7話 死が二人を別つまでⅩⅤ
「魔法で姿消せるなら、最初からそうすればよかったのに」
シェリルの意見に、総一郎は苦笑した。そういえば、説明していなかったか。
「え? 並ぼうって言ったのはシェリルじゃないか」
「あ、うん、そうだけど……えっ!? もしかして私が言ったから!? 私のせい!?」
「ソウ、あんまりからかってあげるな。門の構造が魔法を感知するそれだったんだ。姿を消しても魔法を使っている以上、門の前後で侵入はバレてしまう」
「ソウイチ……」
睨まれたので三人にしか聞こえない口笛でごまかす。ノア・オリビア施設内の地下通路で、総一郎たちは歩いていた。真っ白な廊下の真ん中に金色の線が引かれていて、神々しさの演出がなされている。
「さて……と、シェリル、蝙蝠の情報はどんな感じかな」
「列についてったのは今のところ問題ないよ。何か地下内部をグルグル歩いてる。ちょっと耳の奥でバチバチ言ってるから、洗脳の手段の一つかも」
「歩いてるだけで洗脳、か。ベル、どう思う?」
「アナグラム再現での魔法構築だろう。とするなら、カバリストも間違いなくいる」
「そうだね。なら、薔薇十字団はますます怪しくなってきた」
電脳魔法で視界の端に浮かべていたメモの項目に、『確定』のスタンプを押す。「ノア・オリビアにカバリストの関与」の項目が一度拡大されてから収縮と共に消え、確定済み事項のメモ帳が点滅した。
「他の蝙蝠は?」
「色々飛びまわってるけど、他はイマイチかな。っていうか視界共有してるんだから一々聞かないでよ」
「あ、ごめん。電脳魔術側にアナグラム収集任せてアーリに数字送ってるから、俺が見てるわけじゃないんだよね。っていうかホモサピエンスに二十窓把握できる訳ないでしょ」
「そうなの!?」
吸血鬼はどうやら二十窓くらいならすべて把握しきれるらしい。シェリルの基礎スペックは吸血鬼の真祖を名乗るだけあって非常に高いな、と思う今日この頃。
「じゃあ別にいいけどさ~……。あ、何かいる。え、何アレキモ」
「具体的な情報を貰えるだろうか」
「……ゾンビだよ。かなりデカくてブサイクなのが居たの」
不満げながらもベルの質問に悪態をつかないのは、任務ということでシェリルなりに公私を分けていることか。歩きながら軽くなでてやると、意図が分かったのか、私って大人でしょ、と言わんばかりに見返してくる。
それからすぐに、電脳魔術から通知が上がった。アーリからの分析結果だ。端的に「洗脳下に置かれた連中の歩いてる順序は、アナグラム再現された強度の高い精神魔法」「膨れゾンビは警備兵。決められた順序をルーチンで進んでる。要追跡」と書かれていた。
シェリルにゾンビを蝙蝠に追いかけさせるように指示しながら、総一郎は息をついた。疑わしいと考えていた事実が、次々に確定事実として上塗りされていく。薔薇十字団、アイ。もはやこの二つは、ノア・オリビアとして認識すべきだろう。その上で薔薇十字団はベルに任せ、アイは生きたまま確保する必要がある。
とはいえ、それは今日ではない。この潜入調査はあくまで下見で、敵の抱える戦力を測るためのものだ。侵入したことが露見したなら別だが、そうでない限りは情報だけ握って帰ることで敵を油断させたまま対策を打てる。
その意味合いで、潜入には少し多いこの三人が選ばれたのだ。カバラにとってのイレギュラーとなる純血の亜人としてシェリル、総一郎よりも優れたカバリストであるベル、そしてナイの無条件の予知を掻い潜れる「祝福されし子どもたち」の総一郎。バックアップにスーパーコンピューターを抱えたアーリが常に準備をしていてくれている。
ミヤさんの説明を受けるまでは半信半疑だったが、「祝福されし子どもたち」がナイの予知を掻い潜れるのは本当のことだろう。かつて世界にいたという『能力者』は、ともすれば宇宙を滅ぼせるというのだ。無貌の神とはいえ格上の未来は見えないのだろう。
