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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
216/332

7話 死が二人を別つまでⅩⅧ

 夕暮れ時まで、ずっと問答をしていた。


「となると、NCRは現状室内に使用は限られる形になるのですか?」


「必ずしもそうはならないよ。ただ、撃退用として稼働する際には室内の方が無難っていう事になってるんだ。日本人の雷魔法の応用で、完全に原子間のつながりを失わせるものがあるからね。費用対効果のほどを考えると、どうしても私有地内に設置が制限される」


「つまり、そういった被害に遭わない個人的な使用に限れば個人でも、ということですか」


「うん、そうなるね。実際友達も数キログラムは携帯してるらしいし」


「でも、個人での売買を完全に認めるのは問題ではないですか? 少量なら便利なだけですけど、物量を集めれば大量破壊兵器を市井に明け渡してしまう結果になるのでは」


「それに関して色々と議論はされてるんだけどね――――」


 アーカムの最先端のロボット工学に興味があるといった言葉は確かな事実で、ローレルは総一郎の議論に食いついては鋭い疑問を投げかけてきた。こういう話を出来る相手は同い年だとかなり貴重だ。最も話し甲斐があるのはワグナー先生や図書だが、前者は多忙だし後者は家にいるとき仕事の話をしたがらない。


 話が一段落したところで、二人は外の日の角度がおかしいことに気付いた。体感で一時間も話していないのに、図書館に差し込む日の光が赤く色づいている。時計をみるととうに五時を回っていて二人そろって驚愕に声をあげた。


「……どうします?」


「そろそろ閉館時間だし、いったん出よっか」


 音魔法の防壁を解いて、本を片付けて出た。司書さんが二人を妙な目で見ていたが、恐らく口パクで激しい議論を交わす二人を見ていたのだろう。読唇をしあう謎の論客とでも思われたか。


 外に出ると、ローレルは肩が凝ったのか慎ましやかに伸びをした。まるで小さな子猫のような伸びだ。この辺りは性格が出るな、と総一郎も伸びをする。それから、相談を持ち掛けた。


「まだ夕食には少し早いけど、もう向かう?」


「いいえ、今日は少し見ておきたいイベントがあります。そちらに向かいましょう」


「イベント?」


 歩き出したローレルの後を追いながら、総一郎は尋ねる。「はい」と楽しみなのを隠しきれないような笑みを浮かべて、彼女は語り始めた。


「ミスカトニック川の南側で、季節外れの鎮魂祭をするとSNSで回ってきまして。ジャパニーズの皆さんが、故郷のお祭りを再現するんだそうです」


 その説明に、総一郎は思うところがあって、「ああ……」とあいまいに頷くばかり。その反応にローレルも気づくところがあったらしく、一瞬目を剥いてからしょんぼりと謝ってくる。


「ごめんなさい。……気遣いが足りてませんでした」


「ん、いや、大丈夫だよ。俺の身内はアーカムの墓に埋まってないから。ただ、……こういっては何だけど、日本人は逞しいね」


「そうですね、自画自賛みたいになっちゃいます」


 ローレルはくすくすと笑う。それに総一郎も笑い返して、頷いた。


「そっか、鎮魂祭か。それは是非とも行かなくちゃいけないね」


「はい! ……ちなみにどっちに行けばいいでしょうか」


「君ってもしかして方向音痴だったりする?」


 しません、と何故か断固否定するローレルをからかいながら、二人はのんびりと歩いた。学校からミスカトニック川は近い。十分もしない内にたどり着くと、何だか見慣れた赤白の縞々模様が見えてきた。


「おぉ」


 白羽が言っていたのはこれか、と総一郎は懐かしさに感じ入るものがある。故郷のあつかわ村は古来の妖怪が多いだけあって、境内で行われる祭りは、それは盛大なものがあった。何から何まで子供を楽しませる為で、図書などは運がいいのか悪いのかすでに持っているゲーム機をくじで当てていた。白羽が欲しがったのでそのまま白羽の物になった。


