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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
179/332

6話 決別ⅩⅡ

 夜。日が落ちてからの集合だった。


「総ちゃん、待った?」


「ううん、待ってないよ」


 アーカムでも最もにぎわう駅前の中央通りで、二人は示し合わせていた。と言っても、先日のウッドの騒ぎで人の数は少ない。ガラス片や街灯は修理されていたが、車も厳ついのが多く、総一郎たちのように歓楽目的で集まる若者は皆無と言ってよかった。


「うふふ、この会話初めてしちゃった。なんか照れくさいね」


「そうだね。姉弟なのに、俺たち」


 言ってから、白羽の服装を改めてみる。白を基調とした緩やかなドレスは、大人っぽく清純で、彼女の白い長髪によく似あっていた。


「……綺麗だ。おめかししてきたの?」


「ふふ、ありがとう。総ちゃんこそ。ドレスコードある店だからって、そこまでパリッとしたタキシード着てくるとは思わなかったよ」


「あれ、不自然かな」


「ううん、キマってる。格好いいよ、総ちゃん」


 そこまで話して、やっぱりこれカップルの会話だよと、二人は笑った。


 総一郎は酷く久しぶりに前世を思い出す。もうほとんど覚えていない記憶。だが死に間際のことくらいは覚えていた。あの時、プロポーズをしようとした自分は、ちょうどこんな人通りの多い賑わいの中で『彼女』と待ち合わせをしたのだ。


「どうかした? 総ちゃん」


「……ううん、ただ、やっと待合せられたんだなって思って」


「? 変な総ちゃん」


 白羽は何もかもが楽しいといった風に、満面の笑顔で先行する。


「ほら、行こう? 私出来る女だから、もうお店予約済みなんだ」


「あはは、白ねぇが出来る人なのは、知ってるよ」


 追いついて、手をつなぐ。「わひゃっ」と変な声が上がったから、「変な白ねぇ」とやり返した。


「え、……繋ぐ、の?」


「繋ぎたいんだ。ダメ、かな」


「ううん。……嬉しい」


 白羽は顔を伏せて、小声で言う。赤くなった頬が愛おしい。そして、愛おしいと感じることのできる自分に、安心した。


 歩き出す。歩調を合わせる。最初に話し始めたのは、白羽だった。


「総ちゃんってさ、正直、モテる?」


「え、何で?」


「何かこう……、女の人に慣れてるっていうか。そんな感じしない?」


「俺にそれを言われても」


「今まで付き合った彼女の人数」


「……多分、二人。厳密に言うなら一人」


「え、どゆこと?」


「片方がナイ。……そういえばアレが修羅の始まりだったのかなぁ。うにょうにょする右手が大量殺人を初めてさ。結局そいつら全員ショゴスだったからアレなんだけど」


「突っ込みどころ満載だね……。ナイ許すまじ、はいつもの事として。そういえば右手っていうか、ウッドの体部分とか、今どうなってるの?」


「あー」


 右手に力を籠める。だが、変わらない。ウッドだったなら、この場で手を球体そのものに変えられた。


「出来なくなってるみたいだ。という事は、現状ウッドはいないってことだね」


「ウッドは居ない、っていうのも不思議な言い方。ウッドだった時の記憶はどうなってるの?」


「ほぼ、だね。ほぼ覚えてる。けど、ウッドが揺さぶられたとき、俺の自我が僅かでも戻りそうになったときは、曖昧になってるかもしれない」


 逆に言えば「ハッピーニューイヤー事件」などの手ごたえや、他の敵対者を惨殺した記憶などは、鮮明に残っていた。あれは、ウッドが最もウッドらしかった瞬間だ。焼き付くように覚えていて、忘れることなどできないでいる。


 白羽は総一郎の心境を読んだのか否か、包み込むような笑みでしんみりといった。


「油断は出来ないけど、それでも総ちゃんが戻ってきてくれて嬉しいよ」


「……うん」


 握り合う手は強くなる。こうしていると、夜の街を行くカップルみたいだ。姉弟なのに、と思いながら離れられない。


 それからしばらく歩くと、高層ビルの一つたどり着いた。数々の店が入っていて、おしゃれなのもあれば、にぎやかに騒げそうなのもある。


 しかしそれらの中に入るのではなく、白羽は総一郎の手を引いてエレベーターに乗り込んだ。「何階ですか? シラハ様」と尋ねてくる燕尾服の男性に、「十階にお願い」となれた口調で返す姉。


