7話 死が二人を別つまでⅤ
昼過ぎ、件のノアのことを考えながら仙文、ヴィーと駄弁っていた。
「父親がいい加減帰らなさ過ぎて捜索届けだしたのよ」
「平然とぶっこんで来たネ!?」
仙文のツッコミに、総一郎もハッとしてその深刻さに気付く。雑談の入りとしてはかなりディープな内容だ。
「え、それ大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないわよ~。主に食費とか光熱費とか。必要に駆られて自炊始めたくらいよ?」
「ヴィー、かっこいイ……! 不測の事態にも普通に対応してル」
「流石だね。正直自炊するヴィーって想像つかないけど」
赤い髪の彼女のイメージは、基本的に優雅に紅茶を嗜む姿だ。まかり間違ってもエプロン姿で自炊などしなさそうに見える。
「失礼ね。何なら作ってあげてもいいわよ? その代わり材料費持ってね」
「ちゃっかりしてるね。でも興味あるし、一緒に行こうか、仙文」
「イイネ! ボクも食べたい!」
「わたくしも混ぜていただいてもよろしいでしょうか……?」
背後から生気のない声で入ってきたのはルフィナだった。口調といい態度といい、辻の要素はない。アルノの姿も近くに見えなかった。珍しい。
「ああ、お嬢様も私の料理興味あるの? ふふん、光栄じゃない。よだれ垂れるくらいおいしいの作って……何か疲れてない? どうしたの?」
「いえ、その、諸事情で実家の事業が傾いてしまって……。使用人をアルノ以外解雇して、今は食費まで切り詰めて、新事業に何を用いようかというのでいっぱいいっぱいに」
なるほどヴィーと違ってルフィナ本人はそれほど逞しくないらしい。「大変だネ。……ポテト食べる?」と仙文に差し出された一本を、ルフィナはまさかの口で食いついた。
「ほひょうばんに、んぐ、預からせていただきます」
「いいのよいいのよ、存分に食べなさい。ここの代金はイッちゃんが持ってくれるから」
「あ、俺なんだ。うん、いいよ」
困窮させたの俺みたいなもんだし、とまでは言わないが。シェリルがこの姿を見たら爆笑することだろう。もっとも、苦しんでいるのはルフィナなのか辻なのかは諸説あるところだが。
「……金策どうしましょう」
「切実! もっと明るい話しましょうよ」
「さっき父親が失踪した話したの誰だっけ?」
総一郎に言われ、てへ、ととぼけるヴィー。何かを思い出したのか「あっ、そうだ」と人差し指を立てる。
「そろそろイースターの時期じゃない? みんなどうしてる?」
イースター、と総一郎は思い出すように首をかしげる。そういえば、図書と清が何かやっていたような、いなかったような。
イースター、というのは春の訪れを祝う、キリスト教のお祭りだ。キリストの復活云々と聞いてはいるが、基本的にはイースターエッグを作って飾ってピクニックに行ったりする行事だ。
「イギリスでも何度かやったけど、店でチョコレート売ってないよね。自分で作るの?」
「え? ゆで卵にお絵かきするのよ? 何言ってるのイッちゃん」
お互いに「んん?」と首を傾げあう。同じキリスト教でも文化の違いが見られた瞬間だ。
「仙文、アメリカってリアルエッグなの?」
「リアルエッグって言葉中々聞かないわね」
「いやボクも留学生だから確証は持てないけど……。イースターエッグでショ? 卵じゃないノ?」
「イギリスでは卵の形したチョコなんだよ。買っても作ってもいいんだけど」
「へーっ、結構距離近いと思ったけど、ちょこちょこそういう違いあるのね」
ヴィーの納得に合わせて、おなかの音が鳴った。みんなの目線がそろってルフィナの方へ向く。彼女は恥ずかし気に顔を伏せて「すいません……、卵の形をしたチョコレートって美味しそうだなって思ってしまって……」と赤面だ。みんなしてルフィナにポテトを餌付けする。
「でも、イースターの準備を考えてると何か春って感じするわよね。だいぶ暖かくなってきたし」
「しょうでふわね。生憎とひょーふはひょーふなので我がひゃでイベントを企画したりはしまひぇんでひたけど」
