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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅠ

 何が起こったのか、分からなかった。


 白羽は首だけのウルフマンと共に、送られてくる映像をアルフタワーの会議室でじっと見ていたはずだったのだ。それが突如として現れたナイに総一郎の使う空間魔法めいた何かで撃たれ、気づけば総一郎のいる雨の交差点に立っていた。


 肌を濡らす冷たい雨。それから続々と現れるARFの幹部たちに、嫌な予感はしていた。だがどうすれば良いのか分からず必死に考えていると、偽ウッドの正体がベルだと判明して、こちら側のベルが破裂した。


 正直、悪趣味な悪夢を見ているのだと言われた方がずっと理解できる出来事だった。だが悲しいことに、数か月間ウッドと戦ってきたARFはこれが現実だということを理解できてしまった。


「みんな、ソウイチから離れてッ!」


 誰よりも素早く行動を始めたのはシェリルだった。彼女は総一郎が覆いかぶさって抑え込んでなお漏らした“ベル”の破片を、蝙蝠の分身で全て受け止めていた。それらは破片が蠢くのに合わせて墜落し、そしてスライム上の何かになって最も近いARFに襲い掛かろうとする。


 それを、ハウンドがファイアバレットで燃やし尽くした。すぐに雨で鎮火してしまうが、炭化した細胞はもう動かなかった。白羽はそこで理解する。偽ウッド――ベル。彼女が何故、ナイに偽物とはいえウッド役に抜擢されたのか。


「……修羅……!」


「お父さん説は総一郎君も想定していたみたいだけど、ベルちゃんにまでは考えが及ばなかったみたいだね」


 不意に横に現れたナイに、白羽は反射的に飛び退った。睨みつけるも、彼女は白羽など眼中にないという態度で歩みを進める。


 その先に居るのは、身もだえする総一郎だ。


「ッ、総ちゃんを守って!」


「させませんよ、白ちゃん」


 アイがギラルディウスの鐘を鳴らした。途端、交差点を囲って事態を静観していたゾンビたちが、一斉にARFに襲い掛かってくる。そこで素早く対応するのはラビットだ。一撃一撃がゾンビにとっての必殺で、なぎ倒してくれる。


「ああ、そうか君が居たね。まったく、担当は何してるんだか」


 ナイはボヤいて、指を鳴らす。直後、像のような巨大な鱗まみれの馬が現れ、天に駆けていった。何だ、と経緯を観察していると、背中から拘束され度肝を抜かれる。


「なっ、気配が」


「しないですわよ、そんなもの。けひっ、おっと失礼、あまりにもあなたが無様なものですから、嘲笑が漏れてしまいましたわ」


 その口調、その言葉。白羽には心当たりがあった。かつてシェリルを虐待し、白羽が殺したはずの構成員の一人だ。何故「なぜ生きている、なんてつまらない質問は止めてくださいましね?」


 白羽は拘束されたまま転ばされ、その流れでウルフマンを奪われてしまう。奴はウルフマンの頭を高く掲げて、うっとりと眺め出す。


「あら、こうして抱えると愛嬌がありますのね。きれいな目……、くり抜いてもよろしいかしら」


「マナさんが文句言うんじゃね?」


「それもそうですわね。じゃあひとまず我慢しておきましょう」


 白羽は拘束のために立ち上がれない。どうやら手錠を掛けられているらしい。その体勢で無理やり顔をあげると、やはりあの元構成員のようだった。修道服を着てこそいるが、その雷のような長髪は忘れない。


 元構成員はウルフマンを抱えたまま、中央のナイに近づいていった。それから、気さくに話しかける。


「シスターナイ? わざわざシャンタク鳥を飛ばしてどうかしましたの? わたくし、このような些事には興味ないのですけれど」


「ああ、君に少し頼みたくてね、マザーヒイラギ。ベルちゃんが修羅に染め上げたカバリスト達を百名ほど持ってきてくれないかな。ARFたちはゾンビ相手なら多少やるようだけど、グレゴリー君は人を殺せないし、他の面々も大量のカバリストには抵抗できないでしょ」