 エレベーターは急上昇を経て、十階へとたどり着いた。八階からはエレベーターの外壁がガラス製になり、高所からの夜景を一望できる。


 その夜景に目を奪われていると、背後で扉が開く音。振りむけば高級そうな絨毯が敷き詰められた部屋があり、「お待ちしておりました、シラハ様、ソウイチロウ様。どうぞこちらへ」と美しい女性の案内人が先導する。


 ここまでくると、財布事情が心配になってくる総一郎だ。カバリストに押し付けられたものはまだ残っているが、これは贅沢の為の資金ではない。


 そんな心配を見て取ったのか、白羽が肩を寄せてきて、こっそりと尋ねてくる。


「怖がらなくても大丈夫だよ。弟に払わせるお姉ちゃんなんていないから」


「いや、そんな訳には行かないよ。自分の分くらい払える……けど、ダメだ流石に白ねぇの分まで払える自信はない」


「もー、だから良いって言ってるのに。っていうか、先払い済みだから気にしなくていいよ? そもそもこの店ウチのだし」


「……はい?」


 聞き間違えかと疑った。ウチ? いやいやまさか。


「私、オーナー。このビル、ARF本拠地の隠れ蓑」


「――ほ、本当に?」


「このビル集金率かなりいいんだよね~。最初はテナント借りてボチボチやってたんだけど、ま、亜人売買のギャング襲撃してその資金をうまく洗浄しながら投資投資の繰り返しはそれなりに効果があったってね。今じゃアーカムでも有数のお金持ち」


「白ねぇってもしかして物凄い人なんじゃ……」


「いやー、そのARFをたった一人で相手取ってた総ちゃんには負けるよ~」


 嫌味たっぷりで、「うっ」と総一郎は胸が痛みだしたジェスチャー。それから二人そろってクスクスと。


 席は窓に沿った二人席で、横を向けば視界いっぱいにアーカムの夜が広がっていた。煌びやかな街明かりが、このビル付近を中央に集まっている。向かい合って座って数秒。白羽が嬉しそうな笑みをこぼした。