「すごいですね。何ていうか、ザ・ジャパニーズ的と言いますか」


 北米の地方都市に突如として現れた日本然とした祭りに、ローレルは奇妙ながら興奮した面持ちで言った。だがどこに行き何をすれば楽しめるかは分からなそうだ。カバリストならアナグラム解析に駆ければ一発だが、それは情緒がないというものだろう。


「ひとまず端っこまで行こうか。一つ一つ案内してあげるよ」


「えっ、でも今回は私の恩返しで」


「その前提結構形骸化してるし、あんまり気にしなくていいよ。たまたま暇なタイミングが一致したから、一緒に遊んでる。今はそれでいいんじゃない?」


「……じゃあ出店でお財布は開かせませんからね」


「そこ拒否したら君明日も会いに来そうだよね」


 言うとぷふっとローレルは吹き出した。「私の事よく分かってますね」と少し恥ずかしそうに笑う。分からないものか。分からないでいられるものか。だが総一郎はただ「人を見る目があるからね」と肩をすくめるにとどめた。


 屋台に囲われた道に入り込むと、早い時間ながら活気に満ちていた。居るのは日本人ばかりで、気合を入れて浴衣を着ている人々も多い。とはいえ飛び入り的に参加するアメリカ人も少なくないようで、屋台のおじさんの説明を興味深そうに聞いていたりする。


 ローレルはその様子に感心してから、顔を少し上げてクンクンとし始める。屋台から漂ってくる香りに気付いたらしい。


「いい匂いです。ちょっと嗅ぎなれないですが」


「ソースの匂いだなぁ。ああ、おなかが減ってきた。本当に奢ってもらっていいの?」


「正直使い切れなくて持て余していたんです。あなたくらい小食の方なら、私の食費の方が掛かっちゃうんじゃないですか?」


 小食、と首を傾げて、昼食時にした言い訳を思い出す。フィッシュ&チップスだけで食べ過ぎだの気分が悪いだのと誤魔化した思い出。よくよくローレルも人を見てるな、と思いつつ、一つの発見もあった。


 それは、どうやら彼女は総一郎との会話でカバラを使用していないのでは、というもの。必要な時以外は使わない主義なのだろうか、と考えつつ「あれは朝ごはんが極端に多かったんだよ」と侮っては困ると言外に伝えた。


「おや、ということはこれから始める食べ歩きに支障はないと、そう捉えてもいいのですね?」


「もちろん。人並み以上にはつめ込める自信があるよ」


「ではこの出店すべてで一つずつ買いますから、分け合いっこしましょう。私は小食なので一口食べられれば十分です。さあ! いざ美食の旅へ!」


「それ遠回しに俺残飯処理係に任命されてるよね?」


 指摘するもすでにローレルは一つ目の出店で財布を開いてお札を取り出している。その中身はなるほど、持て余すとの言葉は嘘ではなかったようで、かなりの量の札束がそこに詰められていた。カバリストは一体何のためにそこまでの金をローレルに。


 屋台の看板を見るに、そこはたこ焼き屋さんのようだった。何年ぶりだろう、と思いながらちょっと駆け足気味に返ってきたローレルより一舟受け取る。


「ではお一つ。ん、んん、ん……!」


 一つ口の中に放った彼女は、僅かに熱さに身もだえしてから、その味に感動したように目を細めた。その美味しそうな反応に「初の日本料理はどう?」と聞きながら、総一郎もパクリ。おお、これこれ。と懐かしい味に思わず顔がとろけてしまう。


「なるほど、ジャンクな味ですが、これはとてもいいものですね。このソースは家庭用にあれば使いやすそうです。マーマイトよりも人を選ばなそうですね。中はトロっとしていますが、中のこの……コリコリプリッとしたのがアクセントになっていて。これは一体何でしょう」


「タコだよ。タコが中に入ってるから、たこ焼きっていうんだ」


「デビルフィッシュ!? 私今悪魔を食べたんですか!?」


 目を丸くするローレルだが、総一郎にとってはマーマイトも同じようなものだ。「でも美味しいでしょ?」と言うと「確かに……!」と驚きを隠しきれない顔でじっとたこ焼きを見つめている。結局ローレルはもう一つ食べて、「悪魔は食べれますね」という結論に至っていた。


