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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
217/332

7話 死が二人を別つまでⅩⅨ

 昼過ぎに昼食を求めて街角をうろうろしていると、ベルに出会った。


「やぁ、ソウ。君今日は学校じゃなかったの……それ、何だい?」


「どうも、ベル。それって何?」


「だから」


 これ、とベルは自分の頬を指さす。総一郎は真似して自分の頬に触れ、そこにある熱を思い出した。「あー……」と気恥ずかしさを曖昧な声で紛らわせ、問い返す。


「目立つ?」


「とっても。痴話喧嘩でもしてきたみたいに見えるよ」


「いやー、ハハハ。ほっぺのモミジはフィクションの世界だけだと思ってたよ」


「いやだから、君の頬にそのフィクションとしか思えない産物があるんじゃないか」


「ハハハ……。なるほどなぁ、なるほど……」


「大丈夫か? ソウ。明日は君が主役なんだ。その前日に問題を抱えるのはやめて貰いたいな」


 訝しさ半分、心配半分と言った具合に心配してくるベルに、総一郎は手を振り首を振って否定する。


「いや、違うんだよ。君が危惧するようなことは何も起こってない。その、いろんな物事を清算して回ってるところでね。それはつまり、懸念材料をなくしてるところっていうか、つまり……そう! 明日への入念な準備を進めているところなんだよ!」


「ほっぺに真っ赤なモミジを作ることが?」


「それはまぁ、副作用みたいなもので……」


 言い訳にまごついていると、への字口で聞いていたベルは「君らしくはあるけれどね」と言った。それに、総一郎はキョトンとする。


「ソウ、君はいつもそんな風に飄々として風を装って、その実裏では物凄い葛藤だったり問題だったりに頭を悩ませている。その解決に痛みは必ず伴うもので、だけどそのモミジで痛みが済んでいるのなら、一時は親友と殺しあった君にしては上々なんじゃないかって」


「もしかして励まされてる?」


「もしかしなくても励ましてるつもりだよ」


 伝わりにくかったかな、と難しそうな顔をされ、総一郎は首を振った。


「いいや、何というかその、ちょっとビックリしたんだ。俺はあまり君には優しくできていなかったから、君から励まされるなんてって」


「ソウの優しく接する、と言う基準が分からないから何とも言えないけど、少なくとも君は私にとって誠実な友人だよ。たまに厳しい部分も含めてね」


「そっか」


 総一郎は噛み締めるように、「そっか」ともう一度繰り返した。それから少し考えて、「ベル、昼食がまだなら一緒しない? 奢るよ」と誘ってみる。


「いいの? それなら、是非ご相伴に預かるよ」


 ベルの快諾に頷き返して、総一郎は適当なレストランに入った。中華の店らしく、店全体に活気がある。


「中華か、懐かしいな。母国でもよく食べたものだ」


「カレーか中華が一番外れないもんね、イギリス」


「何を言うんだ失礼な。フィッシュ&チップスがあるだろう」


「でもお店で食べたい? あのどこ行っても油でびしゃびしゃの」


「……メイドが作ったのなら」


「さすが貴族。あ、二人でお願いします」


 ウェイターの案内に従って席に着く。アーリと行く店にあるような妙な献立はないので、適当に頼んだ。ベルが、「それで」と話しかけてくる。


「今日は、結局学校を休むのかい? せっかく出来た休暇なのに」


「いいや、行くよ。ただ午前はさっきの通り――このモミジ見ればわかる通り忙しくて。学校の用事は午後にまとめて済ませようって思ったんだ」


「そうなんだ。……ねぇ、ソウ」


「何?」


「私は、君のことを親友だと思ってるよ。恋人は生涯ファーガスただ一人だけだって決めてるけど、その次くらいに君のことを大切だと思ってる。君は友達が多いから、君にとって私はそうではないかもしれないけど……」


