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 第66章 一切の書に残す事を禁ず -5-


 誰も、この先を見る事がないように。

 そんな声が届いて消えた。

 何が起こるかわからない。

 肖像画に刻み付けられた記憶。

 その中に、さらに何かが眠るなど、本来はあり得ない。

 誰かが意図して残した想いでもなければ。

 気づかれないように。されど、残さねばならないという意志がない限り。

 何もなければ、それが正解だ。

 その時自分は、元の世界に戻る事ができるのだろうかとデュランは思った。

 落ちていく己の体、頭上が見えた。遠く遠く、天に控えるのは闇である。

 どこまで落ちるかわからない。

 終焉はないかもしれない。

 抗いはしなかった。

 このまま闇に呑まれても仕方がない。

 デュランは落ち着き、移ろう闇の濃淡を見ていた。

 時に、闇の中に映像がかすんだ。断片的な映像は、意味を持つのかさえわからない。

 ……そして、終焉は不意に訪れた。

 落下の感覚がなくなったと同時に、目の前に立つ男の姿があった。

 ミゼル・ドルターナ。

 彼は真正面から、何一つ隠すわけでもなく躊躇う様子もなく、ただ落ちてきたデュランを見つめた。

 デュランとドルターナ、2人の視線が重なる。

 否……、重なりはしない。

 すでに、未来永劫に。

 ドルターナは、手にした本を持ちクルリと歩き出した。

 一度デュランを振り返る。

 ついてこい、と目が告げる。

 ついていくというよりは周りの映像がデュランを先へと連れて行く。

 恐らくザルツヘブンの城であろう。ミゼルは一室に入り、やがてテーブルに向かい、書をしたため始めた。

 神妙な顔つきである。

 覗くのはためらわれた。だが、見なければならない。

 デュランはそっと彼の手元に視線を落とす。

 そこに書かれていたのは、別れの言葉だった。

 あなたがこの書を見る時は――、そう書きかけ、ドルターナは書を破った。

 やがて、先ほどの本に視線を戻す。

 分厚い表紙をめくり、息を吸い込んだと思うと、彼は途切れるほどの小さな声で書を読み始める。

『――第十次154番隊の殲滅を命ずる』

 何の事だ? とデュランは眉を寄せる。

『総勢2452名、確実に全員仕留めよ。1人も生かす事ないように』

 徐々に声は力を増し、やがて朗々と響き始める。

『これは王の命である』

 王とは誰だ?

『先に投降した女は、直ちに処刑。骨の欠片、肉片も残すな。一切の痕跡を絶て』

 読んでいるのは本ではない。本に挟まった紙の断片。

 いつかの、誰かの伝令だ。

『154番隊に関わる全ての記録を抹消せよ。そして今後、一切の書に残す事を禁ず』

 そこまで読み終え、ドルターナは嘲笑うように口の一片に笑みを浮かべ、やがて紙を暖炉へくべた。

 炎が宿るのはあっという間だった。

『ほとんどの書は、その際に破棄された』

 黒くなった紙が小さくなっていく顛末を、ドルターナは片時も離れず見つめ続けた。

『唯一残るこの書を、今日を以て破棄する』

 歴史には、残さねばならぬ事と、残してはならない事がある。

『我が祖は、罪を犯したのだろうか』

 デュランの知らぬ、弱々しい声だった。

『私は、罪を犯したのだろうか……』

 元々、デュランの知るドルターナは聖人君子と謳われた男。常に笑みを絶やさず、教皇の側で人々に希望を与えた。確かに彼は様々な人を救い続けてきたのだ。

『我々は、罪を犯したのだろう』

 正直言えば、デュランにはわからぬ。

 オヴェリアに死ねと言った男の、狂気の源が何だったのか。

『世は罪にまみれ、……結果的に、何も変わらなかったのだろう』

 ドルターナは書棚を見た。

 そこには、かの肖像画があった。

『教皇ウリア様が生まれたのは、かの大戦の只中』

 やはり描かれていた娘はウリアだったのかと、デュランは驚愕し、同時に疑念を浮かべる。

「なぜ」

 大戦は300年近く前の事。

『全ては……あの娘。あの娘が去った日より、ウリア様は未だ、贖罪を続けている』

 そして同時に、

『呪いを、受けた』

 それでも。

『……何が救いかわからぬ。それでも私は……』

 ドルターナはデュランに向き合った。

『これは、我が父より受け継ぎし記憶。我が祖が口頭で語り継いできた記憶』

 ドルターナがデュランの腕を掴んだ。

 途端、その体は溶けて崩れて行った。

 頬から肉が落ち、内臓が崩れ、落ちた肉片が地面に無造作に積み上がる。

 やがて、デュランの手を掴む姿は、肉の欠片も持たぬ骨だけとなった。

 骸骨はデュランの顔を覗き込む。

 デュランは微動だにしなかった。怖れの表情もない。

 さあ、覗け。そう言わんばかりに、目の奥へと視線を誘う。

 目玉を失った眼窩の先へ。

 奥はただ暗い無があるのみ。

『さあ、記憶を辿る咎人よ』

 くぐもった声は笑っている。

『二度とは返さぬ、覚悟を持て』

 眼窩の奥の奥に僅かな光が見えた時。

 デュランは我知らず叫んだ。

 オヴェリアがいたように思ったのだ。

 荒野を走る少女の姿。

 その後ろに続く無数の兵士たち。

 少女は走りながら、天高く剣を突き上げた。

 その剣を、デュランは知っていたのだ。

「姫様」

 否、違う。

 彼女ではない。

 振るう姿、鎧、そして取り巻く兵士も。

『戦え』

『走れ』

『前へ前へ』

 進め。

 剣は、強き光を持って、少女と共に突き進んだ。

 その鍔本には白い薔薇。

「白薔薇の剣」

 地平線に無数の軍勢。

 そこに向かって突き進めと、彼女は叫ぶ。

 兵士たちは迷わず走る。

 軍勢と軍勢の衝突。

 灰色の大地が地響きに揺れる。

「あれは……」

 地平線に、陽光が指す。

 剣が光を弾くように輝く。

『大いなる軍勢よ、我と共に進め!!』

 走る軍勢に向かい叫び、行く手へ向け剣をかざすその娘。

「サンクトゥマリア――」




 ――儚き、悲運の娘の終焉をここに。

  

 

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