8話 大きくなったな、総一郎1
総一郎は台所で一人、器に波打つ自分の血液を前に首をひねっていた。
「……血液のアイス……?」
可愛い妹分の吸血鬼ことシェリルからの無茶ぶりである。先日の総一郎&J拉致事件の時は大変可哀想な我慢をさせてしまったので、その補填に要求されたものだ。
だが、無茶ぶりは無茶ぶり。総一郎はそもそもアイスどころかお菓子製作経験も皆無に近い。その上で血液のアイスを求められているのが、無情なるかな現状である。
「甘く、すればいいのかな」
考えながら、小さじで無加工の血液を掬って一滴手に垂らしペロリ。吸血鬼時代のことを思い出しながら舌先で弄んでから、一言。
「ダメだ。そもそも俺、吸血鬼だった時に一度も吸血してないからシェリルの味覚が分からない」
鉄臭、とティッシュに吐き出した。安請け合いした血液アイスだが、想像以上に難関のようだ。当初はカバラでどうにかするつもりだったが、吸血鬼の味覚という純粋な亜人要素にカバラが対応している訳もなかった。
しかも、と総一郎は左手の薬指を見る。料理人に相応しからぬ指輪が、そこにつけられていた。未完の結婚式で交換した、ナイとの真っ黒な結婚指輪。普通宝石がはめ込まれる位置には、赤い線の入った多面体がはめ込まれている。
総一郎以外の人間の言う事には、呪いの結婚指輪である。ナイの淀んだ力の気配を色濃く感じるからと、Jや愛見は指輪の手で触れられることを嫌がるほど。
となると手の打ちようのなくなってしまう総一郎だ。お手上げのジェスチャーをして首を振り「シェリル―!」と名を呼んだ。
が、返事がない。
「……」
寝てるのかな、と思いながら台所を出る。リビング。みんな出かけている時間帯の午前、図書の家はひどく静かだった。
まだ療養中の総一郎は、以前ローレルとデートした日の朝のように暇を持て余していた。早朝の素振り稽古はとっくに終わらせての、今。正午前の少し熱いくらいの日差しはリビングの奥まった場所へは届かない。
総一郎は無人っぷりに一つ息をついて、シェリルが寝ているだろう二階の自室へ向かい始めた。着ていたエプロンを適当な椅子に掛けて、階段のある玄関へと足を向ける。
わざわざ起こしに行くのは、悪夢を見てはいないか、という配慮半分。どちらにせよ起こして味見役をして貰おう、という打算半分だ。そんな風に考え事をしていたから、玄関扉を開けて現れた影に一拍反応が遅れた。
「お早うございます、ソー」
「あ、ローレル。おはよう、こんな早くに珍しいね」
玄関口。ちょうど尋ねてきたらしいローレルがひょっこり扉から顔を出した。それだけで、総一郎は何だか感動してしまう。
肩口あたりで切りそろえられた金髪に、もみあげあたりに小さく結わえられた趣味のいい三つ編み。もう自分には二度と見ることはないと、何度か覚悟した小柄の少女。
――ローレルと未だに関係を途切れさせられないでいるのは、他ならぬ総一郎の罪ではあったが。
「ええ、今日は幸運でした。ちょうどお姉さまからソーに会う口実を頂いたもので」
お姉さま、と聞いて、総一郎は白羽を思い浮かべる。真っ白な天使の姿をした、我が姉。ローレルも恐ろしい早さで外堀埋めてきたよなぁ、などなど総一郎は考える。
「口実?」
「はい。ソーとシェリルを十時ごろからの会議までに連れてきてほしい、と」
「会議? 俺とシェリルか。何だろ」
電脳魔術の視線制御だけで時間を確認すると、現在時刻は九時前といったところ。一時間の余裕があれば、おおよそシェリルを今から起こしても間に合うか。
……一応朝ご飯は一緒に食べたのだが。こうやって話していても反応がないのを考えるに、まず間違いなく二度寝しているはずだ。
「お姉さまの話では、『シェリルちゃんの無茶ぶりがとんでもないものを生み出したよ!』とのことでしたが」
