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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅱ

 総一郎に、会いたかった。あの愛おしい弟が居ないなんて、考えたくなかった。


「ヤダ! 嫌だ! 総ちゃんは何処行ったの!? ねぇ、ズっちゃん! それに、るーちゃんは? お父さんお母さんは!?」


「知らねぇよ! 俺だって清を連れてくるのが精いっぱいだったんだ! 畜生、琉歌。俺が、助けられなかったから……!」


 軍用飛行船の中で、もう何度目かもわからない口論をしていた。いや、口論と呼ぶのもおこがましい。白羽が一方的に喚いて、それに苛立った図書が後悔に呻く。その、繰り返しだ。


 その光景は、白羽にとって悪夢の象徴だった。何もできずに、大切なものを奪われる自分。思えば、アメリカで起こした行動の全ての根源が、ここに集約されているように思う。こんな思いを二度としないために、彼女は動いたのだ。常識も、法律さえも突き破って――


「……また、この夢」


 目を覚ます。薄暗い部屋。少し、ここが何処であるのかと迷う。そして、その度に思い出した。


「……ウッド、か」


 つまり、自室だ。ARF本部の寝室でなく、図書の家に設けてもらった、自分の部屋。


 翼が黒く染まってから、闇の中にあることを好むようになった。昔は、熱く日の照る昼間が好きだった。今は、冬の夜が心地よく思われる。


 起きてから、すぐに考えはARFのへと向かった。毎日の習慣で、今すべきことを脳内に想起し――無駄であったのだと歯噛みする。自分がいなくても、計画は進められる。だが、ARFという組織はあまりまとまりがない。全員が、白羽に協力を申し出る形で集まったのだ。逆に言えば、自分以外の柱というべき存在が、あそこにはない。


 頭を振って思考を振り払う。時計を見た。まだ、早朝だ。こんな時間に起きるなんて、我ながら珍しい。そう思った時に、一度音が鳴った。風鳴りの音。風を断ちきる音。この音に起こされたのだろう。


 鋭くはなかった。しかし、獰猛さという物を感じさせられた。カーテンを僅かに開けて、様子を見る。下。庭で木刀を振るウッドの姿があった。


「……鈍い。総ちゃんのよりも、ずっと鈍い」


 思わず呟いて、下唇を噛んだ。記憶の中の太刀筋より、遥かに劣る剣捌き。しかし、目を離すことが出来なかった。彼はすぐに素振りを止めて、くるりと刀を翻して地面に突き刺す。その時、見た。息を呑んだ。


「手が、溶けてる」


 両手。どろどろと融解し、だがすぐに復元された。溶け落ちた肉は瞬く間に空気に消え、無くなってしまう。そして、ただ、木刀だけがそこに残された。凛として深く屹立する、その刀だけが。


「……ッ!」


 思い切り、カーテンを閉める。涙を堪える為に、下唇を強く噛んだ。そして毛布にくるまり、震えながら祈る。


「嫌だよ、総ちゃん……っ! 死んじゃっ、死んじゃ嫌だよ……!」


 ウッドを見るたび、その姿に心を削られるような思いをする。しなければならないことの全てを放りだして、泣きじゃくりたいような気分になる。だが、それをウッドに悟られるわけにはいかなかった。彼の前では繕い続けなければならない。でなければ、すべてを巻き込んで破滅する。それが、あの忌々しい邪神の目論見なのだから。








 ウッドが探すのではない。ARFが探しているのだと気づくのに、さしたる時間はかからなかった。


「テメェら! ウッドを見つけたら五万ドルだとよ! 気張って探せ!」


 喜色を多分に含んだ、ギャングたちの雄叫び。それを、真上から聞いていた。


 ウッドが求めるのは、ARFの幹部全員の身柄だ。出来る限り健全な状態で、しかもそこからすぐに万全な状態に戻せる、という状況が最善だった。その為には、恐らく各個撃破する必要がある。


 全員と同時に対峙して勝てるとは、思っていない。初めから殺す気でかかるならいざ知れず、それ以外の時ウッドの力は限定的だ。ファーガスと相対した時、自らに制限が課せられていたとはいえ、相当に苦戦したことは忘れられる思い出ではない。


「だがその前に、危険を冒す必要がある」


 ウッドがすぐに接触を図れる幹部は、ファイアー・ピッグただ一人である。彼のアナグラムは鮮烈で、例え十数キロの距離があろうと辿れないというほどではない。だが、他人の記憶を通して透かし見たウルフマン、映像のみのヴァンパイア・シスターズ、隠密性の高いアイや、攪乱能力に長けたハウンド。彼らをアナグラムだけで手繰り寄せるのには、少々計算が遠のき過ぎる。


