7話 死が二人を別つまでⅧ
まだどこか肌寒さを残す朝、日課のゆっくりした素振りを終えシャワーを浴びてリビングに戻ると、ソファの中央で、白羽が険しい顔をしてニュースに食らいついていた。
『昨晩に発生したゾンビの大量発生と、それにつづくJVA、アーカム市警の激突の裏で、約三百名が行方不明であることが判明しました。アーカム市警はJVAを公務執行妨害で正式に訴えるとし、JVAもまた、日本人のゾンビの破損など遺族感情を無視したアーカム市警は許しがたいと徹底抗戦の構えを見せ――』
「総ちゃん、おはよう」
白羽はニュース画面から目を離さないまま、総一郎に朝の挨拶をした。総一郎はその隣に腰かけて、並んでニュースを見る。
「うん、おはよう白ねえ」
「昨日、帰るの遅かったね。無事で安心した」
「大変だったよ。危うくJVAを敵に回すところだった」
「総ちゃんが軽率な行動をとるとは思えないから――ナイの仕業?」
「正解。前に話したベルに助けられたよ。彼女は力になってくれる。少なくとも、すでにARFの危機の一つを救ってくれた」
「つまり、やっぱり引き入れたいって話?」
「うん」
総一郎の頷きに、白羽はこちらを向かないまま疑問を呈する。
「でも、少し都合がよくない? ベルさんを引き入れないって話をした夜に活躍して、やっぱり仲間にしよう、だなんて」
「昨日、危機を乗り切った後イキオベさんたちと少し店で話したけど、まさにその通りだってベル笑ってたよ。俺が難色を示してたから、可能な限り付きまとって恩を売るための絶好のチャンスを待ってたんだって」
「ふふ、そういう裏話好き。面白い子だね、話に聞いてたより」
「俺がものすごいスピードで空を飛んでくから、ナイの中身に追われる時よりその追跡のが死ぬような思いをしたって」
「あはは! も~総ちゃん。面白い話しないでよ。私ニュースに集中してるんだから」
吹き出してしまって、やっと白羽はニュースから総一郎に視線を移した。「このこの」と冗談っぽく肘でどついてきて「ごめんごめん」と総一郎は笑う。
「それで白ねえ、ニュースはどんな感じ?」
「いくつかザッピングしてみたけど、大体内容は同じだったよ。三百人行方不明、JVAとアーカム市警がバッチバチ、以上!」
フクロウのように白羽は、丸くなってた背をピンと伸ばす。「以上!」に合わせてにょきっと背が伸び、またぬくぬくと丸くなった。総一郎はその愛らしさにくすっと笑って、それから深くため息を。
「予想はしてたけど、大変なことになりそうで頭痛がしてくる思いだ。一応ナイについても話したし、イキオベさんと敵対なんてことはそうそう起こらないとは思うけど」
「そんなに踏み込んで話したんだ。って、そうだよね。ナイの中身とか言ってたし。んー……また会議かなぁ。正直ノア・オリビアが暗躍しすぎというか、今手を打たないと被害が拡大する一方かも。こんなに激しく攻め立ててくる敵なんて私も初めてだよ」
「そりゃあナイだし」
「今まで嫌なこと言ってくる邪魔なのとしか思ってなかっただけに、後手に回ってるのが否めないよねー。この際総ちゃんとシェリルちゃんで……いや、昨日そのコンビでひどい目に遭ったんだよね? で、ベルさんに助けられた」
「そうなるね」
「ナイの裏をかける人間が必要なんだよね。かつ、必要条件としてカバリストか純血亜人のどっちかを満たす人。んんんんんんん、どうしよっかなぁ。シェリルちゃんは昨日助けられたから説得は簡単だろうけど、他の面々が何て言うかな」
「あれ、もう受け入れモード?」
「前評判的に、全面的に信用するとはいいがたいけどね。それでも有能ならいくらか仕事を任せたいって感じ。そだ。試用期間設けて、いくらか働いてもらおっかな。お目付け役は連れてきた総ちゃんが、とかどう?」
「悪くないと思うよ。シェリルは昨日の恩でゴリおせるし、アーリは試用期間で納得してくれると思う。Jはなるようになれだし」
「最近ウー君すごいよね。何があっても動じないというか」
「ウッド時代にだいぶイジメちゃったからなのかもしれないのが本当に申しわけない」
