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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
233/332

7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅩⅤ

 その後の話をしよう。


 総一郎はとりあえず自宅療養という事になった。しばらく絶食状態で、しかもいくらか魔法的な細工が体にされていたという事で、ARFのお抱え医師に診てもらいお粥やオートミールなど胃に優しいものから徐々に栄養をつけていくよう、という指示を受けた。


 その内、肝心な体の中の修羅同士のぶつかり合いは、調査の結果今は休戦状態にあるらしいことが分かった。つまり、完全に根絶は出来ていないものの、余計なエネルギーを取られることも、体に悪影響が出ることもないと。


 まだまだ不明瞭な領域ではあったが、その点に関して総一郎はウッドを信頼している。ベルの修羅が残っている、という実感と同時、ウッドの癖のある意思が問題ないと言っているなら、しばらくは問題ないのだ。


 そんな訳で図書の家でまた軟禁状態に置かれたのだが、如何せん尋ね人が多かった。


「それでね総ちゃん聞いてよ」「ソウイチー! 狼さんから構ってくれるって聞いたよちゃんと構って! 甘やかして!」「あの、ソー、私も久しぶりに再会したのですから結構お話ししたいこともあるのですが」「イッちゃん! クッキーって消化にいいらしいから持ってきたぜ!」「アタシも来たぜソウ!」


「一人ずつ」


 なので一人ずつということになった。しかし生憎と白羽やアーリはやはり忙しいらしく、日中は中々機会がない。逆にシェリルは基本暇なので総一郎のベッドでゴロゴロして、延々と総一郎に撫でることを要求するという運びになった。


 だが、それとは別に積もる話があったのが数人ほど。


「あ、ローレル。一昨日ぶりだね」


「ローレルだ~。いぇーい」


「こんにちは、ソー。いぇーいですね、シェリル」


 昔に比べてコミュニケーション能力が上がったのか、シェリルに対してもかなり気さくなローレルだ。シェリル自身も総一郎の記憶共有があっただけあって、ローレルに対する印象がかなりいいらしい。


 ローレルはいくつかベッド際に備えられた折り畳み椅子を広げて、総一郎の近くに座った。その腕にはいつかのデートで総一郎が勧めた、不思議な色の丸石を縄で固定したアクセサリーがつけられている。


「シェリルいつ来ても居ますね。いけませんよ、ダラダラしっぱなしでは」


「吸血鬼だから昼間はダラダラしててもいいんです~。夜は狼さんに付き合って少しは仕事してるし」


「知らなかった」


 総一郎、ただただサボっているだけだと思いつつ甘やかしていたので驚きである。


「っていうか本音はソウイチと二人でイチャイチャしたいだけでしょ~。ダメで~す。私はマザーの拷問に耐えたのでソウイチに甘やかしてもらあやばいやばい、ふら、フラッシュバック来た。ソウイチ、ソウイチぎゅってして」


「はい。おいで」


「ああ~……」


「背景が想定以上に過酷でちょっと困惑が隠しきれませんが、さておき」


 微妙に震えながらしがみついてくるシェリルをほぼ手癖レベルで撫でながら、総一郎はローレルに先を促す。


「ソー、その後の体調はどうですか? 良ければそろそろこちらの話をしておこうかな、と思うのですが」


「そうだね。俺もそろそろ固形物食べられる程度には元気になってきたし、その話も聞いておきたいかな」


 白ねぇには話した? と聞くと、「ソー救出したその日にヒアリングされましたよ……」と困り顔だ。あの時すでに日付回ってたのによくやるものだ。


「そんな訳でソーのお姉さまとは頻繁に会議をしているのですが、彼女すごいですね。ものすごい勢いで話が進んで気づいたら実行段階に進んでいて……と、余談はここまでにして」


