7話 死が二人を別つまでⅠ
総一郎は、図書館で調べ物をしていた。
数冊の亜人や呪術にまつわる資料本を複数開き、気になるワードを電脳魔術内のメモ書きに転写していく。指でなぞれば自動で現実より文書をコピーし、宙に浮くメモ帳を軽く叩けば完了といった塩梅だ。
イギリスではわざわざノートを取っていたのになぁ、と時代の進歩をひしひし感じる。ずいぶんと調べ物が楽になったものだ。と苦労した分感動もひとしおだ。
このことを図書に情感豊かに伝えたら古代人扱いされたが。白羽はただ微笑んで総一郎を撫でていた。
「納得いかない、のはさておき。こんなものかな」
ある程度まとまったところで、総一郎は一度伸びをして電脳魔術のメモを眺めた。ゾンビ、キョンシー、不死鳥などの情報に、中国やヴードゥの呪術、そしてナイの使う深淵の〈魔術〉についての考察がずらりと書き連ねられている。
キーワードは、「死者蘇生」だ。最近何かと想起させられる存在に出くわすから、一度調べておこうと思ったのだ。
「ゾンビには遭遇したし、辻さんには『死者を蘇らせればミヤさんを敵に回すぞ』とか言われたしね。あー、そうだ。そういえばミヤさんとも話しておくべきかな」
嫌だなぁ、という愚痴は口の中にとどめておく。ミヤさんはともかくとして、あの料理屋はグレゴリーの住処だ。もしまた会ってしまったとして、『それで、シラハとのセッティングはしてくれたか?』と聞かれたら、総一郎はどんな顔をしていいのか分からない。
最悪の場合命がけで「君に姉は渡さない!」と喧嘩を売る必要も出てくる。負けるのが目に見えているので御免こうむる展開だった。
「……変なこと考えてないで帰ろっと」
開いていた分厚い本を一つ一つ閉じて、後始末を始める。窓から差し込む橙の光は、そろそろ夕暮れ時であることを教えてくれていた。
温かな風に春の気配を感じつつ学校から出ると、西日に目をやられた。しかめっ面で目をしばたかせて、「吸血鬼時代よりマシ」と自分を宥める。
「シェリルの件も片付いたのに、まだまだやることだらけだからなぁ。そう思うとARFのみんなにはいくら謝っても足りない気はするけど」
いまだに首だけでごろごろ転がってるJとか。あの首だけ狼男は最近平気で二階に上がってくるから、何だか成長する赤ん坊に対する驚きに似た何かを覚える。
いつの間にできるようになったの!? みたいな。嬉しさと困惑が同時に襲ってくるというか。こちらが驚くと浮かべるドヤ顔が面白いやら痛ましいやら。
そんな埒の明かないことを考えながら歩いていると、駅前に辿り着く。ウッドがアレだけ荒らしたというのにもう人通りが復活していると思うと、やはり人間は逞しいな、と思うと同時ただただ頭を下げたくなった。
「ダメだ。正気に戻ってから、あらゆるものに申し訳が立たなくて仕方がない」
人助けとかできないかな、と罪悪感が総一郎を突き動かす。といっても、僅かばかりの積極性でもって周囲を見渡したに過ぎない。電子マネーのみで回された経済で小銭をばらまくことはないし、運動補助ロボットがある社会で歩くのに苦労するご老人は居ないのだ。
だが、目に留まる姿があった。総一郎の呼吸は詰まってしまうが、その動揺はカバラでもってねじ伏せる。
努めてゆったりとした足取りで、総一郎は近づいた。その少女は辺りを見回して、今では珍しく、紙の地図でどこかへ向かおうとしているらしかった。だがやはり紙の地図というものはあまり親切なものではなくて、困り顔でキョロキョロとしている。
要は、分かりやすく迷子のようだった。電脳魔術を使える日本人ならこうはならないし、脳にコンピューターを埋め込んでいる富裕層でも、あるいは安価なEVフォンを持っていても、こんな状況には陥らない。
外国からの観光客なのだろう。短い金髪はアメリカでは珍しいものではないが、他の国でもありがちなものだ。その中に紛れる趣味のいい小さな三つ編みも、個性といえば個性で、ありふれているといえばありふれている。
「あの、お困りですか」
声は、震えなかった。総一郎は嘘を吐くのが得意だから。少女はぱちくりと瞬きをしながら総一郎を見て、それから安心したように相好を崩して、胸をなでおろした。
「すいません。その、道に迷ってしまって。案内してもらえると助かります」
「あなたは、何処へ?」
「ホテルに帰りたいんです。恥ずかしい話なんですけど、その、観光して帰りのバスの予約をし忘れていたみたいで。アーカムにあることは分かっているのですが、地元とバスの仕組みが違っていて、現在地が分からなくなってしまって」
頬の紅潮は、少女が自分に恥じている以外の意味はない。ない、と自分に言い含めて、総一郎は立体視デバイスをカバンから取り出した。すでに同期は済んでいるから、電脳魔術でマップ情報とGPSを連携させればすぐに現在地が分かる。
