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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
八百万の神々の国にて
23/332

15話 決別

 テレビに似た立体射影の放送媒体に、総一郎は生まれて初めて砂嵐が走るのを見た。


 武士垣外家で慌てなかったのは、総一郎と父の二人だけだった。白羽は番組が途中で見られなくなったことに憤り、母は目を剥いて困惑しながら機械の調子を看ている。総一郎は、その時はまだおや、と思っただけだった。父は目を伏せて、何かを考え込んでいるようだ。


「少し、外に出て来る」


 言い残して、父は居間を出ていった。子供二人は首を傾げ、母は少し電気屋さんに電話すると受話器を取る。


「……あれー? 電話が繋がらないんだけど」


 独り言にようにぼやいて、訝しげに見つめている。そこで総一郎は、嫌な予感を得た。とはいえ形になるものでもなく、ううむ、と眉を顰める程度である。


「総ちゃん。総ちゃんってもうお父さんのお稽古終わったんでしょ?」


 白羽の突然の問いかけに、きょとんとしながらも首肯する。


「なら、今日こそ一緒に寝ようよ。それで、こっそり夜更かししよ?」


 悪戯の相談をするかのような目を輝かせた小声に、一瞬の困惑もあったが、最後には可愛さのあまり「いいよ」と笑いながら頭を撫でた。するとむず痒そうな表情で「むぅー」と手を払われてしまう。とうとう撫でられるのが恥ずかしくなる年頃が来たのか、と寂しい総一郎。一応ながら生まれた時から自我があるため、ほとんど親心である。


「それにしても、お父さんは一体何処に行ったんだろう?」


「うーん。あ! 私、総ちゃんに話したいことがあったんだ! でも今は言わない~。あとで教えてあげるね!」


「……」


 やはり白羽は、余り父に興味が無いらしい。


 そんな風にして適当な事を話していると、母が風呂に入れと言った。「面倒だから一緒に入っちゃいなさい」との指示に白羽は真っ赤になってこれを拒否し、結局総一郎は白羽のあと一人で入る事になる。昔は一緒に入っていたのに、と姉の弟離れに一層寂しい総一郎だったが、「姉の心弟知らずか……」と言う母の言葉にぽかんとした。


 ほくほく湯気を上げて頬を上気させた白羽に癒されてから、総一郎は肩まで深く風呂に浸かった。武士垣外家の風呂は檜で作られたとかで、それを見つけた父には賞賛を贈るべきであると思いつつふんふんと鼻歌を奏でる。入って十分が経った頃には調子が出てきて、大声で歌っていたところ奇妙なものが見えた為、うん? と歌を止めた。


 それは燃え上がる火の様だった。しかし鬼火や狐火という訳ではないらしい。


 その火は恐らく松明によるもので、ぼんやり見つめているとふいに消える。総一郎はとりあえず大声の歌を再開させつつ、うつらうつらと考えだす。


 ――人食い鬼か、そうでないか。先日の残党という事はあるまい。何せ、自分が殺した鬼の子以外は父が討ったのだ。


 少し思考が危ういので、ギュッと目を瞑り頭がピンボケした考えをひねり出す。


 ――もしくは、新参の亜人か。そうでもなければこんな時間に大声で歌う馬鹿は何処のどいつだと見に来た者が居たか。


 そんな風に想像していると、恥ずかしくなって自然と声のボリュームは下がっていく。同時に自分は平凡な人間であるという自信が持て、静かな深い安堵を得た。


 風呂から上がると、白羽は総一郎が居間に持ってきておいた本を読んでいた。顔を顰めて唸っている。


「どう? 面白い?」


「ひぁっ! びっくりしたー。……うーん、よく分かんない」


 だろうね、と答えて本を取り上げる。題名は『近代の世界史~亜人誕生より~』である。未知の種族の登場によりそれぞれの国家情勢はほとんどが引っくり返って、今も昔もほとんど変わらないのはアメリカくらいの物だとか書かれていても、分かる小学生は少ないだろう。


 時計を見ればもう寝るにはいい時間で、白羽もそれを知って目をキラキラさせている。かつての淫靡さは一つも見当たらず、ただ親しい相手と近くで寝るという最近では珍しい行為が楽しみなのだろう。思い出したように総一郎は伝えておく。


