郎君だけをここに用意してくれればよかったのに。ボクと総一郎君の死出の旅路に付添人は要らないよ」
その挑発に、Jは腕の先を僅かに狼に変え、シェリルはむっとへの字口を作り、ローレルは後ろ手に拳銃を握った。総一郎は笑って返す。
「ナイ、不安なの? 大丈夫だよ、君を処刑する案は最初から棄却されたし、追放案もなくなった。俺たちは今、君が何者かに―――恐らくマザーヒイラギと敵対して、狙われているのではないかと睨んでる。そして、君が少なからず弱体化してるとも」
「……」
ナイの表情に、強張りが見え始めた。同時、正気を疑うような目がローレルを始めとした三人から総一郎に向けられる。
総一郎はそれを、手をかざすことで退け、ナイにさらに踏み込む。
「ナイ、君たちに一体何があったのが教えてもらえる? それをそのまま信じることは難しいにしろ、その裏取りをして疑わしい点を潰していくことは出来る」
ナイは、総一郎の接近に明らかに顔をゆがめた。不快さを隠しもせず、睨みつけて言い返してくる。
「……は。総一郎君、君、よくもまぁそんな言葉を吐けたものだね。ボクとの結婚式もふいにして、君はボクじゃなくローレルちゃんを選んだ。君は土壇場でボクを裏切ったんだ。そんなボクに、君が優しい言葉を投げかける理由を当ててあげようか? それはね、保身だよ。君は卑怯にも――」
「違うよ。君が好きだからだよ、ナイ」
「ッ――」
くしゃ、と。
ナイの軽蔑が涙にひび割れたのが分かった。息がつまったようにナイは続く言葉を失って俯く。そして震える手で太ももの辺りにかかる毛布を、頼りなさげに引き寄せた。
「……やっぱり、君は卑怯だ。こんな、周りの目のある場所で、そんなズルいことを言うんだ。ズルいよ、ズルい。君は卑怯だ、総一郎君」
「そう? やっぱり師匠が良かったのかな? ナイっていうんだけど」
笑いかけると、ナイは俯いたまま手を伸ばしてきた。その手を掴もうと総一郎が伸ばすと、銃声がそれを諫める。
ナイの背後の壁に突き刺さった銃弾。振り返った総一郎は、銃口をこちらに向けて見つめてくるローレルに気付いた。
「それはダメです、ソー。接触は会議で禁じられたでしょう?」
「……そうだったね。ごめん、ナイ。“これ”はダメみたいだ」
ナイはローレルに目をやった。ローレルは睨むでもなく、ただ冷たい目を注意深くナイに向けていた。「あは、そういう感じね」とナイはまた不敵さを取り戻す。
「大体状況は掴めたよ。詰まる話、甘いのは総一郎君だけだったって訳だね」
「おれたちは少なからずお前に恨みがあるからな。イッちゃんがいなけりゃ、今すぐ追放だって悪くない案だったんだ」
「ナイが万全の状態でも封殺できるメンツとして、私たちはここに控えてるからね。ソウイチはとーっても親身になってたみたいだけど」
Jはナイに、シェリルはどちらかと言うと総一郎に嫌味を一言ずつ。総一郎は視線を明後日に向けることで誤魔化し、ナイはニヤと口端を吊り上げて「おや、嫌われたものだね」と軽くかわす。
それから、ナイは再びベッドに身を横たえた。目を瞑り、すました顔で口を開く。
「ともあれ、君たちがそんな風に考えていることが分かった以上、ボクは黙秘権を行使させてもらおうかな。何を言っても信用されるとは思えないし、ボクから不用意に情報を与える意味もない」
その答えに、総一郎たちは目配せし合った。一応、想定内の態度ではある。総一郎の推定がかなりの精度で当たっていた場合、ナイは口を開かないだろうと共有していたのだ。
そして、それに対する対応策も。白羽とローレルは嫌がりそうなものだったが。
「ナイ、君に黙秘権があるとでも?」