だがその点で言えば、ナイが『能力者』ではないというのが難しい話だった。『能力者』が非『能力者』を殺せば破滅する。元々ナイを『能力』で殺すつもりなどないが、ミヤさんの語る破滅はきっと総一郎の考える範囲には収まらない。少なくとも、今は使えまい。
だが、恐らく、ナイが切り札として用意したはずの偽ウッドは―――作戦がハマれば、こともなく潰せるはずだ。あるいはハマらずとも、対策次第で倒せると。
そこまで考えたところで、アーリからまた連絡が来る。開封して、告げた。
「そろそろこの階層の全容が見えてきたみたいだ。これからはアーリの指示に従って動くよ」
こっち、と先導する。この廊下のいやらしいところは、入り組み方が意図的で侵入者を惑わせる構造になっている点だ。何も知らずに当てどもなく歩いていると、迷うばかりで何処へもたどり着けない。そしていつの間にか捕捉されるのだろう。
ここから駆け足で廊下を進む。アーリの指示通り曲がり角を何度か曲がると、今まで一度も見受けられなかった扉が並んでいるのを発見した。やっと迷路から脱出できた、といったところか。
「これは、部屋を一つ一つ開けていっていいのかな」
ベルの問いに、総一郎は首肯する。
「もちろんカバラで人がいないかを確かめてもらいはするけどね。俺とシェリル、ベルで別れてそれぞれ端から部屋を全部探っていこう」
ベルは「分かった」と頷いて、我先にと奥の部屋に駆けて行った。「熱心だこと」とシェリルは半眼で皮肉っぽく言う。
「君は本当にベルが嫌いだね」
「嫌いっていうよりは、怖い、だけどね。みんな慣れてきてるから、私だけでも目を光らせておかないと」
「意固地になってない?」
「なってないもん」
むくれたように言うシェリルは、まさに意地になっているようにしか見えなかった。だがそれをつつくのは帰ってからでいい。総一郎は扉を開く。
扉を開いた先には誰もいない。それはすでに分かっていたことだ。だが、室内の様子は演算よりも見た方がずっと早かった。人のいない室内は仄暗いが、天使の目を持つ総一郎と、そもそも吸血鬼のシェリルには関係ない。
そこにあったのは清潔で白い空間だ。いくらかのホルマリン漬け、悪趣味なデザインの書籍が机の上に散乱している。総一郎は眉を顰め、それからノートにつづられた数字の羅列を見つけた。
「研究所……? う、何か頭痛い」
「ベルの目的地に、俺たちの方が先に着いたみたいだ。カバリストの会議室らしいね。研究っていうよりは、自論の補強とかアナグラム解析のための、資料みたいなものかな、これは」
妙なデザインだな、と書籍をとって眺め、その装丁が人間の皮だと気づいて顔をしかめる。シェリルに教えて怯えさせる必要もないだろう。アナグラムを完全に元に戻す形で置いて、魔法で素早く指紋をぬぐう。
「この部屋はノートの数字だけ確認して出ようか。思ったよりも妙なのが分かった」
「妙って?」
「ナイの影響が強く出てるってこと。カバリストの会議室……ではあるんだろうけど、俺が考えていたのと少し違うかもしれない」
「……分かった」
総一郎は風魔法でノートを一ページずつパラパラとめくっていく。視界に一度修めれば、電脳魔術で録画できる世の中だ。実に便利というか。ウッドの正体だとアーリにバラされたとき広がるのも早かったわけだ。
ノートの中身をアーリに転送しつつ、一応精神魔法での防御を注意しておく。それから部屋を出ると、フードを被った修道服が数人、目の前を横切った。
アナグラムでの予兆があまりになくて、総一郎は驚いて一歩下がる。そして勘づいた。フードの連中の背を目で追う。足音は確かにかすかだが聞こえる。指摘されるべきは、そのアナグラム変動量の少なさだ。
これは、カバリスト以外に出来るものでもないし、する動機もない。総一郎は睨みながら奴らの動画をアーリに送信した。奴らは隣の部屋に入っていく。
「シェリル、蝙蝠を奴らに。俺たちは別の部屋に入ろう」