 そんな風にして、総一郎とローレルは出店巡りを始めた。ローレルは一部分食べたら満足して次の店に向かってしまうため、総一郎の手の中には常に五種類は何かしらの食べ物がある状態が保たれていた。


 総一郎としてはそんな彼女の様子が意外だったが、食欲というよりも興味に任せて動いているのかと気づいて納得した。ローレルは総一郎が数少ない『好奇心の犬』として同類に見た相手だ。カバラでの聖神法分析にみせたあの熱意を食に向けたらこうなるのだろう。


「見てください、こんなのもありましたよ! 焼き菓子でしょうか。何だか可愛らしいキャラクターのようにも見えます」


「ARFカステラ……?」


 デフォルメされた天使の羽だったり、炎を背景にした豚の巨漢だったり、犬の模様が入った銃のカステラがそこにあった。身内がカステラになっていると言うのも妙な気分だが、特筆すべきは狼男の頭だけのカステラがあることだ。唯一の脚色なしである。


 屋台の方を見ると、先日のイースター会食で挨拶した構成員がそこにいた。軽く会釈すると、「オマケしときましたんで!」と端的に告げられる。ARFのみんなは基本的に気がいいのは素晴らしいことだよなぁと思いつつ、こちらも感謝の一礼。


「では、もぐもぐ、次に行きましょう」


 そして目を離した隙に頭を半分かじられるウルフマン。ローレルの小さな口では一口に入らなかったのだろう。歯形が付いて無残なことになっている。Jは何処でも扱いが変わらないな、と思いつつ、ローレルに一言伝えた。


「そろそろ俺の両腕のキャパシティが超えそうだから、少し休ませてほしいかな。最初しか食べられてないんだ」


「むっ、すいません夢中になってました。そこの店の列が途切れているところで少し休みましょう」


 道をそれて、二人で川沿いの草むらに座り込んだ。座るには支障ないが、草の背が高く食事を置くのには向かないな、などと考えて手をうろうろさせていると、横からローレルが一つタッパーを取っていく。それに礼を告げようとしたところで、彼女は一つたこ焼きを差し出してきた。


「……これは?」


「手がふさがっていますから、お手伝いです」


 納得と困惑が同時に押し寄せてきて、総一郎は口をもごもごさせた。何か言おうとするが、言葉にならない。「早く口を開けてください」と催促されると、その通りにするしかなかった。


「はい、あーん、です」


「あ、あーん……」


 口の中にたこ焼きが運び込まれ、日本の屋台らしいパンチのきいたB級グルメの味が広がる。美味い。美味いのだが。


「はい、次です」


 少しおかしそうに口元をほころばせて食べ物を口に運んでくる彼女は、記憶を失っているはずだよな、と総一郎は動揺しきりだ。記憶喪失以前のローレルなら、理解できる積極性。だが目の前の彼女は、そうではないはずなのだ。


 事実総一郎はアナグラムを調整して、お互いに名乗り合うタイミングを作らずここに及んでいる。もし万が一名を呼ばれたら、カバリストは制約を破ったことが分かるから。だがローレルはそんな素振りも見せないで、以前のような距離感で接してくる。