総一郎の低い声を聞いて、ナイは目視では気づけないような震えを見せた。アナグラムの乱れとして現れたそれを、ローレルも見逃すことはない。趣味のいい三つ編みを揺らす、愛しい少女は溜息を吐いて、「分かりました、任せます」と言ってそっぽを向いた。
「何をする気かな。酷いことはしないでくれるんじゃなかったの?」
「酷いことなんかする必要ないよ。というかナイ、殺したって蘇るし、痛がってる姿見たこともないし、意味ないでしょ」
ナイのアナグラムに、再びの乱れが見えた。総一郎にはその理由を看破できなかったが、Jは「お?」と声を漏らし、ローレルは訝しそうに目を細めていた。シェリルは変わらずナイをちょっと離れた場所から見つめている。
ひとまず、総一郎はこのように続けた。
「ナイ、君の体調がよくなったらちょっとデートに行かない?」
「……えっ?」
無論、普通のデートの訳がなかった。
「いい? 総ちゃん。まず、ナイが少しでも不振な動きを見せたらその時点で終了。プランが終わるまでにナイが事情を話さなくても、追放案に決定する。だから、総ちゃんは総ちゃんなりに、全力を尽くした方がいい」
白羽の突き放した言い方に、総一郎はただ深く頷いた。一時観察案の可決後の議論での決定だ。妥当だと思うし、だからこそこれ以上の条件はもぎ取れなかった。
待ち合わせ場所から徒歩数分の場所で、車の座席での最終確認だった。それ以上でも以下でもなく、ただ確認をとったのみ。
白羽は言い切ってから、長い息を吐き出して目をつむった。総一郎に目を向ける様子はない。白羽は白羽なりに感情を抑えているのだろう。総一郎も無言で車を出た。
車のサイドミラーでいくらか表情とそのアナグラムを整えて、総一郎は歩き出した。何度か角を曲がると大通りに出て、そこに立っている二人の影を見つける。
拘束役を担っていたアーリが「ん、来たな」と言った。彼女は続いて、ナイに話しかける。
「んじゃ、せっかくのデートなんだ。ぶち壊しにするような真似は止めとけよ。ソウも最低限気を付けてな。アタシはもう行くぜ」
ピピ、と音がして、アーリは小さな電子拘束具を外して立ち去っていった。残されるは、小柄な彼女。睡蓮の匂いを纏う、小さな小さな邪神様。
「こんにちは、ナイ。待たせちゃったみたいだね」
「……困るなぁ、あの件以来、みんな君との関連を強くしてきたせいで誰の未来も読めなくなった。本当に、何のつもり? 今更、ボクのご機嫌を取って何になるの?」
夏らしく涼しげな服を着せられたナイは、眉をハの字にして総一郎に文句を言った。総一郎はそんな姿が可笑しくて、「ひとまず、俺とのデートでご機嫌になってくれるって情報は分かったかな」と笑いかける。
「……当然じゃないか。だから困ってるんだ」
むっつり言うナイの手を掴んで、「可愛いことばっかり言って、油断させようって腹積もり?」と総一郎は言う。ナイは戸惑いの混ざった力加減で手を握り返しながら「おや、バレてしまったみたいだね」と強がった。
「ま、俺たちの意図はおおよそ分かってると思うし、特に説明はしないよ。君は君の思う通り振る舞ってくれればいい。さ、デートを楽しもう?」
「もちろん。君たちに情報を渡すつもりなんてないけれど、デートはしっかり楽しませてもらうよ」
ナイはそう言って、不敵に笑みを漏らした。笑み。嘲笑ではないそれ。総一郎は、やはり少なからず気を許してくれているのだと嬉しくなる。
だが、思うのだ。それでもナイは警戒している。明確に言ってしまった『情報を渡すつもりはない』という文言は、建物の屋上から見つめるJを、蝙蝠となって視線を張り巡らせるシェリルを、そして監視カメラやドローン越しにこちらの様子をチェックするアーリ達を刺激する。
総一郎は、「ナイ」と名を呼んだ。
「君が俺たちの何を信用できないのか知らないけど、情報をひた隠しにするのは君の為にならないよ」