「ボスは人としてめっちゃ有能だからね。言いたくなるのは分かるよ」


「ありがとうございます、シェリル。――率直に述べますが我々薔薇十字団とARFの協力関係が固まりました。ソーとしてはいくらか不満があるでしょうか」


「……今後、顔合わせする機会もあるよね」


「はい。特にグレアムが会いたがっています」


「そう。……分かった。俺も会いたいとだけ伝えておいて」


「グレアムが震え上がりそうですね。分かりました、伝えておきます」


 くすくすと笑いながら、ローレルは頷く。「にしても」と総一郎から質問を投げかけた。


「白ねぇもベルの裏切りの件で、同盟にはいくらか慎重になってるはずだったけど、どうやって口説き落としたの?」


「今回の件はARFにとって致命的な問題でしたからね。裏切ってどうこうという戦略なら、今回薔薇十字団はARFを見捨てた方が早いはずだった、という判断があったようです。あとは……乙女心で通じ合う部分があった、というのが交渉段階で結構大きかったですね」


「乙女心?」


「私とお姉さまは、愛する人とは共に生きたい、という部分で完全に意思が合致しました。だから私は綿密なアナグラムを組みましたし、お姉さまも身の危険を顧みず自らノア・オリビアに捕まったのです」


 総一郎は、その言葉に閉口する。ジトッとした目で見られて目をそらすと、シェリルが助け船なのか単に空気が読めないだけなのかこう言った。


「こう言っちゃなんだけど、私の精神が壊れる前に来てくれてよかったよ……」


 このチャンスを逃す総一郎ではない。すかさずその話題に飛びついて、シェリルを甘やかしにかかる。


「よく頑張ったねシェリル。何か欲しいものある?」


「後でアイス食べたい。血の」


「血の? あー、んー、頑張ってみる」


「わーい」


 シェリルはベッドで上体を起こす総一郎の膝を枕に、ゴロゴロ転がりながら喜びを示す。


 そこでローレルが、そっと、しかしどこか圧力を感じさせる声色で呼びかけた。


「シェリル」


「なーにローレル。言っとくけどソウイチの膝は譲らないからね!」


「ダメです。譲ってください。私も忙しくて、ソーに会える時間は限られているんです。ソーと二人きりで話したいこともありますから、出て行ってください」


「「……」」


 シェリルはふざけて言った発言を真正面から叩き潰されて、総一郎はローレルの鋼メンタルを改めて目の当たりにして、両者ともに黙り込んでしまう。


「あー、えーっと、うん、じゃあ私、ちょっと眠くなってきたから、部屋で寝てくる……」


「あ、うん。お休み……」


 ちょっと気まずそうに起き上がって部屋を出ていくシェリルに、総一郎は何となく手を振って別れの挨拶をした。さてローレルは、と目線を戻すと、彼女は椅子ごと接近してきて、手を握ってくる。


「ローレル?」


「……ソーは意地悪です。浮気者です。ズルいです。絶対に私があなたを愛している以上に、あなたは私を愛してくれていません」


 涙声。総一郎は、堪らなくなる。両手で彼女の手を握り返し、「そんなことない」と言い返す。


「俺は君のことをとても深く愛してる。君は恩人だ。君が居なければ、俺は人間じゃいられなかった。君なしじゃ俺の人生はもっと悲惨で、きっと救いようのないものだったんだ」


「でも、ソーは私を拒んで、ナイを選びました」


「それは、生き方の問題だ。罪人と共に歩めるのは罪人だけだ。行く先が地獄だと知って、ローレルを連れていけるもんか。俺は、君に幸せな道を歩んでほしい。そして、その為に出来る最大限が、君の中にある俺との記憶の破壊だった」


「……」


「……」


 黙って見つめ合う。ローレルは涙目でキッと総一郎を睨み、総一郎も強い意志でローレルを見返した。それが数秒続いて、ローレルは言った。


「私を傷物にした癖に……」


「あ、俺の負けです。それ以上は許してください」


「それどころかお姉さまにまで手を出して……。やり手カバリストの女性やあんな小さな子まで篭絡して……思えばナイもダントツで小さいですよね」


「やめよう? 人のことを上から下までオールラウンダーみたいな扱いするのやめよう?」


「下の方が広めじゃないですか。私当時ジュニアハイスクールだったんですが」


「だとしても同い年……! いや、そう言う事じゃない。ストップ。降参。さっきも降参って言った。もうすでにオーバーキル入ってる」


「ぷっ」


 ローレルはそこまで言って、肩を揺らしてくすくすと笑う。思った以上にツボに入ったらしく、涙をぬぐうほど笑ってから言う。


「ソー、弱点が増えましたね。昔は私をからかうくらいだったのに」


「恥の多い人生でございます」


「ふふっ、ソーは弱っているのも何か可愛いです。仕方ないから許してあげます」


 そう言って、ローレルは目を瞑って唇を差し出してくる。総一郎は躊躇うが、ローレルが「降参したんじゃなかったんですか?」と片目を開けて催促してくるから、ままよ、と顔を近づけた。


