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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
八百万の神々の国にて
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8話 見えない翼 【下】

 武士垣外白羽は、怒っていた。何故、弟が目標を失わねばならないのか、と憤慨していた。


 彼女の弟、総一郎は、優しくて頭がいい代わりに、泣き虫なところがあった。しかし虐められて泣くのではない。弱いという事でなく、時折訳の分からないタイミングで泣く。それが白羽には不思議で、しかしいつの間にか、支えてあげたいと思うようになった。


 しかし、今回は違った。白羽にも、総一郎が泣いた理由は理解できるものだった。


 総一郎は、最近『ぶつりまじゅつ』という物に凝っていた。漢字が難しいので尋ねたところ、このように読むのだと弟に教わった。総一郎は自分よりも頭がいい。昔はそれが悔しかったようにも思ったが、学校に入ってからは彼が特別なのだと分かって、嫉妬する気も失せてしまった。


 それ以前に、白羽は総一郎の事が大好きだったのだ。何故かと問われればまず「優しいから」と答え、二番目はと聞かれれば「頭がいいから」と答え、三番目はと問われれば困ってしまうのだが、本当の理由は今の自分では言葉に表せないような気もしていた。


 いや、三番目の理由はある。それは、「頑張り屋さん」だからだ。


 彼は目標を定めたら目をキラキラと輝かせて頑張る。その姿を見るのが、白羽は一等好きだった。生傷をこさえても気付かない時さえあって、指摘すると途端に痛がり始める。すぐに魔法で治してしまうのだが、その慌てようが可愛いと白羽は思っていた。


 そして、だからこそ、その目標を禁じた父に対して強い怒りを感じていた。


 しかし、相手が父ではさしもの白羽も分が悪い。彼女はクラスで一番魔法が使えるが、父に魔法を放ったが最後、どんな目にあわされるか分かった物ではなかったのだ。実際にそこまでやられた事は無かったが、想像するのも恐ろしいという雰囲気を、父は纏っていた。だから、直接何かを言うのは避けたい。というか、自分には出来ない。


 だから白羽は、こっそり総一郎に、自分から教えてあげようと思っていた。


 白羽は、当然、物理魔術の知識など持っていない。だが、その代りに『飛翔』経験だけなら、総一郎を大きく上回っている自信があった。


 しかしそのように言っても、総一郎は首を縦に振らなかった。


 頑なに断るのではない。「今は、必要ないみたいだから」と言って、寂しげに笑うのである。それが白羽には不満で食い下がるのだが、撫でられたり遊びに誘われたりお菓子を渡されたりと、多くの手管でいつの間にか頭から抜けている。


 ――総ちゃんは、卑怯だ。そのように白羽は思う。そして、臆病者だ、とも。やりたい事があるならば、反対を押しのけてでもすればいい。しかし弟の怯えの向かう先が、単純に父ではないのが何となく感じ取れたから、白羽にはどうにも難しい。


「琉歌ちゃんはどうすればいいと思う?」


 そんなことを、ある日尋ねていた。手を繋ぎながら武士垣外家の縁側で、琉歌と共にアイスを食べていた。一口食べると口の中で一瞬ふくらみ、その後名残を残しながら溶けていくのである。

 総一郎はこれが好きで、最初に食べた時の驚き様と言ったら、「可愛い」の一言だった。ただ、直後にこのアイスの製法を調べたがったのには彼独特の感性と言うか、共感は出来なかったけれど。


「んー。でも、授業中に抜け出すのはいけない事だと思う……」


 シャリシャリとアイスを齧りながら、いつもより少し眉を垂れさせて、琉歌は言った。訳が分からず詳細を尋ねると、件の『ぶつりまじゅつ』をしに、たびたび授業を抜け出していたのだという。また、その時の怒られようは尋常でなかったとか。


 ふぅむ。と顎に手を当てて考えてみる。総一郎の真似だ。面白がって真似していたら、いつの間にか自分も癖になってしまった。


 このままでは、総一郎は『ぶつりまじゅつ』を諦めてしまうかもしれない。それだけは何とかしたい白羽である。しかし、だからと言ってその術が彼女にはなかった。


 むむむむと、白羽、顔を顰めて唸りだす。考えども考えども答えらしきものが浮かばず、苛立ちも相成って、顔色が凄い事になっていた。とうとう頭がパンクを起こし、上半身を倒れ込ませる。