「えっ、ああ。なるほどこれが……。やっぱりアメリカってすごいですね。私の国にはこんなものなかったです」
「そうですよね。俺も最近この国にきて、文明の進み具合に驚きました。最近やっと慣れましたよ」
「そうなんですか? 失礼かもしれませんが、ご出身はどこでしょうか」
「日本生まれなんです。それから……色々と経験して、この国に来ました」
「それは、その、大変でしたね。答えづらいことを聞いてしまってすいません」
「いえ、いいんですよ」
笑いかける。イギリスのことは、何も言わなかった。ホログラムデバイスを少女に近づけて、「今ここです。目的地は……、ここですね」と教えてやる。彼女は目を輝かせて、しきりに技術に感動していた。
「よければ、案内しましょうか?」
言ってから、後悔した。何でこんなことを言ってしまったんだろうと思った。動揺が、消しきれていない。自分に嘘を吐くのは得意だったはずなのに。
けれど、彼女はこう言った。
「本当ですか? それなら、是非お願いしたいです」
華やかな笑みだった。きっと、そこに嘘や気後れはなかった。それが辛かった。けれど総一郎は、そのわだかまる感情を決して顔に出さない。
「こっちです」
総一郎は歩き始める。にこやかな笑みを浮かべて。どんな顔をしていいか分からないなら、ひとまず友好的なふりをすれば間違いはない。それを勘違いしたのか、少女は親しげに話し始めた。
「友人たちと一緒に、この国に来たんです。数人は仕事も兼ねていたんですが、私はしばらく観光メインで」
「仕事? すごいですね。俺と同い年くらいに思ってました」
「えっと、学生さんですよね。ミスカトニック大学の近くですし、大学生の方ですか?」
「ああ、いえ。付属の高校生です」
「でしたら同じくらいですね。でも、仕事と言っても私は大したことをしてないです。『これから忙しくなるし、最後の休みを楽しんで』って怖いプレッシャーは掛けられてますけどね」
自嘲気なちょっと苦い笑み。人当たりがいい、と思う。変わってしまった。それは、総一郎にとっていいことでも悪いことでもないけれど。
「じゃあ、いっぱい観光したんじゃないですか? 俺もアーカムに来てから生活に慣れるので精いっぱいで。おススメの観光地とかあれば教えてください」
「そうですね……、やっぱり駅前のタワーは外せないです。あの、何て言いましたか。いっぱいお店が入ってる」
「もしかして、アルフタワーですかね」
「そう! それです。ウィンドウショッピングだけですっごい楽しいんです」
白羽が経営してるタワーだった。
「他にもアーカムの技術展みたいなのがあって、それもすごい楽しかったですよ。撃ち出すと魔法に代わる銃弾とかあって」
「マジックウェポン?」
「確かそんな名前でした。よくあんなもの思いつくものです。というか、どうやって実現したんでしょう」
ルフィナが『能力』で開発した兵器だった。
「それに、何でしたっけ。ものすごい小さな磁石のロボットが組み合わさって、スライムのように動き回るっていう。アレはただただ感動してしまいました。見る見るうちに猫になったり、鳥になったりして走ったり飛んだり。何と言いましたか」
「黒い奴だよね、NCRかな。ナノ・コンピューター・ロボット」
「あっ、それですね」
サラ先生が発明したロボットだった。
「……」
「すごいです。私が名前を思い出せないのを、ぴたりと言い当ててきます。博識なんですね」
「いいやぁそんなぁ」
総一郎は一般人が感心しか出来ないようなものの仕掛人がこぞって自分の知り合いという現実に、何だか頭痛がしてくる思いだった。誰もが有能だが、同時にトラブルメイカーでもある。類は友を呼ぶということなのか。嫌な話だな、とため息をつきそうになったところで。
「でも、アーカムってただすごいだけじゃないですよね。亜人犯罪のとても多い場所というか。最近ですと、ウッドでしたか。とてもむごい事件をたくさん起こした、と聞いています」
「……そうだね。ここは危険な街だ。繁栄と危険が、混ざり合ってる」
「私なら、本当に身の危険を感じたなら、すぐにでも引っ越してしまいます。でもこうやって歩いていて、人が多いな、とも感じるんです。住んでいる方とお見受けしてお聞きしたいのですが、あなたは何故このアーカムに住み続けているんですか?」
踏み込んでくる、と思った。まるで。総一郎は「何でだろうね。難しい問題だ」と微笑んでかわす。それ以上少女は踏み込んでこなかった。
普通の一般人ならいざ知れず、総一郎はこの街でやるべきことを残している。あるいは、辺りを歩いている彼らにもそれぞれ、やるべきことが残されているのか。