カバリスト達が扉を閉じ切ったのを確認して、総一郎たちはもう一つ奥の部屋に入る。それから、息をのんだ。むせかえったと言い換えてもいい。
「……え、何、何これ。い、み、意味、分かんない」
シェリルが手で口を押え、数歩下がって総一郎にぶつかる。総一郎とて、この光景に何も思わないではいられない。
「ゾンビたちが、何で拉致をするのかとは思ってたんだ」
そこにあったのは、異様な光景だった。ブロイラーのように極限まで空間を削った場所に、あたかも死体安置所然と寝かせられた人々。いくつかの異なる動画を垂れ流すホログラムテレビと、拘束されながら無為に凝視し続ける数人。
そこにあるのは人間の尊厳を奪いつくした強制だ。彼らを人間とも思わない何者かが、無駄を切り詰めて何かをさせようとしている。
総一郎は、僅かに、何かを感じ取る。確信はない。だがナイが総一郎に本気で勝ちに来ているというのは嘘ではないらしい。でなければ、こんな状況は生まれまい。
「ソウ、イチ」
シェリルが伺うように総一郎を見上げる。判断を促しているのだ。つまりは、救出か否か。人道を重んじるならば、救うべきだろう。そうして然るべきだろう。
だが、総一郎にはそれが出来ない。ナイは人の心に付け入る。もし侵入者がいて、警備を掻い潜ったとして、そんな敵が必ず引っかかるような仕掛けを、魔法などの技術に頼らず作り上げてのける。それがナイだ。総一郎の仇敵だ。
「……準備を手早く済ませる必要が出来たね。アーリにこの写真を送って、今すぐ手配を始めてもらおう」
「た、助けてあげないの? ナイだよ? 絶対に、ろくでもないことになるんだよ?」
シェリルはナイを知っている。総一郎と記憶を共有しているから、深く。だが、しばしば総一郎とは異なる判断を下した。ほとんどの記憶をお互いに見せ合っているのに、価値観の違いがみられるのだ。
そこにあるのは、生来のものか。それとも。
「助けるさ。でも、今じゃない。……そんな顔しないでよ。俺と真反対の意見を言ってくれる君を、俺は大切だと思ってる」
「私の言う事、何も聞いてくれないくせに……!」
「だからこそだよ。シェリルがいるから、俺は俺の考えで進められる。もし俺が道を間違えてたなら、そのときのフォロー任せたよ」
「ホントああ言えばこう言う……」
それでも、分かったと頷いてくれるだけ有難いというものだ。相棒という言葉が似合うくらいに成長してくれている、と感じる。
アーリに状況を通達し、後ろ髪を引かれる様子のシェリルの手を引いて、違う部屋の確認に移った。カバリスト達は会議を続けているらしい。光を始めとした複数の魔法で隠密状態をとる自分たちを、見つけるとしたら奴らだ。だから、気が抜けない相手だと思う。
いくらか部屋を確認して見つけたのは、石の祭壇、塔のオブジェがそれぞれ保管された倉庫などだ。何のためのものかはさっぱり見当もつかないが、写真だけとっておく。
そうやって部屋の確認と写真送信を繰り返していると、ベルと再会した。こちらの成果を伝えると、ベルは「見せたいものがある、こっちだ」と総一郎とシェリルを誘導した。
連れてこられた扉の先にあったのは、一つの生活空間だった。ここまで並べられていたのが公的な空間ばかりだったから、総一郎たちは首をひねる。寝室らしくベッドなどの最低限の調度品は揃えられていたが、それ以外の個性は見受けられない。
「隣も誰かの寝室だったようだ。ただ、そちらはいろいろと家具がそろえられていた。こちらの部屋よりも大きく、檻の中に首のない狼が居たよ」
「首無し狼、ウルフマンの胴体か。ならそこはアイの部屋だね。となると、ここは――」
「ソウイチ、ベル。隠れて。人が来た」
シェリルの言葉に反応し、それぞれ机の下などに身を潜めた。元々魔法でバレることはほぼないが、誤ってぶつかれば流石に気づかれる。
素早く身を潜めたところで、扉が開いた。入ってくるのは二人だ。机の下の総一郎とベルから見えるのは、二人の足元だけ。白い修道服と、黒くボロボロのドレスだ。