 軽いキスを交わす。甘酸っぱい、青春を思い出すような気持になる。


「……もっと激しいのでもよかったですのに」


「そうは言うけどさぁ。……はぁ、俺どんどん浮気者の道を進んでる気がする……」


「浮気者じゃないですか」


「いや、うん、……その通りです」


 生き方を改めよう、と思う。率直に言って、白羽、ローレル、ナイへの愛情は全員天井目いっぱいで、優劣をつけられないのだ。それでも無理に一人を決めるなら、と総一郎自身の生き方と三人のそれを比べてナイを選んだ。しかし、その顛末がこれだ。


「ローレル」


「何ですか、ソー?」


「その、うまく質問できる気がしないんだけど、聞かせてほしいんだ」


「はい。何でも答えます」


 総一郎は、笑顔のローレルを前にして、考え込む。彼女の表情は待っていましたと言わんばかりで、とうにアナグラム計算で知っているのかもしれない。


 だが、総一郎は自らの言葉に落とし込みたくて、思案の末、尋ねた。


「――君の幸せは、何?」


 ローレルは、断言する。


「あなたと共に生きることです、ソー。その道がどれだけ辛くても、あなたと共にあれるのなら、他には何もいりません」


「……他には、何も?」


「ええ。何も、です。ソーの人生が複雑怪奇で、ソー自身が浮気者で、様々なしがらみのすべてを完璧に解いていけるとは、私も考えていませんから」


「それ俺の浮気を容認してるようで、実際のところは包囲網作って絶対俺に死なせないよう画策してるって意味だよね」


「はい。私はその点であなたの敵ですので」


 晴れ晴れとした笑みを向けられては、もう敵わないという敗北感ばかりだ。総一郎は項垂れて「分かった。大変参考になりました……」と大きなため息を吐いた。


「……それだけですか?」


 しかし、ローレルは納得しきれないようでどこか焦れた声で尋ねてくる。


「それだけ、って」


「ソーは、私に弁解してくれないのですか? 自分はこういう理由で、死ななきゃならないんだって、私に説明してくれないんですか?」


 総一郎は、口を引き締める。それから、注意深く言った。


「しないよ。理解されるとは思わないし、隙を晒して君に言いくるめられるつもりもない。それに君のことだ。俺の内面くらい、とうにアナグラムで丸裸にしているんだろう?」


 それは、決別にも似た言葉だった。総一郎の罪悪感を、自らへの憎悪を、総一郎は理解されたいと思わない。単純なことだ。許せないから、許さない。その矛先が、自分に向いているだけのこと。


 総一郎は、自分の考えられる限りの償いと責任を果たし、死ぬ。ナイの敗北を理由に死へと向かっていったのは、今思えば単なる甘えだ。全てをこなして初めて、総一郎は世間に向けて頭を下げて謝れる。許されようというつもりはない。総一郎自身、生涯自分を許すつもりもなかった。


 しかしローレルは食い下がる。


「あなたが死ねば、悲しむ人は大勢います」


「ありがたいことだね。俺の罪は一人では償いきれないから、きっと彼らの力も借りることになる。そして最後に裏切らなければならないんだから、苦しいよ」


「苦しいなら、止めればいいと思います。ソーも私たちも、苦しいだけです」


「苦しまなければならないんだよ。じゃなきゃ、被害者たちに示しがつかない。俺は苦しんで死ぬべきだ。誰よりもまず、俺がそう思ってる」


「でも」


「ローレル」


 総一郎は、眉を垂れさせた微笑で首を振った。ローレルは俯き、「ソーは馬鹿です……」と弱弱しく胸の辺りを叩いてくる。


 そこで勢い良く扉が開かれる。突撃してきたのは、空気を完全に読んでいない二人だ。


「イッちゃん! 見舞い来たぜ! 今日はマナさんも一緒、だ……」


「え、どうしたんですかJくん~。何で止まっ、て……」


 唐突に扉を開けて現れた二人が、総一郎たちの様子を見て硬直する。それから顔を見合わせて「ごめん! 邪魔しちゃったみたいだな! また来るぜ!」「はい、また後で~!」と出ていこうとする。


