7話 死が二人を別つまでⅡ
「わっ、総ちゃんモテモテ」
白羽のぽかんとした言葉に、総一郎は苦笑するばかり。背中からシェリルに抱き着かれ、正面に清を抱え、清と共にウルフマンが落ちないように支えている。
「一人なら軽いものなんだけど、二人と頭一つとなると中々重いね。白ねえ、何でみんな俺にくっつくのか分かる?」
「……さぁてね? 私にはさぁっぱり」
思わせぶりな笑みは、知っている証拠だ。だが掘り下げるのは墓穴だろうと直感したので、総一郎は「じゃあ仕方ないね」と肩をすくめた。総一郎に密着する三人が小さく舌打ちをする。身近な脅威を感じる一瞬だ。
「それはそうとして、今日会議するから気持ちだけ整えておいてね。ハウハウも呼んだ、結構ガチな奴」
「内容は?」
「三つ。差別対策の話と、最近台頭してきたヤバそうな敵対組織の話、それにマナちゃんの話」
「分かった。シェリルもこれからはちゃんと参加しなきゃダメだよ。あっ、こら逃げるな」
「んにゃっ、逃げたからって足に電撃ダイヤモンドぶつけることないでしょ! めっちゃビリビリ来たんだけど!」
「シェリルの耐久性を俺は信じてる」
「うるさいドS。もー……逃げないから解いて」
素早く逃げ出し足をダイヤモンドで拘束されて地面を転がるロリヴァンパイア。「いいけどタールでべっとべとに汚れるよ」と告げると、「じゃあ自力で抜け出す」と言って全身を霧にして抜け出した。足枷型に作られた奇妙なダイヤモンドの塊がそこに残される。
「おぉ……、これ貰っていいか、総一郎」
頭の側面についたオカメの面を揺らす清が速やかに総一郎から下りて、∞の形になったダイヤモンドを持ち上げた。戸惑い気味に許可を出すと、跳び上がって喜び、自室へと駆けて行ってしまう。
「あの子もすげぇよなぁ。曲がりなりにもARFの面々に囲まれて、あれだけ自由にふるまえる小学生居るか?」
「俺は無言で落とされて頭を打って、叫び声の一つも上げない君のがすごいと思うよ、J」
真っ逆さまに地面に激突したウルフマンの頭を抱える。冷静に考えると何だこのメンツ。
そんな風に呆れていると呼び鈴が鳴ったから、「ハウハウだね。じゃあ始めようか」と白羽が言った。総一郎たちはそれぞれ頷いて、会議の準備にかかる。
居間の大テーブルに、ARFの面々がそろっていた。それぞれが神妙な顔で向かい合い、上座に白羽が、会議を補助するアーリはそのそばで立体視デバイスをいじくっていた。
「では、これからARFの方針会議を始めます。総員、礼!」
一礼。この辺りの慣習は、アメリカにはないものだ。きっと白羽が取り入れたのだろう。あまり仲のいい印象はなかったが、姉にも父の影響が残っていたのか。
「今回の議題は、そろそろ始まる『アーカム市長選』、突然現れ急激に力を伸ばしてきた宗教組織『ノア・オリビア』、そして行方不明状態にある私たちの仲間『東雲愛見についての情報』の三つとします。他に何か取り立てて議題に挙げたい話題はある?」
「俺からいいかな。その、つい先日カバリストと遭遇したんだ。カバリストっていうのは、イギリスを大元にした『薔薇十字団』とかいう、カバリスト達の本家みたいな奴らなんだけど」
総一郎の意見に、白羽は頷いた。アーリはそれを受けて立体視デバイスを操作し、さらに議題を一つ増やす。
「では、『アーカム市長選』『ノア・オリビア』『東雲愛見についての情報』『本家カバリスト達』の四つを議題として、今回は会議します。それ以外にはないってことで、いいね?」
白羽は全員を見回して、それぞれが首を縦に振ったのを確認してから「では最初に」と切り出した。