 記憶は戻っていないはずなのだ。だからこそ、総一郎は戸惑っている。まるで会えない期間を一日で埋めあうような穏やかな逢瀬に。口に食べ物を運ばれながら。


「あの、もう片手空いてるから」


「つれないこと言わないでください。にしても、食べさせる、というのはなかなか面白いものですね。相手の反応を見たときの感じが料理に似ています」


「どういうこと? むぐ」


「相手が美味しそうにすると、こちらも嬉しい、ということです」


 そう言われると、この鳥の親子めいた給餌に文句を付けにくくなる。結局全部ローレルの手で食事を済ませられ、総一郎は口端を少しソースで汚しながら諸行無常の顔をする。


「さぁ、まだ行きますよ」


「ちょ、ちょっと待とう? まだ買うの?」


「最初いっぱい食べられると豪語していたではありませんか」


「いや、食べられるけどペースってものがあってだね……。つまり」


 総一郎は周囲を見回して、食べ物以外の出店を見つけた。そこへ向けて指をさす。


「そっちに遊ぶスペースがあるから、そっちも見てみようよ。日本の祭りってのは食べ物だけじゃないからね」


 ローレルが指に従って視線を向ける。その先にあったのは輪投げだ。ド定番だが、ローレルには新鮮だろう。


「あれはいったい何を?」


「輪っかを投げて、欲しいものに引っかかれば貰えるんだよ。手前は簡単だからちょっとした小物を置いて、逆に難しい、あ、ほら、奥の方なんか……ARFフィギュアが……」


 またもや運営の人はARFの構成員である。総一郎を見つけて、おっ、という顔をした。総一郎としては商魂たくましすぎないか、と少し唖然としてしまう。いくら有名で人気だからって、自分の組織の幹部、つまり上司のフィギュアを作って売るものだろうか。


「っていうかラビットとウッド……!? 本当に? どんな度胸なんだ?」


 ラビットはギリギリ分かる。ARFの所属とバレない限りは、グレゴリーもお目こぼしだろう。だがウッドである。自分のフィギュアがあるのだけでも少し複雑だが、ウッドは現状偽物が出ていたりするし、まだこうやってネタにするには早すぎるのではなかろうか。


 おお、とフィギュアの精巧な作りに感動するローレルをさておき、総一郎は構成員の人にこっそりと尋ねた。


「流石にウッドのフィギュアはやりすぎじゃないですか? っていうかそれでいえばこの祭り自体、ノア・オリビアにとっては格好の獲物と言いますか」


「その辺りは大丈夫ですよ。資金集めの側面もありますが、この祭りの運営はJVAとARFの共同ですから。この街最大の戦力が並び立って守ってるのが現状です。ここから一キロ先にゾンビが確認されたのが一時間前だそうですが、すでに対処済みで悲鳴の一つも上がりゃしません」


 で、やっていかれますか? とにやりとされ、総一郎が頷く前に「もちろんです」とお札を渡す手が背後から伸びてくる。二人分の代金が支払われ、少年少女にそれぞれ五つの輪っかが渡された。


「ま、気楽にやってください。この出店はあらかじめ『赤字が出てもいい』って許可出てるんで、奥のフィギュアも難しいですが取れるようになってますよ」


「ヤクザなことはしていないってことですか」


「各自勝手に出してる店じゃないんでね。少しくらいこういう店があっても、客寄せで全体としてはむしろ儲かるってんで」


 この辺りの手腕は流石の白羽と言ったところか。通行人を見れば、大きな紙袋を抱えて嬉しそうにする子供の姿も散見される。その袋にはデカデカと最新機種のゲーム機が印字されていた。なるほどあの姿を見れば、新たに食いついて祭りに参列する客も多かろう。


「よそ見してていいんですか? もう勝負は始まっているんですよ?」


「勝負なの今初めて聞いたけど」


 ふふん、と勝気に笑うローレルを見つめていると、次第に照れ臭そうに顔を背けてしまう。「あんまり見ないでください」と言いながら輪っかを投げた。当然のように一番遠くにあったファイアーピッグを捕まえる。他の四つは適当に可愛らしい小物を捕まえていた。


「おお! お嬢ちゃんすごいね! そいつはいっちばん遠いし横幅があるしで難しいはずなんだが」


「ま、まぁ、私にかかれば、こん、こんなものです。さぁ、あ、あなたの番ですよ」


「恥ずかしいならやらなきゃいいのに」


「だってずっとよく分からない話してるんですもん! ……ほら、あなたの番ですよ」


 そういうとこ不器用だよなぁ、と総一郎は笑ってしまう。昔からローレルは、ちょっとの茶目っ気を出したがった。関係が以前よりも遠い今だからこそ、それを恥ずかしがる姿も見られる部分はあるが。