「白ねえ。僕、もしかしたら夜中に起きるかもしれないけど、気にしないでね?」


「ん? 何で起きちゃうの?」


 首を捻っての愛らしい仕草に、いや、と頭を掻いて誤魔化す総一郎。けれど彼女はあまり気にした風でもなかったので、彼にとっては有難かった。


 ――あの恐ろしい夢はここ最近酷く総一郎を苛んでいる。だが悲鳴を上げて起きだすという事は、今の所なかった。起きる事は開放に近く、涙を流せばひとまず落ち着くのを自分でも知っている。だから、熟睡した人を起こす程に騒がしくなる事は無いはずだった。それに白羽が近くに居るというのは、それとなく心強い。


 手を握って上機嫌で彼女の寝室に連れて行かれる。和室で、本当に寝る用途でしか使わない部屋。昔はここで自分も布団を敷いて寝ていたのだなと思うと、少し感慨深くなった。


 白羽は布団に丸まりながら、にこにこと学校の事を話しだす。それが前世の彼女の事を思い出させ、懐かしい気分に浸れた。郷愁。その域を超えないのは、総一郎が真に『総一郎』になった証しなのか。


 この体に引きずられる事もあれば、前世そのものの気持ちにさせられる事もある。前者も後者も、今ではもうなかなか味わえない感覚であった。その時、やっと前世と現世の無理やりな繋がりが瓦解した気がした。ああ、とだけ思う。


「でね! ……? 話聞いてる? 総ちゃん」


「うん、聞いてるよ」


「そっか。でね! ムーちゃんたらおかしいの! 常に見えない何かと戦っててね、必殺技は『マインドコントロール』なんだって!」


「ムーちゃんは悪役なのかな?」


 十中八九語感で決めたのだろうが、将来使えるようになるので止めた方がいいと思う。


 苦笑しながら、目を瞑った。「総ちゃん? 寝ちゃったの?」と聞いてくるが、可哀想だけれど無視を決め込む。ちらりと見た所、時間はとっくに十一時を回っていた。基本的に白羽は十時に寝るというから、これ以上夜更かしさせるのも駄目だと思ったのだ。


 白羽はしばらくすると布団をかぶって大きく唸り、その後静かになった。穏やかな息から寝てしまったのかとも思ったが、それならそれで自分も寝てしまおうと決めた。


 寝付く寸前だった。


 半分以上寝ていた。しかし眠りを覚ます物音がした。甲高い音である。叫び声にも似ていた。身を起こすと、「総ちゃん……?」と白羽も上体を起こして目を擦りだす。そして、叩き付けられるような音。総一郎は光、音魔法を自らと姉に掛け、襖をそっと開ける。


 母が頭から血を流し、折れた襖の上で苦しげに呻いていた。


「だからよぉ……、何処だって聞いてんだろうが……。さっさと答えろよ、……なぁ」


 粗暴な声だった。しかし、それを極力押し殺してもいた。母の両手は氷づけにされていて、手が組めない。それでは天使の種族魔法も使えないはずだった。その上で、なぶられているのだと知った。


 こちらに背を向けて、その男は母の髪の毛を掴んだ。今ならば容易く殺せる。しかし、母の手が氷づけにされた理由も考えねばならなかった。人食い鬼は、魔法が使えない。そして男の首には拘束紋がある。


『……今は、考えるだけ無駄か』


 声は白羽以外に聞かれない。総一郎は男の服を掴み、雷魔法を使った。


 いや、この場合は化学魔術なのか。


 総一郎は、男から奴を構成する電子の一切を奪った。次いでばらけだす原子を風魔法で適当にまとめ、吸い取った分の電子を元に戻す。それによって奴はタンパク質とも言えない何かに姿を変えた。血が出ない為、処理が楽なのだ。


