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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
198/332

幕間1 我らが神を讃えよ

 小さな影が、むっくと上体を起こした。


 目をこすり、一つあくびをする。それからベッドからおりて、伸びをした。


 だらん、と腕が垂れる。それから数拍も置かずに、脱力は肩にまで伝わった


「……総一郎君が居ないと、やる気でないなぁ」


 ナイは静かに目をこすり、それから指を鳴らした。途端衣服が整えられ、白い修道服のそれになる。


 寝室から出ると、恭しく礼をする存在があった。名も覚えていない、ナイに使える女性だ。首元には包帯が巻かれており、『ノア』の一人であることを示している。生きた首なし。ウッドの被害者たち。


「いい夜ですね、シスター・ナイ。マザーがお呼びです」


「案内して」


「どうぞこちらへ」


 『ノア』の女性がキビキビと先導する。その様をして、面倒だなと感じた。はき違えていると思う。だからこそ、煩わしい部分は全て奴に投げてしまったのだが。


 ナイ達が進むのは、真っ白な廊下だった。道の真ん中に金の線が引かれている。神聖さと清らかさをイメージした、いかにもキリスト教信者向けのデザインだ。歩いていて感じるのが、大げさだな、というもの。身軽さを好むナイにとっては、荷厄介に感じられた。


「本日のご予定はどうされますか? マザーとの予定調整後、マザーによる教理問答が行われることになっております。シスター・ナイもたまには拝聴されては」


「彼女がボクを呼び出すってことは、それ相応の用事のはずだよ。少なくとも今日は、そんな暇があるとは思えないね」


「失礼いたしました。それでは本日のご予定もご随意に」


 ナイと言えども、ため息を吐きたくなるときもある。『ノア』どもは一人残らず強烈に神を信じていて、本気でその信仰を他者に勧めてくる。その相手が、一連の仕掛人その人であろうとも。


 案内が終わり、ナイは『ノア』たちが扉を開けるのを待って部屋に入った。この部屋は信徒であろうと、許可なき侵入者を許さない。ナイは一人で重厚な大理石の床を進み、部屋中央の豪奢なソファに腰掛けた。


「不愉快そうですわね。そりゃああなたが仕掛けて仕向けた神ですもの、今さら問答を聞けなんて――けひっ、おっと失礼しました。つい嘲笑が」


「同類すら嘲笑うなんて、君は実にお手本のような『無貌の神』だね」


 ナイの向かいでいやらしい笑みを浮かべるのは、ナイよりもさらに豪華にした修道服に身を包んだ得体の知れない少女だった。フードの隙間から、その雷のような金髪の姿がうかがえる。


 名を、柊、と言った。柊 菜衣嘉。下の名前がほとんど同じというので厄介だったから、ナイは彼女をいつも「ヒイラギ」とだけ呼んでいる。


「それで? マザー・ヒイラギ。今回はボクにいったい何の用かな」


「まぁ、わたくしのようないたいけな少女を『ママ』だなんて! でも構いませんわ。他ならぬ化身仲間ですもの」


「監視と、その報告ね。何処へ行けばいいの?」


「わたくしたちが向かうのは、いつだって天上の『彼』の下ですわ。ああ、ハレルヤ! ハレルヤ!」


「ふーん、わかった。じゃあね」


 一見すると全くかみ合わない会話だった。だが人の身に邪まなる神を宿すこの二人においては、成立している。カバラに準じた法則でバラバラに組み替えた指示を出し、それを読み解いて回答を得る。言ってしまえば、それだけの会話だ。


 しかしその高度さは、たいていの人間の理解に及ばない。どれだけ悪辣な計画を伝えていても、盗聴する存在があろうと、連絡は確実だった。










 作戦の全容は少々厄介だった。ナイ本人に関してはただ監視に努めるばかりだが、これから起こる出来事がいくつか絡み合っていて、一つでも想定外があればすべてが狂いかねない。


 主目的は試用運転の確認だ。ついでに人員を増やせれば御の字。ヒイラギ曰く、今は人手がいくらあっても足りないのだとか。だから、今回の作戦は『後の人員確保の布石を打つ』役割を担っている。


 ナイが赴いたのは、『ノア』たちが居るのとは別の教会だった。アーカムには複数の教会があり、その内一番大きなものを『ノア』たちで建設した。ナイが今立つのは、かつて一番だった二番目の教会だ。


 扉を開ける。指を軽く振れば、ナイの存在は他の誰にも違和感を覚えられなくなる。ただし、総一郎のような例外はダメだ。『祝福されし子どもたち』を始めとした、無貌の神の脅威を退けられる存在は、ナイの〈魔術〉を知り対策を打つなどしてくる。


「知られていないっていうのは、アドバンテージだよね。それで言えば、知るだけでリスクっていうのはこの上ない優位性だ」


 それをまともに相手取るのだから、あれほど小さかった総一郎君が、という思いをする。出会ったのは忘れもしない、彼が小学校に入り、亜人たちから魔法の加護を受けた十年近く前の日のことだった。