「ああ! なるほど一網打尽にするんですのね! けひひ、心が躍りますわ♪ そうですわ! お呼びする予定のお兄様、お姉さまへの捧げもののメインに彼らを据えませんこと? お兄様は朴念仁ですから捧げものさえあれば満足でしょうけど、お姉さまはこの地球圏においては残忍であればあるほど喜びますの」


「そこは任せるよ。ボクには猟奇趣味はないからね」


 もろ手を挙げて喜ぶ元構成員――もといマザーヒイラギに、白羽は下唇を噛む。言っている内容のすべては分からないまでも、間違いなく窮地が訪れることだけは分かった。


 故に、白羽はマザーヒイラギの迂闊さに笑う。後ろ手であろうと、手が組めればよいのだ。


「神よ、何故我らを見捨て給うたのですか」


 白羽の背から、一対の巨大な黒翼が広がった。それが一つ羽ばたけば、白羽は宙に浮くことが出来る。それは混戦状態の戦場においても目立つもので、少なくともARFの注目をひけていることを確認して叫んだ。


「総員、撤退ッ! 繰り返す、総員撤退ッ! 今回の作戦は失敗した! 全員、この場の離脱を最重要命令と定め、全力で逃げ延びて!」


 その命令に、ARFの誰もが物申そうとした。だがすぐにその意見を噛み殺し、それぞれの方法で逃げ出し始める。アーリはバイクの自動運転を開始し、飛び乗ってゾンビをひき殺しながら。シェリルは無数の霧となって文字通り霧散し。そして白羽はその翼で飛び去って。


「おいっ、ブラックウィング! お前、本当に逃げ出すのか!」


 だが一人、撤退を拒むものが居た。ラビットの声が、白羽の背中に追いすがる。先日、正体がグレゴリーだと判明した彼。けれど今、彼の相手をしている暇はない。


「あなたもだよ! 逃げて! じゃないと弱点を突かれて拘束される!」


「何言ってやがる。オレの『能力』はイチから聞いて――」


「だから言ってるのッ! もし万が一ラビットまでナイに取り込まれたら、私たちにはもう打つ手はない! だから、誰よりもあなたが真っ先に逃げないといけないの! 分かってよ! じゃないと後になって、総ちゃんを助けられないでしょ!?」


 白羽の絶叫に気圧されたのか、ラビットは俯いて歯噛みし、その渾身の力でもって跳び上がった。その勢いは誰にも止められない。一瞬にして雲の向こうへ消えていったラビットに息をつき、白羽も全速力でその場を離れていった。




 残されたのは、いつの間にかナイに落ち着かせられ昏倒する総一郎に、ウルフマンだけだった。狼の頭は気づけばアイの手の中にあり、人心地ついている。


「やっべぇな。何かあるとは思ってたけど、ここまでやられるたぁ」


 こんな状況でも、ウルフマンはのんきな一言を漏らす。それに反応したのは、頭を撫でつける愛見の手だけだった。















 白羽は追っ手を気にして何度も迂回を繰り返し、それから放棄しても痛みのない拠点に来て集合の指示を出した。


 逃げ出した面々が集ったのは、十分としない内だった。まずシェリルが目に見えない霧から具現化し、次にアーリが現れて変装を解いた。


「……相手に、何枚も上をいかれた」


 白羽の第一声はこれだった。椅子に座って、天井を仰ぐしかなかった。


「シェリルちゃん、ごめん、信じてあげられなかった。シェリルちゃん、ずっとベルベルを――クリスタベル・アデラ・ダスティンを警戒しろって言ってたのに」


「いや、仕方ないよ。私だってまさかあんな事になるなんて思ってなかったし」


 白羽は、思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。単なる裏切りなら、想定していた。だから機密には絶対に触れさせない形で働かせていたのだ。だが、まさか本人には自覚がない上に、挙句の果てには破裂など。


