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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅺ

 三箇日の初夜を終え、ウッドは笑いながら空を飛んでいた。


 ウルフマンは、洗脳直後に襲い来たピッグ、アイにくれてやり、そのまま素直に退却したのだ。すでに彼の体内には一定量の『修羅』を送り込んでいる。あとは、どうとでもできるという余裕があった。ウルフマンを操るのも、逆にウルフマンから読み取るのも。


「もう、ウルフマンとの争闘は終わったも同然か。――なら、精々好きにさせてもらおう」


 とうに考えは纏まっている。それを無事終えれば、ウルフマンは五体満足な状態で無力化されるだろう。


 ザクッ、と音を立てて、ビルの屋上に着地する。先日降った雪は、この冷えた風の所為で硬直していた。今日は降っていない。しかし明日、明後日は吹雪くとさえ聞いていた。


「……明日は、もっと厳しくなるぞ、ウルフマン。そう容易く、折れてくれるなよ」


 仮面は笑う。疲れと言うほどの疲れもない。騙して、送り込んだだけだ。楽しみなのは、明日の結果発表。今日は方針が決まっていないから、適当に『洗脳されてARFを全滅させてしまった』と言う風な幻覚を見せるようカバラで設定しておいた。そこで彼が何を示し、何を感じたのか。


「―――と、同じように」


 小さなつぶやきだった。その時、気付くものがあってウッドは立ち止まった。見上げる。月の見え隠れする濁った白の雲の下で、白い何かが素早く走っている。ぼんやりそれを見つめて、勘付いて、逃げ出そうとしたときには遅かった。


 月から、兎が飛来する。


 衝撃。雪は飛び散り、それがウッドの身動きを封じた。そして向かってくるラビット。大量の雪の白の中で、真っ白な兎はウッドの首を素早くつかみ、そして地面にたたきつける。


「がはっ、ぁっ」


 止めようとすれば止められるが、それでも日常的には呼吸をしているウッドは、ひとまずこの瞬間においては絶息した。と同時、驚く。自分がまだ、こんな“人間らしい所作”を取ることがあろうとは。


「探したぞ、ウッド」


 見下ろす瞳は冷徹だ。長耳が揺れるフードの暗がりで、真っ赤な瞳が爛爛と輝いている。ウッドは、ニヤリと笑って応えた。


「昨日に比べて、冷静だな?」


 持ち上げられる。体が浮く。再び叩きつけられる。衝撃。絶息。


「答えろ、快楽殺人者。お前の目的は何だ。何のために動いている」


「それを知ってどうする? お前は俺をすでに拘束しているじゃないか。あとは殺すだけだろう? それに俺はシリアルキラーでもない。分かろうとするなよ。分からないんだから」


 ケタケタと笑っている。逃げるのは簡単だが、今日はすぐに終わってしまって欲求不満と言うのもあった。だから、一つからかおうと思ったのだ。けれど、その所為でウッドは火傷する。


「誰がお前を殺すといった。お前はこの場で仕留めて豚箱に放り込む。そして、お前が快楽殺人者に“なった”理由を探し出し、撲滅する」


「……はぁ?」


 その言葉は、ウッドの脳を焼く。焼き付けて、忘れられなくする。


「殺さない? 俺を? あれだけやった俺を? 何故?」


「……お前は」


 ウッドが抵抗する気配を全く見せなかったからだろう。ラビットは僅かな呼吸を挟んで、ポツリと告げる。



「お前は、化け物じゃないから」



 その言葉は、ウッドにとってあまりに痛烈だ。ラビットは首を横に振って続ける。


「お前は、当初ひどく冷静だった。つまり、お前がこうなったのには理由がある。その理由をつぶすのは、オレの義務だ」


「は、はは、なら、なら何だ。理由があっておかしくなるならば、お前はそれが化け物じゃないというのか」


「いいや、それとこれとは話が違う。今言ったのは、お前に情報を吐かせる理由だ。お前が化け物じゃない理由じゃない」


「なら、なぜ俺を化け物じゃないという」


「……化け物じゃないだろう?」


 きょとんとした声だった。そこに疑問を差し挟む余地を、一切感じていない声だった。ウッドは耐え切れず、高らかに笑い声をあげる。僅かながらできるラビットの狼狽。それを掴み、奴から逃れる。