「白ちゃん行儀悪い」


「総ちゃんみたいなこと言わないの。……あっそうだ」


 琉歌を見ていると、唐突に思い出すことがあった。自分たちだけで考えるから分からないのだ。しかし、年上からならば、いい意見が聞けそうだと白羽は思い浮かんだ。


 その為、翌日般若家を訪ね、琉歌の兄、図書に教えを乞う事にした。


「図書さん図書さん。何でかわかる?」


「んー、あいつの性格からして。分からない事もないんだけどなぁ……。と言うか白羽。知り合って結構経つんだから、いい加減呼び方統一しろ」


「図書お兄ちゃん早く教えて!」


「この姉弟は人の話をろくに聴きやがらねぇ……!」


 顔を覆って嘆く図書。何度見てもこの人は面白いなぁと白羽は思う。総一郎が教えてくれた事で、彼が言うには「ふざけるとちゃんと反応してくれるから楽しいよ」との事だった。やっぱり総一郎は凄い。


「あいつの入れ知恵か!」


 言葉に出ていたようだった。


 しかし、そこで怒りださない辺りが図書のいいところだ。自分の怒りを、「それはそうと」と言う感じに横に置いておける。そして気付けば消えているのだから、これほどまでにいい人はなかなか居ないのではないか。と言うのは総一郎の弁であった。


 図書はしばし、思案するように目を瞑り、頭を掻く。次いで、ぽつりぽつりと言った。


「総一郎はな、白羽。正直、頭の中がはっきり言ってお前よりも遥か年上なんだよ」


「……それは、何となく分かる」


「お前もなかなか鋭いよな。天使だからか? でさ、それだから相手の気持ちがよく分かるんだよ。聞けば授業中に抜け出すのは良くしていたっていうのに、家庭訪問からピタッとしなくなったんだろ? じゃあ、原因は何だと思う」


 真正面から、図書は見つめてくる。白羽は、必死に考えた。考えに考えると、極稀に、思考が壁を突き破ったかのように、物事が何処までも分かるようになる事がある。そういう時は、必ずと言っていいほど、勝手に翼が広がった。


 今回もそうだった。音を立てて翼が広がり、図書が後ずさって小さな声を漏らす。それと同時に、白羽は言うのだ。強い、確信をもって。


「お父さんお母さんに、心配を掛けたくないから?」


「……まぁ、それが妥当だろうな」


 一度頷いてから、白羽は翼を閉じた。目を伏せながら、どうすべきか考える。両親に心配させたくない。大怪我をしたら顔向けができない。それを、家庭訪問で自覚した。


 この感情は強い。取り払うことは出来ないし、してはならない事だとも思う。しかし、それでは総一郎の可能性が一つ潰えてしまう。ならば、他の角度から攻めるべきか。


 自分の知る語彙から、言葉を選別した。どのように言えば総一郎は動くのか。


 今の白羽にとっては、何故悩んだのか分からなくなる程に簡単な問題だった。




 その日、般若家で散々遊んだあと、家に帰り、総一郎を探した。弟は縁側でぼんやり池を眺めていて、時折何かを投げ込んだりする。鯉が食いついていくから、きっと餌なのだろう。そしてまたぼんやりしだすのだから無気力だ。


「そーうーちゃん。あっそびーましょ」


 背後から言いつつ、こっそり魔法で姿を隠す。白羽には光魔法以外の属性魔法が使えなかったが、その分総一郎に勝っている所があった。


 故に、総一郎は白羽が光魔法で姿を消した時、見破ることが出来ない。母から、天使の目を受け継いでいるというのに。逆もしかりだが、母からは白羽も総一郎も見破れるらしいので、やはり実力という事だろう。


 弟は予想通り、振り返って白羽の姿を探した。しかし見つからないらしく、怪訝そうに眉を顰めている。その脇を、そろりそろりと通り抜けていった。翼を静かに広げて、姿を消したまま空中に飛び上がる。


 魔法が解け、それが丁度総一郎に見つかった。満面の笑みを向けると、彼は微笑ましげに苦笑する。「総ちゃん総ちゃん」とおいでおいでをすれば、「どうしたの?」と首を傾げた。


「一緒に、お空行こう? 山の上で、お星さま見たいの」


 あつかわ村では、空気が澄んでいるせいもあって、空には満天の星が広がる。春ももう終盤で、夜になっても暖かい。だから、という訳だった。しかし、案の定総一郎は首を横に振る。