「まず、差別撤廃運動として最も重要な活動の一つとして、近々始まるアーカム市長選について触れるよ。ハウンド、説明して」
「あいよ、ボス。じゃあまずこれを見てくれ」
白羽に代わってアーリが全員の前に立った。彼女は空中で軽く電脳魔術の操作と思われる指ふりをしてから、立体視デバイスに反映させる。
そこに映っていたのは、どこか見覚えのある中年男性だった。総一郎は軽く首をひねってから、思い出す。
「これ、ARFのみんなで殺人中継した前市長じゃないか」
「正解だ、ソウ。他の奴らはその場にいたから覚えてるよな。お馴染み、亜人差別を何年も激化させてきたクソ野郎だ。屋敷の地下牢に亜人奴隷の死体がいくつも積み重なってたのは、記憶に新しいと思う」
それぞれが感慨深く頷くのを見て、自分の知らない歴史があったのだなと総一郎もしみじみと。「でだ」とアーリは続ける。
「そんなクソ野郎が晴れてこの世を去ったからには、アーカムの市長は現在空席になっているのも分かると思う。市長ってのはアーカムみたいに問題の多い街においては影響力があるモンだ。つまり、市長がアタシたちの息のかかった人間であれば、差別も大きく減じられるだろう、っていうのが今回の作戦の核となる」
政治的な話になってきたな、と理系の総一郎は難しい顔だ。嫌いなわけではないが、それよりはロボットの仕組みだったり魔法の構造だったりを話しているほうがワクワクする。
一方で白羽はこちらが本領なのか、目をキラキラさせて立ち上がった。ここからの具体案においては、ボスである白羽が示すという事だろう。
「そこで、私たちが目を付けたのはこの人――五百旗頭、飛悟さん、JVAの現トップを推薦したいの」
デバイスが映像を切り替えた。そこに映るのは初老の男性だ。見たことがある、と総一郎は手を口元に運び、思案のポーズ。そういえば雑談で演説の映像を流したような。
「彼はとても優れた人で、日本人だから亜人差別にも強く反対してる。JVAっていう人気組織のトップとして声明もいくつか出したから、出馬したときの投票数も悪くないんじゃないかって踏んでるよ。あとは、本人に出馬の意思があるかどうか」
「でも、彼は日本人なんだよね。確かにJVAは人気の高い組織ではあるけど、その辺りはどうなの?」
総一郎の質問に、白羽はアーリに目配せする。
「確認を取ったけど、帰化してたよ。国籍取得済み。多分アーカムで日本人を守ることを、残りの生涯の目標にしているんじゃないかな。いくらかインタビュー動画があって、それを確認した感触なんだけど」
「その動画に関してだけど、アタシが解析した限りその辺りのアナグラムは読み取れたぜ。思想的にはアタシたちに近いものがある」
デバイスが変化して、数字の羅列が流れ出した。亜人組は速やかにそっぽを向き、総一郎は凝視する。二秒ほど電脳魔術での演算を経て、総一郎は頷いた。
「ありがとう、納得したよ」
「おっけ。それでね、色んなツテを使って、今晩会食の機会を設けたんだ。総ちゃん付き合ってもらえる? そこでヒューゴおじさん口説き落として出馬してもらお?」
「いきなりだね。いいよ」
「よっし。じゃあ他に質問はある?」
白羽が見回すも、誰も質問がないようで小さく首を振っている。「政治分野はボスとヒルディスさんの領分じゃないですか」というウルフマンに、表情は変わらないまま白羽のアナグラムが寂しさのそれを示した。
総一郎は、まだパーツは集まり切っていないのだ、と思う。ARFの幹部たちはある種一つの関係性の完成形で、全員揃えないと十全に回らない、と。
「じゃあ次ね」と白羽はアーリに視線をやった。
「みんな、このリストを見てもらえる?」