「男は揉まれて強くなる、みたいなこと言ってたし、本人は全然気にしてないだろうけどね~」
白羽は困り顔で、落ち込む総一郎の頭をポンポンと叩いた。それから、ちょっと息を吐く。
「ちょっとね、心配なんだ。一番ウー君と仲の良かったマナちゃんがこんな状況になってても、不安の一つも漏らさないから。私も忙しくてケアしきれないし。だから、総ちゃんも気にかけてあげてね。敵に大好きな人がいるって、すっごく辛いことだもの」
頭を肩にもたれてくる。総一郎はソファに置かれた白羽の手を上から握って、「そうだね」と頷く。
「俺たちがこうしていられるのだって、みんなが諦めなかったから起こせた奇跡みたいなものだ。今度は、俺が死力を尽くすよ」
「総ちゃんがこんなに頼もしく成長してくれて、お姉ちゃんうれしい」
穏やかな微笑みと共に、白羽は至近距離から見上げてきた。どちらともなく、ついばむようなキスを交わす。それから、端的にこれからの予定を詰めた。
ひとまず会議はこの論法で乗り切るとして、実際に会って話しておきたい、と白羽は言う。
つまりは、面接だ。
「せっかくの面接だし圧迫してこうと思うんだよね」
「前から思ってたけど白ねえって腹の中真っ黒だよね」
「お腹の中も翼も真っ黒な白羽ちゃんです」
このツッコミにこの返しを、しかも頬を両手で挟んで可愛さアピールしつつ言うのだから、白羽は政治家になれる厚かましさの持ち主だと思う。
数日後の昼下がりだった。ARF幹部会議は事前のリハーサル通りの手順で完全合意を取り付け、ひとまず面接で白羽が大丈夫と判断したら、そのまま総一郎とともに試用期間にはいる、という段取りになったのだ。
だが問題は、白羽がどこからどう見ても面接で落とすつもり満々という点だ。今言った圧迫面接は不意に冗談で言ったのではなく、前々から『アルフタワーで面接したほうがマウント取りやすそう』とか『総ちゃんからされたベルさんの昔の話って、結構突かれて痛いとこだよね。おっし』などとほざいているので、本番前の今、推薦者の総一郎は何だか胃のあたりがキリキリしている。
「おおっし! やるぞー! 総ちゃんをしばらく独り占めなんかだぁれが許可するかこのやろー! 面接おっとせっばだっいしょっうりー!」
「白ねえ? 冗談だよね? そんな子供みたいな理屈で落とさないよね!?」
「大丈夫。総ちゃんは私だけ見てればいいんだよ?」
「白ねえ目のハイライトどこに忘れてきたの?」
バカ高いスーツを着こなす若手敏腕ビジネスウーマンとは思えない惚けっぷりである。一応総一郎も正装でアルフタワー上層階に臨んではいるが、この場の空気は緊張とは程遠い。
「あー、でも残念無念だなー。これで副リーダーがいてくれれば、あのいかつい風貌で圧迫面接が完璧に整うのに。美少女にイケメンじゃ上から圧かけても喜ぶ人すらいるよ」
「スッとイケメン扱いされるの戸惑うからやめてもらっていい?」
「女たらしどころか人たらしがなんか言ってる」
その言葉そっくり返してやる。と総一郎は心中で言い返しつつため息をついた。電脳魔術の拡張認識上に表示される時間を見る。面接開始まであと三分だ。
「段取り確認とかしなくていいの? もう時間ないけど」
「一応やっておく? 私の頭の中には全部詰まってるけど」
「俺の役割とか地味に聞かされてないんだけど……。白ねえのことだし、俺が何をしなくても回る役割を当てた上で黙ってるんでしょ」
「総ちゃん私の事分かってるじゃ~ん。んふふ、ちょっと嬉しい」
照れくささをあえて表に出して、白羽は総一郎に流し目を送る。それから息を吐いて雰囲気を入れ替えた。
「総ちゃんの役割は、予想の通り置物だよ。ベルさんが安心できるように、ただ座っててもらうだけ」
「ベルは面接程度で緊張するような――」
相手じゃない、と言いかけて止めた。そんなこと、総一郎が何度も伝えていることだ。それでもなお総一郎がベルの安心を担うというなら、それ相応の何かを試すのだろう。
姉ながら、いい性格をしていると呆れてしまう。感情というものをこれほど深く理解して弄ぶ技術を、白羽はいつ身に着けたのか。