「死ぬことが宿命づけられたボクに利害を訴えるのは、下策にもほどがあるよ。ま、どちらにせよボクはボクらしく振る舞うさ」
総一郎たちの目論みなど想定済みだとでも言わんばかり、ナイは電灯に仕掛けられた監視カメラに手を振って見せた。それから、見せつけるように総一郎の腕を抱く。
「さ、楽しいデートの始まりだ。精一杯エスコートしてね、総一郎君!」
微笑みかける彼女の姿はひどく可憐だ。とてもでもなく、すごくでもない。それはそれは、“ひどく”可憐だった。
「……努力するよ、君は俺の大事な人だからね」
「あは、そうやって白羽ちゃんもローレルちゃんも口説いてきたんだね。女ったらしの唇は無理やりにでも塞ぎたくなるよ」
というものの、ナイは実行には移さず一歩進みだした。おや、と思いながら、総一郎はそれについていく。
「それで、ボクをどこに連れていってくれるの?」
「一応プランはあるけど、ナイが行きたいとこでもいいよ。余程妙な場所でない限りは、要望は叶えられると思う」
シェリルの蝙蝠やアーリのドローンの追尾機能は場所を選ばない。そして、逃げ出せばJが痕跡を追って何処までも追いかけてくるというシンプルな対策が、このデートには打たれている。
「そっか。ならね……」
洋服屋さん、行かない? そんな風に提案するナイの表情は、どこか縋るようなものがあった。
「――いいよ、行こう」
総一郎が頷くと、ナイはほっとしたように息を吐いた。何だろう、と思う。服飾店に行くことで達成される目的や布石でもあるのか。
総一郎はひそかに電脳魔術で『最寄りの服飾店の場所への案内を出して。それと、可能な限り時間を確保するから、何か不審な点がないか確認をお願い』とアーリに指示を出す。
ナイお望みの洋服屋さんは、大通りからすぐのところにある商店街の半ばの辺りにあった。道の途中総一郎は、商店街の活発な様子にアルフタワー倒壊の影響を見出す。ところどころに立つARFのメンバーらしき人物がちらとこちらを見るのが何とも面白い。
「あーあ、もう少し空いててくれてもよかったのに。分かってたけどね、有象無象がぞろぞろとしているのを見るのは、気分が良くないなぁ」
ナイのボヤキに、総一郎は「ナイは贅沢だなぁ」と返す。むくれた様子で、ナイは「いいじゃないか。ボクからしてみれば、君と君に関わる誰か以外、全て有象無象さ」と言ってのけた。
「中々照れることを言うね」
「あは、照れてくれるの? 可愛いね、総一郎君」
ナイに可愛いと言われるのにも慣れたもの。総一郎は「ナイの方が可愛いよ」と低い声で耳打ちして、反応を見る。
「……」
照れまくりだった。そっぽを向いて絶対に顔を見せないようにするのは、ナイが本気で照れた時の癖だ。
「あはは、やっぱり可愛い」
「先入るよ、総一郎君」
「あ、待ってよ」
照れ隠しなのかへそを曲げたのか、ナイは先んじて扉を開けた。総一郎は駆け足で追いかける。
中に入ると、すでにナイは洋服に夢中になっていた。その姿に何だか既視感を抱きつつ、近寄って「早速気になった服でもあった?」と尋ねる。
「うん! ねぇ総一郎君」
「ごめん、予算降りてないから買ってあげられない」
「だから先におねだり潰しちゃダメだって! はい、やり直し!」
「面倒だなぁ」
素直な気持ちで嫌がるも、ナイの強行に従う外なかった。「ねぇ、総一郎君」とナイがわざとらしい猫なで声を上げるのを「何? 欲しいの?」と肩を竦めながら問う。
「うん! ここからここまで、買って!」そんな漫画の金持ちみたいな。
「やだ」
「ブー! ……えへへ」
そこまでやって、ナイは満足げに総一郎の腕に抱き着いてくる。そこでやっと総一郎は、ナイは買って欲しいのではなく構って欲しいのだと気づいた。
