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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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6話 決別ⅩⅩⅤ

 アーカムの夜道に、かつてほどの活気はない。


 その理由の多くは、ウッドが占めていた。数々の虐殺事件や、ARF、あるいはグレゴリーとの激しい戦闘が、都市部を襲った。どれだけの人が巻き添えを食ったのかすら、判然としない。そんな危険な場所を、誰が歩きたいと思うだろうか。


「おい兄ちゃん。夜出歩くなんて度胸あるじゃねぇか。どうだい? 一本吸ってくか?」


「間に合ってるよ」


 気さくな振りをして近づいてきた売人を通り過ぎながら、周囲を見る。最近はウッドが出現しないという噂は、確かに広まっていた。しかしまともな神経をしていれば、そんな不安定な情勢で出かけたがりはない。


 まるでスラムだ、と総一郎は思う。まともな人間が夜を出歩かないから、代わりにギャングを始めとした裏社会の人間が、都心で幅を利かせ始めている。


 少なくとも駅前のメインストリートで、まばらに歩く人々全員に話しかけて回る麻薬の売人など聞いたことがなかった。


「なぁ、本当は興味があるんだろ? 怖がらなくたって大丈夫さぁ! すーって気持ちよくなれるぜ? 勉強だって捗る! まさにまじめな学生向きだよ!」


「……はぁ」


 しつこい売人に、総一郎はため息を吐いた。警察帰りでこれからの事を考えたかったのに、こうも邪魔をされては敵わない。どうやって追い払ってくれようか、と思っていたところ、背後から声がかかった。


「おっ、奇遇だな総一郎。お前も今帰りか?」


「あ、図書にぃ」


 スーツ姿の図書が歩いてくるのを見て、手を振った。すると売人が、舌を打って文句を言う。


「んだよ、ジャパニーズなら早く言えってんだ。このクソJVAめ! お前らの所為でこっちはおまんま食い上げてるってのに……」


 売人は唾を吐き、恨めしそうな目つきで去っていった。総一郎は図書の胸元を見る。そこにはJVAのバッチがちゃんと付けられていた。


「ったく、総一郎も出かけるときはバッチ付けなきゃダメだろ。ああやって絡まれて面倒くさいんだから」


「そう、だね。最近は付ける習慣がなかったよ」


 本音を言うと、悪いことばかりしていたから、身元のバレるようなものを持ちたくなかったのだ。警察署では即効でバレたが。


「ったく。ま、あの程度なら一人で何とかしてたとは思うけどな。それでも振るわずに済む暴力なら、振るわずに済ますべきだ」


 息を吐く図書の言葉を聞いて、総一郎は周囲を見渡した。ウッドが毎日のように暴れた頃に比べれば、人通りも多くなっている。だが誰も彼もがほの暗い表情を浮かべているのが分かって、総一郎は治安の低下を肌で感じ取った。