「でも、シェリルちゃんの警戒は間違いなく役に立った。総ちゃんが犠牲になって、シェリルちゃんとハウハウが対応してくれなきゃ、今頃みんな修羅に食われてる」


「ここに至ってもウッド対策が役に立つとはな。ファイアバレットを多めに携帯しておいてよかった」


 沈鬱なテンションでの会話だが、想定しうる最悪の事態は避けられたらしい。現状ARF内に死者は居ないし、奪われた総一郎もウルフマンも、向こうに執着する人間がいる限りひどい扱いは受けないだろう。


「……それで、その、ボス。一つ、いいかな」


 シェリルがおずおずと手を挙げたのを見て、白羽はつい先ほどの攻防を思い起こしながら頷く。


「その、ナイに近づいてったあの修道服の奴……、偽ウッドじゃない方、がさ」


「ああ、それはアタシも気になったんだ。アイツ――」


 二人は顔を見合わせて、揃えて言う。だが、その言葉は一致しなかった。


「数年前に、私を虐待した奴、だよね」

「弟の、ロバートの恋人にそっくりじゃなかったか?」


「え?」「は?」


 シェリルとアーリはまた顔を見合わせ、目を瞬かせ合った。白羽も、シェリルの指摘は想定通りだったにしろ、アーリのそれには心当たりがない。


「え、ちょっと待って。ハウハウの、どういう事?」


「どういう事も何も、前に見せただろ? メンタルケアだのって、ウッドから解放された後に、アタシが自分をロバートだと思い込んで仕事してたことで、何処か精神的におかしなところがないかって面談したじゃんか」


「ああ、確かに事情聞いた……ね……」


 思い出す。そのときは、まったく気にもしていなかった。だが、思い返せば確かに似ていたような気がする。実際に写真を出してもらうと、明確だった。そっくりという言葉では片づけられないほどに、似通っている。


「……これ」


 白羽の呟きに、場がシンと静まり返った。もはや手の出しようすらない過去のこと。そこに、干渉されているかのような気持ち悪さがあった。


 しかし、シェリルもアーリも顔を青ざめていることに気付いて、このまま放置してはならないと決断した。息を大きく吸い込む。それから、大きすぎない声で、しかし場を支配するような断言でもって、言った。


「これからのことを考えよう」


 白羽の宣言に二人は我に返り、顔色をシャッキリさせる。窮地こそ、私情は切り捨てなければ。それが出来ない者から、多くを失っていくのだ。


「今回の失敗で、私たちは何を失った?」


「ちょっと待ってな。えー、作戦従事者のリストと応答を見る限り、死者はゼロ。拉致被害者は二名だ」


「ありがとう。つまり、損失はARF全体から見てほとんどない。ただ拉致被害を受けたのが幹部っていうのが致命的だね。早急な奪還が求められる」


 白羽は手を口元にあてて、しばし考え込む。


 想起するのはつい先ほどのことだ。ARFが失った二人、総一郎とウルフマンの戦略的価値を推し量る。個人的感情はあくまで切り捨てて。切り捨てて。


 二人の価値は、前者においては知的労働と戦闘能力だ。総一郎は機密に触れさせていないから、ARFが情報的に不利になることはないだろう。カバリストというのが嫌な部分だが、元々ノア・オリビアにはお抱えが多数いるらしい。今更だろう。


 ウルフマンも同様だ。一部スラムの管理状況などの情報は彼が握っているが、スラムに財源を置いていた時代はとうに過ぎている。数年前なら痛かったが、今は彼が持つ情報如きでは揺らぐことはないはずだ。


 次、感情的損失。これは甚大だろう。総一郎は最高戦力として紹介したばかりだし、ウルフマンか長年の信頼がある。それらがまとめて奪われたとするなら、ARF全体の士気の低下は否めない。とするなら、可能な限り情報は秘匿下に作戦を進めるべきだろう。