「ストップ。二人とも待て。雰囲気を変な風にした責任取ってから出てけ」


「いや、でもよぉ……」「そうですよ~……」


 Jと愛見は、俯いてポカポカ総一郎を叩くローレルをチラチラと見る。総一郎は「これはアレだから、ローレルが、その」と適当な言い訳をでっちあげる。


「お、俺の体でドラムの練習をしたいって」


「いや、無理があるだろ」


「だよねぇ……」


 Jから冷静に突っ込まれると結構クルものがあるな、と総一郎はションボリとなる。そんな泥沼な様子に二人は軽く嘆息し、「分かったよ。ま、わざと空気読まずにぺちゃくちゃやってる方が楽ってことだろ?」「私も付き合います~」と適当な椅子を掴んで総一郎のベッド傍に座った。


「ま、ともかく今日はチョコレートケーキ買ってきたぞ。チョコが消化にいいかどうかは分かんねぇけど、栄養価は高いだろ。マナさん切り分けてもらっていいか?」


「はい~」


 Jの置いた袋の中からホールのチェコレートケーキを取り出して、その場で何処からか取り出した大ぶりのナイフで愛見は切り分ける。総一郎は気になって尋ねていた。


「……そのナイフ、まさかとは思いますけどベルの腕を落としたナイフじゃないですよね?」


「はっ、マナさん!?」


「えぇ~っ、ち、違いますよ~。人聞きの悪いこと言わないでくださいよ~」


 間延びした口調で否定する愛見は、かつてのような眼鏡姿だ。二人して初夏らしい涼し気な格好でいる。総一郎は、自然に謝っていた。


「愛さん、今更ですけど、戻ってきてもらえて嬉しいです。一時期はウッドが色々とご迷惑、どころじゃなかったとは思いますが、その、本当に申し訳ありませんでした」


「え、いえいえ~。それはお互い様ですから~。私も何ていうか、色々と拗らせてとんでもないことを……」


 二人して頭の下げ合いだ。Jだけは「そうだぞ二人とも反省しろ」と上から目線だが、まったくもってその通りなので二人してJに頭を低くペコペコとやる。ちょっと気分良くしたJはそのままそれぞれにケーキを配ってくれたので、手に取りつつ総一郎は聞いた。


 一口のケーキを口に運びながら、総一郎は問う。


「にしても、いい機会だから聞いちゃうんですけど、愛さんはどういう経緯でノア・オリビアについて、どういう流れで説得されたんですか?」


「「あー……」」


 総一郎の質問に、Jと愛見は顔を見合わせてどうしたものかと思案顔だ。「裏切りについては私から責任をもって説明させていただきます~」とマナミは当時の自分の精神状態、考え方の拗らせ方を話し、時折Jが「いや、それはマナさんの責任じゃない」などフォローする運びとなった。


「よく戻ってこれましたね」


「そうですね~。やっぱり、今までずっと支えてきてくれたJくんのお陰かなって~」


「いやいや、それだけじゃないだろ。ほら」


 Jがそう言うと、二人は揃ってローレルを見つめる。


「ん、ローレルが鍵なの? ローレル、呼ばれてるよ。拗ねてる場合じゃないよ」


 額を総一郎の胸のあたりにくっつけて微動だにしない彼女の背中を、幼児をあやすような手つきでとんとん叩く。すると上目遣いに離れて、ローレルは言った。


「ドラムは私から聞いても無理がありますよ……」


「その話はもう終わったって! ローレル俺のこと弄りすぎ」


「ふふ、楽しいものですからつい」


 にやりと笑って、ローレルは起き上がり居直った。それからスムーズにJと愛見へ向き直り、「お久しぶりです、二人とも」と軽く会釈をした。


「いやローラの誤魔化し方にも無理あるけどな?」


「そうですよ~。流石にそれには騙されませんよ~?」


「……」


「やーい、痛っ」


 二人にバッサリ斬って捨てられ赤面するローレルにヤジを飛ばすと、膝のあたりをペシンッと一発やられる。そんな総一郎、ローレルのやり取りに、愛見はぷっと吹き出して、心底面白そうに笑いだした。