表示されたのは、五つの名前だった。人名とは思えない独特のそれらは、恐らく組織名の羅列だろう。「あ、私が昨日潰した奴」とシェリルが言った。総一郎は驚いて視線を向ける。
「ん? どうしたのソウイチ。ははーん? もしかしてビックリしたんでしょ。ふふん、それ見たこと。私だってこのくらい軽くこなしちゃうんだからね」
「あ、うん、いや、……そうだね、そもそも君はウッドを手玉に取るくらいのことは出来るんだから、そのくらい不思議じゃないのか」
幼い外見と戦うイメージのなさで、すっかり失念していた。シェリルは、ウッドが『闇』魔法を使わねば追い詰められなかった相手なのだ。今だって仙術がなければ素の実力で太刀打ちできなかったかもしれないほど、吸血鬼の能力と魔法親和性は力強い。
そんな驚愕交じりの再確認に、白羽は茶々を入れる。
「良かったねシェリルちゃん。聞いてよ総ちゃん、シェリルちゃんってば『ソウイチにいいとこ見せるんだから!』って仕事ちょうだいってうるさいくらいだったんだよ? 一応お目付けにハウハウ付けたけど、出る幕がないくらいの張り切りっぷりだったんだって」
「ああ、昨日の暴れっぷりはそういうカラクリだったんだな。何だよ、ヴァンプも可愛げあるじゃん」
「あぁああああああああああ!」
顔を真っ赤にして手を振るシェリルの頭を、総一郎は慈愛の笑みで撫でつけた。嬉しさと恥ずかしさをないまぜにしてうずくまる小さな吸血鬼をみんなで生暖かい目で見てから、「脱線したね」と白羽はまた会議の緊張感を取り戻す。
「シェリルちゃんの言う通り、これはARFの敵対組織のまとめだよ。その内ハウハウとシェリルちゃん、後はアクティブ状態にある子飼いの戦闘人員たちに、大きく行動に出る前に整理してもらったのがこれ」
五つ中の四つに取り消し線が引かれ、静かにフェードアウトしていった。残るのはたった一つだ。その名を、総一郎は初めて知る。
「『ノア・オリビア』。これはね、現状明確には敵対していないけど、私が一番に危険視してる組織なんだ」
白羽の目が、据わっていた。総一郎は無意識に唾をのみくだす。白羽は少々の時間黙って、会議出席者の注目が一手に自分に集まるまで待ち、話し始めた。
「この組織はね、今のアーカムで一番勢いのある新興宗教団体なの。最も特筆すべきは、彼らは『ウッドが神の遣いである』というのを信条とした、ウッドの被害者を根幹に据えた組織であるという事」
総一郎は、体が強張るのを感じた。白羽はまっすぐに総一郎を見つめてくる。厳しいように見えて、アナグラムが示すのは心配のそれだ。総一郎は言葉を探して「大丈夫だよ、続けて」とだけ言った。
「もともとウッドの被害者――つまり、ハッピーニューイヤーで生きたまま首と胴体を切り離された人たちは、ある一時期こぞって病院から失踪したのは、みんな知ってるよね。けど一方でこの組織に彼らが集っているという事は、知られていない」
「なんか変だな。何でかは分からないけどよ」
「ウーくんの言う通り。変なんだよ。っていうのは、アレだけの大事件の真相めいたものが、世の中に広まっていない。マスメディアが沈黙してるだけなら、さして不思議な話じゃないよ。大金握らせれば都合の悪い真実くらいなら黙っててくれるからね。でも、民衆はそうもいかない」
「SNSでも、この事が騒がれてないってことだな」
アーリの補足に総一郎は口を閉ざした。かつてウッドの正体であることがバレた身としては、考えられない事だった。一度知られた重大な事実は、最初たった一人しか知らずとも翌日の昼までにはあらゆる全員に知られている。この現代は、そういう時代だ。