「チッ、油断も隙もあったものじゃない」


 すぐに駆けだすラビット。けれど、脱出から連続して魔法を展開しているウッドを捉えるのは、さしものラビットにも難しい。奴が周囲に呼び寄せるは十数の光、土、風。狙いはバラバラ。しかし僅かにタイミングをズラして炸裂したそれらは、一帯を煙と閃光で包み込む。


「ぐっ、ちょこざいな……!」


 最初に周囲を覆ったのが煙だったがために、ラビットは煙幕だけが目晦ましだと錯覚する。彼の豪腕によって煙は一瞬で晴らされるが、煙幕を破ってなお余りある膨大な光量は、確かにラビットの目を不能にしていた。


 だめ押しにウッドは自身を透明にし、音を反響させた上でこう伝える。


「済まないな、ラビット。俺は、勘違いしていた。お前など、ただ力に物を言わせただけのヒーローだと認識していたが、違ったのだな」


「ここか! いや、違う。何処だ。何処から喋っている!」


 目の見えなくなったラビットは当てずっぽうに拳を振るい、建物を瓦礫に変えていく。それを眺めながら、ウッドはいまや三百メートルは出来た距離をさらに広げつつ、魔法によってまるで耳元で囁くようにラビットに言った。


「お前は、ARF同様俺の敵だ。待っていろ。ARFの件が片付いたら、次はお前だ、ラビット・フード」









 目が覚めて、まず見たのは白い天井だった。見覚えのある場所。最近、よくここに運び込まれる。


 何処もかしこも清潔な白で出来たこの医療室の中で、唯一の黒は起き上がった。次いで、頭を押さえる。ジェイコブはしばし謎の疼痛と戦って、ちょっとすると落ち着いた。


 まだ、ぼんやりとしている。普通自分は、ここまで疲れないはずなのに。


 理由は明白だったが、それを思い出すために力を使いたくない。だから、再び上体をベッドに投げ出した。そして思う。昨日は、少し考えすぎたのだ、と。だから頭痛に苛まれる。


「頭、使いすぎた……」


 何に、と自問しない。したら、きっと思い出す。


 けれど、その抵抗も、数秒の違いでしかなかった。


「J君!」


「ッ! マナっ、さ、ん……」


 声につられて飛び起きる。そこには、目を覆う包帯だけを取った愛見が立っていた。眼鏡はなく、その所為で焦点はあっていない。けれど彼女はまっすぐに駆け寄ってきて、酷く心配そうな表情で「大丈夫ですかッ?」と縋り付いてくる。


「ごめんなさい、私、私、J君にウッドが近づいたらすぐにでも取り除くつもりだったのに……!」


「……!」


 彼女は、本物だ。ジェイコブはそれをはっきりと感じて、安堵に喋れなくなった。思わず、抱きしめ返していた。それに、愛見は戸惑いの声を上げる。


「えっ、ちょっ、J君?」


「今だけ、今だけでいいんです。今だけ、確かめさせてください」


「……仕方ないですね~。外見に似合わず、甘えん坊なんですから~」


 ジェイコブの腹部にある、彼女の頭は抱きしめやすかった。愛見はそうしながら震える彼の背中をぽんぽんと叩いて、温かく落ち着かせてくれる。


 そのままで居たかった。ジェイコブは、時間が過ぎることを恐れていた。しかし、時間は止められない。日本で行われたという、大量の加護を施された時間魔法でさえ、時を止めることは出来なかったのだ。