「……急にどうしたの?」


「何だか、今の君は危ういように見えた」


 総一郎は、口をつぐむ。


「立ち振る舞いはとても穏やかだし、紳士的だと思う。だけど、何だか決着を付けようとしているというか。すべてを終わらせてしまおうとしているというか……」


「こんなガヤガヤしてる店の中で、ずいぶんと重い話をするね」


 ベルの心配を、総一郎は皮肉っぽく一蹴する。その態度にベルは眉根を寄せ、言い返そうとしてくる。だが、総一郎はそれを許さない。


 ベルは友人だし、敵同じくする仲間でもある。だが、愛する人ではないのだ。そこに踏み入れていいのは、総一郎にとってたった三人。ベルはその中にいない。


「そういえばさ、ベルの最終目的は薔薇十字団の殲滅だったよね」


 アナグラムの揃えられた話題変更に、ベルは食らいつかないではいられなかった。目の色が変わり、「それが、どうかした?」とギラつく瞳で見返してくる。


「そんな怖い顔しないでよ。俺も踏ん切りがついたから、その報告を、と思ってね」


「報告?」


「うん」


 総一郎は頷いて、きわめて穏やかに、はっきりと告げた。


「俺も、全面的にその協力に動くよ。――もう躊躇う理由はなくなったんだ。俺もあいつらを一人残らず皆殺しにしてやろうって思ってね」











 上機嫌のベルと昼食をとり終わる頃には頬のモミジも消えていて、総一郎はベルと別れて一人学校へと向かっていた。


 学校につくとちょうど授業時間で、どうしたものかと考える。そういえば忙しくて全然授業に出席できていない最近だ。出席予定だった授業の様子を覗き、まだ自力で追いつける進度だと胸をなでおろす。この分なら勉強して出席具合も改竄すれば単位の取得は出来るだろう。


 将来のために高校くらいはキチンと出ておかないとな、などと考え、総一郎はそこでぴたと思考を止めた。しばし吟味して「せっかくもらった休日だからって、いつまでも日常気分でいるなよ、馬鹿馬鹿しい」と自嘲気味に教室の前から立ち去った。


 それからしばらく構内をさまよって、目当ての人物と会えないため壁に寄りかかって、さてどうしよう、と考えていた。仙文やヴィーなら食堂で待っていれば会えるだろうが、奴が現れるかは疑わしい。直接の連絡をしようにも、アドレスを知らないという始末。


 ぼんやりと校舎裏の人気のない場所を歩いていると、怒号が聞こえて総一郎は立ち止まる。トラブルの匂い。そして奴は、学校のトラブルの統治者のような存在だった。


 こっそりと歩み寄ると、案の定そこに奴はいた。グレゴリー・アバークロンビー。この街最強のヒーロー・ラビットの正体にして、明日、総一郎とともに主役を務める立役者だ。


 総一郎は状況を見る。そこにいるのは倒れる数人のヤンキーたち、JVAバッチを付けた一人の日本人。そしてその間に入るグレゴリーだ。


 総一郎は眉根を寄せて首を傾げた。イマイチ何が起こって訝しげなるのか分からない。喧嘩、あるいはいじめの仲裁だろうか。にしては人数の比率が合わない。何故たった一人の日本人が肩を怒らせていて、ヤンキーたちがグレゴリーの背に隠れているのか。


「これ以上はやめろ。アーカムでは魔法の私的利用は禁じられている。お前はこのままだと、喧嘩という枠を大幅に超えて警察の世話になることになるんだ。親が泣くぞ、やめておけ」


 諫めるようなグレゴリーの言いざまに、総一郎は訝しげな顔で観察を続ける。暴力だらけのお前が言うのか、と思った直後、一人立ち尽くす日本人が激しく反駁した。


「泣いてくれる親なんてもういない! この街でその警察に殺されたんだぞ!? むしろそこいる奴らを痛めつけてやった方が、ずっと草葉の陰で喜んでくれるさ! 腐った肉だの死にぞこないだのって汚名をそそいでくれたってな!」


 涙声ながら張り上げられた言葉は、ヤンキーたちを震え上がらせた。総一郎はなるほどと理解を示す。つまりあの不良アメリカ人たちは、日本人の彼にとっての虎の尾を踏んでしまったということらしい。


