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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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6話 決別ⅩⅦ

 最近、風呂に入るのが好きになった。


 草木も眠る丑三つ時に、総一郎はこっそりと、腰の抜けた白羽をお姫様抱っこで連れていく。タオル一枚にのみ包まれた彼女は、いまだ残る熱に小さな喘ぎを漏らしながら、熱っぽい視線で総一郎を見つめ、時折頬に触れて来たりキスをしたり、耳を食んだりする。


 それから風呂の姿見の前の、小さな腰掛に座らせて、頭のてっぺんから足の先まで洗うのだ。総一郎はこれが好きだった。白羽の真っ白に色の抜けた、綺麗な髪を梳くようにして洗うのが、足の指の先まで細かく綺麗にして、くすぐったがる白羽の笑い声を聞くのが。


「お返しに、総ちゃんも洗ってあげる」


 全部洗い終える頃には白羽も元気になっていて、こんどは同じように洗い返される。白羽は結局いじめられるのも可愛がるのも好きならしく、ベッドの分をここでやり返そうと総一郎を刺激する形で触れてくる。


 背中にぺったりと上半身をくっつけて、全身で洗うようにするなど序の口だ。背中だけでなく前も同様にするし、何なら総一郎の膝に、向かい合うように腰かけ抱きしめてくる。


「……白ねぇ」


「ん? 総ちゃん、甘えたくなっちゃった? えへ、いいよ。甘やかしてあげる」


 互いに目をつむり、口づけを交わして、二人は渇きを癒し合う。これまでの道があまりに孤独で血にぬれていたから、それを少しでも紛らわせるように。











 後日、アーリと綿密に捕獲作戦を練ることになった。


「よっ、……随分分厚いコートだな。そろそろ時期終わりだろ」


「ウィンターシーズンが終わるまでには吸血鬼をやめておきたいものだね」


「ああ、日光に体晒したらヤバいのか」


 集合場所はアーリが見つけて来た料理店だ。旧市街側で、人の多い地域だから、最近のアーカムの店にしては客がいた。何でもカレーを出してくれるらしい。


「しっかし吸血鬼ってのも難儀なもんだな。誰かの血を吸いたいとか、そういう風に思ったことあるのか?」


「天使の血がしっかり働いてくれてるみたいで、現状そういう欲求に駆られたことはないよ。あとは寒い内にシスターズをどうにかすれば問題なし」


「夏になってもそのコートはきっと地獄だろうな」


「本当だよ。いくら北米だからって、この格好は辛いだろうし」


 総一郎は深々とため息を落とした。アーリは大声で店員を呼ぶ。


「揃ったんで注文お願い。えーっとアタシは……、注文票ヒンディー語かよ。読めねーしフツーにビーフカレーでいいか」


「あ、すいません、このレシピの中でニンニク入ってない奴どれですか? あ、これしかない。じゃあこれで、はい、お願いします」


 店員の後姿を見送ってから、アーリは総一郎の手元をのぞき込んでくる。


「なぁ、何頼んだんだ?」


「いや、分からないけど。ニンニク入ってなきゃどれでもいいかなって」


「ははは、思った以上にちゃんと吸血鬼やってんじゃん。ま、美味いのが出てくると良いな」


 アーリの健康的な微笑みに、総一郎は笑い返す。雑談はそこまでで、二人はすぐに雰囲気を変えて本題に移った。


「じゃ、ひとまず機密ファイルにあったヒルディスの旦那のデータ、その内ヴァンパイア・シスターズの資料を開こうとしようかね」


 彼女は呼び鈴よりも小さなサイズの設置型電磁ヴィジョンを机の上に置いて、自分の脳内データと同期させる。展開されたデータは書面式で、一番目立つ場所にシスターズの全身画像が出ていた。


「おお、随分詳細に書いてあるね」


「強力な種族魔法に幼い精神年齢だからな。何よりも制御に気を遣う相手だよ」


「でも幹部なんでしょ?」


「幹部ぅ?」


 アーリが妙な顔をするから、「幹部の証明と言うか、ほら、有名なカードが出回ってるじゃないか」と答える。


「あー、あれね。一応ARFカードが世に出回っちゃいるけど、実際は駄々こねるからついでに作ってやって、亜人差別してる悪い奴から血を吸った時はそこに置いてけって指示出してるだけなんだぜアレ」