「駄目だよ。今から山を登るのは、僕たちには危ない。あ、そうだ。それなら、お父さんお母さんにいえば、連れて行ってくれるかもしれないね。じゃあ、そうしようか」


「ダメ! 総ちゃんと、二人で行くの」


「だから、危ないって言ったよね。お菓子食べる?」


 その手には乗ってやるものか。


「それは――お星さま見ながら、食べる。それよりも、危ないって言ったって、空から行けば問題ないでしょ? 空を自由に飛び回るのは、最近じゃあ天狗さんとか、私みたいな天使とかくらいしかいないよ。それに、天狗さん、優しかったし」


「……ごめんね。物理魔術は、禁じられているから」


 また、『物理魔術』だ。白羽はそう思い、少し目を細めた。それが丁度睨んだように見えたのか、総一郎はもう一度、「ごめん」と悲しげに微笑する。

 いつもなら、ここで言いくるめられてしまう。しかし、今日ばかりはそうならない。


「じゃあいいもん。私一人で見てくるから」


 総一郎は、えっ、と言う顔をした。


「白ねえ、それは駄目だよ。こんなに暗いうちに一人で山なんかに行ったら、人食い鬼に食べられちゃうよ?」


「別にいいもん、食べられたって。総ちゃん来てくれないんでしょ? なら、一人で行く」


「分かった。僕が悪かった。だから、行かないでよ。じゃなきゃあ、殺されちゃうんだよ? もう、家に帰って来れないんだよ?」


「……それなら、」


 白羽は、総一郎を真正面から見据えた。躰は強張っていて、涼しい気候だというのに汗をかいていた。天使の本能が、彼の心情を汲み取る。


 語彙の中から、一番鋭い言葉を選んだ。自分でさえも、躊躇うようなものを。


「私が殺されても、総ちゃんは『物理魔術』を使ってくれないんだ」


 その瞬間、総一郎は目の色を変えた。


 白羽の堪えようとして震えてしまった声に、彼は息を呑む。言葉を発しようとしているが、喉で詰まって意味を持つ物になっていない。白羽は、構わず彼に背を向けて翼を羽ばたかせた。何度も繰り返すと、地面がどんどん遠ざかっていく。


 白羽は、天使だ。しかし、地上で暮らしているため、高く上がりすぎるとどうしても不安が募る。ただ、今回はそれが無かった。その代り、それに似た不安が彼女の胸を柔く締め付けた。


 子供は、ちょっとした事でよく泣く。親の死に目を想像しただけで、嗚咽を止められなくなる。


 そういう意味では、白羽は少し大人だ。


 十分に遠ざかってから、振り向いて家を探した。見つけ、しかし総一郎の姿が無い事に気付く。念入りに周囲を見渡すが、居ない。追いかけてきて、くれなかったのか。


 そこで初めて、目に滲む物があった。大切に思っているのは、自分だけなのかと疑った。


 だが、このまま帰る訳にもいかなかった。人食い鬼に食われるつもりは毛頭なかったが、星を見て帰るといったのだから、それは意地でもしなければならない。一つ翼を羽ばたかせて、山の上の小高い木を目掛けて飛んで行った。


 上を見上げると、一番星が輝いている。赤く染まりきった空は、少しずつ青みを増している。


 目的地であった木の上に、翼でバランスを取りながら、白羽はちょこんと座った。前に一度登ったことがあって、その時に、座りづらいと頂上の部分を光の刃で切り落とし、彼女が座れるだけの小さな切り株にしていた。


 横を見ると、同じように若い年輪が見える。その時に、ついでとばかり、総一郎の場所として作っておいた場所だった。


 目元を拭う。泣いてなんかいない。来てくれなくたっていい。総一郎に『物理魔術』を諦めさせたくないのは、ただの白羽の我が儘だ。だから、がっかりなんてしない。いや、する。ただし、それはあくまで作戦が失敗したからであって、それ以外の理由なんてない。