 そういえば、日本人は外交を知らないだのと言う格言があったなと思いだす。かつての英国首相チャーチルが口にしたらしい話で、『日本人は最後の最後まで渋らず譲歩してくれるが、ボーダーラインを超えると豹変して反撃してくる。その所為で軍艦二隻とシンガポールを失った』とか何とか。


 そういう意味では、昔も今も変わらないな、と思う。きっと侮辱やいじめを我慢し続けてきたのだろう。そして爆発した。こうなったとき、日本人は恐ろしい。


「もっ、もとはと言えばお前らジャパニーズがアーカムに来たのが悪いんだ! あの時は亜人だって少なくて、アーカムは安定してたって親父が言ってた! それがお前らは、昨日のミスカトニック川の祭りと言い、ゾンビと言い、警察との激突と言い、アーカムの治安を乱すことしかしない!」


 ヤンキーたちの一人が、たまらず反論する。それをグレゴリーが睨んで黙らせようとするも、一度言い出したら止まらない。


「お前らは侵略者だ! この街の文化を、俺たちの生活をお前らの色に染め上げて奪い取る侵略者だ! 俺たちのアーカムを返せよ! 魔法もJVAもなくなっちまえ!」


「この……!」


 日本人の彼がヤンキーたちに手をかざそうとする。グレゴリーは拳を振り上げ魔法を阻止しようとした。だが、アメリカ人の彼がそうしても禍根を産むだけだろう。


「止めなよ。彼に突っかかっても意味はない」


 背後から近づいた総一郎は、日本人の彼の手を力づくで降ろさせて、落ち着いた声音で諭した。彼は肩を跳ねさせてこちらを見る。それから、「え、あ、君、おじいちゃんの言ってた白羽さんの……」と指をさしてくる。


「うん。弟の総一郎だよ。ひとまず、ここは俺に任せてほしい。白ねえの名前を出すってことは、君も“そう”なんだろう? 大丈夫、君のご両親の名誉は俺が守るよ。だから、君はもうここから離れた方がいい」


「……。……分かった」


 短く頷いて、日本人の彼はその場から走り去っていった。目くばせするとグレゴリーも、「おら、テメェらが悪いんだろうが! さっさと家に帰れ負け犬ども!」と怒鳴りつけてヤンキーたちをはけさせた。日本人の彼とは真反対に走っていったし、この場はこんなものだろう。