「なぁに? 総ちゃん。お姉ちゃんが可愛くてキスでもしたくなった? お姉ちゃんはもちろんいつでもウェルカム」
「今はそんな気分じゃないよ」
苦笑でもってあしらい、総一郎はその事についてもう何も言わないことに決めた。話を逸らすがてら、軽く質問を投げかける。
「経歴とかの質問は……俺があらかた話したっけ。っていうか、俺ベルを仲間に引き入れるまではって思って、イギリスのカバリストたち――現薔薇十字団のことはベルに秘密にしているんだけど」
「経歴は知ってるし、ベルさんもそう考えてるだろうからカットかな。イギリス産カバリストの話はするよ、もちろん。話を聞く限り、ベルさんが元々求めてる協力は総ちゃん個人のもの。それがARFっていう組織にズレるのに、違和感があるだろうからね。ちゃんと組織全体の敵である可能性を話して、こっちも向こうも納得しなきゃ」
「……ちなみに、直感でノア・オリビアにナイとか愛さんとか薔薇十字団を押し付けて事を進めてるけど、確証ってとれてる?」
「……ベルさんの協力を取り付けて潜入捜査すれば、おのずと分かることだよ」
「えぇ……」
したり顔で惚ける白羽に、総一郎は脱力してしまう。「でもだよ?」と白羽は少し慌てて言った。
「そもそもナイを初めとした連中の母体となる組織として考えられるのは、ノア・オリビアだけだからね。他の面倒なギャングは軒並み掃除したし。消去法的にこれしか考えられないの」
「それはそれですごい話だけどね。ってことは、もう亜人売買する組織はアーカムには居ない感じ?」
「クソギャングは金目的なら職与えて働かせてるし、性根が腐ってたら燃やしたからね。居ないよ」
断言である。やはり白羽はとんでもない人物なのではないか、と改めて評価せざるを得ない。
「っと、段取り確認はこのへんで。時間だよ」
白羽の言に総一郎は姿勢を正して、ほつれたアナグラムを、スーツを正すことで修正する。白羽は部屋の中央の長いすに座って、ファイルからチェック項目がいくつもある紙を取り出した。電脳魔術が使えないベルへの配慮か。
合成音声が『面接対象が扉の半径五メートル内に入りました』と通達してくる。
「じゃ、総ちゃん。安心用の置物役頑張って。その範疇なら好きにしてくれていいから――どうぞ」
総一郎は白羽の言葉を反芻する。詰まる話は、肝心の場面で邪魔するな、ということだろう。ならば緊張を壊さない程度の会話は許されている、くらいの解釈だろうと判断し、ベルを待った。
白羽のにこやかな声に、扉のすりガラス向こうの影が驚いたように跳ねる。それから、ベルはおずおずと扉をのぞき込んできた。
「失礼します。いや、驚きました。魔法の気配もないのに察知されて。これがジャパンで言う“気配を読む”という技術ですか」
「いや、単純に監視カメラが通知入れてくれただけだよ」
総一郎が言うと、ベルは「えっ」と部屋の天井四隅を見回した。「最近の監視カメラは牽制用のデカいのか、視認できない小さいのしか出回ってないよ」と教えてやる。
「か、隔絶されてるね、技術のほどが……。そりゃあカバリスト達も、あれだけ必死になって亜人招聘や技術者の勧誘に勤しむわけだ」
今はそんな事をしているのかカバリスト。黒幕を務めるのは必要な時だけで、基本的には政府の補助的な役回りなのかもしれない、と社会が見えてきた総一郎はそんなことを考える。どちらにせよ一生許さないが。
ともあれ、ベルと白羽の初対面だ。総一郎はベルを見る。泰然とした態度は、総一郎と再会した時と比べて多少穏やかになったように感じる。向かいの長いすに座る前に、ベルはこちらへ軽く頭を下げた。
「と、遅ればせながら失礼します。私はクリスタベル・アデラ・ダスティン。大公の一人娘であり、薔薇十字団の離反者となったカバリストです。今回はこの席にお招きいただき感謝します。どうぞお見知りおきを」
まるで王族に対する貴族のような所作でもって、ベルは白羽にご挨拶だ。恰好は私服だが、あまりに洗練された一礼が貴族の礼服を幻視させる。