 火魔法を用いて、母の手を直す。少々やりすぎても、天使は火から生まれたとされる為問題は無かった。次に光魔法でその傷をいやすと、息絶え絶えに礼を言われた。


「お父さんは? 何処に居るの?」


 問うたのは総一郎である。母は知らないと首を振る。


「じゃあ、さっきの氷はどういう事? 人食い鬼は魔法を使えないはずだよね。それに、何を聞かれてたの?」


「……拘束紋使役権の証明手形の場所。父さんが持ってる。それと……、総一郎。落ち着いて聞いてね」


 苦しげな母の言葉に、唾を嚥下させた。


「さっきの氷は、貴方の想像通り魔法よ。あいつらは魔法を使う」


「――それってどういう、」


「説明は後。総一郎、白羽を連れてお父さんの隠し部屋に白羽を連れて行きなさい。あそこはそう簡単には見つからないから」


「でも、母さんはどうするのさ」


「私はちょっと立つのは難しいし、まずは白羽を連れて行ってよ。お母さんは手が組めるならある程度自分の身は守れるから、白羽を連れて行った後に私に肩でも貸して? ね?」


「……分かった」


 白羽の手を握った。次いで引き、駆けていく。


「総ちゃん!? お母さん、本当において行っていいの? 何で、こんな事になってるの?」


 総一郎は、その言葉を黙殺した。自分でさえ分かってはいないのだ。答えられる道理もない。しかし命を危うくさせられているのなら、やるべき事だけははっきりしている。


 廊下を抜け、裸足で道場まで渡り、掛け軸まで連れて行く。二つ目までは良かった。しかし、三つ目を阻む者がそこに立っていた。


「……武士垣外のガキか」


 巨躯の赤鬼であった。拘束紋は付いていない。服装は作務衣にも似た和服で、手には総一郎と同じだけの大きさの金棒が握られていた。少年は少女を少し下がらせ、強く敵を睨みつけた。鬼は、鼻を鳴らす。


「忌々しい目つきだ。同胞を殺した時の奴の目に似ている」


「何故、こんな事をするんですか。貴方は、拘束紋が付いていないじゃないですか」


「復讐だ。同時に革命でもある。貴様に言っても分からないだろうがな、小僧。名は、何と言う」


「……武士垣外、総一郎」


「そうか、奴の付けそうな名前だ。ひとまず、聞いておこう。貴様の父は何処だ。答えれば命までは取らん」


「知らないから、僕は今こんな所で貴方と対峙している」


「はは、それもそうだな。確かに奴の周りに居た方が、子供だけでいるよりは安全だ。総一郎、今から儂は貴様を殺そうと思うのだが、抵抗をするつもりはあるか?」


「……」


「あるようだな。目がそう言っている。ならば、お前の得物がここにあるだろう。それを取りに行く時間をやる」


 鬼は言って、ドカッと地面に腰を下ろした。目を瞑り、待っている。白羽の手を引こうとしたら、「その娘を隠そうとするなら、そいつも殺すぞ」と脅され、仕方なしに手を離す。


「……総ちゃん……」


「大丈夫、大丈夫だから」


 宥める言葉も、素っ気ない。それは総一郎自身の余裕のなさなのだろう。この鬼は、先ほどのあれとは訳が違う。明らかに実力が上の相手であることには、確信が持ててしまった。


 道場の端に置いてある木刀を取り、鬼と向かい合った。奴はにたりと笑い、こう言い当てた。


「桃の木刀だろう。破邪の力が有り、亜人と魔法に無類の力を発揮する。下手な真剣よりかは力強い代物だ。奴らしい。全く、奴らしいにも程がある」


 くつくつと笑いながら、鬼は立ち上がった。金棒を待ちあげ、振り下ろす。道場の床は簡単にへこみ、周囲にひびが入った。総一郎の表情を見て、「怖気づいたのか?」と笑う。睨み付けながら、八双に構えた。


 勝てる見込みは、薄い。打ち込むだけの隙も、見当たらなかった。だが、隙が無いと分かるだけでもまだいい。父には、隙しかないように見える。


 膠着が続いた。汗は噴き出て、顎から首元へ下っていく。見上げねばならない程、身長差は大きかった。下手な魔法を打っても弾かれる。されど何もしてこないのだから、動きようもない。