「何その他人事とは思えない報告」
シェリルの無茶ぶりの産物こと総一郎の料理途中の血液は、今もキッチンのボウルの中で揺れている。
「ソーも無茶ぶりされたんですか?」
「今療養中の身分を生かして料理に挑戦してたとこなんだ。シェリルお求めの血のアイス」
「ものすごい鉄臭そうな料理ですね。あ、でも血液のソーセージはアジアの料理にあると聞いたことがあります。栄養もばっちりなんだとか」
「あ、なるほどそういう料理のイメージで作ればいいのかな。となると、新鮮なお肉の刺身系で、それを凍らせた郷土料理的な」
会話しながら、二人そろって階段を上がる。総一郎の部屋の扉を開けると、案の定そこで毛布を巻き込んでうねるシェリルを発見した。
真っ暗な部屋の中でも、その様子は不思議にくっきりしていた。吸血鬼らしい血色のない白い肌に、闇の中でも輝きを湛える金髪。だが、暗い部屋での睡眠は彼女にとって良くなかったらしい。
「うあ、やだ、やだ。やめて。もう痛いのやめ」
「また悪夢見てる」
総一郎は慣れたもので、手早く電気をつけてからシェリルのしがみつく毛布を引っぺがし、その幼気な頬を両手で挟んで少々乱暴に揺さぶった。「やだよぅ、助けてソウイあぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!」と寝言を言えなくする。
「ふぇ、え? ソウイチ……? ローレルも……」
「おはようシェリル。二度寝は心地いいものにはならなかったみたいだね」
「お早うございますシェリル。起き抜けで申し訳ありませんが、急いで支度をして出ますよ」
「え、まだ朝だよ? 二人とも吸血鬼遣い荒くない? 私の本領は夜だよ?」
悪夢からの目覚めとは思えないほど明瞭な受け答えで抗弁するシェリルに、ローレルはこう言った。
「お姉さま直々のご指名です。シェリル、あなたの無茶ぶりに、シルバーバレット社は回答を出したとのことですよ」
――あなたなしには始まらない、とお姉さまは言っていました。ローレルの説明を聞いて、総一郎はなるほどと、呼吸を忘れ硬直するシェリルを見つめていた。
無人タクシーに乗りながら、総一郎は「アレ」と疑問に声を上げた。
「向かう先ってアルフタワーじゃないの?」
「え、タワーなら先日のノア・オリビアとの戦闘で倒壊したじゃないですか」
「あの本当話だったんだ!? よくそんな状況で勝てたねARF」
「私が言うのも何ですか、ARFはすごい組織ですよ、ソー。追い詰められているのに負ける気がしない、なんて気持ちにさせてくれる組織があるなんて思ってもみませんでした」
「実際負けなかったしね。いやー……そういえばあれ以来白ねえともそんなに会えてなかったからなぁ。元気でいてくれればいいけど」
ね、シェリル。と話を振ると、むくれた様子で「ボスはどうせいつも元気でしょ」とそっぽを向かれる。嫌がっているのをかなり強引に説得したから、不服なのだろう。
「……シェリル」
「分かってる。私には見届ける義務があるっていうんでしょ? だから私はこうやってタクシーに乗ってるの。でも、不機嫌なのは別問題。不機嫌になるのくらい好きにさせてよ」
「―――そこまで割り切ってご機嫌斜めなのなら、俺からは何も言わないでおくよ。着くころまでには機嫌、直しておいてね」
「ふん」
相槌代わりにそっぽを向くシェリルに、総一郎は肩を竦めてローレルを見た。彼女は少し可笑しそうに「子どもなんだか大人なんだか、分かりませんね」と言う。「まったくだよ」と総一郎は頷いた。
「じゃあ、これからどこに向かうの?」
「新しく用意した物件とのことです。内装を整えるお手伝いをさせていただきましたが、結構楽しかったですよ」
ローレル、思いのほか都合よくこき使われているらしい。何と言うか、使える人は誰でも使おうとする感じの精神性は、やはり白羽だなぁと思ってしまう。