「ほら、突っ立ってねぇで帰ろうぜ。それとも食べて帰るか?」


「奢ってくれるの?」


「そりゃ弟分に財布出させるわけにはイカンだろ」


 さも当たり前のように言うから、何だか格好良くて笑ってしまう。


「でも、開いてる店あるかな」


「最近は閉店続きじゃ潰れちまうっつって、開いてる店多いぜ? んで大抵すいてるから、魔法の得意な日本人には今の状況も悪くないってね」


「……いや、やっぱりいいよ。それに、家でみんな図書にぃのご飯待ってるだろうし」


「そうか? たまには総一郎と二人飯も楽しそうかと思ったんだが……ま、それなら今度家の全員で出かけられるよう予定立てるか」


 どんな店だ何料理だと話しながら、家路を進む。図書との会話は、健全でいい。暴力の臭いから遠ざかれる。


 家に着くと、何やら女性陣が姦しく話しているようだった。あえて「ただいま」と言わずに覗いてみると、白羽、清だけでなくシェリルも人形遊びをしていた。


「何ッ、なら、それは、それはまさか……!」


「ふははははー、そのとーり。これは」


「シェリル。もっとまじめにやって欲しい。何だその棒読みは。人形遊びを舐めているのか」


「もーう! セイちゃんリテイク多すぎ! しかも脚本無駄にハードボイルドだし! 何で基本的に戦場の話なの!? お店屋さんとかでいいじゃん!」


「止めろッ、軍曹! それ以上は、それ以上はダメだ!」


「ボスはボスでノリノリだし! おかしいでしょ!」


 総一郎と図書は、その様子を見て、ともに無言で玄関まで戻って「ただいまー」と声を上げた。


「おかえりなさーい」


 白羽が笑顔で出迎えてくれる。その陰に隠れて、シェリルが気難しそうに眉根を寄せ総一郎を睨んでいた。


「ただいま、白ねぇ。シェリルも」


「アレ、清は来ないのか」


 図書は言いつつもう一度リビングに入ると、彼の小さな妹は勉強ドリルに向かっていた。その横でウルフマンの首が鼻提灯を膨らませている。


「あ、お兄ちゃんお帰りなさい。勉強に夢中で気付かなかった」


「総一郎、俺の妹可愛いだろ」


「これは可愛いといわざるを得ないね」


「なっ!? 何だ? 二人して何を言ってるんだ!?」


 図書が清と共にキッチンへ向かうのを横目で見つつ、総一郎はARFの女性陣に向かって沈黙のジェスチャーを。


 それから三人で総一郎の部屋に移って、本題に切り出した。


「無事依頼は達成したよ。ついでにマナさんの情報も得たけど、ひとまずシルバーバレット社との正式なアポイントメントが取れた」


 小さく跳ねたのはシェリルだ。ベッドに腰掛ける白羽の後ろで、ずっと恨みがましい目をしている。


「日時は追って連絡するって話だった。だから、当面はこれで一段落かな。あとは、心の問題だ。二人とも、カッとなって殴るような真似はしないでね?」


「いやぁ、意外にそうした方がうまくいく話も結構あるよ? 足元見てんじゃねぇ。戦争だ! みたいな感じで交渉に立つトップから追い詰めると、舐めて来てた相手なら態度変わるから」


「白ねぇ。俺、白ねぇに関しては心配してなかったのにそういう怖くなるような冗談は止めてくれない?」


「小粋なブラックジョーク。ブラック・ウィングだけに」


「初めて白ねぇにイラっと来たよ」


 白羽は悪びれずにニヤッと笑ってから、シェリルの頭に手を置いた。


「どう? 大丈夫そう?」


「……分かんない。そもそも、何で私も行くみたいな話になってるの? ボスとソウイチだけでいいでしょ。私なんて、何も分かんない」


「シェリルちゃん、貴方の仇だよ」


「分かんない、もん。お父さんも、お母さんも、死んだのはずっと前なの。居ないのが当たり前で、ずっとお姉様と二人っきりで」


 総一郎は下唇を噛んだ。二人きり、というのは不思議な言葉だ。一人ではないのに、孤独であることを示している。


 もの言いたげな上目遣いで、シェリルは総一郎にぶつくさと呟く。


「ソウイチ。私、勝手なことしないでって、言ったよ? 今日も、危ないことして来たみたいだし。私は別に心配なんてしてないけど、セイちゃんとか、ズショさんとか、心配させちゃダメだと思う……」


「大丈夫だよ、君のお姉様が付いて来てくれたから」


「えっ。おっ、お姉様が? え、あっ、お、お姉様! お姉様はじゃあ、どこいるの!? 私、ずっと探してて」


「ごめん、途中ではぐれちゃったんだ。その」


 言葉を探す。シェリルにとってシスターがどういう存在であるのかは分かっている。それは総一郎にとってのウッドとよく似ていた。差異があるとすれば、他者と見るか、自己の一部と見るか。