 少し拗ね気味に渡された輪っかを持って、総一郎はどれを狙おうと考える。奥の方にARFのフィギュアが集まっているが。手元の輪っかは五つ。ふむ、と思案する。


「白ねえは確保決定。アーリとシェリルも取りたいな。あとはJと……ラビットを取ってグレゴリーに嫌がらせでプレゼントするのも面白そうだけど」


 最後の一人は、やはりウッドだろう。偽物を暴き立て、また眠りにつかせるという意気込みを込めて総一郎は同時投げ。アナグラム調整のなされた輪っかはすべて思い通りに飛んでいき、それぞれを確保した。


「……ま、負けました」


「ちょっ、それは困りますよ。いきなり大目玉がほとんど消えるのは……」


 ローレルの敗北宣言が聞きたかっただけなので、総一郎は「あの捕まえた分で、結局獲得者が出なかったものだけ後日送ってください」とだけ言った。それはそれで出店側が申し訳ないということになって、総一郎はひとまずウッドだけ受け取ることに。あの暴れん坊は多分一番人気がないだろうから。


 というか他人に自分のフィギュアが取られるのはどんなリアクションでも嫌だったので、確保して大事に奥にしまっておこうと思う。


「ぐむむむむ……、油断しました。一つ目玉を取れば勝ちが決まると思っていましたのに……」


「そう言いながら他の全部は君の欲しいもの取ってるよね」


 ファイアーピッグ以外は可愛らしいマスコットキャラクターや、手慰みに遊ぶのにちょうどいいおもちゃばかりがローレルの手の中に納まっていた。ローレル的にはフィギュアはあまり食指の動くものではなかったのだろう。


 ARFマニアの図書なら食いつくだろうが。というかあの兄貴分は最近家に出入りしている連中がARFの幹部だと知ったらどう思うのか、と今更に考える。ウルフマンとかは正直言い訳しようがないので、もしかしたらバレてるのかもだが。


 そんな一幕の後は、また二人で出店巡りに戻った。先ほど通りローレルは見境のない子犬のように食事を買っては少しつまんで総一郎の手に載せる。ただ小休止を入れるのではなく、細かく総一郎の口に焼きそばだったり串焼きだったりを詰め込む作業を挟むようになった。


 おかげで気分は甲斐甲斐しい親鳥に飼育される雛鳥が如くである。親なのか子なのかはっきりして欲しいところだが、ローレルは目をキラキラさせてこれが美味しいだのこれは私の方がうまく作れるだのと、好き勝手言っては慎ましやかにおかしげに笑っているのを見ると、何だか色んな事がどうでもよくなった。


 気づけば太陽もすっかり落ちていて、夜の祭りという雰囲気が川沿い全体に漂いだしている。総一郎たちはだいぶ満腹になっていて、再び川のほとりで春の夜の風を浴びていた。


「いやー、夢中になって遊んでしまった」


「ふぅ、お腹いっぱいです。しかし、私の五倍以上もよくお腹に収めましたね。お腹の中にブラックホールでも入ってそうです」


 『能力』は確かにブラックホールだけどね、という要らないことは言わないで、総一郎は「運動量が違うからね」と肩を竦めた。するとローレルはこちらを向いて尋ねてくる。顔の動きにつられ、小さな三つ編みが揺れた。


「日ごろは何をしているのですか?」


「うん? んー……運動で、だよね。何て言えばいいかな、説明が難しいんだけど」


 まさか敵対組織に強襲をかけているとは言えないので、総一郎は毎朝の日課の話をする。


「剣道、っていうスポーツをやっててね。剣道をスポーツ扱いするのは一部から文句が出そうだけど」


「聞いたことはあります。ジャパンの伝統武芸ですよね」


 正確には、父から習ったのはあくまで剣だけだ。格式に対する礼儀よりも、痛みを始めとした様々なことに対する耐性を付けられた、という気がする。実際それは、イギリスの地でずいぶん役立った。剣を握った瞬間、視界がぱっと晴れたのは忘れられない。