「すごいでしょ。オーナーとはいえ、結構この席取るの難しいんだからね。まぁ最近は物騒すぎてそんなにお客さん来ないんですけど」


「罪悪感で死にそうになるから、そういう冗談は勘弁してほしいな」


「ふふ、ごめんね。でも、総ちゃんの罪がどれだけ重くても、私は総ちゃんを愛してるから」


 不意の殺し文句に総一郎は言葉を詰まらせ、慌てて周囲を見回し、話を逸らしにかかった。


「に、にしても、豪華な場所だね。高校生程度の俺たちじゃあ、不釣り合いなくらいだ」


「……んふふ、かーわい」


 そういう事を言わないで欲しい、とは総一郎の独白だろうか。これ以上いじめてくれるな、という意思を込めて睨むと、また微笑してから白羽は答えた。


「そんなことないよ。これでも二人して修羅場潜ってきてるもの。並大抵の大人なんかより、ずっと深く考えて生きてると思う」


「――そうかな。そうだと良いね。でも、本当にここはいい。羽のある敵でもこの高さには及ばないし、魔法だってすぐにガス欠が来る。おまけに百万ドルの夜景だ」


「総ちゃん、理屈っぽいよ」


「性分なんだ。許してよ」


 そんな風に軽くおしゃべりをしていると、ウェイターが飲み物を運んでくる。ぶどうジュースかと思えば、ワインだ。肩眉を寄せて、意地悪な顔で問う。


「白ねぇ? これはどういうこと?」


「え、ダメだった? 嗜むくらいならいいかなって思ったんだけど」


「……まぁ、飲んだことがない訳じゃないしね。法律違反っていう意味なら、今さらか」


「そうだよ、じゃあ」


「うん」


 乾杯、と言いあって軽くグラスをぶつけ合った。口を付けると、爽やかな味。前世ではあまり口に合わなかったワインだが、この一杯に限っては絶品だ。


「総ちゃんまじめだから、多分飲み慣れてないだろうなって思って、年数若いのを選んだよ。あっさりフルーティでおいしいでしょ」


「うん。軽くていい感じだ。……何か、完全にエスコートされちゃってるね。面目ないなぁ」


「私は総ちゃんのお姉ちゃんだもん。私にくらい、総ちゃんは甘えたって良いの」


 甘える、と総一郎は口の中で反復した。愛すべき人と出会ったことは何度かあるが、そのいずれも甘えられたり、甘やかしたりとどちらかというと対等以上の接し方ばかりだったような気がする。


 幼年期の白羽との関係もそうだ。だが身長が逆転したのとは裏腹に、白羽はずっと姉らしくなった。なら、これはこれでいいのかもしれない。新鮮だと笑みがこぼれた。


「そうだよね。じゃあ、これからも甘えちゃってもいいかな」


「もちろん。愛する弟ですもの」


 白羽はそう言ってから恥ずかしくなったのか、ワインを急いで口にする。それで一杯空にしてしまって、気づけばウェイターが影の様に近づいてお代わりを注いで消えて行った。


「お酒、結構強いの?」


「遺伝的に弱くなる要素がなかったしね。総ちゃんもそうだと思うよ」


「そっか。じゃあ俺も」


 飲み干す。回らないが、どことなく高揚感があった。すると料理が運ばれてきて、その匂いに食欲をくすぐられる。


 白羽の予約していたのはコース料理だったらしく、一品、また一品と食べ終わってからしばらくして次の皿が運ばれてきた。その間に二人は今まで話せなかった、会えなかった時期の話をお互いに交わし合う。


 何もかもを話した。イギリスにいた頃のことの、全てを。差別とすら呼び難い迫害を。ナイの裏切りを。ローレルとのことも、彼女を苦渋の思いで置いてきたことも。初めは楽しい話題を選んだけれど、話が深くなればなるほど、そういった話をせざるを得なかった。


 白羽の話も、同様の部分があった。他人の口から『ぶっ飛んでる』と言わしめる面白話に端を発し、その裏で起こった感情、決意。ARFの幹部たちとの邂逅などなど、多くの話をされた。そこには怒りと涙があった。ワインがなければ易々とは語れない人生だった。


 その中でも、特に総一郎が食いついた話があった。白羽も、あらかじめウッドが経験した最近の謎に満ちた出来事の数々を聞かされていたからだろう。彼女についての話が、最も詳しく綿密だった。


「あの子の本名はね、シェリル・トーマス。それが『ヴァンパイア・シスターズ』の本名なんだ」


 酒気に頬を赤くする白羽に、総一郎は質問する。


「シスターズなのに、たった一人の名前なの? 片方は戸籍に名前がないとか?」


「……歯がゆいなぁ」


 問いに、白羽は悔しそうに唇を引き結んだ。眉根を寄せてテーブルクロスを睨みつけ、そのまま絞り出すように答えた。


「ごめんね、総ちゃん。私は、その質問に答えることが出来ないんだ。シェリルちゃんの家族構成は把握してる。データも残ってる。でも、シェリルちゃんはとても力の強い真祖の吸血鬼で――あの子が知られたくないと思ったことを、私たちは覚えていることが出来なかった。研究結果に残してあるはずなのに、忘れてしまう。忘れさせられてしまう」


「それは」


「こういう時ばっかりは、所詮私は下位の天使と人間のハーフなんだなって、そういう風に思うんだ。真実を知ることが出来てるのは、北欧神話出身の副リーダーだけ。他の人は知らないか忘れさせられちゃう。魔法とは言い難い、神秘の力でね」