「あ、そういう」


「駄々こねた時の事件データもいくつかあってさぁ。ちょっと見てくれよ」


 下の方にスクロールすると、事件記録と書かれたいくつかの別データリンクが貼ってあった。『謹慎時濃霧化脱出事件』『ニンニク炎上事件』など見るだけで当時の苦労が想像できそうなものが十を超えて青白く表示されている。


「いやー、アタシも色々と仕事任されるけど、何のかんの言っても身内の不祥事が一番の面倒ごとでさ。基本的にわがまま言ったらその通りにしてやんなきゃなんないし、同時並行で種族魔法の分析もしなきゃだから大変だったったら」


「お疲れ様だね。是が非でも役立たせてみせるよ」


「そうしてくれ……、じゃないと必死こいてバイクでアーカム中を駆けずり回ったアタシの苦労が浮かばれない」


 いったい何があったのか。総一郎は苦笑しつつ、電磁ヴィジョンに表示された『種族魔法分析記録』というリンクに触れた。


 アーリが外部操作許可の承認を出すと、様々な種族魔法についての情報が出て来た。総一郎は感嘆の声を漏らしつつ、スクロールしていく。


「かなり多様で……本当に強力だね。単純な魔法親和力に関しても、これだけの規模で使用できるなら俺と大差ないよ。正直初期のウッド相手なら、シスターズとウルフマンを矢面に立たせて戦術指揮をハウンドがとれば普通に勝てたんじゃないかな」


「そういう詳細な指示を聞いてくれる相手だったら良かったんだがな。いや別に、働いてないとは言わねぇけどさぁ……!」


「ごめん、聞き流して」


 過去にかなりの厄介を強いられたらしく、気軽に話を振れないほど、アーリの中のシスターズ情報は地雷原のようだ。


 総一郎は妙な既視感を抱きながら、スクロールを続けた。首を傾げていると、アーリが「どうかしたか?」と聞いてくる。


「何か……何かに似ているような気がするんだよね。何だろ?」


 呟きながら、視線は素早く文書を読み取っていく。シスターズは、特殊でない魔法属性は完備しているらしく、他にもヴァンパイアらしく血を吸ったものを支配下に置いたり、全身大量の蝙蝠になったり、霧になったりと逃亡能力の権化のような能力群も見つかった。


「この、体を何がしかの形でバラバラにして散らしてしまうっていうのは強力だね。密閉してしまう以外思いつかない。でもそれだと死んでしまうし」


「吸血鬼でも呼吸するってんだからよく分かんないよな」


 その辺りで注文したカレーが二人の前に並べられた。舌鼓を打ちつつ、カバリスト達は議論を続ける。


「実際ヒルディスの旦那も、“この能力がある限り、ARFにとってヴァンプは潜在的な脅威だ”とかなんとか部下に言ってたらしくてさ。でも旦那面倒見がいいからな。かなりの優先度で研究チーム組んでたらしいぜ」


 おお、舌の上で肉がほろりと。と味に関する感想はそこそこに、アーリは電磁ヴィジョンに群体化能力についての詳細を映し出す。


 そこに描かれていた図は、群体化したシスターズの体――つまり大量の蝙蝠だったり、霧だったりの上に脳のイラストが描かれたものだった。脳からそれぞれの形態へと相互的に太い矢印が伸びていて、脳から群体へと『指示』、群体から脳へと『認識』と入力されている。


「これは……なるほど、確かにそうだよね。全身蝙蝠になって逃げきったとしても、シスターズの自意識を保つための脳がどこかに保存されてないと、自分の体に戻れない。蝙蝠そのものに、群れで一つになって吸血鬼になろうなんて考えは湧かないから」


「霧は言うまでもなし、ってな。んで、繰り返されるインタビューと能力実験の結果、この仮説はほぼ確実だって結果が得られてる。細かい話をするなら、蝙蝠形態の時蝙蝠一匹一匹の五感は働いているらしいんだが、自意識は一つだった。霧は、霧が立ち込める空間限定で何が起こってるか理解できてたって感じだな。五感の情報はないみたいだった」