「二人とも、本当に仲がいいんですね~。ほんと~にお似合いです。何ていうか、わたしもJくんと、二人みたいな関係になりたいと思ってしまいます~」


 笑み交じりに言われ、総一郎はローレルと目配せ肩をすくめた。それからJに目を向けると「その、まぁ、そういうことだ」と少し恥ずかしげに彼は言う。


 総一郎は、適当な推察を脊髄反射的に述べた。


「二人の仲は正直知ってたけどね。となると、戻ってこれたのはJが必死に告白して、愛さんがそれにほだされてって感じ?」


「あ~、告白もされましたね~。でもほだされたというより、そのままわたしが勢いでJくんと無理心中しようとしたのを、ローラさんが止めてくれて、事なきを得たってところです~」


「俺の結婚式の裏でもまた厄介な事件が」


 無理心中とかいうパワーワードをのんびりした口調で言われるインパクトだ。ローレルが軽く補足する。


「説得はかなり進んでいたんですが、肝心なところで物質的な抑止力が必要だったんですよね。それを私が請け負って、説得が完了した、というところです」


「マジ死ぬかと思った」


「人間追い詰められると、おかしなことを考えるんだなぁって実感しました~……」


 二人はげっそり顔。とはいえ拗らせていた過去を起爆させたのは、直接的にはナイと言う話だ。非がどこにあるかと言えば、ナイだろう。ゾンビの街を作ろうなどと考える相手に、責任能力は求められまい。


「その無理心中が原因で式への乱入がちょっと遅れました。かなり急いでも指輪交換には間に合いませんでしたよ」


 言われて、総一郎は左手薬指に嵌った真っ黒な指輪を見た。「これ?」と示すと三人そろって嫌そうな顔をする。


「それまだ着けてんのかよイッちゃん」


「いやまぁ、外そうとしても取れないし。シャワーのときに外そうとして気付いたけど」


「それまでは取ろうとしなかったんですね~……」


「その指輪は難物なので付けられる前に対処したかったのですが。あと個人的にはそれなりに嫉妬に駆られるので」


 ジト目で見上げてくるローレルに、総一郎は目をそらすばかり。そのついでに指輪を見ると、やはり独特の雰囲気のある指輪だと見入ってしまう。恐らく、見た目通りの物ではないのだろう。今度調べてみようと一つ決心を。


 するとそこで、Jが軽率なことを言った。


「ローラめっちゃ素直にそういう事言うよな。っていうかイッちゃんの周りの女の子って基本的に積極的なの何なんだ? 羨ましいんだが」


「主張しないと取られるんですよソーは……」


 ああなるほど、と納得を示すJは、真隣の愛見からの微妙な目線に気付いていない。愛見のこれからの気苦労がしのばれるな、と心中で思った総一郎を、ローレルはアナグラム計算したのか目立たないところでつねってくる。痛い。


 そうされていると、やはり思ってしまう。


「生き方とか、他人との接し方とか、見直さないとなぁ」


「え? どうしてだよ」


 問い返すのはJだけだが、興味がありそうなのは三人ともだ。総一郎は「いや、ね」と説明をし始める。


「何というかさ、非常に申し訳ない話だけど、今回の顛末ってまとめてしまえば俺を中心とした痴話喧嘩でしかなくてさ、それに色んな人を巻き込んでしまったのが本当に申し訳なくて」