片方はアイだろう。となると、もう片方はこの部屋の主である可能性が高い。
そして、この部屋の主ならば。
「ふぅ、お疲れ様です。お互い大変ですね」
数か月前には普通に聞いていた、穏やかな口調。だが愛見の特徴的な語尾の間延びはなくなっていた。変化。これを、Jはどう捉えるか。自然と彼のことを考えてしまう。
愛見と相対する修道服は、ただその言葉に振り向くだけだった。服の揺れから察するに、頷いたのだろう。声が聞ければ正体を断定できるのに。
だが、と気を取り直す。喋らないということは、寡黙という事だ。そしてそれ自体が価値のある情報と言える。寡黙な人。だとするなら――
「にしても、今日は二人でしたか。片方は任せてしまいましたが、どうでした?」
修道服の端が揺れる。肩をすくめたのか。愛見は「そうですよね」と言いながらベッドに座った。
「私の方は大変でした。何人も倒されてしまって……可哀そうに、一人一人が誰かにとって掛け替えのない人なのに、何であんなことが出来るんでしょう。悲しいことです。是非アメリアさんに慰めてほしいですね」
話している内容が総一郎たちとは別口で見つかった侵入者だと分かった途端、ベルは音が出るほど激しく歯を食いしばった。燃えるような目で机の下から愛見の足を睨みつける。
一方総一郎は、怒りを覚えるというよりも困惑していた。嘲る声音ではなかった。アナグラム演算にかけても同様の結果だった。つまり、本当に倒されたゾンビたちを憐れんでいる。死を冒涜しておきながら、その対象に同情している。
それを狂気、という言葉で片づけるのには、総一郎には抵抗があった。かつてその中に身を落としてアイと敵対した総一郎だからこそ、“狂っている”と切り捨てるような真似は出来なかった。
もっと言うなら、救われたから。この借りを返さずには、死ねないから。
だからただ、二人の会話への集中を高める。少しでもアイの情報をウルフマンに伝えられるように。そしてその相対する修道服――偽ウッドの正体に迫れるように。
「それで、ファーガスさん。この後どうします? そろそろ夕食の時間ですけど」
その名を聞いて、総一郎とベルは同時に身を跳ねさせた。音魔法で物音は立たないにしろ、その所為で机が僅かに揺れた。修道服はその微細な変化にすかさず食いつく。超人めいた反応感度は、グレゴリーに共通するものだ。
「ど、どうしました? 何かそちらに有りましたか?」
「……」
修道服は、じっとこちらを見つめている。マズイ、と冷や汗が垂れるのが分かった。ベルを見る。彼女は顔色を赤くしたり青くしたりと、自分の中で渦巻く感情の嵐に呑まれないので精いっぱいのようだった。
総一郎が解決するしかない。けれど状況はひっ迫していて、猫の真似なんかで誤魔化せる領域は逸脱していた。
考える。グレゴリーの時、なぜ失敗したかを思い出す。動いたから。逃げようとしたことで、周囲の風が動いて感知された。なら、それを再現する。机の下でなく、扉に。
総一郎はカバラで遠隔的に発生する風の渦を作った。案の定修道服は反応し、机の下から注意を外して扉をあけ放った。沈黙と静寂が室内を満たす。愛見の戸惑った声を契機に、扉は閉められた。
「一体何だったんです?」
修道服は黙って首を振ることで応答する。言葉こそ発しないが、その所作はどこか多弁さを感じさせられる。ファーガス。彼もおしゃべりが好きだった。それから、総一郎は拳を握る。
――本当なのか。本当に、そうなのか。
机の下から僅かに顔を出し、総一郎は修道服をうかがった。木面は無表情のまま固定されているが、ボディーランゲージが豊富で憎めない雰囲気を醸していた。
どうしたものかと思って、総一郎はベルの顔を見た。彼女も堪らなかったのか、総一郎の肩越しに偽ウッドを見つめていた。その顔に浮かぶのは、歪み。一致できない感情のそれぞれが場所を奪い合って表面に出てきて、言いようのない表情を浮かべるしかできないでいる。