「……神秘」


 文脈から察するに、種族魔法の事だろう。体系化の出来ない魔法群だ。神秘と呼ぶのも、間違いではない。


「前までは良かったんだ、私が把握してなくても、副リーダーが知っていればそれで。でも、今彼はいない。副リーダーの直属の部隊も全員連絡が取れない。だから気を付けて、総ちゃん。私は、これから私が知る全てを総ちゃんに話す。けどきっと、これからは今まで培ってきた魔法もカバラも超越した敵が現れる。――シェリルちゃんは、その先駆け」


 超越、その言葉で思い出すのはただ一人だ。グレゴリー。総一郎には理解できない、カバラをもってしても計算の追い付かない超人だった。思い起こせば、ファーガスの異能にどこか似てもいた。ただただ、使用者にとって“都合のいい”能力が。


「私の中の位置づけとして、シェリルちゃんたちは、私とマナちゃんに続く象徴なんだよ。もっと言えば、マナちゃんと同じにして対を為す差別被害者」


 差別被害者。総一郎は続く言葉を待つ。


「私は堕天使だから、純粋に『アメリカの亜人差別は、天使たる私の翼が、絶望に黒く染まるほどひどい』って論法で使える。マナちゃんのエピソードは……レストランでは出来ない話かな。ともかく、日本出身の差別被害者、その中でももっと衝撃なのがマナちゃんなの。で、それに対を為すシェリルちゃんたちは――アメリカ出身での、亜人差別の筆頭。私含めこの三人は、主な仕事がプロバガンダなんだよね。もちろんそれぞれの能力を持ち腐らせるわけには行かないから、仕事の割り振りでひーひー言ってるんだけど」


 あの子たちは、その意味では扱いが難しいんだけどね。と白羽はワインをもう一杯飲みほした。


「そのシェリルちゃんたち、なんだけどさ。俺はその、吸血鬼の事を詳しく話してくれた友達――さっき話したルフィナから聞いたんだけど、吸血鬼って、それだけで心象に悪いんじゃないかな。亜人犯罪は大抵吸血鬼に引き起こされた、なんて俺も言われたし」


「そりゃ、そうしなきゃシルバーバレット社そのものが危ういからね。あの会社は亜人差別を基盤として成り立ってる軍事企業。特にシェリルちゃんたちは、シルバーバレット社が成り上がるに至った『最初の被害者』の娘なの」


「えっと、それは」


「ちょっと長くなるんだけどね――」


 グラスを置くのを切り口に、白羽はヴァンパイア・シスターズについて話し始めた。彼女がどんな少女であったか、どんな悲劇にあったか、どのような能力を持っていて、ARFに入ってからどのような道を歩んできたか。その内、白羽が知りうるものを。


 語り終えて、沈黙が下りた。それきり、白羽は何も言わなかった。総一郎も口をつぐみ、どうしようもなくて、ワインを静かに傾ける。こういう時ばかりは、酒の力は偉大だ。言葉にできない感情を、アルコールと一緒に流してしまえる。


「……総ちゃん。私ね、改めてお願いしたいの。シェリルちゃんの事を初めとして、他のみんなの事、ARFに身を寄せる亜人たちを救うために、自分で生きていけるようになるための活動に、力を貸してほしいって」


「そんな、俺は最初からそのつもりだったよ。俺を救ってくれた白ねぇの為なら、何だってしたい」


「ありがとう、総ちゃん。うふふ、やっぱり総ちゃん大好きだよ。……やっぱりちょっと照れちゃうね。ほら、なし崩し的に手伝ってもらえそうな雰囲気ではあったけど、私、そんな事したくないから」


 ワインを一口飲んで、白羽は心情のすべてを吐露する。


「本当は怖かったんだ。重い話をして、その責任を託すなんて、いつもの私なら絶対しない、誠実すぎる方法だったから」


「いつもは軽く任せちゃうんだ。悪い女だね」


「その語弊の塊みたいな言い方いやー」


 言って、クスクスと笑いあう。


「じゃあ、任せても、いいかな。シェリルちゃんのこと。あの子はそれなりに強くて、言う事もあまり聞かなくて、抱える問題も複雑に過ぎて――不甲斐ないことだけれど、私はARFのリーダーでありながら、あの子の為に尽力出来てなかった。手を尽くすのが難しい上に急を要しないからって免罪符で、ずっと放置しっぱなしで……」