「イッちゃん八方美人なところありますもんね~。少し打ち解けるとグイグイ来るっていうか、人懐こいっていうか~」


「最初ちょっとだけツンケンしてるのが、そこからプラスに働くんだよな。おっ、何か仲良くなれてきてる! みたいなさ」


「性根が浮気者なんですよね」


 ローレルだけ総一郎に対する当たりが強い。


「今回の件なんかはその、身辺整理というか、無理に一人を選ぼうとした結果拗れに拗れたみたいな話だったし、さっきのローレルを完全に拒否できなかったのを考えると、俺は多分そういうのがダメなんじゃないかなって」


「浮気を正当化にかかりましたよこの男」


「当たり強くして誤魔化そうったってそうはいかないよ」


 反撃するとローレルは悔しげに下唇を噛む。疑問符を浮かべるJに、察して照れ気味にローレルを見る愛見と反応は様々だ。


 総一郎は話す。総一郎なりの今回の教訓を。


「――今回の件で分かった。俺は途轍もない欲張り屋で、誰か一人の幸せのために他の人に犠牲を強いるなんて出来ないんだって。幸せにしたい人が多すぎるんだ。結局どれも捨てられずにごちゃごちゃになるくらいなら、最初から全部を求めて進んだ方がいい」


 真正面から言い切ると、J、愛見はそれぞれ困り顔になる。


「……すげぇなイッちゃん。恋人の一人の前で二股宣言とは。おれにはちょっとできねぇ」


「その……それは流石に不誠実なのでは~」


 総一郎は大きく頷く。


「うん。その通りです。不誠実の極みだと思う。愛する人は、一人だけに絞るべきだ。けど、そうできなかったのが今回なんだ」


 誠実たらんとして、失敗した。恐らく今後も成功することはないだろう。なら、不誠実でも全員の望みを叶えるべく動こうと思ったのだ。総一郎は続ける。


「世間的な倫理観はもちろん正しいと思うけれど、俺には合わなかった。他の二人を徹底的に拒んでも拒み切れなかったし、結局一人を最後の瞬間にまで選び抜くことも出来なかった。ならもう、俺は三人全員を愛して、幸せにするしかない。俺は――」


 深く息を吸う。断言する。


「俺は、三人が苦しんで死ぬのを、受け入れられない」


 総一郎が何も残さずに死んだなら、その後を追うと言った白羽。記憶を二度破壊してもなお取り戻し、今際の際にまで現れたローレル。そして総一郎を完全に追い詰めてやっと、人間らしい弱さをさらけ出せたナイ。


 きっと彼女たちは全員、総一郎無しでは破綻してしまう。驕り高ぶった結論だが、いざそうしてみて、必ずそうなるだろうという確信すら抱いてしまったのが今回の一件だ。


「みんなが不幸になって死んでいくのを、俺は良しと思えないんだ。全員が俺の人生にとってかけがえのない人で、一人欠けても今の俺はいない。……見殺しになんて、出来ないよ。出来ないから、今俺はここでのうのうと生きてるんだ」


 語り終える。部屋に、静寂が広がる。受け入れられなかったか、と思う。致し方ないことだ。だが、それでも総一郎はこの道を―――


「いいじゃん」


 Jが言う。総一郎は驚いて、目を何度か開閉させる。


「いいじゃん。そこまで腹が決まってんなら、おれはいいと思うぜ、イッちゃんの考え。まぁおれは男だからよ。二股三股かけられる女の子側の気持ちにはなれねぇけど、そこまでの覚悟を持って全員幸せにするってんなら、手伝ってやりたいと思うね」


 うんうん、とJは頷く。しかし、愛見は違う意見のようだ。


「わたしは、それでも支持できません~。女の子はやっぱり、自分一人を見てほしいと思いますから~。わたしだってJくんが浮気なんかしたら、その相手の女の子を許すことなんてできないと思いますし~」


「えっ、おれ?」


「Jは浮気できる相手がそもそもいないし大丈夫でしょ」


「おいそれ喧嘩売ってんなら買うぞイッちゃん」


 冗談めかして拳を掲げて睨んでくるJに笑ってしまう。「でも」と愛見は続けた。


「そうやって無理に誠実にって言って、捨てられたのが自分だったならって思うと、その女の子は可哀想すぎるっていうのも分かります~。白ちゃんもイッちゃんのこと、本当に大好きで……耐えられないだろうなっていうのも、分かりますから~」