「……慎重すぎてつまらんな。どれ、少し焦ってみろ」


 鬼は言って、宙にいくつもの巨大な炎を出現させた。飛び散り、道場が燃え上がる。煙。白羽が咳き込むのを見て、すかさず風魔法で彼女の周りに壁を作った。


「どうやら貴様はその娘が大事らしいな。ライラに似ている。となると、その娘も奴の子か。姉か、妹か。判別がし辛いが、まぁいい。早く来ないと、わしが直接殺してやるぞ」


 殺気が白羽にも向いたのが分かった。身を竦ませ、動けなくなっている。赤鬼が彼女に手を差し向けた瞬間、遮二無二に飛び出した。考える余裕も吹き飛んでいた。


 金棒が、来た。化学魔術で応戦するも、僅かに足りない。最初より二回り小さくなった鈍器が、総一郎を横殴りにした。身が軋み吹き飛ばされる。木魔法で壁を柔らかくするも、激突のあと地に堕ちた時、容易くは立ち上がれなかった。


 光魔法で回復するだけの時間も同様に無い。追い打ちは迅速で、床を転がって避ける。肋骨がその衝撃で、数本、確かに砕け切ったのが分かった。間合いを取ってから光で回復するが、生物魔術のような万全さは無い。


 余力を振り絞って、木刀を構えた。再びの八双。怪我のせいで視界は明滅を繰り返し、意識が朦朧としていた。何故か、鬼の顔から表情が消えた。気付けば奴の構えは地擦りである。つまり下段の金棒は防御に徹しているという事で、酷く攻め難い。


 睨み合った。次で終わりだという確信もあった。勝つか負けるかと言う考えには至らなくなっていた。視界は黒く染まる度、父の姿が浮かび上がる。父にどこまで届くか。最後はそれだけになった。


 じわりと、鬼の顔に汗が伝い始めた。総一郎も同じだが、先ほどより引いてきている。どちらかと言うと骨折による冷や汗に近い。いずれ崩れると自身を断じた。総一郎は、息を吐いて仕掛ける。


 飛び上がった。それを、金棒が捕らえた。総一郎は剛腕に崩れ、揺らぎ、霧散する。鬼は目を剥いた。幻影と自らの隠伏を解き、投げ出した木刀を掴む。喉。肉を食い破り、鬼は絶命した。


 同時に、一度崩れ落ちた。しかし木刀を杖に立ち上がる。白羽までよろけながら歩き、たどたどしく手を引いた。硬直した手はたどたどしく総一郎を追従し、彼と共に掛け軸の裏の小部屋に入る。


 小部屋の中は、炎に包まれていなかった。そうなる想像も出来ない。何か、神聖なものに守られているように思えた。道場の火消と、母を連れに戻るため小部屋から出ようとすると、必死な声が総一郎を止めた。


「待って、総ちゃん!」


 後ろ髪を引かれ、瞬間総一郎は立ち止まる。だが、掴まれた腕を考える前に力いっぱい払っていた。「痛っ」と言う彼女の声に、慌てて、取り繕う様に言った。


「ごめんね、白ねえ。でも、やらなきゃならない事だから待っていて欲しいんだ。大丈夫、きっとすぐ戻ってくるから」


 笑いかけると、白羽は息を呑み、胸を突かれた様な表情になった。総一郎は訳も分からず、疑問に少女の名を呼ぶ。抱きつかれた。その手は、震えていた。


「……どうしたの? 怖くても、ここなら安全だよ」


「違うの、総ちゃん。そうじゃないの」


 声には、涙が滲んでいた。嗚咽は大きくなり、次第に変わっていく。


「総ちゃん、ごめんね? 気付いてあげられなくて、ごめんね?」


「ごめんって、何が? 僕、白ねえに謝られるようなこと、されてないよ?」


「だって、総ちゃん、自分は一人きりだっていう目をしてるもん。寂しくて、何も自分の事を分かってくれないんだって、そういう目」


 総一郎は、硬直する。暗がりの小部屋。古ぼけた本の匂い。静かな涙。白く淡く輝く翼。だが、何処か無為に思えた。無為に思わなければ、感情にとらわれてしまい、これから生きていけないのだという恐怖が襲った。


「……気のせいだよ。だから、放してくれ」


「あっ」


 白羽を押しのけて、扉を開ける。すぐに閉め周囲を確認すると、そこには二人の人食い鬼が立っていた。一人は倒れた巨躯の鬼の様子を見ているが、もうひとりは訝しげにこちらを見つめていた。光魔法も音魔法も掛けていたが、勘が良いのかドアの開閉を察知したようだ。