「アーリ、もしかしてインタビュアーだった?」


「キャンディーだのマシュマロだのやかましい奴だったよ。ギブ&テイクじゃなきゃ動かないんだとさ。生意気なこと言いやがって」


 当時を偲んでいるのか、今度は懐かしそうにアーリは語る。


「ぶつくさ言う割に、結構仲良かったみたいじゃないか」


「……そうだったんなら良かったんだけどな。そんなことないんだよ。アタシとか旦那が一方的にどうにかしてやりたいって思ってるだけで、双子自体は心を開いちゃいなかったんだ」


「それは」


「あいつらはさ、そんなに頭はよくない。いや、魔法の使い方とか、そういう部分には天性の才能があったとは思うんだが、そうは言っても幼いからな。難しいことはよく分からない。だからアタシたちしか理解できないことは、研究で理解できた。でも、あいつらの分かる『知られたくないこと』は、あいつら自身が魔法で邪魔をしてきて、結局分からずじまいだったんだ」


 白羽も、同じことを言っていた。


「それで、心を閉ざしているって」


「そういう事だな。双子は、双子同士で完結してるんだ。そこに、アタシたち外野の入る余地は残されてない」


 寂しそうに語るアーリに、総一郎は難しい顔をする。ARFは一枚岩であるとその幹部たちは語るが、きっとその精神的な未熟さのために、ただそこにいるだけという問題児もいるのだろう。そして、その筆頭がシスターズであると。


「何だかしんみりさせちまって悪いな」とアーリは笑い、ごまかすようにガツガツとカレーを口に運び始めた。総一郎も自分のカレーを書き込んで食べて、一口目では分からなかった後追いの辛さに悶絶する。何だこれは、本当に人間の食べ物なのか。


 そんな様をちゃんと見ていたらしいアーリは、ニヤニヤと無言で意地悪な顔だ。総一郎は表情をこわばらせて視線を外し、一つ咳払いをしてから「それで」と話題を対策に変えた。


「つまり、群体化状態では、脳――というか自意識が何処か別の場所に保存されて、そこからの指示を受けて動くって感じになるのかな。例えるなら、インターネットサーバと、複数の端末っていう具合に」


「恐らくな。ただ、指示がどういう方法で行われているのか解明できてないんだよ。精神魔法をいじくってジャマー組んでも意味がなかった」


「精神魔法が効かなかったの? ……それは難しいな」


 きっと精神魔法でなんとかできる問題だろうと高をくくっていただけに、総一郎は腕を組んで思考を深くする。「その辛いカレー食べれば、新陳代謝も思考速度もよくなるんじゃねぇか?」と茶々を入れられ、「そうだね。アーリも一口どう?」とやり返した。


 それから二人はカレーを口に運びながら、仮説の提唱とその思考実験を繰り返した。総一郎は魔法的アプローチ、アーリは科学的アプローチで、お互いカバラを前提に話し合っていく。


 しかしアナグラム計算結果が示すのはNOばかりで、食べ終わってから数時間その場で粘って議論を交わしたが、結論は出なかった。何度もの言いたげな店員を無視して追い払ったか分からないほどだ。


「……どうすりゃいいんだ」


「カバラを使ってここまで苦労するっていうのも久しぶりだね。本人がこの場にいれば、逆算的に答えを見つけ出すこともできるんだけど」


「現物がないと当てずっぽうから始めなきゃならないのがカバリストの辛いところだよな」


 そもそもからして、種族魔法はカバラでもかなり不可解な動きをする点が多いのだ。単純な属性魔法のアナグラム方程式は解明済みだから、それを使えば時間は短縮される。しかし種族魔法は、本人の資質による部分が多いため、一々計算しないと結果が出ない。


 ここまでのカバラ検証の結果で分かっているのは、既存の属性魔法ではシスターズの群体化に対抗できないという点。NCRの体内挿入は人道に反すると二人そろって却下。直接的にカバラを用いてバタフライエフェクト的に拘束するのは、効果時間と計算速度がネックで現実的でないと判断された。