 もちろん以前にブラック・ウィングを拉致したビルは確認していた。だが、その翌日にはもぬけの殻だったのだ。危機管理能力が非常に高いのは、テロ組織故、ということなのか。


「……一度、意識して接触せねば。出来れば、同時に」


 うわさを聞く限り、幹部同士につながりはない。だが、数日前の映像を見ると、何かしら互いに繋がりがあるように思えた。同時に居合わせれば、それがどのような関係であるのかも、アナグラムで割り出せる。


 映像でも一部、かつ大雑把なつながりは見いだせなくもなかったが、全て明るみに出すには、その解像度が低すぎたのだ。


 ふむ、と少し思案して、ウッドは立ち上がった。ギャングを見る限り、ARFが血眼でウッドを探していることに疑いはないだろう。ならば、目立つ場所に行けばいい。怪人は魔法で飛びあがる。


 そして数分で降り立った。駅前。風と共に、しかし音というにはあまりに静かに、着地する。その異常に気付いたのは、非常に至近距離にいた人物だけだった。しかし、その少数の驚き様が目を引いた。驚愕と興味はウッドを中心に、滴を垂らした静かな水面のように伝播する。


「えっ、嘘。あれってもしかしてウッド?」


「いやいやそんな。アイツは裏社会だけで暴れまわってるんだろ? こんな目立つところには……」


「でも、あの仮面絶対ウッドだって! 写真でしか見た事ないけど、ほら! 前の稲妻事件の映像そっくりじゃん!」


 人々は大体二十メートルほどの間を保ちながら、ウッドを取り囲むように輪を作った。一人が写真用にフラッシュを焚けば、一人、また一人と無神経に写真を撮り始める。


 最後には、まるで何かの記者会見のような有様になった。それにウッドはうむうむと頷きながら、周囲を見つめる。ARFの影は、まだない。流石にそこまでの迅速性を求めるのは、この街一番の組織とはいえ酷な話か。


 ウッドは周囲のことなど全く無視する形で立っていると、その一部で何やら騒ぎが起こり始めた。そちらへ目を向けると、やんちゃそうな影がざわざわとこちらを指さしながら怒鳴りあっている。


「だからよ! 裏社会だか何だかわからないが、あいつは人を殺したんだろ!? だったら悪モンじゃねぇか! JVAだったらどうにかいないといけねぇだろ!」


 それは、中学生くらいの少年らだった。血気盛んだな、と遠い思いでウッドはそれを眺める。すると、止める仲間を押しのけて、一番背の高い少年が前に飛び出してきた。ウッドよりわずかに背が高い。しかし、JVAとなると、彼は日本人という訳か。


「うぉぉぉぉおおおお! 死ねぇ、ウッドぉおおお!」


 その瞳には熱き闘志が灯っていた。悪人であるとウッドは定めて、成敗してやろうという意気込みがまっすぐに飛び込んでくる。その時初めて、ウッドは襲い掛かられていることに気が付いた。


 彼の手の前で炎が渦巻く。そういえば日本人と敵対するのは人生初の経験だ。今までは聖神法こそ多数相手にはしたものの、魔法を使う相手とやりあうなど一度もなかった。かつての異能よりもずっと速く強い攻撃手段。それはウッドと同一のものだ。


 聖神法は、魔法をカバラによって変化させたものだった。そして、そのどちらもやはりカバラの支配下にある。とするなら、それで魔法そのものを壊してしまおう。


 方針を決め、前に出た。


 アナグラムに干渉して、少年の魔法を散らした。「はっ?」と彼は動揺し、つんのめる。日本人は幼少期から戦闘技術を護身のために叩き込まれるが、それでもウッドと比べれば、その経験値は格段に足りないということだろう。


 これが大人となるとどうなるのか。確かめねばなるまいと思いながら、ウッドは少年を正面から抱き留め、その首を奪った。


 魔法ではない。修羅の特性。変化するその腕をもって、少年の首を切り取ったのだ。


 それを見て、誰もが黙りこくった。首を失い、血をふき出しながら地面に崩れる死体。ウッドには見覚えがあった。イギリスの、殺人騎士。ふと、思う。昔は、子供というだけでその罪を見逃してきた。今は、やり終えてから気づくといった始末だ。