「魔力、無駄遣いしたな」


 姿を現すことで、彼らの注意の矛先を扉の存在から自分へと変えた。こちらを見ていた人食い鬼は立ち上がって機関銃を手にし、もう一人はぶつぶつと何かを唱え始める。聞いたことがある呪文だ。風の、飛来物に干渉する魔法だったはずだ。


 敵の策略を知り、顔を顰める総一郎。相手を守勢に回しそのまま圧し殺すという戦法だ。突き崩す為に物理魔術と風魔法を使って、敵を肉薄にする。まずは、銃を使う鬼の小手を打った。そのまま、他方の首を。


 呪文を唱えていた方は、喉を押さえて崩れた。死んではいないようだが、動けもしまい。機関銃の方は取り落とした得物を拾おうとしたのを、総一郎が頭蓋を割った。こちらは、頭の形が明らかに変形している。死んだ、と言う確信が持てた。


「道を歩むように、人を殺す」


 死骸を見つめながら、呟いた。今はまだ、名状しがたい色をした感情が、胸中を渦巻いている。何人殺せばその域に辿り着くか。遠い事しか、分からない。


 視界の端を、何かが掠めた。


 呪文を唱えていた方が、機関銃を総一郎に向けた。咄嗟に避けるが、反撃をする余裕が無い。間合いをとって防御壁を作り出すものの、敵の突破が難しくなった。魔力も、残り僅かである。


 機関銃の音は途切れない。もしかしたら、金属魔法を応用した銃弾自動生成銃なのかもしれなかった。魔力が尽きるまで、ずっと少量の魔力を使い続ける。厄介だと舌を打った。


 その時、殺気が来た。


 考える前に振るった木刀は、いつの間にか横に立っていた人食い鬼の刀を受けて使えなくなった。銃声は途切れておらず、騙されたのだと悟る。返す刃は避けがたく、浅手に済むも三の太刀は必中に等しい。


 しかしそこで、鬼の動きは止まる事となった。総一郎は、寸前で走った銀閃を見逃してはいなかった。鬼の正中線に赤い筋が入り、刹那、二つに割れた。血煙を上げ倒れた鬼の向こうには、父が立っていた。


「……お父さん、今まで一体、どこに行っていたんですか」


「村の方の賊を斬っていた」


「村? 村も襲われたのですか?」


「ああ」


 相槌を打って、父は転がる三つの死体の内、赤鬼の方に目を向けた。それに近づき、死に顔に顔を寄せながら尋ねてくる。


「これは、総一郎が斬ったのか?」


「はい。……どうしたんですか?」


「いや、何でもない。……ただ、かつての同僚だったという、それだけの事だ」


 言ってから一秒間、父は逝った赤鬼を見つめていた。しかしすぐにこちらに向き直り、本題を切り出した。


「奴らが狙っているのは、私が持つ拘束紋使役権の証明手形だ。全国に千ほどあり、散り散りに所持されている」


「奴らって、何ですか」


「大抵は人食い鬼だ。しかし、協力者が居ない訳ではない。恐らくだが、奴らは魔法を使っただろう」


「はい、母さんの手を凍らせていました」


「人食い鬼は、魔法が使えない。しかしそれはその素質が無いと言うのでなく、ただ知識が無いだけなのだ。知識があれば、使える。それだけで奴らは人類の敵で在り得る」


「何で、そんな事を」


「屈辱だったのだろう。本来食す対象である人間に、敵であるとも認識させずに飼い殺される。そして、それを見抜いて手を差し出したものが居る。日本の敵だ。しかし正体が分からない」


「……まさか」


「無貌の神ではない。日本の転覆は奴好みの展開だろうが、それで利益を得る者が居る。それも、至極まっとうな手段を使っているに過ぎない輩だ。奴が関わっているならばもっと渾沌とした状況になるだろう。奴は、日本とは異なる『魔術』を教えるのだ。それを使いすぎれば人間は狂う」


 この国はもう終わりだ。淡々と、父は言い切った。総一郎は、とてもではないが信じられなかった。この騒動は、この家にだけ起こった事ではないのか。一歩外に出れば、いつも通りの風景が広がっているのではないのか。