 となると、もう残りは未知の手段を発掘してそれに縋るしかないように思えてくる。


「……ん? 未知の手段?」


「あ? どうした?」


 店員がもの言いたげに見つめてくるのを二人で睨んで追い払い、総一郎は「ちょっとごめんね」と言ってアーリの顔に「灰」と書いた。


 その行動は、疲れもあったのだろう、総一郎が普段やりそうにないくらい考えなしで、それでいてある意味では、一番希望の薄い検証だった。


 しかし、反応は即効でかつ甚大だった。途端アーリの表情は消え失せ、彼女は言葉にならない困惑の声を上げた。「あっ、大丈夫すぐに戻すから!」と総一郎はあわてて『灰』を吹き飛ばす。


「あっ、はっ、はっ……。そっ、ソウ! 一体なにした!? 今アタシ、急に目の前真っ暗になって、言葉もうまくしゃべれなく……!」


「ご、ごめん! まさかこんな効果を及ぼすとは思ってなかったんだ。俺の場合、妙に気が軽くなってムズムズするだけだったから」


「ムズムズって……ああ、『灰』とかいう奴な。いや、驚いたけど、うん。大丈夫みたいだな。あー、びっくりしたー」


 よほど驚いたのだろう。この数秒の間にアーリは冷や汗をかいて、椅子の背もたれに体をあずけ天井を仰ぐ。普段彼女がこんな体勢を取ったら、総一郎はその健康的な胸部しか見なかっただろうが、今日は流石に自粛の構えだ。


「その、本当、ごめんね」


「大丈夫、気にすんなって。でも、すげぇな。手順そのものはおまじないレベルだったからソウ以外使えないものと思ってたけど、まさかソウが書けば他人にも働くとは」


「不意に思いついたからやってみたんだけどね。未知の手段に頼るしかって考えた時に、あ、そうだ、って」


「流石、アタシと真正面からぶつかりあって裏の掻き合いをした相手なだけあるぜ。また今度しないか?」


「もう二度と御免だよ。社会的生命から潰して仲間のふりして近づく相手なんか、敵に回してられないって」


「ははははは!」


 こうやって笑ってくれている辺り、すでに許してくれているらしい。「それで」と話を戻した。


「今、どこに書いたんだ? 慌てて全部記憶のかなただぜ」


「頬のあたりに、かな」


「じゃあ、次は手に頼むわ」


 差し出された、女性にしてはやや逞しい手の平に、総一郎は『灰』を記す。今度は先ほどと違って意識を残していたが、どうやら総一郎に似た違和感があるらしく、「あー、ちょいキツイキツイキツイ。頼む止めてくれ」とうつむいた。手を取って吹き飛ばす。


「はい、飛ばしたよ。どうだった?」


「ムズムズしたっていう意味が分かった。こりゃ慣れないと長時間は無理だ。アレだ、アレ。地べたに長時間足組んで座ってて、何となく立った時のあの感覚」


「あー! それだ! 痺れてるんだけど、ピリピリするのとはまた違うアレ!」


 謎の通じ合いを得て、二人は仲良くハイタッチ。すると店長らしき人物が凄みのある態度で伝票を渡してきたので、これ以上は、とカバリスト達はすごすご退散した。


「いやー、粘った甲斐があった。中々の成果じゃねぇか? これは嫉妬深いボスも五月蠅いこと言えなさそうだな」


「あ、あはは。そうだね」


 総一郎は口が裂けても言えなかった。その分の先払いも兼ねて、昨晩は大変だったとは。


「あとは、ボスとウルフマンも巻き込んでクロスチェックを済ませれば多分実用化出来るな。へっへっへ。ボス驚くぞぉ~、何せARFの五つある悩みの種の一つを一日で解決しちまったんだ」


「他の四つは?」


「根本的には亜人差別だろ? でその派生として、リッジウェイに、悪徳ギャングども。あと完全別枠でヤバいの」


「ヤバいの?」


「ソウはインスマウスって街知ってるか?」


「あっ、もう分かったから詳しく説明しなくていいよ」


 総一郎は口が裂けても言えなかった。そこ俺の入国場所だよとは。


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