無論、ウッドが行ったように、SNSや警察のサーバーに細工をし、アナグラムにのせた遠隔精神魔法での記憶操作も考えられないことはない。しかしそれだったら総一郎は察知して防御できる。一度も耳に入ってこないという事はないだろう。
「何かしらのミーム的細工が働いてるのかなって考えてるけど、方法は不明。現状ハウハウの調査頼みって感じだね」
「ウチの部下に潜入調査が得意な奴が、すでに組織内に紛れてくれてる。ただ、難易度はかなり高いみたいだな。他の反亜人を掲げる武闘派の教会の潜入捜査員が、つい先日つるし上げを喰らったって話だ。しかも教会本部側も改宗してノア・オリビアに参加したって聞いてる。きな臭いってレベルじゃないな。勘づかれたら命が危ないからって、ろくに動けないらしい」
アーリの現状報告に、それぞれ苦い顔だ。ウッド絡みというだけでも嫌なのに、妙な何かを秘めている。
この感じは、間違いない。総一郎は直観する。そこにナイが居ると。あの愛しくも恐ろしい、不俱戴天の少女はそこで力を蓄えているのだと。
確証はないが、白羽に後で伝えておく必要があるだろう。一時期は、ウッドと共にナイと暮らしていた姉だ。説得は難しくない。
「ひとまず、ノア・オリビアについてはこんな感じ。何とも言えないけど、何か起こったら注目すべき相手だから覚えておいてね。――それで、多分次のこれが、一番みんな気にしてることだと思う」
アーリが何も言わず脳内コンピューターを操作した。デバイスが静かに映像を切り替える。見覚えのある顔。そんな彼女の裏の顔。眼鏡をかけた穏やかな少女に並んで、彼女が目を包帯で覆った剣呑な姿が映し出された。
「マナちゃん――ARFのアイに関する情報が、いくらか集まったよ。動き出せる最低限だから説明しながら色々と意見が欲しいの。みんなお願いね」
それぞれが、硬い意志でもって頷いた。総一郎はウルフマンを見る。首だけの彼は、しかし誰よりも強い目で、映像の愛見を見つめていた。
「ハウンドが集めた情報によると、アイはもっぱら墓場で存在を確認されてる。だから監視カメラをアーカム全域の墓地に設置したんだけど、残念ながら成果は芳しくなかった」
「無口じゃなくなった人の集めた情報って、本当に信じられるものだったの?」
シェリルの疑問に、アーリは説明する。
「信憑性の話は判断しがたいが、少なくともその話を口にした連中は、自分が見たからっていう認識で話してたぜ。そこで立てられる仮説は二つだ。一つは『アイにもう墓場に現れる必要はなくなった』、もう一つは『墓場に出没するっていう情報を意図的に拡散する必要があった』」
情報戦を何度もこなした人間としては、情報の意図的な拡散は身近なものだ。だがシェリルにとってはピンと来ないらしく首をかしげていて、ウルフマンは隠しもせずあくびをかましていた。白羽が苦笑して、アーリの話を結論に持っていく。
「どちらにせよ、監視カメラにアイの姿が捉えられない以上、これ以降も墓場に近づくのは危険って判断したよ」
「わかった、ありがとね。無口じゃない人、ボス」
「そろそろあだ名か名前で呼んでくれねぇかなぁ」
アーリのボヤキは黙殺され、白羽は淡々と説明を再開する。
「次に気になるのが、最近のゾンビ騒動かな。みんな知ってる?」
ウルフマンとシェリルが首を振る。デバイスはSNSの書き込みや、複数の記事を表示した。
「ここにも書いてあるように、最近民間でゾンビ騒動が散見され始めたの。警察とかJVAが素早く対処してるからパンデミックみたいなことにはなってないんだけど、さすがにちょっと妙でね。アイが墓地で目撃された件と何か関連してるんじゃないかって踏んで調査中なんだよ」
「確か、俺がシェリルのシスターと一緒に見た奴だよね」