そんなやり取りを何度かこなすと、満足したのか何も買うことなくナイは服屋を後にした。商店街を歩きながら「次は総一郎君の行きたいところに行っていいよ」と言う。
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
総一郎は視界の端に捉えていた本屋にまっすぐ足を向けた。ナイが横で「本の虫も変わらないね」とニヤニヤ笑う。「好奇心の犬だからね」と返しながら、気になる本を軽く立ち読みした。
『ソウ、いくらか調査したが、あの服屋そのものに何かしらあるという結果はなかったぜ。ただ、服屋から本屋の流れで、邪神とソウのアナグラムに呼応関係が生まれた。力のあるアナグラムだとは思えないささやかなもんだったが、一応注意しといてくれ』
電脳魔術での連絡に、総一郎は口に出さず短く『了解』と返した。それから何冊か見繕っていた内、サラ・ワグナー先生の新著があまりに面白くて少し熱中してしまった。
ハッとして、今はナイから情報を引き出すためのデートの最中であることを思い出す。慌ててナイを目で探すと、すぐ横から「どうしたの? 総一郎君」と声をかけられた。
見下ろすと、ナイはキョトンとした顔で総一郎を見上げていた。何の目論見もなさそうな、純粋な瞳がそこにあった。総一郎は僅かに沈黙し、「ううん、ナイが近くに居て安心した」と言うと「ボクが君から本当に離れたことあった?」と悪戯っぽく返される。
そうやって過ごしていると、総一郎の腹の虫が鳴った。「お腹減ったみたいだね」とナイは微笑む。少し恥ずかしい思いをしながら「育ち盛りってものはお腹がすくんだよ」と総一郎は弁明を一つ。それから「じゃあ近くのお店を」と電脳魔術で探そうとして、遮られた。
「ううん、要らないよ。ボクが作ってきたから」
「……えっ」
「近くに公園があるの、知ってるんだ。行こ?」
手を引かれて、総一郎は呆然と付き従った。動揺。総一郎はナイの『お弁当を作ってきた』という一見何でもないような言葉に、呼吸を忘れた。
ナイの言う通り、公園はすぐそこにあった。ベンチに座らされ、さらに強くなる既視感に惑う。電脳魔術越しにうるさいほどアーリの声が響いていた。その内容は、聞くまでもない。
『おい! デートはもう終わりだ! アタシたちは、そいつに“弁当を作れるような自由を与えてない”! 実際ログ上でも初めて拘束状態から解放されたのはついさっきだ! その弁当は、“弁当じゃない何か”だ!』
「えへへ、朝早く起きて、頑張って作ったんだよ! 公園でも食べやすいように、サンドイッチ。栄養ばっちりで名状しがたいくらい美味しいよ!」
愛らしく頬を上気させて、ナイはどこからともなくバスケットを取り出した。そして、サンドイッチのように見えるものを総一郎に差し出した。
「はい、総一郎君」
反射的に受け取る。呆然とそれを見つめる。電脳魔術越しに白羽が『総ちゃん、そっちにみんなを向かわせたよ。総ちゃんは精神魔法で防御だけしてて』と事実上の追放宣言をし、ローレルは『ソー、大丈夫です。その位置なら、マーガレットがそのサンドイッチごとナイを狙撃できます。出来るだけ動かないようにして、狙撃で隙が出来たら離脱してください』とナイをこの場で無力化させるべく動き出したことを伝えてくる。
総一郎は、ナイを見た。それから、思い出す。かつての記憶。イギリスでのデート。ナイはちょうどこんな公園で、総一郎に自らの意図を打ち明けた。そして総一郎は――
「――ありがとう、ナイ。頂きます」
かぶりつく。電脳魔術越しに上がった複数名の驚愕の叫びが伝わってくる。だが、サンドイッチそのものはとても美味なものだった。
それは、毒魔法での検知をするまでもない。ただの、サンドイッチだ。
「ん、美味しい。僕の好きな味だ」
言ってから、思わず自分を僕なんて言ってしまった自分に気付く。それからナイを見ると、彼女は総一郎の胸に飛び込んできた。