 そこまで考えて、全身が震えていることに気が付く。握りこぶしを固めて、堪えた。堪えようとした。ダメだ、と立ち上がる。


「少しトイレに行ってくるね」


 返答は聞かずに部屋から出て、扉をゆっくり閉めてから駆け出した。トイレの個室にこもって、それから崩れ落ちるように座り込んだ。


 力が抜ける。項垂れて、体のどこにも力が入らない。


「……総ちゃん」


 涙がこぼれだす。全身が震えている。どうすれば、と頭を抱えた。歯を食いしばって、嗚咽だけは漏らさないようにする。


「どうしよう、どうしよう……!」


 ダメだ、と思った。加護を振り絞って、音魔法の防壁を築く。総一郎のように潤沢な防音は出来ない。総一郎のように、と考えた時点でダメになった。


 まるで無力な少女のように、白羽は泣き声を上げた。頭の中は総一郎でいっぱいだった。昨日の朝でさえ衝撃だったのに、心の準備を整える間もなく奪われた。


「嫌だ、嫌だよ。総ちゃん、私を置いて死んじゃ嫌だよ……!」


 取り返さなければならない。総一郎に告げられた、彼自身の死の予告。このままでは、ナイに身も心も奪われる形で総一郎を失ってしまう。あの憎き邪神に、愛しい弟のすべてを奪われる。


「取り返さなきゃ。でも、どうやって」


 パニックになった頭は巡らない。手札はまだあるはずなのに、総一郎の喪失にばかり考えが行ってまとまらない。


 頬を伝う涙の軌跡は、束を紡げるほど増えていく。こんなに泣けるなんて、白羽自身でも思っていなかった。感情の高ぶりに荒くなる息を整えながら、白羽は地面をにらみ、そして目をつむる。


「嘆いてる場合じゃない……、嘆いてる暇なんて……」


 俯き加減にしたがって、背中から自分の白い髪が垂れた。縋るように、束ねて掴む。それから、そうだ、と思った。縋る相手なんていない。いつだって白羽の精神的支柱は白羽自身だった。最近は総一郎がその役を担ってくれていたが、それがイレギュラーだったのだ。


「私が居る」


 白羽は深呼吸を繰り返しながら、自己暗示するかのように深く自分に言い聞かせる。


「他に誰が居なくても、私が居る」


 最初は一人だった。今は、それよりもずっと多い。幾分か減ったが、まだ進める。進んでいけば、取り返せる。


「取り返そう。取り返す。総ちゃんは、誰にも渡さない」


 髪を掴んでいた手を放す。もう、縋る意味はない。自分自身の足で立てる。


 個室から出て、思い切り洗面台で顔を洗った。涙の跡を洗い流し、廊下を進みながら考えをまとめる。


 限られたメンバーで、秘密裏に奪還作戦を進める必要がある。それも、かなり短期間に。難しいようにも思えるが、ノア・オリビア内の事情についてはかなり情報を掴んでいる。それに、あの場でもかなり重要そうなワードを漏らしていた。


 仮想敵は、まずナイ、そしてマザーヒイラギ。奴は総一郎が報告した教祖だろう。そしてアイが居て、クリスタベルがいる。そしてクリスタベルは修羅で、薔薇十字のカバリストをかなりの規模で修羅により染め上げているらしいことが分かった。


 ミスリードの可能性をいくらか吟味するが、以上の要素においては裏付けが取れているため疑わずともいいだろう。少し気になるのは、以前総一郎とシェリルの“シスター”が遭遇したらしい修羅化カバリストとアイのゾンビの戦闘だ。


 戦闘、なのか。ここは解釈の余地があった。後始末のようにも考えられたし、ゾンビも修羅化カバリストも代えの利く存在である以上、試用運転の可能性もある。


 ――情報が足りない。


「調べよう。出来ることから、やっていこう」


 いくらか手を打って裏付けすれば、そこを弱点として突けるかもしれない。そう思いいたってから元の部屋の扉を開けた時、シェリル、アーリのほかに一人、立っていた。


「あら? 遅いお帰りですわね」


 人影は、嗤う。


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