「初めまして、ダスティンさん。私は総一郎の姉であり、アーカムでの差別撤廃運動に勤しむARFのリーダーを務めております、白羽・武士垣外です。こちらこそよろしくお願いします」
微笑を顔に湛えながらの返答は、どちらかというとアルカイックスマイルの仮面をかぶっているのに近かった。現状、心を開く気が全くないようにさえ見える。
ベルの着席を待って、白羽は話し始めた。
「今回は弟より推薦ということで、縁故採用の形で面接と相成りました。ただ、我々は小規模な組織です。特にARFと銘打って起こす行動は、反社会的なものになることも多い。そのことをご承知願えますか?」
ビル持ってる人間がよくもいけしゃあしゃあと、と思ったが後半は事実なので黙っておく。
「ええ、構いません。つまり、私はソウの姉君の指示で動けばいいのですね? 内容を問わず」
「はい。我々があなたに期待するのは、単純な戦力です。代わりに活動資金の援助と、弟を中心とした技術支援を行う予定です」
ベルは少々固いながらも、本質的には自分自身の言葉で話している。一方、白羽はARFのボスという態度を頑として崩さなかった。
「分かりました。その分野には自信があります。任せてください――では、こちらからもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
ベルからの問いは、白羽たちの想定通りだ。
「私の目的が薔薇十字団への復讐であることは、ソウからも伝わっていると思います。その上で私を組織に組み入れるということは、薔薇十字団がARFを敵と認識し、組織規模で攻撃を仕掛けてくる可能性を理解されていますか?」
「ええ、もちろん。その辺りは正式な採用後に、詳しく説明させていただきます。では、契約書がこちらになります」
白羽は書類の中から一枚を机上に取り出し、裏面を上にベルへと滑らせた。面接前の白羽の様子に反して驚くほどスムーズだったな、と感じる総一郎は、その肩透かしを食らったような勘違いのために、異変に気づくのに数秒を要した。
気づいた理由は単純だ。差し出された契約書を、ベルは受け取るのに躊躇したため。強張った表情に一滴冷や汗が伝ったのを見て、やっと様子がおかしいと知ったのだ。
何故と思って紙を注視する。その紙は、外見上は変哲もない。だからパッと見て分からなかったのだろう。総一郎は理解とともに体を逸らす。気持ち悪、と口にしなかった自分をほめてやりたい。
紙にはびこる、異常なまでのアナグラム変動量。カバリストでなければ絶対に分からない微細かつ顕著な変化は、それゆえにカバリストに生理的な嫌悪感を抱かせる。その様はまるで、数百匹の毒虫が下で這いまわっているのが分かる石を差し出されたようなもの。
裏返せば、毒虫が安住の地を失って襲い掛かってくる。そんなイメージさえ抱かせる紙が、そこにあった。
「どうかしましたか? さぁ、受け取って」
「……これに、サインするんですか?」
「はい」
ベルが青い顔で、総一郎を見てくる。無言での救助要請だ。気持ちは痛いほどわかる。白羽に紙を渡されたのが総一郎だったとしても、ひっくり返すのは躊躇われるだろう。
だが、白羽は言ったのだ。総一郎はあくまで、ベルを安心させるための置物であると。そしてここでいう安心は、信用とも言い換えられるものだと。
ならば、総一郎から言うことは何もない。白羽をまねて、ことさらに無表情でベルの挙動を見つめた。
ベルは総一郎の態度に声もなく当惑する――それが、契機となった。彼女は息を強く吐き出す。そして強気に、奪うように紙を取ってひっくり返した。
「合格です、おめでとう!」と書いてあった。
「……ソウ、何かなこれ。契約書って話じゃ?」
「あ、それ嘘でーす。ごめんね試すようなことして。でも面接ってそういうものだから、合格した身として受け止めてもらえると嬉しいな」
今までとは違って、親しみが込められた弾んだ声色で白羽は言ってのける。本当に政治家向きの性格だ。総一郎もそうだが、嘘を吐くことを真剣に交渉の一つとして認識している。
「それは、一体どういう事かな、ソウの姉君」