震える手が、総一郎を弱弱しく抱きしめる。飛び込んできたナイの衝撃は、鍛え上げた総一郎には軽かった。儚いほどに、切ないほどに。
「……総一郎君はバカだよ、バカ」
ナイの声は震えていた。総一郎は抱き寄せながら微笑む。
「仕方ないじゃないか。だって、あの日のデートをやり直させてもらえる絶好の機会だったんだ。あの日、心無いことを言ってごめん。君の言葉に証拠なんて要らないよ。俺は、ナイを信じてる」
数年前。イギリスの地で、総一郎はナイの告白を受けたことがあった。『ナイは無貌の神の“破滅を味わう”という娯楽のために生まれたのだ』という告白。それを、総一郎は拒絶した。証拠を求めた。
今日のデートは、あの日のそれをなぞったものだった。洋服のウィンドウショッピングに、本屋で立ち読み、そしてお弁当のサンドイッチ。そのサンドイッチを、かつての総一郎は疑心暗鬼の中必死に毒が混ざっていないか探っていた。
今日は、そのやり直しだった。総一郎は渡されたサンドイッチを「本当においしいねこれ」と食べ終え、次のそれにも手を伸ばす。ナイは「本当に、バカだよ君はぁ……!」と力ない手つきで総一郎の脇の辺りを叩いてくる。
そうしていると、急いで駆けつけてきたJとシェリルが、「急かされて来たら何だこりゃ、どういう状況だよこれ」「ソウイチ~。勘弁してよ、インカム越しのみんなの悲鳴がうるさいったらなかったよ」と好き勝手言った。総一郎は苦笑して誤魔化す。
最後の一つを食べ終え指まで舐めてから、総一郎は「ね、ナイ」と声をかけた。
「君に何があったのか、教えてくれるかな」
「……うん……」
ナイは涙の滲んだ声色で首を縦に振った。息せき切って駆け付けてきた白羽に、「という事みたいだけど?」と言うと「総ちゃん後でお説教」と見たことないような形相で言われる。いや、厳密には見たことがあった。この顔はアーカムでやっと再会した時、お前なんか弟じゃないと言われたときの顔だ。激しい怒りの表情である。
次いでローレル、アーリ、それに薔薇十字団のマーガレットとかいう少女がやってくる。その中でローレルだけが総一郎たちに近寄ってきて、総一郎に一撃チョップを入れた。しかし総一郎が見上げると、ローレルは存外にケロリとした顔をしている。
「ナイ」
「……何かな、ローレルちゃん? せっかく総一郎君とのデートを楽しんでたんだから、あんまり邪魔立てしないでもらいたいところなのだけど」
「個人的な感情で言えばあなたなんて海の藻屑になればいいと思っていますが、あなたが『情報を我々に提供する』と言ったからには保護します。ソーからのご褒美が欲しければ、嘘を吐くことのないように」
「――ハイハイ。ローレルちゃんは意志の統制が強くってやりにくいね。挑発も効きやしない」
不満げな様子でナイはそっぽを向いた。すると「では行きますよ」とローレルに拘束具を付け直され、連行されていく。その誰よりも小さな後ろ姿に、総一郎は言葉を投げかけた。
「にしても、何でナイはあの日のことを再現しようと思ったの?」
ナイはローレルの連れる手に反抗し足を止める。それから少し考えるような素振りを見せた後、こう言った。
「総一郎君、最近色んな娘とデートしてるでしょ? だから、ボクが君の初デートの相手なんだよって、思い出させてあげようと思ったんだ」
ローレルが苛立ったように強くナイの手を引いた。ナイはケタケタ嗤って「あは! いったーい! 何てことするのさ!」とローレルを嘲笑する。そんな様子を眺めていると、Jが近寄ってきてこう言った。
「何つーか、煙に巻かれちまったな」
「あはは、ナイを相手取るなら、こんな事いつものことさ」
総一郎は、苦笑交じりに答えた。それから、重く重く、安堵の溜息を吐く。