「しかし、彼は俺を殺そうとしたからな。仕方あるまい」


 死体が血だまりに沈む水音。それは、どこか悲鳴に似ていた。だから、本物を呼んだのだろう。逃げるものがいた。反対に、こちらに向かって来る者たちもいた。ちらと見る限り誰も彼もがJVAバッチをつけている。実力のある大人たち。ならば、手加減は出来ない。


 彼らはカバラで調べる限り連携してウッドをつぶそうと考えているらしかった。ふむ、と考える。多少惨たらしいが、手早く殲滅できる手段を選んだ。本命は彼らではない。あくまでARFなのだ。


 木魔法で作った『種』を、銃弾よろしく周囲にばらまいた。光魔法を混合させたうえ、手から発射していないため、不可視の魔弾に彼らは気づく様子もない。だから、全員が貫かれた。しかし、死なない者もちらほらいる。そういう手合いは、大抵、亜人との混血だ。


 ウッドは、言葉を漏らす。


「今ので死んでいれば、まだマシだったろうに」


 種にしたのは、敵を確実に殺すため。木魔法は、養分もなく“育つ”のだ。


 生き残った数人は体内で血管を伝って全身にめぐる植物に絶叫を上げた。一人、また一人と、痛みによるショック死、血管の破裂、枝葉による直接の脳の破壊によって絶命していく。


 その全てを、ひとつずつ丁寧に確認した。例外なく死んでいることを確認してから、周囲を見た。ただの、一人もいない。


 ウッドは、その様に少し可笑しくなる。駅から人影が消える様は、酷く奇妙だった。明るい電燈、賑やかなネオンが輝く眠らない街から、全く人が消えてしまう。


「矛盾した光景だ。我ながら、おあつらえ向きではないか」


 クックと笑う。木の面も歪み、笑みを作った。建物のガラス越しに、不気味な笑みの仮面を貼り付けた怪人の姿が見える。どうやら仮面がゆがんでいるらしい。超常現象だ。


 ふと思い立って、最初の少年の頭を拾い上げた。次いで『修羅』をしみ込ませる。死体だからなのか、抵抗は弱かった。命令を下してから宙に放り、落ちる頃には形を変えている。


 赤黒い、刀。それは、木刀を模していた。もはや自分には使えなくなった、桃の木の刀を。


 回転しながら落ちてきたそれを掴み、軽く振るった。馴染む。だが、本物に比べるとまだまだ、という気がする。しかし、こちらには刃がついている。その分だけ、上等だろう。


 その時だった。


「――ウッド」


「うん? 随分と足が速い。お前は……ウルフマンだな」


 駅の屋上にしゃがんでこちらを見下ろしていたのは、しなやかなる獣だった。カバラで、その戦闘能力を量る。見た目通りの、速度特化型。攻撃を当てられれば倒せるが、ウッドの速さでは殺さずにそれを為すのは難しい。