「何それ」
総一郎の確認に、シェリルが動揺の視線を向けた。白羽はシェリルを無視して「そうだよ」と話を継ぐ。
「総ちゃんが見たのが、最初期の騒動の一つかな。最初は墓地付近で何度か騒動があったけど、最近は出現場所が変わってきてるって話」
「どこに変わったの、白ねえ?」
「孤児院とか、老人ホーム、それに反亜人を謳った学校施設がいくつか――つまり、武力的に無力な人間が多く生活している場所に、頻繁に出現するようになったみたい」
沈黙が、会議に下りた。嫌な想像しかできない、そんな出現場所だった。白羽は深く息をついて、「お察しの通り、かな」と説明を再開する。
「JVAは昔っから人食い鬼に手を焼いてきた分対応が迅速なんだけど、反亜人の学校施設保護は警察の領分だから、被害者も多いよ。ただ妙なのが、噛まれてゾンビ化した~、みたいな被害じゃなく、全部拉致被害っていう点なの」
「ゾンビのイメージと違うな。おれのイメージより、何ていうか……なんて言うんだ? 頭がいいというか」
「そう、ウーくんの言う通り、ゾンビの行動に何かしらの目的が透けて見えるんだよ。知性的、っていうのも変な話だけど」
「アタシとボスの見解では、このゾンビたちには『裏で操ってる何者かが居る』んじゃないかって推測になってる。そうしたとき、その何者かにあたる奴がアイなんじゃねぇかってな」
総一郎はウルフマンを見た。彼は目を伏せて、黙したまま何かを考えこんでいる。
「もっとも推測の域を出ないけどね。で、ここからが本番」
白羽の言葉に反応して、アーリは指で空中に軌跡を描く。映像は切り替わり、動画再生画面が映し出された。
「墓地じゃない場所の監視カメラに、偶然小さくアイが映り込んだ映像データを入手してね。ハウンド」
「あいよ」
動画が再生され、その一部が拡大された。前世の価値観で言えば、驚異的な解像度で小さく映ったアイが眼前にさらされる。
そこに映っていたのは、ARF時代のアイをさらに退廃的にした姿だった。つまり眼鏡はなく、代わりに包帯を巻いて、そしてボロボロの真っ黒なドレスのようなものを着ている。彼女は建物の影で立っていて、力なくゆらゆら揺れ、また隠れようとする。
「ストップ」
動画が止まった。アーリがさらに操作を加えるとアイの手元が赤丸でくくられる。
そこには、妙なものが握られていた。下が大きく、上に行くにつれて小さくなるようなでっぱり。シェリルが目を細めてその正体を見抜こうとする。総一郎も身を乗り出して、カバラで割り出そうとした。
「鐘だろ。ガランガラン鳴らす、鐘」
看破したのはウルフマンだった。白羽は頷いて、アーリに続きを促す。
「うん、そうだよ。しかも、かなり曰く付きの鐘」
映像が変化し、データが出てきた。古めかしい模写とその説明。明確に鐘と理解できる画像だが、そこに掘られる文様の異様さが直に伝わってくる。
「ハウンドが画像検索をビッグデータに掛けたら発見したのが、この『ギラルディウスの鐘』。鳴らすだけで死者と接触できる、呪術師御用達のお手軽アイテムだよ」
「J、これは元々愛さんが持ってたもの?」
「違うと思うぜ」
総一郎の問いに、ウルフマンは振れない首の代わりに目を閉じた。「つまり、鐘を愛さんに与えた人間がいる、ってことかな」と思案する。
全員が、アイ――愛見のことを深く思案している。ウルフマンだけじゃない。白羽は当然として、アーリ、シェリルも。その時、不意に気づいてすごいと思った。
誰も、愛見が自発的に裏切ったなどと考えていない。彼女を責める声も、気配もない。それがあまりに自然すぎて、総一郎がこの瞬間まで気づかなかったほどに。