「災難だったね。でも、君が殴って終わりじゃないのは少し好感が持てたよ」


「当たり前だ。親をバカにされて、泣いて覚悟決めようとしてる奴を問答無用、なんてできる奴は人間じゃねぇ」


「まったくだね」


 で? とグレゴリーは負け犬ヤンキーを追っていた目をこちらに向けた。総一郎がそれでも惚けると、面倒そうな表情になる。


「イチ、最近ろくに学校に来ないお前が、わざわざこんな人気のない場所までうろうろするなんざ、何かあったと思うに決まってんだろ。言え。少しなら手伝ってやる」


「……君、前々から思ってたけどツンデレだよね」


「あ? 何だそのTSUNDEREって」


 グレゴリーはツンデレを知らないらしい。日本から文化として伝わってないのか、今の時代までで死語になったのかは分からないが、「知らないならいいよ」と肩をすくめた。


「その、明日が本番だからね。一応軽く話しておこうと思って」


「ああ、何だオレに用があったのか」


 場所を移すか? と問われ、首を振る。そこまで腰を据えたくないという思いがあった。出来れば話したくない内容でもあるのだ。


「何だ、その顔。あれだけ暴れたウッドが、悩んだみたいに」


「悩んでるのさ。それに、ウッドは眠ってる」


「……起きる予定でもあるのか?」


「いずれね。でも、君の出る幕はないよ」


 出てきたら最後だ。と総一郎は校舎に寄りかかった。グレゴリーも横に並んで、「そうかよ」とだけ相打ち。


「それで、何を話しに来たんだ? まさか明日が不安なんて言わねぇよな」


「不安さ。君の助力があってなお、不確定要素がないかってずっと考えてる。休日も最後だっていうのにね。俺の場合は、動いてる方が悩まずに済むのに……」


「じゃあ、シラハはお前に悩めっていうつもりで休ませたんだろ」


 その割り切り方に、総一郎は呆気にとられた。それから少し空を見上げて腑に落ちる。


「そういう考え方もあるんだね。そうか、悩め、か。確かに悩んでこそ、間違った答えをいくつも出してこそ、人間は育つって気はするね」


「三日間休みだったって聞いてるが、どうだった。ヴィーが仙文から教えられたらしいが、日本じゃ『男児三日会わざれば刮目して見よ』ってことわざがあるらしいが」


「成長、なんて大きなことはなかったよ。でも、発見はあった。そうじゃなきゃ、今日も君を探して話そうなんて思わなかったかもね」


 そういえば、と総一郎は思いだす。


「前に迂遠に伝えた内容、覚えてる? 答えは出たかな」


「ん? ……ああ」


 そんなこともあったな、と言う。これは答えにたどり着いていないな、と総一郎は判断した。もし総一郎が白羽を“どう”傷つけたのか知っていれば、こんなぼんやりとした反応はすまい。とするなら、とこれからどうしたものか思案する。


 直後、目の前に拳があって総一郎は脱兎のごとく横に飛んだ。地面を滑って砂ぼこりが舞う。総一郎は急いで『闇』魔法を展開しようとして――すぐに、グレゴリーが本気だったなら、とっくに殺されていると思い至った。


「クッ、ハハハハハハハハハハ! イチ、お前ビビりすぎだ。そんなにオレが怖いか?」


「……!」


「おうおう、お前の悔しがる顔なんてそう見れるもんじゃない。ま、それで今は許してやる。殴ったりしねぇからこっち来いよ」


「いやだね」


 総一郎は睨みながら立ち上がる。それから、警戒を続けつつ「どこまで分かってるんだ」と問い詰める。


「段取り確認で諸々取り決めた後に、シラハに直接話した。イチが言ってた“シラハはお前にしか完全に心を許せない”の意味も分かった。オレの入る隙間なんてなかったと思った。これ以上は言わせるな」


 惨めになるだけだ。と言わんばかりの語り口だった。総一郎は、口をもにょつかせてグレゴリーを見つめる。


「それでいいのかよ、君は。随分とお熱だったくせに、諦めるのか?」


「イチ、オレはお前が何を言いたいのか分からん」


「……」


 考える。思考する。それは、困るのだ。グレゴリーに殺される心配がなくなるというのは大きいが、諦められるのは望んでいない。


 だから、言葉を練る。アナグラムを並べる。総一郎は、突きつけるように詰問を繰り返す。


「だから、いいのかって聞いてるんだ。君は今まで自分の独断と偏見で弱者の敵を定めて、自分の勝手な判断で打倒してきた。その根幹にあるのはエゴだろ? なのに、今回に限って何で『入る隙なんかない』なんて浮ついた言葉で逃げようとするんだよ」


「逃げちゃいねぇよ。ただ、オレと話しているときには絶対に浮かべなかったような顔を、シラハはお前の話をするときにはした。なら、そういうことだろ。具体的にどうこう、何てのは野暮だから聞かないが」


「はっ、言い訳だね。本当に相手の心が欲しいなら、そんな表情で悟った気になって諦めるなんてする訳がない。それでも諦めるなら、それはグレゴリー、君がウサギの名に恥じない臆病者ってことだ」


「今なんつった」


 総一郎の挑発に、グレゴリーは視線鋭く睨みつけてきた。一触即発の雰囲気。だが、総一郎はなおも煽るのをやめない。


「そうだろう? 君は『能力者』で、破滅のリスクが全くないところからしか戦わない。だから散々ウッドには裏をかかれて、“ハッピーニューイヤー”を許したんじゃないか。あの時君が阻止してくれていさえすれば、ノア・オリビアだって、俺だって」


 言葉が過ぎた。また八つ当たりするのか、と総一郎は自分の感情を精神魔法で制御下に置き、冷静にグレゴリーを煽りにかかる。


「そうだ。君は特級の臆病者だ。転生して、とてつもないパワーを秘めた身体能力を手に入れて、唯一あるリスクには必ず安全マージンを取る。それで救えない人が居るのは分かっている癖に」