そんな風に雑談していると、タクシーが停止した。電脳魔術で決済して出ると、ちょっと大きめの一軒家、といった風情の建物に直面する。
かつて見上げるほどのビルだったARFの本拠地が、今は一軒家に。
「……思った以上に思った以上かもしれない」
「まぁまぁソウイチ、ひとまず入ろうよ。結構中はキレイなんだよ?」
「いやぁ、そりゃキレイにはしてるだろうけどさ」
と言いつつも総一郎、妙な既視感に襲われて、昔来たかな、と考える。似たようなところで言えばJの祖母の家がこんな風だったが、こことは別の家だ。
と、そこまで考えて、“自分の記憶ではない”と気づいた。つまり、シェリルの記憶だ。まだARFがARFの名を冠する以前。その際シェリルが引き取られた家であり、もっと言うならARF黎明期の活動拠点となった家だった。
総一郎は何とも奇妙な気持ちを抱えながら、シェリルに手を引かれる形で玄関の呼び鈴を鳴らす。すると、「はいはーい!」と聞きなれた澄んだ声。扉を開けて出迎えてくれたのは白羽だった。
「あ! 来たね二人とも~。ローレルちゃんも、連れてきてくれてありがとね! ささ、早く早く! ルフィナちゃん来ちゃうよ早く身支度しなきゃ」
「あ、うん。そっか割りと正式めな会談になるのか。スーツ?」
「うん、総ちゃんとローレルちゃんはスーツ。シェリルちゃんはそのままでいいよ。種族的な云々で通すから」
「私ほとんど寝間着なんだけど」
「いいじゃん舐め腐ってて! 馬鹿にしてこ!」
家に入り廊下を歩きながら、白羽からの指示に笑う。何と言うか、交渉の席で下した相手というだけあって完全に下に見ているのだなぁとしみじみ思った。
実際恨みがない相手という訳でもない。シルバーバレット社のマジックウェポンがなければ、まず間違いなく亜人の死傷者はこの十数年間を通して圧倒的に少なかったはずだ。
だが、そういったもしもの話はしても仕方がないというもの。そしてその補填というか制裁そのものはとうに済んでいる。今日するのは、それからの話で、これからの話なのだから。
白羽に案内された先の部屋でスーツに着替える。以前にネクタイの結び方で四苦八苦したのは記憶に新しい。そして白羽にそれを正されたのも。
結び方は覚えていたから、その通りに結ぶ。形崩れず出来たネクタイに満足して部屋を出ると、ヘルプ待ちだったらしかった白羽に不満そうな顔をされた。
それから白羽、総一郎、シェリルの並びで、応接間の長椅子に掛けて待っていた。ローレルは服装指定されていたが、合流はこの場ではないらしい。しばらくその三人で、ARFの今について駄弁っていた。
辻が訪れたのは、待ち始めて十分程度した頃だった。
「やぁ、今日はすまないね諸君。だが、気が逸って少し時間よりも早く来てしまったくらい素晴らしい新商品を開発できたもので、是非君たちに許可を取りたいと思ったんだ」
彼はすでにルフィナの体で現れた。お淑やかな深窓の令嬢の体躯で行われる、老獪なビジネスマンの所作。付き従う執事アルノは、人工知能めいた無機質な動きで追従するばかり。
辻はそうして総一郎たちの対面に座った。その瞳は少女の物とは思い難いほどギラギラと光っている。
「ええ、私たちも楽しみにしてるよ。何せ、亜人差別の助長にならない、人殺しの道具にもならない新商品を、シルバーバレット社が作るんだもん。まさか化粧品だなんて言わないよね?」
「まさか。そこまで思い切った舵はきれまいよ。だが、人殺しの道具にはならないことは約束しよう。それどころか、この商品は世の中の戦争行為すべてをより優しく、ある意味で残酷にすることだろう」
白羽のカマ掛けに、辻は喉で笑いながらそう答えた。その様はどこか不気味だ。そしてその返答も。
「直接的に人を殺す道具でさえなきゃいい、なんて思ってないよね」