「ルフィナ、飲みこんでから話そうね」
モグモグしながら言われても何言ってるか分からないが、こうやってアホな姿をさらすルフィナは普段とのギャップで妙に可愛いのズルいと思う。「すみませんカロリーが足りないと頭が回らなくて……」とまたもや恥ずかしそうだ。
「そういえば並木通りの桜が一気に満開になったよネ! 視界一面ピンク色でスッッッッッゴイきれいなんだヨ!」
ワクワクが止まらない! という元気さで仙文は桜の美しさを訴えてくる。無邪気な姿に「そうねぇ~」とヴィーは仙文の頭を撫でつけた。最近気づいたがこの二人は年の離れた姉と妹チックな関係性を築きつつあるらしい。同い年の異性の癖に。
「あ、ボクちょっとトイレ行ってくるね?」と席を立った仙文に、「あ、私も」「わたくしもご一緒します」と連れしょんというか。
「またヴィー、仙文が男なの忘れてる」
いつになっても治らないなぁ、と遠い目だ。それでいて仙文にちょっとばかり天然が入っているため、この傾向に拍車がかかっているのかもしれない。
「別にいいけどね、面白いし」
こういう日常のおかしな一コマは、物騒なやり取りに満ちた日々に彩をもたらしてくれる。ナイとかが現れてぶち壊しにしたらやだな、と考え、その考えを読み取って本当にやりかねないと背筋にゾクリときた瞬間だった。
目の前に、何者かが座り込んだ。総一郎は最初髪色からルフィナと見間違え、それから声もなく戦慄した。
色素の薄いその髪は、一目見ただけでは銀髪のように見える。だが、よく見れば金髪な長いそれを、頭頂部でひとまとめにして流している。さして特徴的でもない外見だ。しかし総一郎にとって、その外見を持つ少女は忘れがたい存在だった。
「やぁ、久しぶりだね。ソウ」
彼女は、微笑とともに唇を動かした。総一郎は、どんな顔をしていいのかわからない。敵対者ではないのだ。間違いなく。だが――末恐ろしいと認識していた相手でもあった。
「――ああ、久しぶりだね、ベル」
クリスタベル・アデラ・ダスティン。アナグラム上で、数年前ドラゴンを殺して回った総一郎よりも強いと判別した、かつての親友の恋人。人間に恋をして、どう猛な本性をいびつに隠してのけた少女が、そこで不敵に笑っていた。
「最近どうしてる? なんて漠然と聞かれても困ってしまうかな」
にこやかに話しかけてきたベルに、総一郎は苦笑でもって答えるしかない。本当に、なんと言葉を返していいか分からなかったのだ。
当たり障りのない話をして誤魔化しても、踏み入られる気がした。しかし、もともと根の深い話をするつもりも起こらない。しいて言うなら、話すことはないとこの場から去るのが得策のようにすら思えた。だがそれは、あまり失礼だ。
「そうだね。名を名乗るなら自分から、というし、私から先に話そうかな」
何も話しださない総一郎に、僅かにへの字口を作って、肩をすくめてベルは話し始めた。その所作だけでいうなら、学園で別れてから大きな変化がないようにも見える。
「少し用事があってね。それで渡米して、アーカムにたどり着いたんだ」
雑談だ、と理解して、総一郎は胸をなでおろす気持ちになる。それで、軽い気持ちで聞いた。
「用事、か。この物騒なアーカムに、わざわざ何をしに?」
「カバリストを殺しに」
ベルはにっこりと笑みを大きくする。総一郎は、雰囲気が張りつめたのが痛いほどに分かった。
「ごめんね。冗談ではないから、君の緊張を笑い飛ばしてあげることは出来ない。君に接触をもったのも、そこに大きく理由がある」
「……それは」
ベルの言葉と自分の有する情報から、総一郎は彼女の事情を言い当てようとする。だが彼女は先んじて言った。
「結論を急ぐのはよそう。それより、この数年でさらに強くなったのがすぐに分かったよ。ソウの近況も聞かせてほしいな」
あくまでも友好的な関係を築きに来たのだ、というポーズをとるベルに、総一郎は大きなため息をついた。イギリス時代の知り合いは、本題を切り出さずにどいつもこいつも“敵ではない”とアピールするばかりだ。それがうさん臭さを増しているとも気づかずに。