 欲張りだとは思いますけどね~……、と部分的な賛同を示す愛見に、総一郎肩身狭く「恐縮です」と言うしかない。


「私は」


 ローレルは口を開く。唇を震わせて、懊悩しながらも、一つ一つ言葉にしていく。


「私、ソーの言う通りです。カバラであの場面で必ず頷かせることが出来るってわかっていても、前日の夜は寝られませんでした。もし少しでも計算が間違っていて、ソーが私を拒んでナイと一緒に逝ってしまったなら……衝動的に、後を追ってしまってもおかしくなかったと思います。たとえ地獄でも、ソーと共に在れるのならって。だから、今こうやって話せていて、本当に嬉しくて、でも、怖さが拭えなくて」


「ローレル……」


 総一郎はローレルの震える手を握る。それで少しでも安心させることが出来るのならと。ローレルもどこかしがみつくように、総一郎の手の上からさらに自らの手を重ねる。


「ですが私は、今でも一つ心配事があるんです」


「……いいよ、言ってみて」


 ローレルは、総一郎の顔を近くで見つめてくる。その瞳は不安に濡れていて、今すぐにでも抱きしめて元気づけてやりたくなる。


「ソーは、私たち三人を幸せにしてくれるって言いました。私、それでいいです。ソーを失うより、独り占めできないだけで済むならよっぽどいい。でも、私、聞けていません」


「何を、かな」


 ――だが、その質問は、総一郎にとってあまりにも核心を突いていた。


「そこに、ソーの幸せはありますか?」


 息をのむ。総一郎は、言葉を失う。呼吸すら満足に出来ないほどの衝撃に、ただただ動きを止める。ある、というだけなら簡単だったろう。愛しい三人を幸せにするのだ。その大前提として、総一郎が幸せでなければ三人は認めまい。


 だが、総一郎は、総一郎の罪悪感は、総一郎の幸せを認めない。


「それ、は」


「私、怖いんです。ソーなら、きっと出来てしまう。私たち三人を全員幸せにして、一緒に幸せだって笑いあって、でもそれは表面的に作り上げたものでしかなくて、幸せなのは私たちだけで――ソーは、ソー自身への憎悪のために自ら孤独に地獄を選んでいる」


 何だそれ、とJが困惑を示す。愛見は、黙ってローレルの推察を聞いている。


「私たちの及び知れないところで、地獄のような責め苦を自ら掴み取っている。ソーは欲張りで、でもそれを成し遂げるだけの能力がありますから、恐らく、出来てしまうんです。私はあなたにも幸せになって欲しいのに、あなたは私たちを幸せにしながら自分の幸せだけを拒んでしまうんじゃないかって」


 ――それで、寿命で死ぬようなときになってやっと、『やっと死ねる』なんてことを言うんじゃないかって。


 ローレルは、健気さの感じられる睨み顔で、総一郎を見つめてくる。彼女の趣味のいい短い三つ編みが細かく揺れているのは、ローレルの体が震えているためか。


「そ」


 総一郎は、アナグラムを電脳魔術に投げ、演算を開始する。それは誰もが安心感を抱く笑顔。カバリストにも見抜けない、高度なアナグラム。


「そんな訳ないじゃないか。ローレルは心配性だなぁ」


 その笑みを受けて、愛見はもちろん、カバラの小さな違和感を見抜くはずのJさえ「びっくりさせんなよー」と胸を撫でおろす。


 そうやって、会話が弾んだ。それ以降は取るに足らない雑談ばかりで、総一郎も純粋に話を楽しんだ。しばらくするとシェリルも戻ってきて、部屋はさらに賑やかになった。


 だが楽しい時間は有限だ。しばらくすると夜も更けてきて、それぞれ帰宅する、という時間になると、不意に近づいてきたローレルが総一郎に耳打ちした。


「私は、ソーの敵ですから。ソーが幸せを拒む限り、私はあなたの考えを認めません」


 そのまま彼女は額に素早くキスをして、部屋を出て行ってしまう。それをこっそり見ていたJが「見せつけてくれるじゃんかよ」と笑うのに照れた風な笑みを返しながら、総一郎は心の中で呟いた。


 ――厄介だな、と。


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