僅かに怒りを滲ませたベルの問い。白羽は目を細めて笑った。
「馬鹿にしてるわけじゃないよ。とても率直に、知りたいことを確実に知れる方法を取っただけ。つまり、ベルさん。あなたが信頼できる人なのかどうかってことをね」
踏み込むような言い方だ、と思った。白羽は、こういう“相手と敵対するか否かの瀬戸際”といったシーンで、狼狽えることがない。「切り結ぶ、刃の下こそ地獄なり。飛び込んでみよ、極楽もあり」とでも言わんばかり、言葉の上で核心に切り込む癖がある。
「疑わしきは罰せず、なんて言うけど、私はそんなの信じない性質だから。疑わしきは試金石に掛けなきゃ。総ちゃんから聞いてた前評判と、覆った今の評価。現れたタイミング。私からすればとっても疑わしいものだった。だから試したの」
白羽の真正面からの暴露に、ベルは二の句を継げなかった。白羽は「それね」とベルが掴んだ紙を指さす。
「ウチのカバリストに作らせた、『カバリストなら絶対に受け取らない紙』なの。あなたたちにしか分からない論理で、目に見える脅威を示す。裏切る予定でいる人間は、自分が得意とする分野での危険物を絶対に拒否する。これは経験則だけどね、外れたことないんだ」
ベルは紙に視線を下した。総一郎も同様だ。紙は実際にはただ単なる紙でしかないが、アナグラム変動はやはり異常の一言だった。カバラを修めた人間なら、眉を顰めないものはないだろう。
「ソウ、君の姉君は性格が悪いね?」
警戒を滲ませた声で、ベルは言う。総一郎は苦笑して返した。
「うん、性格は悪いと思う。自分のコミュ力なら挽回できると確信して、初対面でこういうことする人だから」
「そ~う~ちゃ~ん~?」
冗談めかして怒りつつ、白羽は隣に座る総一郎の耳を引っ張った。「あたたたた。最近攻撃激しくない?」と文句を言うと、「ふんっ」とぷいとそっぽを向いてしまう。
「……」
言葉を失うのはベルだ。先ほどの、本音をぼかさず精神的に肉薄してきた底知れない相手が、数秒後には客人を前に弟とイチャつきだしたのだから無理はないだろう。
「ま、おふざけはこのくらいにしておいて。ベルさん、さっきの質問に答えさせて貰うね」
そしてまた、たった一言で雰囲気を引き締め直してしまう手腕は、慣れるまでは困惑を招く代物だ。白羽にかかればベルも手玉に取られるのだな、と何だか親近感がわいてくる。
「ベルさんの質問は、『ベルさんを仲間にすることで、薔薇十字団を敵に回す可能性があるのを理解しているか』だったね。そして、それに私は頷いた」
「あ、ああ。そうだな。その理由を教えてもらいたい」
白羽の切り替えの早さに目を白黒させつつも、ベルはきっちりと受け答えた。我が姉は、指を一本たててしたり顔で答える。
「単純な話だよ。私たちが今敵対する組織に、そのイギリス産カバリスト――薔薇十字団が与している可能性がある。つまり、ベルさんが何かするまでもなく敵の可能性があるんだね」
「ソウ、君は……!」
ベルは腰を浮かせて、総一郎の名を呼んだ。だが、総一郎も交渉術のやり方は押さえている。問い詰められる前に、彼女の欲しい情報を与えた。
「言い訳させてもらうと、話すタイミングがなかったんだよ。仲間以外にこんな重大な情報は漏らせないからね。そしてベルを仲間にしよう、面接しようって決まったのは、ここ数日の話だ」
「……なる、ほど。まぁ、そういうなら納得しようじゃないか。少々腹の立つ部分はあるが、仲間と認められたからには情報は共有してくれるんだろう?」
少々睨むようだったベルの目つきは、総一郎の説明に緩められる。だが、白羽はその流れを意図して読まなかった。
「徐々にね。今はまだARFのみんなからの信用も勝ち取ってないから、具体的な話は出来ないよ。ただARFの行動に従っていれば、遠くない未来に復讐そのものは為せるかもって考えてね」
ベルは白羽の言葉に出端をくじかれたような物悲しい顔をして、それから総一郎にむっとした表情を向けた。「俺にそんな顔されても困るよ」と総一郎は両手を挙げて降参のポーズだ。
ため息をつき、ベルは白羽に向き直る。