「何故、ボスを攫った。お前は――お前は、何を望んでいる」


 低く、活力のある声で尋ねてくる。ウッドは仮面に笑みを湛えながら。「望み? 望み、か……」と考え込む。


「俺は、二つほど欲しいものがあるのだ。一つは、死んでいないお前ら。もう一つは――言う必要もないな。まったく、我ながら代わり映えの無い」


「お前は、何を言っている? 死んでない俺達? ……ARFに、人質は通じないぞ」


「そう言う事ではない。まったく、足に比べて頭の回転は随分と遅いな。ん?」


 頭を人差し指でトントンと叩き、挑発する。すると、訝しげな視線で奴は言うのだ。


「聞いていた話と、人柄が違うな。お前は、到底ふざけようもない人物だと聞いていたが」


「あの時と今は違う。あの時は感情を抑えていた。今は、……何だろうな?」


 ウルフマンに指摘され、軽く答えた。「まぁ、そんな事はどうでもいい」と自ら軽く流す。


「まだしばらくは応援も来ないようだし、まずはウルフマンから始末してしまおう」


「なっ」


 時、風、重力魔法。複合させたそれで、瞬時に肉薄にした。そして、火魔法で奴の体を覆い尽くす。しかし、寸前で奴は脱出していた。やはり、カバラで割り出した通り速い。


「クッ、会話をしようとしたのが間違いだった。あれだけの人間を殺している奴が、真面なわけがない」


「それを、お前が言うのか? ウルフマン。差別者を、一体何人殺した」


「奴らは、人間じゃない。皮を被っただけの、豚だ」


「それを仲間の豚が聞いたら、奴は何を思うんだろうな」


「一応言っておくが、オレは豚じゃなく猪だ、ウッド」


 振り向く。炎を纏った豪腕が唸る。避け、距離を取った。背後から、数人の部下が現れる。前に言っていた、ピッグは一小隊そのものの名であるというのに偽りはないらしい。


「ふむ、ウルフマンほどではないが、かなりフットワークが軽い」


「遊撃と実動部隊で比べるんじゃねぇよ、クソ野郎が。姐さんをどこにやりやがった。すぐに答えねぇなら、ぶち殺してから聞き出してやる」


「血の気が多いな。それに、前にあった時よりも口が悪い。そちらが素か?」


「手前も、随分と意地の悪い話方しやがるじゃねぇか。あの堅苦しい話し言葉は、演技って訳か」


「いいや。アレはアレで正しい俺の姿だよ。こちらが間違っているとは、この口からはとても言えないが」


「意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇぞ、クソが! ――ウルフマン! 手伝ってくれ!」


「おう!」


 ファイアー・ピッグは部下と共に包囲網を張り、ウルフマンは単独でウッドに挑んでくる。その動きは目で追えないほどだ。カバラ、刀ですべての攻撃を捌けるが、防戦一方になってしまう。


 そこに、幾重の炎が迫った。「ハハッ」とウッドは笑う。ここまで追い込まれたのは、一体いつぶりか。


 楽しくなって、カバラで、滅茶苦茶に魔法の属性を組み合わせた。何が起こるかも度外視して、手の平に浮かべる。


 それは、鈍色の球だった。放つよりも、まず攻撃をこれで受けてみようと考えた。ウルフマンの爪による斬撃に、翳す。何が起こるかと期待し――しかし、寸前で手を止めて、毛を逆立たせて猛スピードで距離を取られてしまう。


「……おい、興ざめな行動をとるなよ。折角適当に作ってみたのだ。試しに受けてくれてもいいだろう」


「そ、それは何だ。お前のそれは、本当に魔法か?」


「魔法以外でこんな真似が出来るか」


 放つ。物理魔術に空中を走るその球は、避けられ、誰にも当たることなく地面に激突した。普通魔法は直撃時に効果を最も強く発するものだが、その魔法はそうではなかった。


 ただ、地面に穴が開いたばかりである。狭いが深く、黒い闇をはらんだ穴が。


「……おい、どういう事だ。地面を削る音が、途切れないぞ」


 穴の近くに居たファイアー・ピッグの部下から、そんな声が漏れる。なるほど、とウッドは満足した。適当に作った割には、中々の出来だ。


 しかし、と考える。貫通し続ける魔法。使い勝手は良いが、捕えなければならない幹部連中には控えねばならないのが面倒な部分だ。何せ、これは十中八九殺してしまう。


「……昔、似たような、もっと使い勝手の良い魔法があったはずなのだが。一体何だったか」


「チッ。何余裕ぶってやがる、仮面野郎!」


 猪突猛進とばかり、ファイアー・ピッグが突進してきた。炎を纏ったそれは中々に驚異的ではあったが、真っ直ぐな分だけ対処しやすい。奴は思慮深い奴ではなかったか、と訝りながら、ウッドは脳裏に呪文を浮かべる。


 その最中に、頭の中の羅列が途切れるような言葉が背後にかかった。


「おじさん、気を惹いてくれてありがとねー!」「いただきまーす!」


「助かります、ピッグ」


 振り向く。そこに、三人の影。首元に口を開けて食らいつく二人の小さな少女と、側面から肉薄にし、大ぶりのナイフを翻す顔に巻かれた包帯。とっさの事に、僅かに反応が遅れた。三方からの凶器。だが、間に合う。


 ヴァンパイア・シスターズと思われる二人の肩を同時に掴み、外側に押しのけた。その過程でアイに魔法を放つ。火魔法。分かりやすく脅威としての存在感を放つそれに、素早く彼女は飛び退いた。最後に姉妹から距離を取れば、命の危険はなくなる。