「……じゃあこれから、どうすれば」


 複雑な心情のまま、身の入らない呟きが漏れた。ナイの手によるものでないなら、これがその契機なのか。父は瞬間の間をおいて、とうとうと語りだす。


「この騒乱を聞きつけて、きっと諸外国が難民保護と称して、日本の魔法技術の奪取の為この国にやってくるだろう。大抵はそれに従い、外国で余生を暮すことになる。――だが、私はこの国に留まるつもりだ。まず拘束紋の証明手形を集めようと思う。全てを奪還できれば、奴らの勢力は地に堕ちる」


 総一郎、と父が名を呼んだ。いつもよりも、強い語調だったように思う。炎はいつの間にか消えていて、暗がりが道場を満たしていた。


 闇色に染まる父が、問う。


「私と、一緒に来るか?」


 咄嗟には、答えられなかった。白羽の姿が浮かび、父と並んだ。父と共に行けば、人と修羅の狭間を歩けるようになるだろう。しかしそこに白羽はいない。逆に行かなければどうなるのか。日本を出れば、ナイが現れる。白羽は近くに居るが、その身の安全など知れたものではなくなる。


 ふと、気付くことがあった。


 問いである。当たり前すぎて見失っていた問いだ。生まれてから今の今まで、ついぞ知ることの出来なかった質問。それを、総一郎は口に出していた。


「……お父さんは、何と言う名前なのですか?」


 父はそれを聞き、目を見開いて絶句した。しばしの無言が、道場に反響する。何となく、気が抜けた空気が漂い始めた。


「……知らなかったのか」


「はい。知る機会が無かったので」


「何故、今問う?」


「決める前に、聞いておきたいと思ったのです。聞けば、決まる。そんな気もします」


 考え込むように父は俯く。目を瞑り、降ろされた手が何かを訴えるかのように微かに蠢いた。息を吐き、父は視線を逸らしながら言った。


「武士垣外、優だ。優しいと書いて、優。私は、名前負けもいいところだと思っている。こればかりは、笑ってくれても構わない」


 総一郎は、無意識に息を大きく吸い込んだ。つばを飲み込み、言葉を探す。言い表し難い、温かな感情が湧きだした。定まらないまま、喋る。


「……いえ、何て言えばいいのか……。凄く、お父さんらしい名前だと思います。僕は、むしろしっくりきました」


「しっくり?」


「はい。どんな名前も、これ以上には似合わない。そんな風にさえ、思うのです」


 確信のまま、総一郎は断言した。父はそれを呆然と見つめていた。ふいに、何かが父の頬を伝い落ちた。二筋の何か。すぐに拭われ、父は変わらぬ視線で総一郎を見つめ直し、威勢よく言い放った。


「総一郎、やはり、お前は付いてくるな」


「え?」


「しかし、このまま外国へ追い出してもそのまま野垂れ死ぬだけだろう。餞別を三つ、お前にやる。一つは私がかつて使っていた木刀。もう一つは一冊の本。どちらも隠し部屋の地下にある」


「もう一つは」


「お前がすぐに戻ってくれば教えよう。さぁ、早く行け!」


「は、はい!」


 慌てて掛け軸まで戻る総一郎。途中で「どんな本ですか」と問うと、「お前の自由だ、それですべて決まる」と言い切られ、訳が分からないまま急いでドアを開ける。


「あ、総ちゃん?」


 ドアの隙間からこちらを窺っていた白羽と机を端に退かし、床を探る。今までは開かなかったはずが、今回はいとも簡単にその在り処に辿り着いた。へこむ場所を強く押し込み、地下への道を開く。


 光魔法で闇を照らし、そのまま地下へ下りて行った。壁の端に紺色の長い袋があり、その中に木刀が入っていた。桃の木の、固い手触り。しかし、本は一体どれを選べばいいのかと、眉を寄せて本棚を指先でなぞっていく。