「イチ、テメェ」


「違うかよ。お前が本気の本気を出して、破滅のリスクだって厭わなければ、助かった人はもっと多かったんじゃねぇのかよ!」


 総一郎が声を荒げるのに、グレゴリーは目を剥いて一歩下がった。アナグラムで呼び寄せた結果だ。だからこそ、さらに利用する。


「ほら! 君は俺なんかの怒りにすら一歩足を下がらせる臆病者だ! 散々ウッドをなぶって、確実に勝てる実力差を実感しておいて、君はなおも俺ごときを恐れている!」


「確実に勝てるだと? 馬鹿を抜かせ、途中からお前は掴みどころがなくなって、結局逃げ延びただろうが」


 ラビット戦でウッドの後釜を務めた彼だろうか。今は関係ない、と総一郎は追及の手を激しくする。


「だとしても、君が圧倒されたわけじゃない。逃げ延びただけだ。なら逆に質問させてもらうけどね、君は自分が勇敢だとでも思ってたのか? 活躍だけして安全圏からは決して出ない君が? ミヤさんに作って貰ったかっわいいーぬいぐるみの手足で戦う君が?」


「おい、馬鹿にしてんならその喧嘩買うぞ」


「馬鹿にされたくないんなら、自分が惚れた女くらい他人から奪う意欲の一つでも見せてみろよ。破滅のリスクを背負ってでも人を助けて、それでなお人を殺さず自分一人くらい守って見せろよ!」


 グレゴリーは、総一郎の食らいつく理由を見出せないがために、動揺しているようだった。だが、同時に困惑の中に煮えたぎるような怒りとエネルギーが渦巻き始めている。


 故に、総一郎は人差し指を突き付ける。困惑の膜を突き破り、グレゴリーをその膨大な力の元に突き動かすために。


「君は臆病者の卑怯者だ、グレゴリー。安全圏で出来ることしかしない君だから、傷だらけの俺たちを理解できないんじゃないのか?」


「理解できないことは、悪いことかよ」


「いいや、悪いことじゃないさ。だが、俺の言ってる意味がまだまだ全然伝わってないようだから、はっきり教えてやる」


 ――リスクさえ許容できないような小さな男だから、俺に白ねえを取られたんじゃないのか?


 総一郎の言葉に、グレゴリーは呼吸を止めた。それから、本当の意味でかつて総一郎が謎かけした意味を、この不愛想な美丈夫は理解した。


「……イチ、お前――いや、違う。あの時お前はウッドで」


「そうさ。あの時、俺はウッドだった。そして君に防戦一方でやられっぱなしで、逃げるしかなかった。その時“俺”の中で渦巻いてた感情は何だと思う。戦力的に全く相手にならなかった俺が、初々しい恋心を俺にさらした君に、何を望んだか!」


「……お、お前、まさか」


 グレゴリーの四肢が、震え始める。顔色が激しい感情に様々に入れ替わり、最後には真っ白になる。


 総一郎は、躊躇わなかった。


「君の考える通りだよ。ウッドは君を傷つけるために、白ねえを壊そうとした。その意味が分からないほど、君も子供じゃないだろう?」


 拳が握られる。かわす余裕も、逃げ出す時間も、そしてその意思も総一郎にはなかった。


 ボディーブローが総一郎の体を浮かせた。総一郎は絶息し、直後顔の横から迫り来たフックに地面を転がった。体中を砂まみれにして転がり、全身の震えを感じながら見上げたそこに、一人の男が立っていた。


「殺してやる」


 グレゴリーの言葉に、総一郎はあざ笑う。


「出来ないさ。出来るなら、一撃目で君はそうしてる」


 蹴り。総一郎はまた宙を浮く。だが、これらは児戯のようなものだ。怒りの鬱憤を、どうしてもぶつけずには済ませられないがための暴力。それは征服の為でも屈服を迫るためでもない。赤子が癇癪を起こして物を投げるようなもので、やはり児戯なのだ。