「ああ、危なかった。しかし、声を出してくれなかったら危なかったな。気付けないまま死んでいたかもしれない。あと少しで殺されるところだった」


 そう漏らすと、何故か笑えてきた。腹を抱えて、スリルに酔いしれた。気分が高揚し、哄笑を上げる。


 そこに、横殴りの衝撃が来た。殺気も何もない。ただ、体の軸を捉えていた。


「が、ごふっ……?」


 体がくの字に折れ曲がる。低い声で、豚が笑った。


「なぁ、ウッド。一人、足りないと思わないか?」


 言われて、ハウンドの不在に気付く。奴だけは現れていない。とすればこれは、奴の狙撃か。


「警察御用達の特殊銃じゃねぇが、一応対物ライフルの最先端だ。ミニレールガンといってな。知っているか? 体の一部を切り離して戦う事もあるお前のために、特別に引っ張り出してきた。確実に一発当てるために、二重のフェイク挟んでな」


 知らないと答えたかったが、声は出せなかった。内臓が掻き回されて、原型をとどめていない。人間が食らえば文字通り即死だ。かなり丈夫な亜人でも、昏倒せざるを得ないだろう。


「……五秒。これを食らって五秒間も立っていられるなら死なないだろう。おい、こいつを回収するぞ。そろそろリッジウェイだのウサギだのがやってくる。奴らとの激突だけは避けた――」


「案外、平気なものだな。人間とは、この程度で壊れてしまうほど脆いのか。まったく信じられない思いだ」


 撃ち込まれた弾丸を体内から素手で取出し、ウッドは言った。しん、と静寂が駅前に満ちる。虚しく響く繁華街の音楽が、静けさを強調している。


「何だ何だ。俺が平気なのがそんなに不満か? 体を切り離して戦うのだ。このくらいなら出来たって文句はないだろう?」


「……誰ですか、あなたは。その嘲るような口調。以前会ったウッドとは、とても、思えない」


 アイから、困惑の声が上がる。それに、静かにウッドは頷いて、ゆっくりと手を合わせた。ウッド以外の全員が唾を飲む。そして、ウッドは言った。


「それなら、俺は誰だと思う?」


 仮面が歪み、人間の顔のようにケタケタと笑いだした。その気味の悪さに誰も彼もが慄く中、ウッドは鷹揚に首を振る。


「いやはや、改めてお前らの実力を量りに来て正解だと思わされた。ARF、お前たちは本当に一筋縄ではいかないな。このまま戦い続けても、全員を殺さずに拉致するなど俺には到底無理な事だ」


「殺さずに拉致……? ウッド、お前は何を言って」


「だからピッグ。今宵は帰らせてもらうよ」


 風魔法、光、音魔法。風圧で奴らの瞼を塞ぎ、光と音魔法で姿を消した。風が止み、奴らは「ウッドは何処だ!」と騒ぎ立てる。その横を、悠々歩いて帰路についた。


「まったく、滑稽だな。これが大した力もなければ、からかいながら全員連れ帰るという事も出来たのに。騙しやすいくせに命に係わるところで鋭い。うっかり殺してしまう事だけはなさそうなのが、唯一の救いか」


 人のいる場所に来て、魔法を保ちながら仮面を外した。光の屈折を元に戻し、そのままニコニコと歩く。住宅街に入ると、再び人目が無くなった。そして不意に、誰かが目の前に現れた。


 周囲の街灯から、光が失われる。ウッドの目の前のそれだけが、煌々と照っていた。周囲の闇とのコントラストに、何処かショーの檀上めいたものが感じられる。


 そこから、進み来る幼い少女。嘲笑に歪む唇。毒気すらある美貌。ウッドは、その正体を知っていた。


「久しぶり、ナイ。元気してた?」


「初めまして、ウッド。さぁ、お母さんの胸に飛び込んでおいで?」


 うん? とウッドは首を傾げる。そこで立ち止まると、「全くもう、照れ屋さんだなぁ」と彼女は片手をクンッ、と折り曲げた。見えない力に引っ張られ、ナイに向かって倒れ込む。そこを、熱烈な抱擁で受け止められた。