それからも二人は、しばらくその部屋で駄弁っていた。基本的には愛見が喋り通しだったが、たまに偽ウッド――ファーガスなのだろうか。彼が所作でもって表情豊かに応答し、愛見は笑みをこぼす。
その光景は、総一郎以上にベルにとっては複雑だろう。数年経った今もなお愛する人が、蘇って、しかも自分の知らない女と親しげに話しているのだ。口が堅く引き結ばれて、への字口にすらなりきれていない。
再会の喜び、眠らせ続けられなかった悔恨、そしてそれらを塗りつぶすような嫉妬。ベルの中で感情はうねりを上げて、彼女自身を飲み込もうとしている。
結局二人は別々に食事をとるという話に落ち着いていたが(ファーガス? にはまだ用事があったらしい)、それでも別れ際には一層親し気に近づきあって、言葉を交わす。その様は見る人によって、睦言を交わす恋人同士のようにも映るだろう。
「じゃあ、また明日も共に頑張りましょう。失われた人を取り戻す、共犯者として」
愛見は最後にそう言い残して部屋を去った。ファーガスと呼ばれる彼もすぐ、部屋を後にする。その際中々扉を閉めず、しばらく部屋を見つめていたのがひやひやしたが、結局は何事もなく終わった。
それから三人は調べるべきことは調べ尽くしたと判断して、その施設を人知れず後にした。帰りがけに精神魔法を首無しの一人にかけ、総一郎たち三人が洗脳メンバーから抜けた分の人数の違いを、脳内で補完させるようにミームを作り出す。ミームとは伝染するものだ。問題として挙がる前には全員の中で疑問が解消されていることだろう。
ノア・オリビアから一キロ離れたところで三人は身隠しの魔法を解いて、やっと一息ついた。シェリルが「緊張した~」とうだうだやり始める傍ら、静かに地面を見つめる少女がそこにいた。
「……ベル」
「ファーガスだよ。あの女がそう呼んだからそう思うんじゃない。あの仕草はファーガスのものだった。あの少し賑やかで、素直で、……声を聞かなくてもわかる。アレは、ファーガスだった……ッ」
そう結論付けるだけして、ベルは肩を震わせながらスタスタと歩き去ってしまう。それを、総一郎は追えなかった。手を伸ばして呼び止めようとして、何を口にすればいいのか分からなかった。
「いいよ、ほっとけば」
それを無情に切り捨てるのはシェリルだった。振り向いて抗議しようとするが、シェリルはシェリルで何か考え込んでいるらしく、まんじりともせずに遠ざかるベルの背中を見つめ続けている。
「……シェリル、君は何でそこまでベルを嫌うんだ? 確かに警戒するのは分かる。昔の別れ際に見せたあの顔は、今でも少し思うところがあるよ。けど、今のベルは」
「ソウイチと意見が分かれるの、私なりに考えたんだけど」
言葉を遮るように言われ、総一郎は口をつぐむ。シェリルは今度総一郎を貫くように見つめ、諦めるように言った。
「多分ね、性別が違うからだと思うんだ。ソウイチは男。私は女。だから私たちはほとんど人生の記憶を共有してるのに、その感じ取り方が違うんだと思う」
「そう、言われれば、俺には何とも言えないけどさ」
多様性の話だ。つまり差別の話でもあり、区別の話でもあった。二人はARFである以上、互いにその多様性を認め合う。総一郎の意見、シェリルの意見。どちらも等価値で、あとは個人の説得力でもってさらなる価値の比率を計る。
その意味では、この場において重いのはどちらの意見か。
「女のことは女の方がよくわかるよ。だからこそ、私は言い続けるの。ベルは今すぐにでも追放すべきだよ。さっきの態度で確信した。あいつ――壊れてる」
背筋の凍るような断定に、総一郎は怯む。だが次の瞬間には小さな手が総一郎の手を取っていて、愛らしげに引っ張っているのだ。
「……? 何ボーっとしてるの? 早く帰ろうよ」
首を傾げる様は、先ほどの気迫のかけらも伺えない。こんなとき白羽の独特の切り替えの早さを思い出して、女性とはかくも愛らしく恐ろしき、などと気の抜けたことを考えるのだ。