「いいよ、正直面倒くささが先に立っているけど、仲良くお話がしたいなら付き合おうじゃないか。先に言っておくがベル、俺は君に対してあまりいい印象は持っていない。理由はあえて言わないよ。言うまでもないことだ」
「手厳しいね。けど、それならそれでいい。理由……、そうだね。言うまでもないことだ」
総一郎の割り切った態度に、ベルは目をぱちくりとさせた。主導権を奪われたことが明確に理解できたのだろう。どうやって? 決まっている。
総一郎は推測をもとに先んじて電脳魔術のメールフォームを開けば、ジャストタイミングで連絡が来た。
『ごめんイッちゃん! 三人とも同時に用事が出来ちゃった! 余ったポテト全部食べていいヨ!』
総一郎はベルを見た。とぼけているのかいないのか、静かながらギラついた目で見返してくる。
「ポテト、食べる? 一人で食べるには多いから」
「いいのかい? ありがとう、ソウ」
不敵に笑う様は、かつてのベルのイメージと違う。あの頃の、“強さ”をひた隠しにしていたベルよりもずっと泰然としていて、自信に満ちた振る舞いだった。
ポテトをつまみながら、視線だけで話を促してくる。どこから話したものかな、と考えて、総一郎は口を開いた。
「まず、知ってるだろうけど、俺もカバラをある程度理解してる。君もだろ、ベル?」
「ソウの思考のアナグラムはものすごい速度で演算されるんだね。どうやってるの?」
「電脳魔術だよ。日本人なら誰でもできるけど、君は加護の関係で難しいかもしれない。BMCっていう脳内埋め込み型パソコンが少しお高いけどおすすめかな」
「恐ろしいものを勧めるね。アメリカに来てマッドサイエンティストになったの?」
「富裕層はほぼ全員やってるよ」
「……アメリカは恐ろしいところだね」
ベルは手を組んで飄々と答えた。イギリス勢は話した感触アメリカの技術進歩に驚きっぱなしな部分を感じるな、と総一郎は分析を。一部は使いこなしていた気もしたが、共有はうまくいっていないらしい。後進国だしなぁ、とはアーカムになじんで初めて下せるようになった評価だ。
「ま、それで細々とやってるよ。アーカムは物騒だけど、今言ったように最新の技術が生まれたりする場所でもある。学校の授業もためになることも多いしね」
「まるで戦いからは足を洗ったような口ぶりだね」
「はぁ、その聞き方をしてくるだけで、俺の隠したいことを暴いてくるんだからカバリストってのは嫌いだよ」
カバリストが気づいて調べようとした時点で、その答えを握っているようなものだ。気づかれないことが肝要で、それが最も難しい。
「多くは語らないよ。君の睨んだ通り、俺はアーカムでも戦った。大勢の人を犠牲にした。そして今、どうやって罪を償おうか考えている。死ぬだけじゃ償えないような罪を……だけどそれは君に関係のないこと」
だ、と言い切る前に、ベルは言った。
「君はどこへ行っても物事の渦中にいるね。ある意味では、ファーガスは君にそっくりだったよ」
断ち割るようにベルが発した言葉は、総一郎の記憶を激しく刺激した。ファーガス。総一郎の親友で、ベルの恋人だった少年。彼が居なければ、総一郎がベルと知り合うこともなかっただろう。
総一郎も、刺々しい態度をほぐさざるを得なくなる。死者を汚し、貶めるのは総一郎にとっても本意ではなかった。
「――ファーガス、懐かしいな。彼は、俺にとっても大切な親友だった。イギリスで、ファーガスが居なければ俺は真に孤独なままだった」
「ソウも大切に思ってくれるのは嬉しいよ。きっとファーガスも喜んでる」
微笑みは、不敵なものから温かさを含むものに変化した。同時、その右手は服の胸部を握る。アナグラムで分かった。ベルが握るのはペンダントであると。そしてその中に飾られる写真が、誰のものであるのかと。
「君はいまだに、ファーガスを想い続けているのか」
「数年経っても、変わらない想いはあるよ。ソウ、君だってまだ」