「クソッ、クソッ! イチ、テメェ、よくも、クソがァっ!」


 グレゴリーは顔を泣き顔寸前に歪ませながら、総一郎にひたすら暴行を加えていた。痛い、と思う。そして、久しぶりの感触だ、とも。痛みを伴う。リスクを背負う。だからこそ、得られるものがある。


 肉体的な疲れと言うよりも、感情の渦の激しさのために、グレゴリーは一分もしない内に息を切らして座り込んだ。それから力なく暴言を口にして目を覆う。


 総一郎は、そんな彼に容赦なく最後の問いを投げかけた。


「……ハハ、改めて質問するけど、グレゴリー。君、本当に諦めるの? 無理やり白ねえをモノにした俺なんかに、白ねえを託して諦めんの?」


「んなわけねぇ! テメェなんぞにくれてやるなら、オレが手を尽くしてでも奪ってやる!」


 言うが早い方たち上がって、グレゴリーはその場を歩き去っていった。その背中を総一郎は視線で追いかけながら、静かに呟くのだ。


「そうか……そうだね、それがいいよ」


 人を愛せば人になる。ならば人たる総一郎は、人を愛さずにはいられない。どんな形であれ、その幸せを願うのが愛であるならば。


「こんな方法を取れるような屑より、君の方がずっと幸せにできる」


 ミッション達成、と総一郎は生物魔術で自分の体を治療する。それから服を適当な魔法で清潔にし、足早に校舎から出た。


 言うべきことは言えただろう。これで、グレゴリーに関しては問題ない。明日顔を合わせた時ギクシャクしそうではあるが、そんなものいざ戦いが始まれば些事にすぎまい。


 自然と、手が自らの頬に向かう。思い出すのはそこにあった熱だ。ベルに指摘されたモミジはもう消えていて、鮮烈な記憶ばかりが残っている。気づけば、口元から笑みがこぼれた。白羽はとても苛烈で、情が厚い。だからと言って今朝の事件は色々と思うことがあるが。


 息をついて、目をつむった。ひとまず今できることはしたはずだ。あとは、向こうから訪ねてくるのを待つばかり――


 その時、空気が変わったのがはっきりと分かった。目を開くと、周囲の街並みが凍り付いていることに気が付く。噂をすればというか、総一郎が彼女のことを考えたタイミングを精神魔法的に察知しているのでは、と最近思う。干渉防御はしているはずなのだが。


「やっほ、総一郎君。最近お互い忙しくって会えないの、ボクすっごく寂しかったよ」


 いつだってナイは背後から総一郎に抱き着いて現れる。同時に香りだす睡蓮の匂いにも、慣れたものだ。


「登場がもう少し遅ければ、花屋に寄って睡蓮の花束を用意しようと思っていたんだけど」


「ふふっ、本当に君は逞しくなったね。もうボクが現れたくらいじゃ動揺もしてくれないんだもの。そういう意味では少し物足りないけど、宿敵としては期待してしまうよ」


 背後の気配が消える。様式美のように振り向いて彼女が居ないことを確認し、元の体勢に戻ると正面に立っていた。相変わらず、相手を惑わすような動きが好きだな、と可笑しく思う。


「それで? 決戦前日だから会いに来たんだけど、何だか言いたいことがありそうだね」


「ああ、うん。そうなんだよ。多分今日しか言うタイミングがなくてさ。だから、いい加減はっきりさせなきゃって」


「えー、怖いなぁ。総一郎君からも敵対宣言されゃう感じ? ボクからするのは良いけど、君からされるのは悲しくて泣いちゃ――」


「逆だよ。俺はね、ナイ。君を選ぶことにしたんだ。それを、君にはっきりと告げようと決めたんだよ」


「……えっ」


 ナイの顔から、いつもの余裕が失われる。冗談めかした態度も、何処まで嘘かほんとか分からない言い草も、その場からは消え失せていた。総一郎は、そこに何も思わない。虚実入り乱れる彼女に有効なのは、いつだって総一郎の覚悟だけだ。