「……出来る限りはそのままで居させて差し上げたかったんですが」


 聞きなれた、渋い声。びくり、とジェイコブは体を震わせる。目を、向けた。五体満足で、ヒルディスが現れる。


「ひっ、ヒルディス、さん……っ!」


「……会っただけで坊ちゃんにここまで嬉しそうな顔をされると、その、照れちまうんですが、……心を鬼にさせてもらいます。坊ちゃん――いや、ウルフマン。お前は、“何を見た?”」


「……、……」


 ジェイコブは問いに息を詰まらせ、だが飲み込んだ。少し声を出して、震えていることに気付く。手を、握られる感触。愛見。まるで母のような優しい微笑みで、待ってくれている。


「……地獄を、見ました」


 ジェイコブは、それを皮切りに自分が見せられた幻覚の全てを語った。


 話はそこまで長引かなかった。けれど、終わる頃には愛見の顔色は青くなっていたし、ヒルディスも眉根を寄せて難しい表情をしていた。


「……奴は、何をどうすればそんな発想が浮かんでくるんだ」


 ぽつりと落ちたヒルディスの言葉は、ウルフマンの中で不思議に反響した。何故だろう、と考えてしまう。あの明るかったイッちゃんが、何故そんな発想に至るのか、――何故、ウッドになり果てたのか。


 しかしすぐにヒルディスは首を振って、状況の整理を始めた。


「すでにスキャナーでウルフマンの体を調べてはみたが、お前の中でうごめくウッドの肉片自体は、それほど量は増えてない。あいつの、その、何だ。『染め上げる能力』とでも言おうか、対象の細胞を奴のそれと同一のものにする力も、働いてないように思う。その点は安心していい」


「……そうですか」


「……ああ、その顔なら察しは付いてま、付いてるか。問題は、奴の幻覚の方にある」


 ヒルディスは一呼吸おいて、ウルフマンを見つめた。


「――ウルフマン。お前は俺の命令に背き、捕らえられたアイを助けた」


「はい。……ウッドの件が終わったら、どうとでもしてください」


「いや、罰を下すつもりはない。それに、あらかじめ持たせていた機械で調べたところ、ウッドはお前をだましたときに精神魔法も使っていたらしくてな。目の前で仲間の処刑を見せられながら、魔法で不安と焦燥を煽られて耐えられる奴は、ARFどころかこのアーカムで五人もいねぇよ。マジックウェポンを正面から百発受けた上で生き残れっつってるようなもんだ。それでもすぐにアイの姿をしたウッドに近づかなかっただけ評価できる。――問題は、奴の能力の幅だ」


「……能力の幅、ですか~……」


 愛見が鸚鵡返しをしつつ、俯いて考え始める。


「昨日メインで使っていた分裂と擬態、そして洗脳魔法。この三つの組み合わせははっきり言って凶悪だ。真実を闇の中に隠してから、その事件の裁判官を催眠に掛けるのとまるっきり同じと言っても過言じゃないだろう。実際、俺たちもこっちにウッドが来たときは冷静じゃいられなかった。完全にウルフマンの方へ行くと思い込んでいたからな」


「……そっちにも、ウッドが?」


「ああ。といっても、数分で倒したけどな。恐らくあれは分裂体だったんだろう。攻撃を何度か加えたら、最後には地面に溶けて消えちまった」


 あの程度でウッドがくたばるなら、ハウンドの狙撃ですでに息絶えていただろう、と言うのがヒルディスの考えらしかった。


「そして、ウルフマンを攻略してから昏睡に陥れた幻覚。これは厄介なことに、はっきり言って未知数だ。認識を入れ替えたかと思えば、さっき語ってくれたトンでもねぇ悪夢に陥れる」