総一郎の無言の視線に、ベルは「口が過ぎたね。申し訳ない」と頭を下げた。総一郎は眉を顰め、ファーガスの話から問い詰める。
「ベル、俺はいまだに納得してないよ。君があの時俺を殺していれば、君はカバリストなんて言う厄介な相手にかかずらう事もなかったし、今君と共に居るのはファーガスだった」
「……ふふ。あの時もそうやってソウに怒られたね。よく覚えているよ。あの時の言葉は、今でも私の指針の一つだ。もう、大切な物事を前に躊躇ったりしない」
ベルは笑う。それはすべて過去のことだと。あるいは、過去のものにすべきだと。ベルがカバリストを殺そうと考えるのは、順当に考えれば復讐だろう。復讐でもって、過去のものにする。それはそうするより他に、飲みこむための手段がないという事だ。
総一郎は唇を噛んで、首を垂れた。
「ごめん。カッとなって、言ってはならないことを言った。君も強くなったって、そう思うよ。俺とは違って、心が、格段に」
ベルは総一郎を見て、静かに笑みを消した。それから少し黙って、への字口になった。考えているときの癖なのだろうか。ベルは息を吐き、前のめりに口を開く。
「私の話をしてもいいかな。もっと、深い話を」
ベルの呟きめいた小さな声に、総一郎は首肯を返した。銀色めいた金髪のポニーテールを揺らして、少女は身を乗り出してくる。
「この数年間、私はローラと共にカバリストのメンバーとして活動していた。どうやら私の父はカバリストの中でも上位に位置する人間だったらしくてね。ローラも同様で、そのツテで学校が事実上の崩壊を迎えた後、私たちはメンバーとして迎え入れられた」
ベルが語るのは、総一郎がUKの地を去った後のことだった。予定調和的に、あの貴族の園は潰えたのだろう。クラスごとに憎悪を高めあって、殺し合い、仕掛人たるカバリスト以外全滅した。
「ベルも、彼らの仲間になったんだね。そこでカバラを」
「さしたる実力はないけれどね。次期団長の決まっていたグレアムや、天才のローラほどじゃないよ」
天才。総一郎は思う。確かにあの高速高負荷暗算は天才的だった。だが単純な処理能力を高めたいだけなら、電脳魔術を使えばいいことを今の総一郎は知っている。カバラは有していれば上の次元の戦いができるが、カバラだけで戦うのは不可能に近い。
カバラは本質的に、アナグラムを合わせるための媒体を求めるのだ。
「ただ私はそこそこ戦えたからね。現薔薇十字団の戦闘部隊員として、いくらか任務に就いたよ。その中で、何度も手を汚した。カバリストはUKを良くする、という理念のもとに何だってやるからね。例え、無垢な子供を殺すことだとしても、必要ならばやらされる」
「……カバリストらしいやり口だ」
「長くいればいるほど、カバリストを唾棄すべきものだと感じたよ。その中でファーガスの死の真相を知って、私は反旗を翻すことにしたんだ」
反旗。総一郎ができなかったこと。知らず知らずに、総一郎もまた前のめりになっていた。カバリストを相手取るのは非常に手間だ。アーリ一人を相手に、ウッドは苦戦を強いられた。
「たった一人で多人数のカバリストを相手取るなんて、可能なのか? たとえ自分がカバラを修めていたとして、反抗の意思だけでもすぐに察知されてしまうんじゃ」
「難題だったよ、裏切りそのものは。実際すぐに気づかれたしね。だけど彼らは、概して戦闘そのものに長けているということは少なかった。殺すだけなら相手の出来損ないの魔法をつぶすだけでいいからね」
出来損ないの魔法と聞いて、総一郎は聖神法を思い出す。それは、意図して弱体化させられた魔法の改悪だった。
「懐かしいね。それでいて嫌な記憶だ。でも、カバリストも聖神法を使うの? 魔法よりも弱くて、貴族たちを制御しやすくするためのものだと思っていたけど」
「魔法そのものを使うには魔法親和力がいるじゃないか。つまり、亜人の協力が。でもそれがないためにあんなまだるっこしい方法で貴族を滅ぼしたカバリストたちが、親和力を有する理由もないだろう? それに聖神法は親和力がいらないという点のみにおいて、魔法を上回ってるからね」