 根本の依存は共通している。


「口を開けばシェリルシェリルって言ってたよ。きっとあっちも会いたがってるんだね」


「……なら、何で会いに来てくれないの? 私、ずっとここにいるよ。お姉様だって、その事知ってるでしょ? 何で? 会いに来たいなら、来れる場所でしょ?」


 ベッドから降りて来て、シェリルは椅子に座る総一郎の服を掴んだ。瞳孔の開いた目を剥いて、総一郎を見上げている。他の人なら、気圧されてしまうような表情だ。実際、白羽も少し慌てて、シェリルの制止に入ろうとする。


 だが総一郎にとってだけは、その行動を取ってはいけなかった。


「シェリルが会いたがっていないからだよ。俺の『ウッド』と同じだ。都合が悪くて、シェリルは無視している。だから会えないんだよ。違う?」


「え」


 吸血鬼は、服を掴む手を緩めた。総一郎はその手を掴み返して、顔をギリギリまで近づける。


「シェリル。俺も君も同じだ。今まで誰にも頼れなかったから、自分の心を二つに砕いて、強い自分に寄りかかっていた。でも、今の君には俺がいるし、俺には白ねぇが居る。他人に依存できるなら、自分に依存なんかしない。それだけの話なんだ。だからお姉様は来ないんだよ」


「え、あ、何、言ってるの? お姉様、お姉様は……ウッ、ド?」


「そうだよ。君は昔から天才だって言われていたよね。俺も同じだよ。だから、すぐに物事の根っこにあるものが分かってしまう。分かりたくないことだって、すぐに」


「あ……、あ……!」


「シェリル。君は精神魔法で混ざり合うまでもなく、俺に似すぎてたんだ。俺が父さんに、『自分に似すぎた』って言われたのと同じだよ。君は覚えてる? それとも、そこまで見ていないかな」


「……分かんない、分かんないもん! 難しいこと言うの止めてよ! ぐちゃぐちゃになるの! 私はソウイチじゃない。シェリルだもん。吸血鬼の気高き血族の、生き残りの」


「なら、復讐心は? 親を殺した仇を、何で憎まないんだ?」


「だから、難しい話はいや! 復讐心なんて、そんなもの持ちたくないよ! 私はそんなに元気じゃない。そういう気持ちは、疲れるのッ。辛くて、何も出来なくなるの……!」


 頭を抱えてぶんぶんと振り回す姿を見て、白羽は総一郎の肩に触れた。総一郎は一瞥のみでそれを払いのけて、再びシェリルに向きなおる。


「君の言ってることは、嘘じゃないよ。それは分かる。けど本当でもないよね。君は、本当の気持ちを口にしていない」


「本当の気持ちって何!? ソウイチが、私に何を言わせたいのか分かんないよ! どうして仇を憎まないといけないの!? 憎しみなんて何も生まないよ! 小さい頃に親を殺されたなんて、アーカムの亜人なら普通だよ! 狼さんだってそう! 無口な人だって弟が死んでる! 普通の事で、何をそんなに憎まなきゃならないのッ?」


「そうだね。悲しいけど、亜人と関わった人々は大切な人を失う場合が多い。けど、その為にJもアーリも復讐心を力に変えて、ARFで世の中を変えようとしている。『これ』が普通なんだよ。普通に大切な人を失って、“普通”にしているのは、おかしなことだ」


「ソウイチなんて嫌い! 大嫌い! 死んじゃえ! ソウイチなんて死ん、」


 ぴた、とシェリルは口を噤んだ。発見と恐怖をないまぜにした顔で、総一郎を見つめる。


 総一郎は、答えた。


「いいよ。いずれね。いずれ、誰だって死ぬんだから」


 心の中で、思った。過去を共有しているというのは、本当に厄介だと。


「ッ」


 シェリルは走ってその場から離れようとする。それを、総一郎は逃がさなかった。肩を掴み、指で「灰」と記す。シェリルが本気で逃げ出そうとして、それを阻止できるのは総一郎だけだ。