「コレなんか良いんじゃないかな。『魔術の真理』。ぼろぼろだけどまだ読めるよ?」


 ナイが、すぐ横に立っていた。


 大きく飛び退り身構える。しかし彼女はそれを大した事とも思わず、「何だよ、お祝いしに来たっていうのに」と肩を竦めた。


「何で君がここに居るんだ! それに、お祝いって……」


「ここにある本はかなり力あるものばかりでね、少し異界と化しているんだよ。だから入って来れた。……で、さっそく本題に入らせてもらうけれど、」


 優しげな目つきになり、ナイは穏やかな口調と共に拍手を始める。


「おめでとう。君は見事、その数奇な運命の契機の一つ目を超えた。総一郎君、やはり君は素晴らしいよ。君の得たこの結果は、おおよそ最善と言っていいものだ」


「……どういう事だよ。契機って、日本の転覆じゃあなかったのか。僕はまだ日本に居るっていうのに」


「何を言うんだい。そんなことは小事に過ぎないよ。ボクはずっと前から知っていたし、この先の事も分かり切っている。ボクが言ったのは、君がお父さんに斬り殺されなかった事さ」


 総一郎は、言葉を詰まらせた。父に殺される。その反応に、ナイは「アレ?」と首を傾げた。


「気付いてなかったの? 意外だなぁ、君って物事を分かり切ってから動いて居そうなものなのに。……まぁ、いいさ。それならそれで」


「……、っ」


 総一郎は、踵を返して駆けだした。父に知らせ、ナイが言ったことを尋ねようと思ったのだ。ナイが邪魔しても、父が追い払ってくれる。しかし無貌の神は、それを先読みしていたようだ。


「総一郎君、行かないで。行ったら、白羽ちゃん殺しちゃうよ」


 いつの間にか、ナイの懐で白羽が拘束されていた。小さなナイフを首筋に当てられている。ゴテゴテに装飾されたもので、刃先に乾いた血がこびりついたナイフだ。


 白羽は自らの状況も理解できていないようだった。ただ、「え? ……え?」と総一郎を見つめて困惑している。総一郎は、覚悟を決めてナイに向き直った。邪な女神は喜ぶような笑みで一度頷く。


「素直な子は好きだよ、騙しやすいから」


「……お父さんが僕を斬るって、どういう事だ」


 からかう言葉を黙殺すると、「無視するの? 酷いなぁ」と不満げな表情を見せてから、にたりと笑った。それは嘲笑にも似た嫌らしいもので、これが本性なのだと警戒を強めた。


「物事は単純な話さ。君がお父さんに着いていくと言えば、君は間違いなく人間性を失った化け物に成り果てる。化け物と言ってももちろん比喩だけれどね。修羅、だっけ? 君たちで呼称するところの。そして、お父さんはそれを恐れ、その答えを聞き次第総一郎君を殺すと決めていた」


「……そ、んな。――いや……何で、付いていけば僕は修羅になるんだよ」


「それに答えるのは簡単だ。総一郎君のお父さん、武士垣外優そのものが修羅だからだよ。修羅の血を色濃く継いだ子が修羅道を歩めば、出来上がるのは修羅に決まっているだろう? ……それにしても、随分と口調が男の子らしくなったね。それも、そういう事なのかな」


「……」


 総一郎は黙りこくる。修羅の血。修羅道。父はこの国に残り旅をすると言った。この国の反乱勢力を削るために。その手段は言うまでもないだろう。ドツボに入る総一郎の思考など気にもかけず、ナイは勝手に言葉を続ける。


「君のお父さんは、もう上には居ないよ。最後の三つ目の餞別はなくなった。アレを受け取ったら、君は少々強くなりすぎるからね。そうなれば、ボクの手によるものでない破滅が君を覆い尽くすかもしれない。それだけは避けたいんだ。ボクは、君に期待しているから」


「期待って、何だ」


「教えない、今はね。君はこれからしばらくしない内に外国への渡航を強制されるだろうし、渡った先で馴染んだ頃に会いに行くよ。どこがいいかな……。そうだ、イギリスとかどうかな。ボクの力も、日本よりは強くなる場所だ」


「断る。亜人を迫害する国なんだろ? そんなところ、僕は行かない」


「そんな事言っちゃうんだ。じゃあ、君には呪いを掛けちゃう。イギリスと深く結ばれる呪いをね」


 指先をくるくると回し、総一郎の心臓に向けたのか、ちょん、と左胸を触れた。何かをされたという実感はない。


「じゃあ、ボクは退散させてもらうよ。そろそろお父さんも勘付き始めたようだ。戻って来られてもボクの作戦がご破算だしね。じゃあまた、イギリスで」


 闇に吸い込まれるようにして、ナイは消えていく。脱力して本棚にもたれ掛かると、一冊の本が落ちた。手に持ってみると、『美術教本』と書かれた本だと知れた。この場所に置いては異質な本だったが、その気の抜けた感じが面白く、総一郎はこの本を餞別に選ぶことに決めた。