 ずっと前なのだ。この体に生まれ落ちて、半分以上を総一郎のために費やした。そして今、同胞と共に彼を容赦なく滅ぼし、そして滅ぼされようとしている。


「……」


 扉を開けた。その先には、先ほどまでナイが居た教会によく似た空間があった。木製の長椅子が並び、奥には神父が話すための講壇、十字架、ステンドガラスがあった。


 しかしそれよりも目を引くのは、物々しい修道服の男たちだ。


「調査したところ、やはりあの『ノア・オリビア』は単なる宗教団体とは思えなかった。ウッドの被害者が立ち上げ、ウッドを神の御遣いとするなど、疑ってくれと言っているようなものではないか」


「その通りだ。あの教会の建設費を推測するに、強烈な体験からの逃避行動では片づけられまい。恐らく、何者かによる扇動の結果だ。何か良からぬことが起こる。そう感じずにはいられまい」


 二人のやせた老神父が、重々しく語り合う。その度に若く体格のいい修道服の男たちが、一様に頷いた。


 ナイは静かに近寄って、仲間の一人という顔をして尋ねた。


「よく調べたね。『ノア・オリビア』って名前表に出してないよ?」


「一人潜入させているからな。名前も押さえられないでは話になるまい」


「ちなみに、組織名以外だとどのくらい知ってるの?」


「……まだそういった情報を確保できるだけの信頼を、捜査員は得られていないな」


「ふーん」


 ちょこんと椅子に座って、ナイはEVフォンのメモアプリをめくり出す。現状前情報と一致していた。「潜入捜査をさせている。個人名特定済み」の項目を指でなぞって取り消し線を浮かばせる。


「じゃあ次。えーと、この教会は何だっけ? プロテスタント?」


「反亜派プロテスタントだ」


「亜人嫌い?」


「嫌いなどという表現は正しくない。悪魔の化身たる存在はすべからくこの世から去るべきだ、という当たり前の主張をしているだけだ」


「ふむふむ」


 プロテスタント、という文字に「反亜派」と付け加える。吹き出し機能で「めっちゃ嫌い!」と付けた。


「それで今は何の集まり? 若い人たち厳つくない?」


 言うとそろって若い修道服の男たちがむっとしたのが分かった。これで未来が見えなければクスリと来たのかもしれないが、未来を確定させるついでの時間稼ぎでしかないモノの反応など、楽しくも何ともなかった。


 やはりこのような有象無象ではダメだ、と思いながら、作業的に視線を向けた。神父が答える。


「そいつらは我々が集めた兵隊だ。反亜派の中でも、軍隊帰りの精鋭を集めた」


「武装は?」


「警察に出資した分の払い下げを当てにしていたんだが、どうやら警察連中も弾丸が足りていないらしくてな。奴らは独占的に買い付けていたのではないのか、まったく」


「なるほど。じゃあ普通の銃ってこと?」


「そうなるな。ああ、何でよりにもよってこのタイミングで、シルバーバレット社も生産中止などと……」


 苦々しく老神父が呟くのを聞いて、例のごとくメモの項目に取り消し線。アプリに書いてある最後の質問を投げかけた。


「今はその武器どうしてるの? 保管中?」


「いいや、今から攻めに行くのだ。故に、武器はこの者たちの懐にある」


 不敵に笑う老神父たちを、ナイは静かに嘲笑した。


「じゃあちょうどいいね。出来る限り、頑張ってみなよ」


 その言葉を契機にしたかのように、激しく教会の扉が叩かれた。ナイは指を鳴らして姿を消し、軽い足取りで空中を歩く。それから二階の塀に腰かけて、にんまりと階下を眺め出した。


 一方で不審がるのは神父たちだ。老神父から指示を受け、修道服の兵の中でも一番にガタイのいい男が扉に近づいて行った。


「何者だ! こんな夜更けに、一体何の用だ!」


 扉越しの問いに、答えはない。だが、依然としてドアは激しく叩かれていた。再び兵は老神父に指示を仰ぐ。吟味の上重々しく頷かれ、兵はゆっくりと門を開けた。


 同時、兵は数に飲まれる。


「ぅぐっ、ぁっ、がぁっ!」


 野太い悲鳴が、門の向こうからなだれ込んだ大勢の人間に呑み込まれる。しかし、直後に気付くのだ。人間と言うには不足のあるシルエット。ツンと鼻につく腐敗臭。理性の窺えないその瞳に。


「はっ? ゾンビ? なっ、何だどういうことだ!」


「お二方は奥へお下がりください! 総員! 奴らへ向けて掃射せよ!」


「ですが、彼が!」


「奴はもう助からん! 躊躇うな! 我々が殺せば、奴の魂は神のみもとへ昇っていける!」


 下っ端に指示を出して老神父たちを下がらせた隊長らしき男は、言うが早いか懐からサブマシンガン取り出した。ばら撒かれる弾丸と正確な狙いが、素早くゾンビたちを打ち倒していく。