「やぁだぁ! 放して! 放してよ!」


「……総ちゃん、もういいでしょ。追い詰めすぎだよ。こういうことは、ゆっくりと時間をかけて答えを探していくものだって」


「時間なんてあやふやなものを頼りに生きてきてない。何もかもやりつくして、最後に縋るものなんだ。それでも、解決してくれないこともある。出来ること全部して、時間に縋ってもなお、俺は無力だった」


 雪山の中、イギリスの貴族の子弟たちを相手にした時の記憶が蘇る。魔獣とも死闘を繰り広げた。魔法無しに、ただ木刀を振るった。それさえ、カバリスト達の計算通りだった。


「シェリル、君はもう全部分かってるはずだ。自分の気持も、自分が本当はどうしたいのかも。バカな振りをするのはもう止めよう。君は全部分かってる」


「分かんない! 分かんないよ! もう、許して……っ。謝るから。八つ当たりしたの、謝るからぁ」


「謝罪なんか求めてないよ。俺が求めてるのは答えだ。答えろよ、シェリル。俺は、分からないことを聞いて嫌がらせなんかしてないんだから」


「……、……、……ッ」


 シェリルはとうに泣き崩れて、全身から力が抜けていた。だが総一郎はなお放さなかったし、楽にさせもしなかった。シェリルは、とうとう口を開く。


「――わい、よぉ。怖い、よぉ。お父様を、お母様を、あんなふうに殺したあの人たちなんかに、会いたくないよぉ。ごめ、ごめんなさい。だから、失望しないで。怖いって、知られたくなかったのぉ。ソウイチは、強いから。弱いと、一緒にいられないからぁ……!」


「……」


 総一郎は、口を閉ざす。何の事だと思って、ローレルを思い出した。彼女の弱さ、そして決別を。そして強さゆえに決別を免れた白羽を。


 しかし間違っている。ローレルは弱く、白羽は強い。これは正しいかもしれなかったが、その前が違う。シェリルを掴む手に、力がこもり始める。


 総一郎は、強くなどない。強かったら。本当に強かったならどれだけの悲劇を回避できたか――!


「総ちゃん、頭冷やして」


 頬が弾けた。そう錯覚するほどの痛みだった。気付けば横を向いていて、左の頬に熱が籠っている。


「あ……、白、ねぇ」


「総ちゃん。事情が事情だから仕方ないにしろ、総ちゃんはシェリルちゃんを自分と同一視しすぎてる。二人は違う人間でしょう? それを、言葉で理解していながら、納得できてない」


 白羽の手が、赤く色づいていた。平手をされたのだと分かるのに、しばらくかかった。シェリルは白羽の腕の中で力なくすすり泣いていて、総一郎は我に返り、力が抜けて背もたれに倒れ込む。


「……ごめん、シェリル。俺、ひどいことを」


「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……。だから、見捨てないで。私のことを分かってくれる人は、もうソウイチだけなの……!」


 分かってくれる人、というシェリルの言葉に、自分がどれだけ酷いことをしたのかを総一郎は悟った。彼女の涙に触れようとし、罪悪感の為に失敗する。


 総一郎の経験はシェリルのそれを完全に包含している。拷問も、両親の喪失も、孤独や、アイデンティティの破壊だってそうだ。けれどそれだけではない。総一郎には、シェリルが流したことのない涙がある。


 総一郎には、シェリルを理解することが出来る。自分が経験してきたことばかりだから、彼女の気持ちを自分のように分析できる。しかしシェリルにはそれが出来ない。シェリルには、ローレルもナイも白羽もいなかったから。