シェリルの精いっぱいドスを利かせた詰問に、しかし辻はどこ吹く風だ。
「そんなつまらないものだと思われているとは、心外もいいところだ。この商品は、端的に言って世界を変えるぞ」
「世界を、変える?」
「ああ、そうだとも吸血鬼の君。私が言うべきことではないだろうが、君のお父様が夢見た人間と亜人が手を取りあう世の中、というのも間接的に達成されることだろう」
その物言いに、シェリルはにわかに剣呑な雰囲気を醸し始めた。それを総一郎は制しつつ、「安い挑発は止めましょう。本題に入ってください」と催促する。
「ああ、そうだね総一郎君。では、さっそく新商品を紹介しよう」
これだ。と辻は懐から一発分の銃弾を取り出した。一見するに変わったところはない。魔力が込められているのが分かるためマジックウェポンではあるのだろうが、それ以外は単にまだ薬莢に収められた銃弾だというだけだ。
「これが、ですか?」
「ああ、手に取って確かめてみるかい?」
頷いて、総一郎は手を伸ばした。だが、途中で白羽に止められる。
「白ねぇ?」
「ルフィナさん。そういう不誠実な交渉は、私、良くないと思うな」
「はっはっは。済まないね、もちろんちょっとした戯れだとも。ただ、それに触れて総一郎君が戦闘不能になれば、つなぎのマジックウェポンをまた警察に卸せるという考えがよぎらないではなかったが」
総一郎は辻の言葉に、慌てて手を引いた。それからカバラで、銃弾を分析する。
「込められているのは―――とても複雑な精神魔法ですね。何ですか、これは」
「『フィアーバレット』。私はこれをそう命名した」
ルフィナは平気な顔で銃弾を手に取った。アナグラム変動を見るに、とっくにルフィナの体はその『フィアーバレット』の影響下にある。
だが、辻は動じる様子を見せなかった。総一郎は今までのマジックウェポンのことを思い出す。着弾と同時に激しく炎上するファイアバレットには、ウッドが随分とお世話になったものだ。何度燃え上がったか分からない。
「『フィアー』……恐怖、ですか」
「ああ、恐怖だとも。恐怖の弾丸、あるいは、弾丸の恐怖。この新商品は、それそのものだ」
アルノ、と辻は背後に控える人工執事に命じて弾丸を銃に込めさせた。そして命じる。
「私を撃て」
総一郎たちの驚愕を置いて、アルノは辻の頭に向けて発砲した。銃声。だが、辻は死ななかった。宙を鉛玉が高速で駆け回る。そしてそれは、薬莢からそのまま抜いたような形状を保って机の上に落ち、転がった。
「このように、『フィアーバレット』は非殺傷武器だ。私のような貧弱な少女ですら、フィアーバレットの前に傷つくことはない。だが」
アルノ、と再び名を呼び、辻はその手を開いた。まるで銃をよこせとでも言いたげな指示に、アルノはその手のひらに拳銃を乗せる。
だが、辻はその銃を掴むことが出来なかった。
彼女が座る椅子の上に取りこぼす。その手には、全身には、激しい震えが走っていた。フィアー。恐怖。総一郎は、納得に息を吐く。
「つまり、その武器は敵対者に銃を恐怖させる、そういう武器だって事ですか?」
「いいや、違うよ総一郎君。これはね、暴力行為にまつわる全てへの恐怖だとも」
答える辻の呼吸は荒い。まるで神の定めた禁忌を避けるように、彼女は銃から遠ざかって椅子の端に座り直す。
「では、解説しようか。この『フィアーバレット』は、被弾者にあらゆる暴力行為を恐怖させる効果を持ったマジックウェポンだ。とある協力者との技術提携により、被弾者はむこう十世紀かけてもこの恐怖を魔法的な処置で取り除くことは不可能となった。要するに、“一度被弾した相手を戦闘という一分野において完全に死者同様にする”。それがこの『フィアーバレット』なわけだね」
「その戦闘分野、っていうのはどこまでを指すの?」