 その様子に腹を決めたのか、他の神兵たちも続いた。空薬莢が男たち足元に落ちては跳ね、その小さな金属音は火薬の炸裂音に紛れて分からなくなる。そんな勢いだからすぐに弾丸は打ち尽くされ、すかさず彼らは弾倉を入れ替えた。


 入り口に現れては倒れ、積み重なって山を作るゾンビたち。ナイは「やるね、判断の早さが抜群だ」などとニタニタ笑いながら、EVフォンより指示を出した。


「じゃ、レベルを一段階上げて行こっか」


 死体の山が爆ぜた。吹き飛んできたゾンビの体に、神兵の数人が巻き込まれて倒れた。しかし、隊長は目を剥いて教会の入り口から目を逸らせない。


 そこにあったのは、唸り声だった。人間のそれとは思えない低い威嚇に、隊長はギリギリと歯を食いしばる。


「亜人め、この、怪物め……! 貴様らは、死してなおも神を冒涜する……!」


 巨躯のそれは、何某かの亜人のゾンビなのだろう。だが腐敗と膨張より、原形をとどめていない。正体の分からないそれは、ただ理性を失った怪力としてそこに存在していた。


「総員、あの亜人の死体を狙え! 後退しながら一つ一つ潰していくぞ!」


 隊長の指示に従い、ゆっくり下がりながら射撃を続ける兵たち。巨躯のゾンビは集中砲火で僅かずつの前進しか出来ない一方で、他のゾンビたちの歩みは確かに修道服の男たちに近づきつつあった。


「追い詰められたらどうしますか、隊長!」


「神父のお二方をお連れした部屋に全員で籠り、備え付けの強化扉で封鎖して脱出を図る! 仕掛け階段の下ろし方は分かるな!」


「分かりました!」


 弾薬の炸裂音に負けない声量での会話を聞きながら、「練度が高いなぁ」とナイは頬杖を突いた。なるほどマザーが欲しがるわけだ。指を鳴らして、レベルをもう一つ上げる。


 しわがれた悲鳴が上がった。その場の誰もが、老神父のものだと即座に理解した。


「銃を構えながら向こうの扉を破れ! 可能なら神父を救え!」


 指示を受けた下っ端が、神父たちを隠した扉へと駆け寄った。一呼吸おいてから、たった一度のタックルで扉を破壊してしまう。それから彼は、歯を食いしばって引き金に指を掛けた。銃声から、隊長は小部屋の中に何があったのかを理解する。


 けれど、それで終わらないのが無貌の神の策略なのだろう。


「くっ、……お前はそこで新たな敵の侵入に備えろ! こちらの事は案ずる」


 な、と隊長が言いきるよりも早く、下っ端が断末魔の叫びをあげた。思わず振り返ると、ゾンビが彼を引き裂いていた。


 だが、それを単なるゾンビと形容するのは難しい。巨大ながらしなやかな四肢。手入れの良く行き届いた毛並み。二足歩行の獣は、狼を思わせる特徴を有し――そして、首を失っていた。


「……く、び。くび。首、なし」


 咄嗟に銃口を向ける。しかしその時にはもう首なしの狼は消えていて、別の場所から悲鳴が上がった。その先へと向けると、また姿が消えている。三度の悲鳴が、隊長を虚無感に沈めた。


 構えながら、彼は手から力の抜ける感覚に逆らえなかった。悲鳴が上がるたびに銃口を向けるも、もうそこにはいない。気付けば激しく歯を打ち鳴らしていた。周囲から上がる野太い悲鳴に、いつの間にか上がっていた教会の火の手に、その生涯の終わりを悟る。


 その時だった。


 教会の中央に、静かに降り立った影があった。その手に握られた得物はあまりに鋭く、前時代的で、それでいて聖性を感じさせた。


「……ぁ?」


 隊長の小さな困惑を打ち払うかのように、人物は刃を振るう。その一撃は火を消し、ゾンビたちを光の粒へと変え、さらには死にかけていた修道服の兵たちを癒した。


 敬虔なる修道服の兵たちが、その刃に神を見出すのは無理からぬことだった。


「あ、あぁ……」


 揃って修道服たちは跪き、そしてその人物の姿を視界に捉える。男たちのそれにどこか似通った修道服。だが、それはさしたる問題ではない。


 木面。目を閉じ、神の裁定を待つがごとく口を閉ざした、木面をその人物は被っていた。


「ウッド……、あなたは、あなたが……」


 『ウッド』は何も言わず、ただ手でもって指し示す。その先には、キリストがはりつけにされた十字架があった。それから『ウッド』は十字を切り、祈りを示す。すると首なしの狼も『ウッド』の前に、ないはずの首を垂れた。


「……真実だったのだ、『ノア・オリビア』の教義は。ウッドは神の御遣いだと、ノアの箱舟から放たれたハトが見つけた、オリーブの枝なのだと」


 修道服の男たちが揃って跪くのを詰まらなさそうに眺め、ナイは「茶番でヒヤッとさせないでよ。あーやだやだ」と『ウッド』の得物から目を逸らす。


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