「……総ちゃんの、バーカ」


 呟くように言った。小さな言葉は、黄昏時の空気に溶けていってしまう。それが、悲しかった。誰にも聞かれないのが悔しくて、もう一度だけ繰り返した。


「ダメじゃないか、そんなことを言っちゃあ。大事な弟なんだろう?」


 突然の声に、横を向いた。見れば、見知らぬ少女が、横の切り株に座っている。逆光があって、細部があまり認識できない。少しずつ、日が沈んでいく。


「え、な、何? 誰? っていうか、何で総ちゃんのこと知ってるの?」


 白羽は戸惑いながら問うた。次いで日もようやく沈み、その少女の容姿をやっと認識できるようになる。


 彼女は、少し意地悪げな笑みを浮かべていた。容姿は無表情で居れば息を呑むほどに美しく、笑みがその可憐さを蠱惑的なものに変えている。背格好は白羽より十数センチ高く、大体小学校四年生程の体躯をしていた。だが不思議な事に、それで完成しているという印象を受ける。


 成長した姿が思い描けない、とでも言えばいいのだろうか。


「そりゃあ知っているよ。なんたってボクは、神様だからね」


 にやっ、と一層笑みを大きくする少女。白羽は、少し考えてからこう答えた。


「何処の神様なの?」


「何処って……?」


 初めて笑みを消し、少々の困惑を見せる神様。


「だって、この山の神様はあなたじゃないもん。だから、何処からかなって思ったの?」


 白羽の言葉と同時に、少女の姿をした神様は、何かを嘆くように顔を片手で覆った。


「……あー。そういえば、この国には八百万の神々なんて言う概念があったんだっけ。めんどくさいなぁ……。そういえば『どんな神とも敵対すべからず』なんて憲法出来ていたのを思い出したよ。その分じゃあこの国は無理かな」


 まぁいいか、と手を下す。一瞬ぞっとするような奥底のない無表情に白羽は息が止まるが、すぐにそこには意地悪な笑みが戻り、軽く、一息つくことが出来た。


「さっきの質問だけどね、白羽ちゃん。ボクはまぁ……そうだね、イギリスとか、アメリカとか、エジプトとか、そっちの方の神様なんだ。こんな姿でも全知全能だからね、君の事も、君の弟の事も分かった。いや、それにしてもここは星が綺麗だね。星を見るためにここに来たの?」


「うん。……そう」


「へぇ、いやしかし、この景色はいいな。特に、この季節がいい。春には秋の星座が見えないからね。忌々しい魚座が視界に入ってこないっていうのは、中々に行幸だ」


「どういう事?」


「ううん、こっちの話。……でさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」


「う、うん。いいよ?」


 正直得体のしれないこの少女が少し怖い白羽だったが、帰るに帰れない状況なので、大人しく質問を促す。


「君の弟君の名前って、何?」


「……え? 知っているんじゃないの?」


「いやぁ、全知全能なんだけど、それよりも強い力っていうのがやっぱりあってね。ほら、神様なんて、こんな小さな国にさえ八百万柱も居るんだし」


「……総一郎、だけど」


「うんうん。ありがとう、総一郎君だね。了解了解。もう、二度と忘れないよ」


「う……ん」


 背筋に、薄ら寒さが立ち上っている。しかし、ずい、と顔を近づけてきた少女の神様は、白羽を逃がす気配はない。


「それで、総一郎君は一体何を一番大切にしているのかな。もしくは、彼が持っている秘密とかでもいいんだけど」


「え、そ、そんなの知らないし、知ってても教えないよ。何? 何で、そんな事を知りたがるの?」


 少女は、笑みを消した。


「『教えろ』」


 言葉の背後に蠢く何かが、白羽から情報を奪い取っていった。その喪失感が堪らなく恐ろしくて、しかし、声を上げることも叶わない。何かが、纏わりついて邪魔をしている。泣きたいのに、指一本動かすことが出来ないのだ。


「ふむ、成程、本当に知らないのか。……ま、いいや。じゃあ、手に入れたらちょうだいよ。あとは――そうだね。親切な白羽ちゃんに、神様から一言アドバイス」


 立ち上がりながら、猫のように嗤う少女。その躰は少しずつ、空中に解けて行く。


「こういう時は大声を出すとすっきりするよ。今ここで、試して御覧」


 そして、少女の姿は跡形もなくなった。しばし呆然としてから、白羽は再び空を見上げる。


「……あれ、いつの間にか暗くなってる」


 ボーっとしてたのかな。と首を傾げた。そのまま輝き出す星々を見つめていると、また孤独感に襲われて、寂しくなってくる。ふと、大声を出したくなった。切り株の上に立ち上がり、叫ぶ。