「分かった。敵同じくして、金銭的、技術的に援助してくれるというなら文句はない。だが、そちらが私を信用できるのか試しておいて、私が試せていないというのはおかしな話だと思うが、どう思う? ソウの姉君――いや、シラハと呼ばせてもらおうか」
ベルは眦を吊り上げ、反撃に打って出た。白羽はそれをにこやかに受け止める。
「前提条件が他のメンバーと全く異なるから、何とも言えないかな。ARFはもともと亜人差別の撤廃を目指す、人種を完全に無視した互助組織。共通するのは亜人が人権を持って生きられる世の中を希求することだけ。でも逆に言えばそれだけは通じ合ってると言える訳だけど――ベルさんはその理念を持つことができる? 亜人を魔物と呼んで、狩ることが教育に組み込まれていたあなたが」
「白ねえ、ストップ。喧嘩腰でどうなるの」
総一郎の制止に、白羽はひどく落ち着いた眼を向けるのみだ。一方で、ベルは難しい顔で動揺を示すばかり。イギリスは、そういう土壌だから。亜人に対して、差別という言葉を当てはめる考えそのものがないのだ。
「そうだね、少し言い過ぎたかな。何が言いたいのかっていうと、ベルさん。あなたはあくまで外部の人間で、あなた個人とARFは協力関係になっても同化はしないってことなんだよね。ベルさんはあくまでベルさん。ARFの仲間になるわけじゃない」
「つまり、私とはあくまで利害関係でしかないと?」
ベルは険を隠さずに言い放った。それに、白羽は首を振る。
「違うよ。私が言いたいのはね、信用出来る出来ないなんて、初対面で分かる訳ないってこと」
白羽はそこまで言って、努めて穏やかな笑みを浮かべた。ベルはハッとさせられるが、総一郎は静かに俯いて微妙な顔になる。
「私だって、その紙だけでベルさんのことを推し量れただなんて思わないよ。最低限組んでいけるかを確かめただけ。ベルさんが総ちゃんを信用の材料にして、面接に現れた理由と同じだよ。信用とか信頼とかっていうのは、これから積み上げていくものだと思う」
「そ、それはそうだが」
「だから、最初からものすごい重要な任務は任せられない。けど必ず仕事は振るし、その手際でちゃんと評価する。報酬も出す。そうやって一緒に働いていくことで、私はベルさんといい関係が築けて行けるんじゃないかなって思ってるんだ。それじゃダメ、かな?」
「……いや、そうだな。確かに、その通りだ。すまないな。どこか私は急いていたらしい。失礼なことを言ってしまったことを、謝罪させてくれないか」
「ううん、そんなのいらないよ。これからは協力関係なんだから、許しあっていこう」
総一郎は今日ほど白羽を、畏怖の感情でもって見たことはない。雰囲気、表情、口調、態度、そういったものを完全に支配下に置いた振る舞いは、自然に相手に非を押し付けた上で許す寛容な自分というものを演出する。
最初に失礼なことをしたのは白羽のはずなのに、あろうことかベルは自発的に謝りだした。カバリストの彼女がそういった術中にはまってしまったのは、まず白羽がベルを挑発し、怒りの感情でもってアナグラム解析の存在を忘れさせたがためだろう。
論理と感情の支配。天使というのはアナグラムを介さずにこれをやってのけるのだから、味方にすると実に頼もしく、それでいて恐ろしい。
この会話を皮切りに、白羽たちは雑談に移った。その盛り上がり様は竹馬の友のそれだ。恐るべきコミュニケーション能力であると、感嘆せざるを得ない。先んじて総一郎が冗談交じりに言った方法を、そのまま採用してベルの信用を半ばもぎ取ってしまった。
そんな風な目で見ていると、白羽は少し悲し気で可愛い子ぶって総一郎に絡んでくるのだから憎めない。どこまで見透かしているのか、操られているのかと思いながら、手玉に取られる今が楽しく感じられるのだ。
ともあれ、面接は滞りなく終わった。総一郎はベルに手を差し伸べる。
「これからはよろしく頼むよ、ベル。俺たちの敵は厄介だけれど、君がいてくれれば心強い」
「もちろんだよ、ソウ。私からも、よろしく頼む」
握手を交わす。アーリのように、分厚く、鍛えられた手だった。