「総一郎君、選ぶって何のこと? 誰の中から、どういう存在として選ぶのかが分からなきゃ、ボクはどういう反応をすればいいのかさっぱりだよ」


「俺の人生を形作った、俺にとって最も大切な、愛する三人。白ねえ、ローレル、ナイの中から、俺は人生の伴侶としてナイを選ぶ。俺が言ってるのは、そういう意味だよ」


「――――――――」


 ナイは、全身を硬直させ、総一郎を見つめたまま黙り込んだ。口は何かもごもごと告げようとするが、ナイはその感情を言語化できないでいる。


 だから、総一郎は一息おいて、ゆったりとした口調で告白した。


「……ナイ。俺は君と一緒に死にたい。白ねえと共に大義を成す未来も、ローレルと共に安穏とした人生を歩む道も、捨てる。俺は、君と共に地獄に落ちたいんだ」


「――ハハッ、君はまったく、何を言っているんだか」


 ナイはくるりと方向転換して、総一郎に背を向けながら、吐き捨てるように言い返す。


「総一郎君の魂胆は分かってるよ。君はね、保険を用意したいんだ。もしボクとの勝負に負けたとき、君の未来はとても悲惨だ。ボクは君に勝ったら君がご執心なものすべてを奪う。そしてそのことも君は知っている。だから、負けた時の保険が欲しいんだ。せめて白羽ちゃんやローレルちゃんが、殺されないように」


「そういう側面もあるね。それは、否定しないよ」


「ほらやっぱり! だからね、ボクは、ボクは騙されないよ。ボクは無貌の神の化身、人間の姿をとった完璧な彼の端末だ。君なんかの策略になんかハマらない」


「駄目、かな。君と共に行く地獄は、きっと寂しくないと思ったんだけど」


「……そ、そもそも契約が不明瞭なんだよ! 君はボクと一緒に死にたいなんて言うけど、それがどんな条件で、なんて一言も言っていないじゃないか! そんな不誠実な申し出、断る以外の選択肢がある?」


「なら、はっきりさせよう。俺は君に勝ったら、君と共にこの世を去る。だから君も、俺に勝ったとき俺と共に死んでほしいんだ」


 小さいな、と思う。言葉を紡ぎながら、ナイの背中がどんどんと小さくなっていくような気持になった。実際にそうかもしれない。ナイは、少しずつ背を縮めて震える体を抑えようとしている。


「ハ! お話にならないね! それで君はボクにメリットを示せたつもりなの? だいたい……!」


「うん。メリットなんてないよ。だからさ、これは交渉とかじゃなくて、プロポーズなんだよ。俺は君たった一人を選ぶ。君は俺の申し出を、不服なら断ればいい。それだけだ」


「それ、だけって」


 ナイの言葉に、ついに涙がにじんだ。総一郎は、少しずつ彼女に歩み寄る。


「そん、そんなの、信じられないね。ボクは君の運命を捻じ曲げ、不幸にした存在だよ? それが君に選ばれるなんて、出来損ないの悪夢さ。夢から覚めた瞬間に、生きているのが嫌になるくらいの」


「そうだね。君は俺の運命を捻じ曲げた。君が俺の不運の象徴なのかもしれない。けど、今の俺にとっては君しかいないんだ」


「何でさ! 君には白羽ちゃんも、ローレルちゃんもいる! ボクは、ボクは君から選ばれるなんて、絶対にないって――」


「白ねえは生きてこそ輝く人だ。ローレルは平和の中で幸せになるべきだ。そして俺は、罪を出来うる限り償ってから、死ねばいい」


 ナイの背中が、手を伸ばせば届く位置まで近づいた。近くで見ると、本当に小さな体躯だった。矮小で、脆弱な子供の体。なのに成長を止められ、無貌の神の勝手な思い付きのために身を粉にし続けた。


「あの二人は、俺には釣り合わないよ。白ねえはすごくて、すごすぎて、眩しすぎる。白ねえの横に俺は居るべきじゃない。白ねえと一緒に居ればいるほど、俺は自分の罪深さに死にたくなる」