「幼いころからずっと続けててね。もう生活というよりも、体の一部と言った方がいいくらいなんだ。そういえばここ数年、剣を振らない日はなかったかも」


 ウッドを除けば、という言葉はもちろん省く。


「すごいです。それだけ熱心になれることがあるって、いいですよね。人生を大きく彩ってくれる。そう思います」


「君も何かしら嗜んでそうだよね。でなきゃそういう実感のこもったことは言えない」


「ふふ、そうですね。ここ数年間、ずっとそれに従事していましたから。でも、それ以上褒めたらダメですよ。調子に乗りやすいんです、私」


「実は初めて会った時から好きだったんだ」


「むぐっ、ゴホッゴホッ!」


 からかいがてら愛を伝えると、ローレルは真っ赤になってむせ返った。緊張の面持ちで見つめてきたから、にんまりと笑いかけるとぽかりと叩かれる。


「そういう冗談はいけませんよ! 相手の心を傷つける冗談です」


「うん……、うん、ごめんね。俺の方が少し調子に乗ってたみたいだ」


 やり過ぎた、と思う。ローレルとは今日を最後に、縁を切る予定でいるのだ。それをこんな、口説くような真似を。総一郎は自分を制御できていない感覚にこぶしを握る。


 確かに今日だけだと決めた。だからといって、今日の内なら何をしてもいいということではない。今日の内は一緒に楽しんでも、明日には忘れられている。そんな関係性を目標にしていたはずだったのに。


 したくないとは思っていたが、別れ際にローレルの記憶をもう一度奪っておく必要があるかもしれない。彼女と行動を共にするのが楽しすぎて、幸せ過ぎて、きっと総一郎はまたこんな逢瀬を求める。だが、相手から記憶が消えていれば、消してしまえば、望みも。


 そんな総一郎の集中を打ち破るように、空から轟音が響いた。ノア・オリビアからの敵襲を疑って、すぐに勘違いに気付く。


「わぁ……!」


 空に花開いた円形の花火に、ローレルは感嘆の声を漏らす。花火は広がりながら七色に変化して、静かにその姿を空から消した。それが何度か。ミスカトニック川の向こう岸から打ち上げられているらしいそれらは、何度か空に存在を轟かせては消えていく。


 これが終わったら、ローレルと別れよう。総一郎はそう決めた。今回の逢瀬は、総一郎にとってまるで花火のようだった。花開くような幸福な時間は、短いながらその心に残滓を置いて消えていく。それでいい。それがいいのだ。それで終わるから、総一郎はまた明日から罪を償うために暗躍できる。


 たくさんの人を殺し、多くの人の人生を狂わせ、それでなおここに幸せがあるなど奇跡以外の何物でもなかった。祭囃子は総一郎の心を表すかのように揚々と音を大きくし始め、そのリズムに乗って花火が盛大さを増していく。


 川沿いのこちら側から、空に向かって飛んでいく光の残像があった。ドローンと気づくまでに時間はかからない。それらがまるでUFOのように花火の周りを光の帯で盛り上げ、総一郎の前世より遥かに進化した花火の模様がそこに形成されていく。


 川の向こう岸から巨大な噴水のように上がる火柱。円形に空に現れる花火、それをささやかながら変幻自在に模るドローンの光の帯。それらの組み合わせは、まるで巨大な光の花束を見ているような気持ちにさせられた。


 そこにあるのは、もはや何もかもを置き去りにした感動だ。総一郎さえ言葉をなくして空に咲く火の花束に見入るしかない。現世はこんなにも花火も発展したのだ、と大口をあげて空を見上げる総一郎に、横から声が掛かった。


「え、今何か言っ――」


 この世界から祭囃子と花火以外の音を奪い去るような音の洪水の中、辛うじて耳にした声に総一郎は振り向く。そして何事かを尋ねる唇は、物理的に塞がれた。


 眼前にあったのは、リンゴのように恥じらうローレルの顔だ。最初は何が起こっているのかも分からなくて、総一郎はぽかんと彼女からの口づけを受け入れるしかなかった。だが、数秒して事情が変わった。ローレルの表情は恥じらう乙女の精いっぱいの勇気から、切なさに零れだす涙に変わった。