「……あの人、会ったことある」


 ぽつりと、白羽が呟いた。驚いて総一郎が尋ねると、三年くらい前、と話し出す。


「総ちゃんが物理魔術を禁止されてた時、会って話をしたの。総ちゃんの事一杯聞かれた。……何で思い出さなかったんだろう。あんなに恐かったのに」


 ブルリ、と白羽は身を震わせた。総一郎は上に戻る事を促し、力なく頷かれた。上に戻り道場に入れど、父はいない。ナイは嘘を吐かないのだ、と思った。意図して歪ませた真実は伝えるのだろうけれど。


 木が焼けて、道場の一部は焦げ付いていた。総一郎はふと振り返り、掛け軸を巻き取り、胸元に入れた。布に包まれた、総一郎には長すぎる木刀、『美術教本』も同様に携えている。


 そして道場を出て、愕然とした。


 ゴウゴウと音を立てて燃え上がっていた。どこまでも赤い炎は、丑三つ時の闇を煌々と照らしている。焼きつくような赤だった。家を包むのは、そんな火だった。


 声は出せなかった。白羽も同様だ。ただ自失して燃え上がる生家を眺めていた。思い出が脳裏に去来する。幼すぎた白羽との喧嘩とも言えないじゃれ合い。母に教えられた魔法。本を読んで過ごした日の居る部屋。「お母さん」と白羽が言葉を漏らす。母だ。この中に居るはずの、母だ。


「助けなきゃ」


 ゆっくりと、総一郎は家に近づいて行った。はっと我に返って白羽がそれを阻む。振り払った。それでもしがみついてきた。


「邪魔するなよ。このままじゃ、お母さんが死ぬんだよ!」


「でもそんなことしたら、総ちゃんが死んじゃうでしょ!?」


「でも母さんは水魔法が使えないんだ! 火と光だけで、どうやって生き残る!」


「総ちゃんだって魔力はほとんどないんでしょ? 無謀だよそんなの!」


「だけど、僕は助けに戻るって約束したんだ!」


 総一郎は、いつの間にか涙を流していた。嗚咽は無い。しかし止まりもしないのだった。必死に拭うが拭いきれない。白羽の手を、強引に振り払った。


「僕の中身は白ねえよりずっと年上なんだ! いつか言ったはずだ! それが何でわからない!」


 視界が、次の瞬間ぶれた。頬を張られたのだと知った。白羽が、涙目で強く総一郎を睨みつけていた。唇をキッと結んで、怒りに震えている。


「それでも、総ちゃんは総ちゃんでしょ!」


 叫ぶような声だった。


「前世の記憶があっても、その所為でいろんなこと知ってても、私より全然大人でも、総ちゃんは総ちゃんでしょ! 生まれた時からずっと、私の弟! だから、お願いだから」


 途端、彼女は力を失った。縋り付く様にして、総一郎に寄りかかった。抱きつくのではない。服の正面の一部を掴んでいるのだろう。引っ張られる、感覚があった。


「お姉ちゃんの言う事を聞いてよ……!」


 総一郎は、反論が出来なかった。ただ目の前に映る姉のつむじを見ながら、呆然と首肯する。


 気付けば、手を引かれながら走っていた。村は無人で、破壊されているものの人食い鬼の姿も見当たらない。だが死骸が所々に有って、父が斬ったのだろうと思った。


 前を走る白羽は、大声で泣き喚きながら足を動かしていた。総一郎は鍛えていたが、町までの道は白羽に走れるような距離ではない。だが、息切れして止まるという事も無かった。白羽の髪の毛が白く染まっている。そう見えるのか、実際に染まってしまったのかは分からなかった。どちらでも信じられた。


 避難所についてからは、記憶はもう残っていない。何もかもが消え失せ、闇が浮かび、そこに居たはずの父も、今や居ない。


 総一郎の与り知らぬところで、運命と歴史は流転する。今の幼き彼は、死んだ様に眠りこけていた。命運がまた、彼を誘うまで。


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