「総ちゃんの、バーカ!」


 帰ってくる木霊を聞いて、まずまず溜飲が下がった白羽は、再び座り直し、改めて星を見つめた。満天とまでいかずとも、それなりの量の星が見える。あと一時間もすれば、きっといつも通り星々が光りはじめるのだろう。ふんす、と鼻息を出してしかめっ面の白羽。


「白ねえ、見つけた!」


 下からの声に、間髪入れず振り向いた。遥か遠くの地面で、総一郎が手を振っている。


 来てくれたのか。と少々嬉しくなる白羽。「迎えに来たよー! 早く下りておいでー!」と言う総一郎だが、遅い。そう簡単に許してなるものかとばかり、「総ちゃんなんか知らないもん!」と反抗してみる。


 遠くの方で、むっとした顔が見えた。続いて微かな挙動があり、興味につられ覗き込む。


 次の瞬間、総一郎の体が白羽よりも高い場所に飛び上がった。


『おわっ』


 二人の声が重なる。総一郎は高く飛び過ぎていて、白羽はそれに驚きバランスを崩してしまった。高所の切り株から転げ落ちる。しかし羽を広げれば自由に飛べるため、別に問題ではない。


 問題なのは、それにいち早く反応してしまった総一郎の方だった。


 まるでロケットの様に速く、総一郎は動いた。そして翼を広げかけた白羽にぶつかり、二人纏めて、空中を錐もみしながら飛んで行く。ぐるぐる回って平衡感覚がおかしくなった。地面がどっちか分からない。


 すぐ横を見れば、恐怖と混乱に顔が引きつった総一郎が居た。しかしその手は確かに自分を掴んでいて、それが白羽には嬉しい。それに加え、その引き攣った表情にもどこか愛嬌があった。仕方ないなぁ、とか、そんな風に思う。


 回転が止まるよう、強く翼を羽ばたかせた。周囲を素早く見渡し、地面がどちらか知る。その反対に飛ぶよう、また一つ。ただ、体力がもう残っていないので、近くに不時着した。


 ぼふっ、と群生したツツジの茂みに突っ込む。細かな枝が沢山二人をひっかいたが、別に特別痛いという事もない。


 ヘロヘロに目を回した総一郎が、頭に数枚葉を乗せながら「ごめんね。白ねえ」とよろけながらの両手謝りをしてくる。礼儀はしっかりしているのに、何故か彼は、あまり悪びれない。そんなところも、白羽は好きだった。嬉しいお蔭で、弟への好きが溢れている。


「総ちゃん。探しに来てくれて、ありがと。もしかしたら、来てくれないかと思った」


「それは有り得ないよ。何たって白ねえだもの」


「そう?」


「うん」


 嬉しくて、くすくすと笑いだしてしまう。そんな自分を見ながら、総一郎は微笑んでいた。愛しさのあまり、飛びつくように抱きしめる。再び、ツツジの内側へ。


 たくさんの枝に引っかかれながら、二人一緒に脱出した。今度ばかりは少し傷が見えている。疲れたので、汚れなさそうな場所を見つけて、横たわった。同時に総一郎もそこに寝転んで、顔を見合わせてから笑う。示し合わせたような動作が、面白かった。


「……ねぇ、総ちゃん」


 そのまましばらく無言で居て、二人で空を見上げていた。星空の明かりを浴びながら、ふと、彼に言わねばならない事を思い出す。


「何? 白ねえ」


 空を見上げながらの言葉に、少しむっとする。ただ、ここで怒っては台無しだと思って、堪えた。「実はね、」と切り出す。


「私、本当はみんなより少し大人なんだ」


「……どういう事?」


 やっと振り向いてくれた。今度は逆に、こちらがそっぽを向いてやる。


「私、総ちゃんのお蔭で、物凄く早くに『開花』したでしょう? だから、躰じゃなくて、心の中身がみんなより育つのが早いの」


「どれくらい?」


「どれくらい、って聞かれると困っちゃうんだけど、今は大体、十……二とか、三とかだって聞いてる。お母さんが、偶に病院に連れて行ってくれるの。精神病院。特殊な例らしいからね。でも、いつもって訳じゃ無いんだけど」