白羽の問いに、辻は三つ指を立てた。
「被弾者が直接かかわる形での、被害、加害状態の発生可能性がおおよそ30%を超えたらフィアーバレットの効果は発動する。と言っても分かりづらいだろうから、体感的には暴力沙汰になりそうだな、と薄々感じたらとでも思っていてくれたまえ」
「被害、加害、っていうのは?」
「加害状態については、今見せた通りだ。被弾者は銃を握ることすら恐怖で出来ない。他の武器に類するものも不可能だろうね。包丁などの日用的なものは、そのつもりがなければ影響はない。が、誤って怪我をすればその包丁は握れまいよ。買い換えないとならないね」
辻は自分の説明に、少し笑った。「それから被害状態だが、吸血鬼、私を一発殴りたまえ」と言う。
「ん、いいの? 強くしすぎたら死んじゃうかもだけど」
「ひっ、いや、そこまでの威力は、というか、はは、その言葉だけで発動したね。良ければだが、やはり殴らないで貰えると、た、助かる」
今までの辻の飄々とした様子はどこへやら。シェリルの脅し文句ひとつで、彼女の肌には大量の脂汗が浮き始めた。震える全身は先ほどの銃の比ではない。瞳孔は開き、強張った体で逃げ出すのを必死に理性で押さえつけている。
「……分かったよ、殴らない。それでいい?」
「あ、ああ……。助かる、本当に。……はー……」
安堵の溜息は、どこから見ても死地を命からがら抜け出した人間のそれだ。アナグラムもそれを示している。辻の恐怖は、本物だ。
そこまでのやり取りを終え、白羽はぽつりと言った。
「これ、被弾者は一生こう言う状態のままってことでいい?」
「ああ。その通りだ」
「そっか。……すごいね、これ。世界を変えるって言ってたけど、本当に変えちゃうかも」
言いながら、白羽はじっと机の上の弾丸を見つめていた。それから、深く考え込む。
「どういう事? 白ねぇ」
「え、まぁどうもこうもないけど。要するにこの弾ってさ、世の中の戦争行為で失われる人命っていう損失を実質的にゼロに近くするんだよね」
「損失?」
「うん、損失。ごめんルフィナさん。私自身の整理も含めて、ちょっと総ちゃんたちに私なりの解釈を説明していい?」
「ああ、もちろんだとも。フィアーバレットの社会的影響に関して、ARFのトップたる君の考えが聞けるなんて非常に貴重な機会だ」
辻の快諾に、白羽は頷いた。そして、疑問に首をひねる総一郎たちに説明を始める。
「そもそもさ、総ちゃん、シェリルちゃん。私たちがしてきた戦闘って、何のために行われてきたものだった?」
「え? 亜人差別の撤廃じゃないの?」とシェリル。だが、総一郎の場合はARFに喧嘩を売ったりもしてきたのでまた話が違う。
「……要求を、通すためとか?」
「そう。戦闘ってさ、要するに“邪魔な奴がいて、そいつをどかすため”に行われるのが基本なんだよ。私たちARFで言うと、“亜人差別してくる奴がいて、そいつは私たちが平和に生きるための邪魔だから、頑張って何とかしよう!”が根底にある」
うん。とシェリルは頷いた。「で、じゃあその差別者を普通に殺したらどうなる? 根回しとか風評操作なしにやったら」と白羽が質問する。
シェリルは答えた。
「その差別者の仲間が報復しに来るし、私たちの評判も下がって巡り巡って亜人差別が厳しくなる」
「このフィアーバレット使ったらどうなる?」
「どうって、……あ!」
「そう。敵だろうと、人間一人を殺すって行為はその周囲の恨みを買う。けど、これは恨みも買わずに済む。加害行為を振るえなくなるだけだからね。周りからすれば『暴力振るえなくなってよかったね』になる。そして差別って加害行為だから、その人はもう差別行為そのものを取れない。他にも――」
だが、それ以上は言語化できなかったのだろう。む、と黙り込んでしまう白羽の言葉を、辻が継ぐ。