「いいよ。白ねぇは今、俺に頼んでくれた。なら、俺が責任をもって請け負うよ。やれるだけのことはやる」


「……本当に、ありがとう」


 視線を落とした白羽は、涙声になる寸前のような潤んだ言葉をこぼす。総一郎は茶化さずに、グイとワインを一気飲みした。


 それからしばらく、二人は無言で杯を傾けていた。すると、とうとうアルコールが回ったらしく、白羽が目をすぼめたり、思いっきり見開いたりし始める。


「どうしたの? お顔の体操?」


「少し、飲みすぎちゃったかなって。総ちゃんが二人に見える」


「飲みすぎだよ。ほどほどに」


「そう、だね~」


「……これはダメそうだ」


 さらにもう一杯注文しようとする白羽を制止し、残る何皿の間にたくさん水を飲ませ、二人は多少酔いがさめるのを待って店を出た。白羽はまだ頬の紅潮が残っていたが、歩みがよろめいていることもない。


 強いて言っても、総一郎の手を離さないという程度。


「うふふ~、帰り道は総ちゃんがエスコートしてね」


「はいはい。喜んでお姉さま」


「やぁだぁー。そんな他人行儀な呼び方ダメです。もっとこう、親しみを込めて。何なら呼び捨てでもいいんだよ!」


「いや普通に白ねぇって呼ぶけどさ」


 面白半分、愛おしさ半分、呆れがちょっと。だがどうしても酔っぱらいの相手となると、あしらうような感じになってしまう。「何でー」とむくれる白羽に、「何でって、ずっとそうだったじゃない」と笑って反論。


「……私の初めて、あんな盛大に奪ってった癖に」


「ウッ」


 不意を突くとてつもない一撃に、総一郎は大ダメージを負う。


「い、いやその、アレはウッドがやったことっていうか」


「そのくらい分かってます~。分かってますけど、……女の子にとって、初めてって大事なことなんだよ?」


「しょ、承知しております……」


 総一郎はただただ首を垂れる。その辺りはもう何も言えない。


「それで結局、どうするのかなって」


「え?」


「私たち、どうなるの? これから改めて姉弟に戻るのか。――それとも、って」


「それ、とも」


 唇が渇く。握る手が汗ばんでいる気がして、力の入れどころが分からない。


「私ね、今日のデート、楽しかった。総ちゃんの話聞いてて色んなこと思ったし、やっぱり愛してるって、確認できた。……でも、それだけだったなら私こんなこと言わないよ。ただの家族愛なら、それだけだから。男の人を感じるっていうか、普通、ただの弟と話しててドキドキしないもん。するわけ、ないもん」


「……白ねぇ」


「でも、この気持ちが総ちゃんとお揃いじゃないなら、私はお姉ちゃんのままでいいよ? 総ちゃんだってイギリスに、大切な人を置いて来たって言ってたし。いつかその人を忘れられなくて、またイギリスに飛ぶかもしれない。お姉ちゃんのままなら、我慢して『行ってらっしゃい』って言えるから」


 その言葉は、手を離してから言うべきだった。総一郎は、しがみつくように強く握られる手を握り返しながら苦笑する。


「二人きりの時は、白羽って、そう呼べばいいってこと?」


「――総ちゃん」


「俺も、今日は楽しかった。俺の、人に話せないような惨くて重いこと、全部話せた気がする。気がスッと楽になったよ。こんな事全部話せるのは、やっぱり俺には白ねぇくらいしかいない」


「……イギリスで出来た彼女さんには?」


「意地悪、言わないでよ。ローレルはもう俺の手の届かないところにいる。ローレルが居なければ、俺は遅かれ早かれ朽ちて死んでいた。……けど、ローレルは俺と関わらない方がいい人生を歩めた。それだけなんだ」


「切ない、ね。大切だから、傍にいられない」


「あはは。でも、だからこそ、俺が甘えられる相手は、地球何処を探しても白ねぇくらいしかいないんだよ」


 白羽は幸運なことに、総一郎と釣り合うほどに強い。それは戦闘能力というのではなく、指導者として、もっと言うなら人間として、強い。守るために切り離すというのが愚策になるほど、頼もしい。