 ナイに触れた。僅かに肩が跳ねたが、抵抗はなかった。後ろから抱きしめる。その小さな手が総一郎の腕に触れる。


「ローレルは、精神性が清すぎる。俺や白ねえとも違って、何の罪もない。ただまっすぐで、無垢で、白ねえとは別の意味で生きる世界が違うって思う。俺はあの二人を愛してるけれど、一緒には生きられない。俺はそもそも、生きているべきじゃない」


 ずっとずっと、死にたかった。総一郎は、今まで誰にも言わなかった本音を吐露した。


「生まれてくるんじゃなかった。転生なんかするんじゃなかった。でも生まれてきてしまって、この生に何か意味があるんじゃないかって疑って。だから、意味のある死に方をしたかった。生きているのが素晴らしいと思えたのは、日本にいた幼い頃だけだ」


「――総一郎君、ボク」


「違う。君のせいなんかじゃない。君にこの罪を背負ってもらいたいなんて思っちゃいない! 全部全部、俺のせいだ。俺の責任だ! だから、俺の意思で死にたいんだ。俺の望む死に方をしたいんだ。でも俺は我がままで寂しがりでッ」


 言葉に詰まる。喉につかえたものを、吐き出すようにして叫んだ。


「一人で、死にたくないよ……ッ!」


 ナイを抱きしめる手は、いつしか縋り付く手に変わっていた。震えているのは総一郎だった。


「でも、こんな我がままが許されていいなんて思えないんだ。俺なんて一人で孤独に死ねばいい。暴れて、向かってくる多くの人を容赦なく殺して、何の罪もない人たちを酷い目にあわせて、八つ当たりだなんて開き直って! 何で今も生きてるんだよ。今すぐ死ねよ! でも、何も解決しないで死ぬなんて無責任で、だから今すぐには死ねなくて……」


「……」


「俺は、君に勝ちたいんだ。君は俺の罪を自分の力にして、俺に挑んできた。それは俺を動揺させる作戦にすぎないのかもしれなかったけれど、とてもありがたかったんだ。曖昧で、どうすれば良いのかも分からなかった贖罪を、君が明確にして敵として引き連れてきてくれた。だから俺は君に勝ったとき、やっと責任を果たして、俺自身の死を許すことが出来るようになるんだって」


 総一郎はまくし立てて吐き切った息を整えて、ナイに本心を告げた。


「だから、このプロポーズは、受け入れられなくてもいいんだ。ただ、俺は絶対に君に勝って、そのときに俺も死ぬ。ナイ、君は俺と同じで死ぬべき人だ。多くの人間の人生を狂わせた悪人だ。でも、だからこそ俺には心地いいんだ」


 ナイが振り返る。その幼い顔は、涙に歪んでぐしゃぐしゃだった。だが、そこに浮かぶのは笑顔だった。歪で、破綻していて、それでも包容力を湛えた微笑みがあった。


 ナイの人生を思う。無貌の神の思い付きで真っ黒に塗りつぶされた、彼女の人生を。


「ナイ、俺は君と一緒に死にたい。地獄に落ちるときの相棒には、君以外にあり得ない。だからどうか、俺と一緒に死んでもらえないかな?」


「―――――……仕方ないなぁ。総一郎君はボクのことが大好きみたいだし、仕方ないから一緒に死んで上げるよ。たとえボクが勝っても、一人で死ぬのは寂しいでしょ? それを、プロポーズを受け入れられなくたっていい、なんて見栄張っちゃってさ」


「うん、ごめん嘘ついた。一人で死ぬのは、死ぬほど寂しいよ」


「もう、しょうがないんだから」


 涙をぬぐって、ナイはくしゃっと微笑んだ。それは苦笑交じりで、今までにないナイの表情で、だからこそ純粋で。


「でも、いいよ。一緒に死のう? 総一郎君。ボクも自分の意思なんかあったのかなかったのか分からないような人生だったけど、君と過ごした時間だけは、ボクがボクらしく在れた気がするんだ」


 ナイは背伸びをして、総一郎にキスをした。柔らかくてしょっぱくて、涙の味だと思った。


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