「その通りだ、白羽くん。さらに言えば、このフィアーバレットは自衛の面でも大いに活躍するだろう。何せ、相手を怪我させることすらない。分かるかね? このフィアーバレットは、恐怖で相手を縛る一方で、発砲者を『殺人への恐怖』から解放するんだ」
その説明に、総一郎は目を見開いた。殺人への恐怖、忌避感というのは常人には当然に備わっているものだし、それ以上に今の総一郎を縛る精神状態の一つでもある。
そうなると、と総一郎は机のフィアーバレットを見つめた。図書の考案したダイヤモンドスタングレネードも悪くないが、効果の永続性や非殺傷能力はこちらが圧倒的に上だろう。それに、こちらは遣い手を選ばない。子どもでさえ強靭な亜人から自衛できるようになる。
「……すごいね。そうか、殺さないで済むなら、誤って殺してしまう事を恐れず撃てる。ゴム弾と比べてもカジュアルなんだ、これ」
「しかもゴム弾が効かないようなタフな敵もイチコロだ。速度や、立ち回りの妙以外の戦闘要素が一瞬で意味を失うのが、この『フィアーバレット』なのだよ」
分析すればするほど、すさまじいという判断に至る。至近距離でじっと見つめて解析してみるに、総一郎とて精神魔法でガチガチに防御を固めても戦闘全般へ恐怖に支配されることだろう。
総一郎から揃って絶賛されたのが気を良くしたのか、辻は声高々に説明を再開した。
「どうかね、素晴らしいだろう。そのフィアーバレットはね、君たちの指摘する通り、この世のあらゆる戦闘行為を虚構にする。そもそもだ。戦闘行為とは何なのかね? 戦闘行為以外に代替の利かない行為なのかね? いいや、違う。これは私の持論だが――」
一拍おいて、辻は断言した。
「――戦闘とは、最も野蛮で、最も効果のある“交渉行為だ”。人間は戦いたくて戦う生物ではない。その勝利の先にある“何か”を求めて戦うものだ。その要求を通すという目的がまず先にある。そしてフィアーバレットは、被弾者にその要求を丸々通させることができる。無論相手を殺さずに、だ」
「要するに、全ての交渉の最終手段から流血が失われる、と?」
「ああ、そうとも総一郎君。この銃弾によってあらゆる戦闘行為はゲーム化し、世間に浸透すればするほど人権思想は加速する。何せ『フィアーバレット以外の戦闘は人が死ぬのだから』ね。そうしてあらゆる加害行為がフィアーバレットに置換され、何者かの攻撃による死者の生まれない世の中が誕生する」
一方で、と続く言葉は不穏だ。
「ゲーム化した以上、フィアーバレットを端に発した加害行動はより敷居を低くするだろう。子供から老人まで、こぞってフィアーバレットを携帯するようになる。発砲もさして躊躇うまい。だが、人は一人として死ぬことはない。強盗はまず発砲することから始まり、そして通行人は躊躇わず強盗へと一斉射撃を行うだろう。正義は多数派という根拠の下常にフィアーバレットでの戦闘に勝利し、悪は暴力を失って無にも等しい存在となる」
どうかね、実に平和だろう? そう笑う辻に、総一郎たちは頭を悩ませる。
非常に強力だ。それは間違いない。だが、だからこそどうなるかが分からない。辻の言い分は実に的を得ていた。この世の戦闘行為はより優しく、ある意味で残酷になる。死という逃げ道を、良くも悪くもふさがれるが故に。
それでも、一つ確実なことを言うならば。
「この銃弾は間違いなく売れるだろうね。そしてかつてまでの銃弾とは段違いに消費されると思う。ルフィナさん。これを、どうするつもり?」
白羽の問いに、辻は笑った。
「しばらくは君たちに支給しよう。そして、君たちを広告塔に世の中に売り出す。並行して政府とも話を付けようと思っているところだ。さて、ではここからシルバーバレット社とARFの商談と行こうじゃないか。このフィアーバレットに、君たちはどれほど出資してくれる?」