「……時々、勝手に翼が広がっちゃうことあるよね。その時?」


「気付いてたの?」


「薄々、そんな気はしてた」


 言って、苦笑する総一郎。


「なんだ。秘密がってた私が馬鹿みたい。まぁ、そこまで隠す気は無かったけどね。……それで、ここからが本題なんだけど、総ちゃんって、本当は私よりもずっと精神年齢高いでしょ」


「ばれてた?」


「うん。そうじゃないと、説明できない事もあるし。ちなみに、何歳なの?」


「人生経験ってだけなら、大体三十代の前半くらい。精神年齢は、昔より自制効かないから分からないかな。だから、白ねえの事は、正直、娘みたいに思っている所がある」


 総一郎は、少し意地悪な笑みをした。誰かに似ていると思ったが、その誰かは思い出せない。唸りながらジトッと睨むと、困ったように苦笑した。次いで彼は、少しトーンを落として尋ねてくる。


「……誰にも、内緒にするって、約束できる?」


「……う、うん」


「実はさ、僕、前世があるんだ。まぁさっきに人生経験とか言っちゃったから丸分かりなんだけど。それでね、そこには、魔法とか、亜人とか、夢の溢れる存在の居ない、ここよりも少しつまらない場所だったんだ」


 もちろん、そこそこに楽しんでいたけどね、と付け加える。


「でも、ここに来て魔法が使えるようになって、物凄く楽しかったんだ。お父さんに剣の稽古とかつけてもらってさ。今は素振りだけだけど、また、やってもらえればいいなって思う。だから、楽しくて調子に乗っちゃったんだ。物理魔術が危険だなんて、良く考えればすぐに分かりそうな事だったのに」


 だからね、と少しさみしそうに総一郎は言う。白羽は、それに向き合う。


「お父さんお母さんに心配かけちゃうから、物理魔術は出来ないんだ。これは、白ねえに言われても変わらない」


「……確かに、総ちゃんの『物理魔術』下手だったねぇ……」


 難しい顔で頷くと、少々ショックを受けたのか、複雑な面持ちで視線を逸らされてしまった。しかし、と白羽は考える。


「前から言ってるけど、それなら私が手伝えばいいんじゃないのかな? 少なくとも、総ちゃんを墜落させないだけの実力はあると思う」


「でも、心配させちゃうよ」


「大丈夫。少なくともお母さんからの支持は得られると思う。私に飛翔術を教えてくれた張本人だもん。あとはお父さんだけど、お父さんは話して分からない人じゃない。でも、それは総ちゃんが自分で話した時。他の人が言ったって、相手してくれないから」


「もしかして白ねえ……」


 白羽は、わざとらしく笑って誤魔化した。


「別にいいの。それより、どうするの? ここまで言っても、『物理魔術』やりたくない?」


「……」


 総一郎は、目を瞑った。しばらく、無言でいる。決めあぐねているのか。仕方なしと考え立ち上がった時、彼は一つ、ため息を吐いた。


「うん。やっぱりやりたい。それに、ここでやらないなんて、ここまで体張ってくれた白姉に申し訳ない。今日あたり、帰ったらお父さんと話してみるよ」


 言うが早いか、軽い調子で総一郎は立ち上がった。手を握られ、思わず握り返す。


 その顔を見ると、彼は柔らかく笑った。


「歩くと遠いし、一緒に、飛んでかえろっか」


 白羽は、湧き上がる喜色に、うん、と元気に頷いた。




 後日、総一郎は父の元へ直談判をしに行った。


 本当は当日のつもりだったが、遅くまで外に行ってたことを母にこっぴどく叱られ、父も心なし不機嫌そうだったため、戦略的撤退により後日改める事となったのだ。すでに母は味方に付いていて、後は父を陥落するのみである。


 小さな和室で、父と弟が静かに向かい合っている。その様子を、白羽は襖越しに見守っていた。総一郎の方が万倍頭がいいのだから意味などないだろうが、彼が困ったら助けねばと言う強い意志がそこに在った。