「何だ、カバリストたちも聖神法に頼らざるを得なかったんだ。それなら頑張って潰せたかも」
やっておけばよかったな、などと総一郎は口にするが、交換条件として渡米やローレルの保護を差し出されてもいた。またあの時に戻っても、カバリストへの逆襲という選択肢を選ぶことはないだろう。
だが、交換条件がなかったなら。ただ敵として、カバリストがそこにいたなら。ベルはきっと、意図して自分をそんな立場に置いたのだ。
「単純な戦力としては、カバリストたちは脆弱だったよ。ただ、逃亡能力は高かった。直接の戦闘というよりも、戦闘を介さず勝利と同じだけの利益を得ることに長けた組織だったんだろうなって、今では思うよ」
「それで、その逃げたカバリストたちを追ってアーカムに?」
「そんなところだね」
まるでおかしな出来事を思い出すように、ベルはフフッと笑う。その異常な精神性を、修羅と評したこともあった。だが、今は違う。修羅はただあらゆるものの敵だ。誰かを愛しながら、なれるものではない。
とするなら。
憎い相手を殺したと示唆して笑うベルは、復讐の鬼か、生まれながらの殺人鬼か。
「ソウ、何だか失礼なこと考えてない?」
「カバリストの目の前で妙なことを考えるべきじゃないね」
両手を挙げて降参のポーズ。そうしながら、総一郎は考える。
伝えるべきか否か。その残党の一部に、ローレルを介して遭遇したという事実を。真にベルのことを考えるなら、伝えるべきだ。きっとその頃奴らは逃げて痕跡も残っていないだろうが、意図的に消されたアナグラムはある種のヒントにもなる。
だが、とも思った。ローレル。今でも愛している、記憶を失わせた彼女のこと。ベルはローレルを害するだろうか。判断は難しかった。ファーガスの仇ではないにしろ、カバリストではあるのだ。
鬼。単なる鬼ならば、遭ったことも、殺したこともある。かつて日本を覆った人食い鬼たち。だが、ベルは奴らと違って底が知れない。
――判断に掛けた時間は僅かだった。電脳魔術に時間魔法を掛け合わせた思考加速術で、総一郎は迷いのアナグラムをごく短時間に切り詰める。それから、平然と言ってのけた。
「それなら、気になる話が一つあるんだ。きっとカバリストだと思うんだけど、妙な連中を見たことがあってね。表現は難しいんだけど――完全に誰かの支配下に置かれていたというか」
「支配下。……詳しく聞かせてもらえるかな」
総一郎は、自分の話、修羅の話を交えて修羅化したカバリスト達の奇行をベルに伝える。シェリルのシスターとともに云々などの詳細は省くにしろ、統制のとれた奴らの動きが奇妙であったと。それを聞いて、彼女はひどく難しい顔をしていた。
「その、シュラ? とかいうのは、ソウ以外に使える人間は居ないのかな」
「俺のほかに確実に使えるのは」
確証を持って言えるのは、一人だけだ。だが、それを口にするのは躊躇われた。ベルの目を見る。ギラついていながら迷いのないその眼光は、総一郎に隠し事を許さない。
「俺の、父さんが、使えるはずだよ。他は、未知数としか言えない」
「名誉を汚すわけではないが、ソウの御父上にはそうする動機はないかな。カバリストを知っているんだろう?」
「判断材料が少ないから、それも分からない。父さんからもらった本の導きで、俺はカバラを習得したから」
勝手に選んだ本ではあったが、カバラがある以上誘導されたという気もする。少なくとも、父が嫌悪を示したのはナイと日本転覆を阻止できなかった時だけだ。
「そもそも、御父上はアーカムに居るのかな。居ないのならば違うだろうが、居るならば自然と容疑がかかるというものじゃないか」
「それは」
総一郎は、言葉に詰まる。喉につっかえる何かがあって、強引に吐き出した。
「わか、分からないんだ。もしかして、と思う瞬間はあった。けど、それを認めた時、俺は父を敵に回すことになる。あの、頼もしくて、俺を育てて守ってくれた父を」