「そうか。君は俺に依存していても、俺は君に依存していないんだ」


 シェリルの泣き声に、必死さが増した。それが答えだった。


 総一郎は、頭を抱える。カッとなって言いすぎた。これでは、白羽を糾弾した時のウッドと変わらない。シェリルは総一郎とは違う人間なのだ。似ていても、同じではない。


「白ねぇの言うとおりだ。頭を冷やさなきゃ、どうしようもない」


「シェリルちゃんは任せておいて」


 それ以上、白羽は何も言わなかった。彼女は、総一郎にとっての理解者だ。総一郎も、白羽を失わないためなら何だってするだろう。けれどこの関係は、総一郎とシェリルの様に一方通行ではない。総一郎は、白羽の理解者でもあるのだから。


 爪が手の平に食い込むほど、強く拳を握り締めた。それから自室を出て、般若兄妹の声にも耳を貸さず家を離れ、何処とも知れぬ建物にその拳を叩き付ける。


「俺はッ、大馬鹿野郎だ! みんなからアレだけ色んなものをもらって、それをたった一人にすら返せない!」


 ウルフマンに目標とすべき生き様を教えてもらった。アーリに愛の存在を思い出させてもらった。そして白羽は、己のすべてをさらけ出して総一郎を助けてくれた。


 それがどうだ。総一郎は、シェリルにその内の一つだって出来ていない。総一郎はいまだ自分の生き方に迷っていて、シェリルの悩みを受け止めることも出来ず、闇雲にトラウマと向き合えといって、手助けすらしていなかった。


 目標地点は分かっていても、その場所にまっすぐ進めと言うのでは、あまりにも考えが足りない。交通ルールを把握していなければ、道中で車にはねられるのと同じだ。海外に行く手段に徒歩を選ぶのと変わらない。


 残酷なことをした。これでは、総一郎を苦しめて来た奴らと、何が違うというのか。


「……ルフィナには悪いけど、断りの連絡を入れよう。今のままで、シェリルが向かい合えるとは思えない」


「えー? アレだけ苦労したのに? 勿体ないなぁ。それなら、会う権利ボクにちょうだいよ」


 顔を上げると、目の前にナイがいた。総一郎は息を詰まらせる。


「何さ、久しぶりに会ったっていうのに、まるでお化けを見たみたいな顔しちゃって。総一郎君は酷いなぁ」


「……君は、何というか、ベストタイミングでしか現れないね。俺が幸福の絶頂にいるか、葛藤の真っ最中のときばかり会うような気がするよ」


「あは。だってボク、総一郎君の可愛い反応が見たかったんだもん。それにしても、ボクといいシェリルちゃんといい、やっぱり総一郎君ってちょっとロリコンの気が……」


「どっちも成り行きだよ。それで? 君は一体、今回は何を言って俺を動揺させる腹積もりで来たの?」


「あっ、ひっどーい! そういう言い方ってないよ! そんな風に言うから、シェリルちゃんを傷つけちゃったんじゃないの?」


「ナイのジャブ重すぎ」


 相変わらず致命傷を狙って火を放つような毒舌っぷりだ。


「ま、それはそれとしてぇ~、総一郎君、気づいてる?」


「何を?」


「総一郎君が、君自身が、白羽ちゃんに助けられてからずっとその場で足踏みしてるってこと」


 愛らしい微笑みが浮かんだ。睡蓮の匂いが、強くなってくる。


「君はボクの宣戦布告から、結局強くはならなかったね。いいや、むしろ戻っている。なんたってウッドの方が、君よりも強いんだから」


「生憎と、ウッドに戻りたくなかったものだから」


「強がり? 可愛いね、総一郎君。でも、流石にボクも怒ってるんだよ。ボクは真剣に君と戦うつもりで、あらゆる何もかもして来た。でも、君はどう? 人を殺したくないなんて言って、自分の出来ることを制限し始めた。その上、今はシェリルちゃんに掛かりきりだ。ねぇ。ボクのことを侮ってるの? 足踏みをしていても勝てるって?」