「……それで、対策は」


「すまねぇ、ウルフマン。今、ハウンドと共同で必死に情報を纏めてるところだ。奴が出来ること、出来ないこと。それを、奴がトチ狂う前までさかのぼって浚ってる」


 亜人は人間よりも正気を失いにくいが、どちらにせよ今は、ウルフマンが意識して動かないように努めてもらう以外に手はないとのことだった。


「三日、いや、二日くれ。それまでに、あいつを捕縛できるだけの算段をつけておく」


 ――それまで、耐えてくれ。猪は、無情にもそう告げた。ジェイコブは、全身の震えを止めることが出来ない。そのことに驚いて、愛見は絶句して少年を見つめる。


 辛うじて、言った。


「任せてください」


 言いきりだった。恐怖は絶えずジェイコブを苛んだ。だから無理に言葉を告げた。愛見は真摯な目で彼を見つめてくる。それを黙殺した。


 あまりに多くの恩があって、断ることは出来なかったし、したくもなかった。けれど、それでもジェイコブの脳裏には残っていた。昨晩の混沌、破綻への恐怖。そして、あの悪夢の中で垣間見た、自分の中で燻る祖母への強い未練。


 とっくに、諦めたつもりだったのに。


 話が終わって、一人になった。愛見は不安げに傍に居ようかと提案してきたが、微笑と共に首を振って固辞した。


 暗い部屋の中、孤独に自問する。ウッドはきっと、手を変え、品を変えてウルフマンを攻め立ててくるだろう。それに、耐えきれるのか。あるいは、昨晩は耐え切れたのだろうか。


 三箇日の二日目、夜は気付けばやってきた。


 吹雪は天気予報の通りアーカムを覆った。横殴りに降りかかる雪が、狼の毛皮を薄く白で彩っている。払う事はしない。どうせ雪は丸く固まり、毛に引っ付いて取れなくなるだけなのだ。


 ウルフマンは、ピッグたちが選別した『ウッドの奇襲を困難にする』構造を持ったビルの上で、アイと共にウッドの襲撃を待っていた。


『ウルフマン一人だと、ウッドに誑かされちまうのが分かったんだ。次は、一番ウッドに強いアイに任せる』


 ウルフマンはその提案に異議を唱えようとした。前回も、前々回も、ウッドはアイの姿を利用して狼男を惑わせた。しかし、ピッグはそれでも、とこう続けた。


『アイ単体でいえば、ウッドは常に劣勢だった。あいつはアイに傷を負わせたことはない。そして傷がなければ、あらゆる点で、昨晩のような幻覚にも奇策にもやりようはある』


 確かにとは思った。もっともだとも思った。けれどどうしても、ウッドがまだ奥の手を隠した上で、ARFを手のひらで踊らせているように思えてならない。


 今日の作戦は、やはりウルフマンはその場で手を出さないことに終始すると同時、アイがウッドと戦い“続ける”ことに決まった。つまりは、アイはウッドの記録を戦闘でとり続ける傍ら、ウッドをあえて追い詰めないことで、ウッドによるウルフマンの動揺を牽制する目的がある。


 夜明けまで持たせれば、恐らくウッドは退散する。この推察に何の根拠もなかったが、ウルフマン自体もそれに異を唱える気は起きなかった。アイの持久力も、一晩程度なら問題はない。むしろ、不安の種は逆だ。


 アイがどんなに万全でも、ウルフマンが決して動かなくても、ウッドはウルフマンを追い詰める。


 それは確信に近い。例えウッドは、ウルフマンやアイに一撃入れることさえ出来なくとも、ウルフマンの精神に致命的な一撃を入れてくる。昨晩の悪夢が、あの、悪夢の終わりの崩落感が、その確信を揺るがせない。


 アイはウルフマンを勇気づけるべく、明るい言葉を何度も投げかけてくれた。けれど、ウッドを恐れる心がそれらすべてを意識の外に追い出した。


 そんな折、ふと、強い風が吹いたのだ。ただ寒いばかりではない。全身厚い毛皮で覆われたウルフマンでさえ、背筋から凍えるような風だった。


「やぁ、今宵もいい夜だな、ウルフマン」


 声に顔を上げる。奴はいつものごとく両手を広げ、舞台役者のように宙に浮いていた。


「悪夢が来たぞ。現実を飲み込む悪夢が」


 ウッドは言って、浅い積雪の上に音もなく降り立つ。


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