 ゆっくりと、唇が離れる。ローレルにはもはや恥ずかしさなどなくて、ただ悲しさと愛を求める飢えばかりがそこにあった。


「……何で」


 ローレルは、言葉を紡ぐ。怯えるように、すがるように。


「何で、私を置いていったのですか? ソー……!」


 草むらに押し倒される。次の口づけは激しかった。唇からローレルの舌が割り入れられ、彼女の頬を伝う涙が総一郎の頬に落ちてくる。そして、理解した。ここで何が起こっているのか。精神魔法。それも、電脳魔術を最大限に利用した高度なそれがローレルとの間に交わされている。


 ローレルの記憶を、総一郎は破壊した。絶対に蘇ることの無いように。その可能性をなくすために。だが、総一郎は彼女への愛までは失ったつもりはない。そのために救われた命だ。人の心だ。だから、総一郎だけはローレルとの記憶を守り抜く。


 “それ”を、今ローレルは転写していた。総一郎が覚えているローレルの記憶を電脳魔術よりコピーし、カバラで観測のズレと心理状態を自分の性格から解析しなおし、再配列し、限りなく真実に近い形でローレルは総一郎から自分の記憶を取り戻していた。


 ずるい、と思う。卑怯だ、と思う。ローレルとキスを交わしながら、彼女を愛おしく思わないでいられるものか。その気持ちさえアナグラムに変えられて、ローレルの記憶の再構成に利用され、ローレル自身の愛に変換されていく。


 唇が離される。夜空でまた花束が咲く。細い涎の糸がその間に橋を架け、花火の光に二人は影となった。ローレルが馬乗りになって体の自由を奪う以上、総一郎は荒く息をつくしかない。圧し掛かりながら、ローレルは問い詰めてくる。


「私は、私はあなたにとってそんなに重荷でしたか? 記憶を消してまで遠ざける必要が、本当にありましたか? 確かにあの時の私は弱くて、あなたの手助けを何もできませんでした。でも、それでも、私はソーの傍で、ソーを支えたかった……っ」


 潤んだ瞳で見つめてくるのを、総一郎は受け止める。


「私を嫌いになったのなら、そう告げてくれればよかったんです! でも、あなたは決してそうは言いませんでした。今日だって一緒に過ごして、少し強引に誘ってもソーは応えてくれて、私、どうすればいいのか分からないです。ソーと一緒にいたいです。少しでも力になりたいです。あなたは、あなたは私のことをどう思っているんですか? 記憶を消して、なのに今日はこんなに優しくて、私」


「……今記憶を取り戻した方法は、俺の感情を、ローレルを原因とした方法で強く揺らす必要があった。つまり、手をつなぐとかじゃ足りない、それこそキス以上の方法しかなくて。――でも記憶をなくしたローレルにとって、俺はほとんど初対面だったはずだ」


 ローレルの顔に、記憶を取り戻す前のような恥じらいが走った。それから、やけくそとばかり言い放つ。


「記憶を失ったところで、私があなたを好きにならない訳ないじゃないですか! この数年間で、初めてだったんです。誰かを見て、その、恋に落ちるだなんて。それも、まさか、一目惚れなんて……」


 だんだん尻すぼみになる語気に、間違いないと思う。彼女だ。総一郎がかつて愛していて、今でもこの世で最も大切な人の一人である彼女。ローレル・シルヴェスター。その類稀な慈愛の心で、総一郎に人間らしい生き方を取り戻させてくれた人。


「だからきっと、この人なんだって思って、キスをしたんです。すっごく恥ずかしかったです。でも、きっとそうに違いないと確信があったから」


 愛している。ずっとずっと、ローレルを。一緒に行きたいと思った人だ。二人で共にありたいと願った人だ。


「そうやって、私はあなたを見つけ出したんですよ、ソー。なのに、記憶を取り戻して、分からなくなったんです。ソーは私にとても優しかった。愛してると言ってくれた。けれどあなたは記憶を失う寸前私を遠ざけ、かと思えば危険を冒してまで助けてくれて、結局私の記憶を粉々に破壊しました。私は、もうあなたが分からないです。こんなにあなたを愛おしく思うのに、私はどうすればいいのか分からないんですっ……」