アーカムは先進と魔女と混沌の街だ。過去を掘り起こしにしろ、未来を切り開くにしろ、何かを見つけるにはきっとここ以上の場所はない。
「危険を冒す価値が、きっとあるんだよ。だから俺も、この街に残ってる」
一度かわされた返答をもらえるとは思っていなかったのだろう。少女は少し驚いた顔で、総一郎を見上げていた。こうやって並んで歩くと、背が低いな、と思う。総一郎の身長が伸びたからか。けれど。けれど。
「あ、着きました。ここです。このホテルです」
少女は声音明るく指をさす。見上げると、小高く洒落た景観を捉えられる。「何だか高そうなホテルですね」と少しからかうと「友人のツテです。普通に泊まれるお金なんてありません」と苦笑される。
「どうぞ」と言われてしまうとその場で別れがたくて、何となくホテルのロビーまでついて来てしまう。すると近くで脳内パソコン――BMCで作業していたらしい数人が、少女の存在に気づいてゆっくりと立ち上がった。それから軽く少女に手を振って、まっすぐに総一郎に近寄ってくる。
「道案内をしてくださったんですか? 友人がお世話になりました。何かお礼をしたいのですが、是非我々の部屋に招かれて頂けませんか」
あまりにスムーズな会話に、隠す気もないのだと思った。総一郎は冷笑をもって「いいえ、当然のことをしたまでです」と返す。食い下がる気配はなかった。総一郎が受け入れるとも考えていなかったのだろう。
「それは残念です。しかし、この恩は忘れません。何かお困りのときは、こちらへご連絡を。きっと駆け付けます」
名刺を渡される。読まずにポケットに入れた。「ありがとうございます。申し訳ないですが、俺には渡すようなものがなくて」と言って、踵を返す。
「あ、えっと、その。ここまでありがとうございました」
どこか不穏な総一郎たちのやり取りと別れに、少女は慌てて礼を言う。総一郎は離れる速足を止めて、振り返り「当然のことをしたまでです」と笑いかける。この笑みに偽りはない。どこまでも素直な笑みだと、自分でも思った。
それからロビーを出るまで早足で、ロビーを出てから駆け足でホテルを離れた。途中で道端のごみ箱へ貰った名刺を捨て、人目のない道に入ってから魔法で跳び上がった。
総一郎に出来る全速力で、家へと向かう。それから玄関をくぐらずに、直接白羽の部屋のベランダに降りた。
「うぇっ? ちょっ、どうしたの総ちゃん」
部屋で何か書類をまとめていたらしい白羽は、駆け寄ってきて大窓を開ける。間髪入れず総一郎は白羽を抱きしめた。白羽は短く驚いたように暴れて、すぐに大人しくなって抱きしめ返してくる。それから総一郎が落ち着くまで、ずっと総一郎の頭をなでていた。
数分後、総一郎はやっと白羽に縋る手から力を抜くことが出来た。それでも手は、感情の高ぶりに震えていた。そこには、静かな涙があった。
「どうしたの、総ちゃん」
穏やかな白羽の問いに、総一郎は怯える言葉を絞り出す。
「――ローレルに、会った。イギリスで、俺を支えてくれた女の子に。俺が巻き込んでしまうと思って、俺が記憶を消した人に、会った」
白羽は、口をつぐむ。しかし総一郎の様子に、やっぱり包み込むように抱きしめた。
「その子、どうしてた?」
「きお、記憶は、なくしたままみたいだった。俺のことを覚えていなくて、自分がやったことだって分かってても、辛くて」
「総ちゃんは、どうしたの」
「何もしなかった。出来なかった。ただ、道案内をして、それで別れた。でも、でもこれで良かったんだ。記憶が残ってたら、最悪だった。ローレルに、今更合わせる顔なんてない」
「……大丈夫だよ、大丈夫。総ちゃんには、私がいるからね」
多くの古傷が痛む。目に見えないそれが、総一郎の頭の中で激しく去来している。あのホテルには、自己主張しないだけで因縁深い連中がそろっていて、その中でも話しかけてきた少年は、あの、あいつ、あいつは。
「今更、今更何で! もう俺は、とっくに手遅れで、今更何をしろっていうんだ! もう、もう開放してよ……。俺は、僕はもうあんな辛い目にあいたくないんだ。雪山でも、あの学校でも一人で、でもファーガスだけは――俺は、俺が、せめて俺の手で殺してあげられたなら!」
白羽の抱きしめる力が強くなる。総一郎はひとしきり慟哭して、それから白羽を抱きしめてすすり泣いた。総一郎はもう、トラウマを乗り越えたと思っていた。そうではなかった。ウッドという逃避をやめただけだ。だからこそ、強く過去の痛みに苛まれる。
騒ぎを聞きつけて、ウルフマンを抱えたシェリルたちがこちらを見つめていた。総一郎が見られていると気づかないようにさらに覆うように抱きしめて、白羽は空いた手でこっそりと「静かに」のジェスチャーをする。