 それは、ローレルには無かった確かな資質だ。


 握り返す。甘えるように、白羽の手の甲を少しひっかく。くすぐったがって力が緩んだから、ちょっとだけ離して、恋人繋ぎに変えた。指の一つ一つが絡み合う。


「……ずるい言い方。私絶対、いつか総ちゃんに泣かされる気がする」


「今夜にでも泣かしてあげるよ。優しく可愛がってあげるから」


「~~~~~~~~~~~~~~~!」


 白羽の頭突き攻撃! 総一郎に十のダメージ!


「総ちゃんドSでしょ! 絶対イギリスの現地妻にもこんなこと言ってたんだ! やぁだぁーもー! エッチ! 女ったらし!」


「現地妻とは色々と失礼な! これでもローレルには操立ててたつもりだよ! 白ねぇ除けば一人だし!」


「じゃあエッチなのは否定しないんだ」


「に、人間だもの」


「……姉弟なのに、またするつもりなんだ。先に言っておくけど、日本と違ってアメリカでは実刑判決なんだからね。近親の、その、……それこれは」


 照れて俯き、頭を押し付けてくる白羽に総一郎は微笑む。


「だから、ワインの時にも言ったじゃないか。俺たちはこれまで何人の人々を犠牲にしたって話」


「え? あ、……今さら、だね。確かにそう。私たちはもう悪いことをしすぎたんだから、精々一蓮托生になるだけ、なんだね」


「それならむしろ、連帯感ってものじゃない?」


「ふふ、確かに。――もう、なし崩し的に説得されちゃった。ううん、口説かれたっていうのが正しいのかな? そう考えると嬉しいかも。総ちゃんに口説かれた……ふふ、うふふふ」


 握り合う手は引き寄せ合って、白羽は総一郎の腕を抱きしめて歩き始める。「歩きづらくない?」と言っても、「これでいーのっ」と白羽はご満悦に離れる気配がない。


 そこで、夜道をふさぐものが現れた。


「おい兄ちゃん。良い服着ていい女連れてんじゃん。そいつ、亜人だろ? 人間に有り得ない髪色だ」


「おいおい、最近人気が少ないからって亜人なんて連れて歩いて、警察に捕まったら大変だよなぁ? ま、俺たち賞金稼ぎに見つかってる時点で同じか。ハハハハハ!」


 ガラの悪い若者たちが、ぞろぞろと集まってきた。計五人ほど。風魔法で簡単に探ってもそれ以上は居らず、カバラで入念に探してもそれ以上の事はなかった。


「……あー、なるほど。そういえばJVAバッチをつける習慣なくなってたね」


「あ、そういうこと。んー、どうしてもいいけど」


「おい! 話聞いてんのかお前!」


「何だ? ビビッて声も出せねぇのかよ。なっさけねー男だなおい!」


 このセリフのテンプレート具合に、武士垣外姉弟は失笑を禁じ得ない。


「これはお金払ってもいいレベルで貴重だと思う。シーラカンスと同じノリで保護すべきだね」


「生きた化石ってこと? それなら私はゴキブリと同じだって思うけど」


「なるほど、古代より続く普遍的な悪党って事か」


「そそ、いつの時代においても害虫」


「白ねぇも中々毒舌だねぇ」


「おい、舐めたこと言ってんじゃねーぞ!」


 殴りかかってくる。カウンターとして、反射的に魔法のセッティングを始める。いつもの様に、敵をミンチに変える威力のある様々な魔法群。それらをカバラで用意しようとした瞬間に、背筋に氷を入れられたような感覚が走った。


「ッ、ぐ」


 辛うじて避ける。その様を見て、白羽が呆気にとられた顔で総一郎を見た。総一郎は右手の疼きで理解する。同時に、魔法の使用を諦めて拳で応戦した。


 顎。賞金稼ぎの若者たちはさして洗練された様子もなく、上手い事撃ち抜いて脳を揺らした。闘拳の経験はなかったが、こぶしを握りぶつけることと知っていれば、後は剣術のように腰と体重を乗せればいい。