 しかし、結末は呆気のない物であった。


「お父さん。物理魔術をさせてください」


「いいだろう」


『え?』


 思わず声を出してしまう白羽。それが丁度総一郎の物と重なって、マズイ、とばかり口を押える。


「白羽も、入ってきなさい。総一郎を焚き付けたのはお前だろう」


 言われ、ばつが悪く、口元をもにょもにょさせながら入っていった。総一郎と目が合い、苦笑し合う。父が、そこで一つ咳ばらいをした。弟の隣に正座して、姿勢を正しておく、


「総一郎、そして白羽。お前たちもすでに分かっているだろうが、物理魔術と言うのは危険な技術だ。人間は脆い。そして、総一郎が使おうとするその技術は、人間に比べ、はるかに丈夫な魔物を一撃で屠る事が叶うだけの、非常に力強い能力だ。その使用には、細心の注意が必要なのはわかるな」


「はい」


 総一郎の芯の通った声に、白羽は慌てて追従する。


「幸い総一郎が今回使おうとしているのは危険性だけで言えば低い物だが、そもそもお前は『空中浮遊式』を履き違えている。着地にあれほど細かい反作用を使うのは、手間が掛かる上に危険性の高い方法だ。着地だけなら終端速度の法則を使えばいいだろう」


「僕も最初はそう思ったのですが、まだ風の加護が無いのです」


「何だと」


 顔を上げる父だが、同じように白羽も驚いていた。そういえば総一郎は小学一年生で、まだ夏休みに入ってもいない。何だか年上のように感じているから、白羽には不思議な感覚だった。


「失念していた。そうか、総一郎はまだ夏休みを迎えていないのだったな。――となると、化学魔術でもまた一悶着あるのか。……まぁいい。ならば、総一郎。お前は夏休みの加護会得まで物理魔術を禁じるが、それが終わり次第禁を解く。空中浮遊は母さんや白羽に聞くと良い」


「……本当に、良いのですか?」


 おずおずと尋ねる総一郎を、父は静かに見つめ、目を閉じた。小さく開いて、答える。


「本来ならば、ここで止めるのが親の役目なのだろうと思う。しかし、今回ばかりは違う。そのようにも、思えるのだ」


「父さん……?」


 夢現に居るかのような話し方に、総一郎は困惑の声を上げた。白羽はしかし、何故か父の次の言葉が分かるような気がしていた。心の中で、呟いてみる。


 ――総ちゃんは、頭がいい。


「総一郎。お前は、頭がいい。物理魔術を教えても、お前ならば使いこなせる。私は、そのように思った。禁じられてそれでもなお使うのを止めなければ、私は、決してお前に物理魔術の習得を許さなかっただろう。しかしお前は白羽のため以外には使おうともしなかった。それが答えなのだ」


 当たった。とひっそりほくそ笑む白羽。油断していたところに、父に名を呼ばれて驚きに身を竦ませる。


「な、何ですか!」


「白羽。お前は、自分が総一郎に劣っていると思っていて、それを受け入れている節があるな。しかし、だとしても姉はお前だ。総一郎が危うくなったとき、お前が弟を止めなければならない。その事を、よく心得ておけ」


 驚きに尾を引かせつつも、返事をした白羽。それに頷いて、父はすっくと立ち上がり、部屋を出ていった。二人だけがぽつんと残され、少しずつ開いた襖から日が入ってくる。


「白ねえ」


 横からの声に、白羽は総一郎の顔を見た。そこには、翳りが一欠けらもない穏やかな笑みが、夏の匂いをさせて輝いている。


「ありがとう。白ねえのおかげだよ」


 面を向かって言われ、なんだか小っ恥ずかしくなってしまう。その為赤面してもじもじすると、白羽の頭を撫でて一人で外に行ってしまった。


 急いで外に出ると、彼は暑くなってきた太陽の光の中で、上を見つめていた。視線を辿ると、眩しさに目がくらんでしまう。空に輝く太陽は、今日は一等強い輝きを持っていた。ふと弟に視線を戻すと、空に手を伸ばしている。


「……あ」


 その時、白羽は総毛だつような感覚を覚えた。どこかでこれと全く同じ経験をしたことがある。とも思った。気付けば翼はいつもより一回り大きく開いていて、力を入れずとも飛び上がれそうだ。


 しかし、今の白羽にはそんな事はどうでも良かった。日に手を伸ばす総一郎から、目が離せないのである。何かが、その背中に見える様にも思えた。見えもしないのに、翼だと確信した。




 その時、ふと風の声が白羽の耳を掠めた。振り向くが、気のせいだと思い、また総一郎の方へと目を向ける。


 ――教えてくれてありがとう――


 そんな、蠱惑的な声が、聞こえた気がした。

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