 また零れだした涙は、もはや頬を伝わず直接総一郎に降り注いだ。総一郎の顔面に点々と涙の跡が残る。それは一種の芸術のように、総一郎の心を浮かび上がらせる。


「愛してる。今でも、ずっとずっと、愛している」


 総一郎の口が、ローレルへの愛を語る。ローレルは目を見開いて、歓喜にその顔をほどこうとして、強張った。


「そうだ。俺は、ずっと愛していたんだよ、ローレル。君を、君だけは幸せでいてほしくて、この気持ちは好きなんて言葉じゃ足りないんだ。君の幸せが第一になるくらいで、そこに俺がいる必要はなくて」


「ソー……? 何で、何で泣いてるんですか? 私は、幸せになるならあなたと一緒が」


「だからこそ、憎くて仕方がない。ローレルの気持ちを利用して、俺を御そうとする薔薇十字団が。はは、ベルの気持ちが、今ならわかるよ。何度殺しても足りない。生まれたことを後悔するくらいに苦しめて殺してやりたい。この気持ちが、今ならわかる。分かりすぎるくらいにッ!」


 総一郎の怒声に、ローレルは身を竦ませた。総一郎は優しく彼女の肩を押して自分の上から押しのけ、そして立ち上がる。


「罰が当たったんだ。俺のような罪人が、愛する人と共に在れる時間なんて本当は存在しなかった。何もかもを、清算する時が来たんだ。もう、振り返ってなんて居られない。前を見て進み続けるしかない」


「ソー? ソー! 何を言ってるんですか? 罪って、罰って何ですか?」


 総一郎の頬を、ローレルのものでない涙が落ちた。滂沱のように流れ落ちるそれは、声を伴わず止まることもない。いずれ涙が枯れ果てた時、これは血の涙となるのだろう。そしてその時、総一郎は人を殺して修羅となるのだ。


「答えてください! ソー! 何で泣くんですか? 私……」


「ローレル、もう君はイギリスに帰れ。君にできることはないよ」


 総一郎のにべもない宣告に、ローレルは肩を跳ねさせた。それから首を振って、座り込んだまま手を伸ばしてくる。


「嫌、嫌です、ソー。私、やっとまたあなたに会えたのに。こんな別れ、そんな、嘘です」


 総一郎は、その手を取ってやりたい気持ちを必死に押し殺す。かつては危険というだけだった。だが今は、それだけではない。もはや総一郎はローレルがどれだけ身を堕としても届かない奈落の底にいる。そこにあるのは、決められた破滅だけだ。


 だから、吐き捨てる。


「嘘じゃないよ。君にできることはない。この期に及んで、俺に泣いて縋るしかできない君を誰がどう頼ればいいんだ? 君は日常の人だ。願わくば俺は君と生きたかった。だけど俺の存在そのものに生きる資格がないのなら、君の手を取る選択肢は存在しない」


 もう終わりだ。これで終わりだ。総一郎はローレルの両手を片手でまとめて拘束し、有無を言わせず引き寄せる。反対の手は数年前の再現に紫電を放った。奇跡は何度も起こらない。カバリストが作り上げた必然など、何度でも壊しつくす。


「嫌です! 止めて、止めてくださいッ! ソー!」


「まず、君の中の俺を殺す。そのあとに、薔薇十字団全員を殺す。最後はここに居る俺自身だ。地獄に行くべき人間全員を地獄送りにする。そこに君の居場所はない」


 ローレルの額に、精神魔法が放たれた。前回は雷魔法を無理やりカバラで調整した、粗だらけの記憶破壊。だが今回は精神魔法の親和力を蓄えている。記憶に穴が開いたとさえ思わないだろう。


 ローレルはゆっくりとよろけてから力が抜けたようにその場に座り込んで、茫然と花火を見つめた。それから、総一郎に気付きもしないで言う。


「一人で見る花火も、乙なものですね」


 少し寂し気で、だが充実を滲ませた声が真実だった。それを確認して、総一郎はその場から立ち去る。殺すべき人間、清算すべき人間関係はまだまだいくらでもあった。


 花火の時間は、もう終わりだ。


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