「なっ、何だテメェ! やんのかよ!」


 答える余裕はなかった。踏み込み、殴打する。二発殺す気で殴ると、相手は倒れた。すぐに二人目が来る。拳銃を持っている。何年ぶりかの物理魔法をカバラで調節して、素早く奪った拳銃を片手でへし折って捨てて見せる。


 それをして、賞金稼ぎ達は息をのんだ。総一郎は我に返って、不敵な笑みを作り出す。


「実力差は、分かったんじゃない? 早く消えなよ。じゃなきゃ君たちはそこの屑鉄と同じ末路を辿ることになる」


「て、テメェJVAバッチを付けて歩きやがれ!」


 捨て台詞を吐いて、彼らは立ち去っていった。リーダー格以外が、取り出しかけていた銃を仕舞いなおしながら、総一郎に殴られた一人を担いで消えていく。冷や汗をどっと流すのは、その後だった。


「すごい汗。どうしたの総ちゃん。何であいつらに魔法使わなかったの?」


「……殺せなかった」


「え?」


「魔法を使ったら、まず間違いなく殺してしまう。今まではその事に何も思わなかった。いいや、何も思わない振りが出来たんだ。けど、それが出来なくなったみたいだ」


「それは、えっと」


 答えを待つ白羽に、ただ総一郎は右手を見た。そこは、最初に修羅が発現した部位だ。もうウッドのようには使えないが、それでも疼きの走りで何が起こっているかぐらいわかる。


「人愛せば人になる。反対に、人を殺せば修羅になる。――俺は、人を一人でも殺せば、きっとその一瞬でウッドに何もかも奪われる。そうして、二度と正気を取り戻すことはないんだと思う」


「……それは」


 総一郎は俯いて歯噛みした。


「ごめん、白ねぇ。俺、やっとARFに手伝えるかもって思ったのに、こんなんじゃ、こんなんじゃまた邪魔をするばっかりで――」


「――ううん、そんなことないよ。むしろ、これは喜ばしい事」


「え?」


 顔を上げる。白羽は、温かな笑みを浮かべる。


「総ちゃん。本当はずっと殺したくなかったんでしょ。言ってたもんね。殺されたくないし、殺したくないんだって。なら、そうしようよ。もう殺せないなら、殺さないで頑張っていこう? それがきっと、今の総ちゃんの使命なんだよ」


「使命……」


「私の使命は、ARFを率いて亜人差別をなくすこと。それを成し遂げるまで、私は死なないよ。そして総ちゃんは、『人を殺さずに』ひとまずは私の手伝いをすること。……ねぇ、総ちゃん」


 白羽が、総一郎の右手を両手で握ってくる。


「たくさん殺して、たくさん後悔して、たくさん強くなったあなたは、もう好きなようにしていいんだよ。総ちゃんはもう殺さなくてよくて、殺さないで済む強さだってあって」


 白羽の視線が、賞金稼ぎ達の去って行った方角に向いた。名も知らぬ彼らにも、これまで歩んできた人生がある。今までなら、殺して、台無しにしていた。けど今は違う。


「なら、胸を張って『殺さない』って誓える。ウッドはいい機会をくれたね。ここだけは、感謝しなきゃ」


「殺、さない。――ふ、ふふ、あはは、ははは……!」


 総一郎は自分の手を握る白羽の手を両手で持って、そこに額を付けて涙をこぼした。


「殺さない。殺さなくて、いい。そうか、俺はもう、無理に殺すことなんてなかったんだ」


 肩が軽い。まるで息を吹き返すような、それをようやく実感できたような気持だった。「今日は泣いてばっかりだ」と自嘲するように言うと、白羽が総一郎の頭を掴んで胸に掻き抱く。


「いいんだよ、いくらでも泣いて。総ちゃんは私に甘えるべきなの。私は、総ちゃんが世界で唯一甘えられる相手なんでしょ? なら、私にはずっと甘えてて?」


「うん、うん……!」


 人生を取り戻したのだ、と思った。奪われていた人生を、捨てていた人生を。


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