「シェリルは、きっと力になってくれる。だから」


「だから厳しい言葉をかけてるって? あは、総一郎君らしくもない」


「俺らしいって、何さ」


「総一郎君」


 ナイの笑みは、もはや口のみだ。目は据わって、責めるような鋭さを宿している。


「君は、いつだって、一人でいるときが一番強かった」


「……」


「イギリスの雪山の奮闘で、君は壮絶なまでに強い剣術を身に着けた。ボクといっしょに旅をして、ボクと別れた直後、君は修羅を萌芽させた。極めつけは、ウッドだよ。戦いに次ぐ戦い。君は孤独な道化で、それ故に人の枠を超えた強さを身に付けつつあった」


 総一郎は、何も言い返せない。ナイは最後に、笑みさえ消した。


「けど君は、その度に縋る相手を見つけて、弱くなったね。雪山の後にボクが親身になった時は、ボクが調整していたからまだマシだった。ローレルちゃんと一緒になってからは特にひどかったよね? 小さなことで傷つき、カバリスト達を恐れ、結局勝てなかった」


「今、このみんなと共にある状況が、俺を弱くしてるって言いたいの?」


「事実じゃないか。何をシェリルちゃんのようなぽっと出にかかずらってるの? 力になってくれる? みんなで力を合わせればきっと何とかなる? あは、あはは! そんなの王道ストーリーの主人公だけだよ! シェリルちゃんは君の力にはなってくれないし、白羽ちゃんは君に仕事を押し付けて、君の成長を阻害する! だってそうでしょ? 守るものをもたないウッドの方が、ずっと倒しにくい! 今の君なんか、総一郎君を蘇らせたジェイコブ君、アーリーンちゃん、白羽ちゃんの誰かを人質にすれば、いともたやすく殺せてしまう!」


「……。……。……」


 総一郎は、必死に反論の材料を探した。だが、一つとしてみつからない。すべて真実だ。


「ねぇ、総一郎君。黙ってないで、何か言ってよ。じゃないと、本当にそうしてしまうよ?」


 しかし総一郎は、こういう時どうすればいいかを知っていた。ナイの揺さぶりなど、人生で何度行われたかも分からない。


「……いいや、ナイ。すべて真実だよ。でもね、それは同時に、君がそうする必要がないってことも示してる」


 それは、まずナイの指摘を素直に受け入れることだ。そうすると、彼女は少しだけ困惑を隠しきれなくなる。それからこちらも笑って、こうやり返してやるのだ。


「だって、俺はいまだに君を大切に思っているんだ。君自身が人質のようなもので、殺せるわけがないのに、これ以上面倒を増やす必要もないんじゃない?」


 総一郎は、ナイについて一つだけ確信している。先に認めておくが、ナイは敵で、狡猾で、自身の感情を隠すのに長け、隠し損ねた感情さえ総一郎の動揺に利用するような計算高さがあり、嘘がうまく、真実の使い方を知っていて、単純な武力以上の厄介さがある。


 だが、ナイは総一郎を愛していた。総一郎の愛に飢えていた。でなければ、総一郎はナイの敵たりえない。逆説的で、残酷な結論だ。


「ッ」


 ナイは総一郎の殺し文句に硬直し、それからすぐに後ろを向いた。ナイの唯一無二の弱点だ。けれど、これも事実である以上、総一郎は躊躇わずに使った。


「あ、あはは。そう、総一郎君も手強くなったね! じゃあ、ボクが言いたいのはこれだけだから、またね」


 声をかける間もなく、ナイは慌てて消えていく。総一郎は息を吐いて呟いた。


「まさか、揺さぶりかかったナイに癒される日が来るとはね」


 彼女の言っていたことは、多くが総一郎の核を突いていた。孤独、一人、強い、弱い、人間、修羅。きっと、思考のピースは揃ったのだろう。


「……ナイ。君が居なくなってとても今更だけど、もう一つ言わせてもらうね」


 総一郎は、ナイの消えて行った方向に向けて口を開いた。


「孤独で強くなっても、そこに幸福はなかったよ。君といるのでさえ、俺は幸せだったんだ」


 答えが、見えてきた気がする。取り戻した人生の、歩み方が。


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