「ああ、こうして君を抱きしめる日をどんなに待ち望んでいたか、君には分からないだろうね、ウッド。ボクの愛しい子。無貌の神を殺す化け物……」


 頭をよじらせて、ナイの顔を見た。温かい笑み。だが、いつか彼女が総一郎に愛を囁いた時とは、少し具合が違う。


「君は、一体何を言っているんだ……?」


 ウッドの言葉に、愛おしそうにナイはその頭を抱きしめて、頬ずりしながら撫で続ける。


「ねえ、ウッド。総一郎君なら、ボクと再会した時、どんな反応をしたかな?」


「……? どんなも何も、今再会したんじゃないか」


「そうじゃないよ。どういう反応をするのが自然だったかなって、聞いているんだよ」


 優しく、教え諭すような声色だった。眉を顰める。そして、だんだんと気づき始める。


「ナイ。君は、『総一郎』と『ウッド』を区別して話しているのか?」


「だって、君はウッドでしょう? 総一郎君じゃないよ」


「なら、総一郎は何処に行ったというんだ」


「君が、一番よく知っているんじゃない? ウッド」


 額にキスをされる。その瞬間、パッと瞬く様に記憶が去来した。声が漏れる。唾を飲み下した。「そんな」と言った。


「そんな、何?」


「……ナイ」


 左手に、力を込める。始まりの右手ではなく、終わりの左手。そして、人の形でなくした。うねり、揺蕩い、歪によじれる『修羅』の腕。それを、突きつけて問い詰める。


「君が、俺をこうしたのか」


「半分正解。でも、半分は違うよ。それに原因たる種を植え付けたのも別の人。そしてウッド、君はもう既に、それらの犯人を知っている。だから今、殺さないんだろう? 君の本質はもはや人にない。殺したくなったら、君はもう殺すことを躊躇わないよ。むしろ進んで人を殺す。今はまだ大人しくっても、いずれそうなるはずさ。何故って、それが『修羅』だから」


「俺は、違う。修羅じゃない」


「そうだね。自我は相変わらず総一郎君のままだ。けれど、自己は違う。自分自身に見つめられる君は違うよ。君はもはやウッドで、ボクの可愛い息子だ。親の背中を見て子供は育つんだよ。さっきのARF……だっけ? あの戦いの中の君は、ボクそっくりだったね。あの、ケタケタとよく笑う仮面。すごく良かったよ?」


 頭を強く抱きしめられる。昔は、その事に何らかの感情を抱いたのだ。信用していないときは拒絶感。ほだされて、愚かにも愛を感じた。今は、ただ。


「違う、違う。俺は」


「別に、総一郎君の振りをする必要はないんだよ? 君は、君らしくあれば良い。ボクは総一郎君が好きだったけれど、君に向ける愛情とは別だから、真似をする必要なんてないんだ」


「……俺らしく、あれば良い」


「そうだよ。だから、君はまず君自身の事を知らなきゃね」


 愛情を注ぐように、キスや愛撫を続けるナイ。それと反比例するように、無感動になっていく。ウッドは、温かく包まれているというのに、どんどんと感覚の冴えわたるような感覚を覚え始めていた。僅かに、口端が持ち上がる。


「ウッド、君は本質的に孤独だ。孤高ともいえる。孤高故に己以外の全てが敵で、味方無き故に強さを求める。だから、君はもっとも度し難いと感じた人々を模倣する。大体、ボクが六割ほどかな? 残りは、総一郎君のお父さんとか、他にも、色々だね」


「それで?」


「でもやっぱり、自我として、総一郎君のものを引き継いでもいる。だから、君は特殊な願望があるだろう? 本来なら、『修羅』にありえない願望が」


「……なるほどな。大体わかった。ありがとうナイ。随分と理解が深まった」


 突き飛ばして立ち上がる。ナイは転ばされた事にきょとんと瞼を瞬かせつつ、ウッドの表情を見て笑う。


 ――馴染みある、嘲笑的な笑み。ウッドもまた、嗤いを返す。


「たったこれだけの助言で、随分と『らしい』顔つきになったじゃないか」


「おかしいとは思っていた。それを明言され、自認した。もはや執着する意味もないのだ。ならば、俺は俺のしたいようにする」


「あはは。それでこそウッド。ボクの愛息子だ」


「ああ、ナイ。感謝……ではないな。報復として、お前の望みを叶えてやることにしたよ。もっとも、俺が一通りやる事をやってからな」


「ありがとう、ウッド。ボクも総一郎君用にいろいろ準備してきたけど、無駄にはならないという事だね。じゃあ、気長に待つとするよ。でも、気が向いたらちょっかい出していいんだよね?」


「もちろんだ。お前はお前の好きにしろ」


 ナイは立ち上がり、周囲の暗がりも消えていた電燈に照らされて消えて行った。ウッドが家に向かって歩き出すと、彼女もそれに追従する。


 歩きながら、「ナイ」と名を呼んだ。


「総一郎は、死んだのだな。殺され、骸さえ晒せずに消えた」


「そうだね。殺したのがボクでないというのが、甚だ残念な事ではあるけれど」


 二人は、語りながら嗤い合う。怖れを振りまくその足取りは、すぐに闇に溶けていった。


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