ARFのメンバー全員が言う、「一枚岩」という表現。伊達ではないと、そう感じた。誰も仲間を疑う気配もない。それぞれが信頼で繋がりあっていて、それを当然だと理解している。総一郎のように、気づくことすらないのだ。
重ねて、すごいと思う。白羽が作り上げて、みんなでまとまりあった組織。ARF。隠し事、嘘、裏切りに溢れた総一郎の人生には、これまで思い浮かべすらしないかった存在。
それを、壊そうとしている存在がいる。事態を悪化させるべく、そういった働きかけを嬉々として行う存在。思い浮かぶのは、一人だ。
「白ねえ、どこまでこの鐘について分かってる?」
「この鐘が、ミスカトニック大学の稀覯本に情報が載ってたくらい。警察を始めとしたデータもクラックしてみたけど、この鐘の使用歴は確認されなかったよ」
「じゃあ、ノア・オリビアに探りを入れてもらえないかな」
「……」
白羽は総一郎の提言に口を閉ざした。嫌そうな顔を見るに、総一郎の案が的外れでないことを、そしてその厄介っぷりを即座に理解したのだろう。
「総ちゃん。それはその、つまり、“そういうこと”っていう認識で、いい……?」
「うん。とても危険なのはわかるけど、俺には他の案は特に思いつかないかな。命を最優先するのはもちろんだけど、深入りする必要があると思う」
「何でそう思ったか、詳しい話、聞かせてもらっていいか」
アーリが猟犬の目で見てくる。総一郎はその視線を受け止めて、一度全員を見てから「そうだね」と息を吐いた。
「根拠としてはあいまいだけど、俺としてはこれ以外考えられなかった。長い話になる。一度、共有しておく必要があるとは思ってたんだ。その」
躊躇いに、総一郎は目を伏せた。ここに居るのは、全員かけがえのない友人たちだ。だからこそ、知られるのが怖いという矮小な怯えがあった。ノア・オリビアを始めとした多くの出来事の黒幕、ナイ。彼女に目を付けられていると、他者に話すことを恐れた。
だが、話さねばならないとも思っていた。――違う。話したいと思ったのだ。かけがえのない友人、では足りない。総一郎は、憧れてしまった。裏切った仲間を疑いすらせず淡々と取り戻すために尽力する。そんなARFの仲間に、自分もなりたいと。
例え、限られた時間だったとしても。
だから、総一郎は深呼吸をする。ウッドとなって暴虐を尽くした自分を救ってくれたみんなに報いたいと。本当の意味で仲間になりたいと。震える唇を落ち着けて、臆病な心のために前置きをする。
「とても、おぞましい話になる。怒られるかもしれないし、気分を悪くさせてしまうかもしれない。事実シェリルは俺と記憶共有で泣き崩れたし、アイデンティティの混同すらあった。――だけど」
総一郎は、顔をあげる。
「それでも、ウッドだった俺を見捨てないでくれたみんなに、俺は聞いてほしい。今回ノア・オリビアを調べてくれと言ったのは、俺の半生を大きく形成した、一柱の邪神が関わっている可能性が高いからなんだ。まずその因縁についてから、掻い摘んで話させてもらってもいいかな」
それぞれの顔を見る。Jは今更何が来ようと、と侮っていて、アーリは僅かに思い当たることがあるのか緊張に口を引き結んでいる。一方すでに知っている組は、シェリルは少し嫌そうな顔で溜息をついて、白羽はまっすぐに総一郎を見つめ、勇気づけるように微笑んでいた。
「じゃあ、話すよ。そもそもの話は、俺の前世にまでさかのぼる」
一呼吸置く。また部屋を見回して、ナイが気まぐれに現れていないか確認した。だが、居ないことが何だか不気味に感じさえする。現れないのは、総一郎の邪魔をする以上にやることがあるからだ。それがたまらなく、恐ろしい。