最悪の想定の一つだ。偽ウッドの正体が、父であるなどと。かつてナイを退けた父が、ナイの手の中に陥落し、総一郎に切っ先を向けてくるなど。
総一郎は、昔よりずっと強くなった。だがそれでも、父を超えたという気は全くしない。ウッドでさえ、きっと赤子の手をひねるように打ちのめされただろう。過去を思い返すに、知識も実力も身に着けたからこそ、あの父の底知れなさが分かるのだ。
「御父上を恐れているんだね」
「それは! ……そう、だね。そうだ。俺は父さんが怖い。けどそれ以上に、家族として愛しているから激突したくないんだ。尊敬する人が敵として現れるなんて、それこそ悪夢じゃないか」
ベルはそれを聞いて、目を細めて言う。
「ソウ、君は昔の印象から、ずっと変わった。何ていうか、人間らしくなったと思うよ。アナグラムは間違いなく過去よりも強くなったことを示しているのに、人間関係のために繊細になっている」
含みがある、と思った。ナイに言われた言葉。一人でいる時が一番強かった、と。裏を返して、誰かといれば弱くなる、と。
ナイは総一郎の動揺目的なのが透けて見えるから、さして腹も立たない。だが、本音でそのような旨を口にされるのは我慢ならなかった。
「それを悪いことだと捉えるなら、君と協力関係を結ぶことは出来ないよ。俺は、人間として生きるんだ。罪を償いきるその時まで」
「罪、か」
ベルは総一郎の言葉を反芻して、腕を組んで目をつむった。それから、小さく、漏れ出すように笑う。
「何か、面白かったかな」
「いいや。面白かったというより、私にとってうまく運んだな、と思っただけだよ。ソウ、君が有能で、力強い協力相手であることをとっくに私は知っているんだ。その上で、どうやって口説き落とそうかと考えていたけれど……やっと、見えた」
ベルは、目を開く。ギラついた眼はまっすぐに総一郎の本心に問いかけてきた。
「君は人間でありたいと願っている。それを、きっと私は手伝うことができると思うんだ。まっとうな人間にはできない汚い仕事を請け負うという形で、私は君の繊細さを尊重したい。代わりに、君にできて私にできない多くのことに、助言してもらえないかな。君がもし、カバリストを憎んでいるのなら」
ベルは手を差し伸べる。そこに、総一郎はウッドの手を見出した。総一郎に消しえない嘆きを、代わりに社会にまき散らした修羅の手。だが、ベルは勝手に判断して暴れまわるということはない。少なくとも、会話の余地を残している。
総一郎には、人を傷つけないためのスタンダイヤモンド弾という攻撃方法と、『灰』という完璧に近い防御方法がある。けれど、いつかまた、誰かを殺さねばならない日が来るだろう。その時、ベルの助けがあれば――
「今すぐ」
総一郎は、明確に首を振る。
「今すぐ答えることは、俺にはできない。それは、優柔不断と君は思うかもしれないね。けれど、もう俺は重要な決断を自分一人でするつもりはないんだ。独断はいずれ破綻する。ベルの申し出はありがたいけど、今は保留とさせてほしい」
「……そう。いいや、構わないよ。その繊細さを尊重する、と口にしたばかりだ。なら、気長に待たせてもらおうかな。どうせカバリストたちは君を『救世主』と崇めているんだ。君がアーカムにいる限り、奴らはこの街にいるだろうしね」
肩をすくめ、またもや不敵に笑うベルに、総一郎も肩の力を抜いた。
「『救世主様』、ね。ああやって呼ばれたときは何事かと思ったよ。いまだにそうだったなら、ちょっと気味が悪い」
「ああ、全くだ。じゃあ、色よい答えを待ってるよ、ソウ」
にこやかにベルは笑い、立ち上がった。踵を返し、その色素の薄い金髪のポニーテールがたなびく。そして気づくのだ。筒めいた長い棒状のものを、ベルが背負っていることに。
「弓」
総一郎は、かつてのベルの武器を思い出す。貴族の園で学生をしていた時、アナグラムでもって勝てないと理解させられた、彼女の力量。
どれほど強くなったかは、解析しなかった。ただ離れていく背中を見つめ、白羽になんと説明しようかを考えていた。