第四話:vsシュタイン
−−くそっ!
短く悪態をついて、更にシュタインから距離をとる。この間も、シュタインから視線を逸らすような真似はしない。いや、逸らすことが出来ないの間違いだ。
悠然と剣を構えるシュタインに隙は見当たらない。俺が動くのを待っているのか仕掛けてくる様子もみられないが、一瞬でも気を抜けば俺は死ぬだろう。そう、感じる。わかるのだ。俺とシュタインの間には歴然とした差がある。
その差が、俺がシュタインからとった距離に表れていた。正直、これ以上シュタインに近づきたくない。出来ればまだシュタインから離れたいくらいだ。
「そちらが来ないのなら、こちらから行きますっ」
!
俺が臆したことに気づいたシュタインが、その場から動かずに大きく剣を横に払った。目算するかぎり、その切っ先は俺に届くはずもないのだが、俺は上に跳んだ。バネのように跳ね上がった身体の下を、光が走る。
すぐさまシュタインが何をしたのか確認する。シュタインの持つ剣に特に変化は見られない。
だが、さっきの光はあの剣から放たれたものだった。ならば、こっちに向かってさっきの謎の光が飛んでくる可能性が高い。
しかし、だ。
俺はいま空中である。回転ならば出来そうだが、空中を移動するのは無理だ。
さっきの光がどうなったのかも解ってねぇし……つぅか、俺に出来る事って吠える、以上。終わり。何だこれ。どうすんだ、これ。
俺が混乱する頭を必死で回転させて整えるなか、対するシュタインは淡々と剣を頭上に放り投げた。
は?
その予期せぬ行動に気を取られていた俺は、気づかなかった。
雷鳴が走った。
次に貫かれるような痛みを感じたかった思えば、やってきたのは全身の痺れだ。慣れない正座をして立てなくなった時の感覚に似ていたが、違うのは全身に走る痛みと不快感である。まるで脳を直接揺さぶられているようで、くらりと目眩がした。皮肉なことに、飛びそうな意識をつなぎ止めたのはその痛みだ。
地面に叩き付けられた身体を何とか足に力を込めて立ち上がりながら、シュタインを目で捉える。
さきほど放り投げた剣が、吸い寄せられるようにシュタインの手に戻っていく。シュタインは手元に戻った剣を地面に突き刺し、薄く笑みを浮かべた。
「ケルベロス様は、注意力が散漫ですね」
――悪かったな。つぅか、事態にまったくついていけねぇんだけど。 頭も身体も何かもう全部。生か死か?なんて、犬な時点で詰んでる。どっかにリセットボタンねぇの?やめたい。生まれる前からやり直したい。
生きるか死ぬか。
死ぬか生きるか。
くそ、さっきから身体中が痺れてろくに力が入らねぇ。
「俺は、魔力のコントロールが得意ではありません。一定に保って、というのがどうも苦手なようで直ぐに暴走してしまう。元々、アグナーの一族は魔力の質がそのように出来ているのですが、」
シュタインはすっかり警戒さえ解いたのか俺を見やりながら、空いた右手に光の玉を作った――が、それは直ぐに弾けて消えてしまう。どうやら説明してくれているらしい。何にかは知らねぇけど。もうさ、痺れて――てか段々と痛くなってきたんだが……。
シュタインは尚も続けた。
「戦いになると、不利なんです。魔物はまだしも、魔族の再生能力は桁が違いますから、それこそ何千回と休みなく斬りつけなければ死なない。実にナンセンスです。だからアグナー一族は、特殊な技法で魔力を流し込み、そして留めることが出来る剣を作り上げた。魔界では魔力の質量が全て。高く質が良ければそれだけで強者に成りうる」
ふっと軽く息を吐いた。
「つまり、ですね。ケルベロス様の身体の中で、俺の魔力が暴走してるってことです」
なげぇよ。
笑顔で締めくくられたご高説に、ツッコミをいれる。つまり何だ。シュタインがさっき剣で飛ばした光はシュタインの魔力の塊で、それが俺に突き刺さった。で、今は痺れより痛みが先立っている。内側からジクジクと針で刺されてる感じだ。すげぇ、嫌な予感。
「ですが、さすがです。普通はすぐに脳に到達して溶かしてしまうんですが、ケルベロス様の魔力が本能的に俺の魔力を抑え込んでいる。その分、苦しみが長く続いてしまいますが……安心して下さい。ケルベロス様が苦しみ死ぬ姿を、俺はしっかりと見届けますから」
安心も何もねえぇぇ――!!
その真摯な眼差しをやめろ。冗談じゃねぇ。いやマジなのか?これが魔界流なのか?それともシュタインがドSだからか……いや、こんな事考えてる場合じゃねぇ。
どうする?シュタインの魔力が俺の中で暴走している。つまりこれをどうにかするしかない訳だ。本能的に俺はシュタインの魔力を抑えているみたいだが、自分でこれを何とかしない限り、じわじわと蜂に刺されるようにして死ぬ。
思い出せ。俺に何が出来るのか。
確か、シュタインは俺の魔力は心に連動しているといった。心、感情、思い。
……なら、これを何とかしたいと思えば何とかなるんじゃないか?
「!」
って、んな簡単に出来たら苦労はねぇんだよ!人生イージーモードじゃねぇんだよ!
ああ、痺れのせいで頭が上手く動かねぇ。
死ぬのか?でも別に構わないんじゃないか?こんな、訳が解らないところで生きてたってしかも犬だし。犬だし。ファンタジーな世界とかまじで意味わかんねえし……こんな訳わかんねぇとこ……シュタインに負けてこのまま――負けて。
負けて
「……」
無理だ。負けたまま死ぬとか絶対嫌だ。
喧嘩で負けるのとは意味がちげぇ。やり直しなんかきかねぇ。負けたら死ぬんだ。負けたまま死んじまうなんて――俺は嫌だ。
「――」
「!」
グっとシュタインを睨みつける。シュタインが微かに指先を震わせて剣の柄を握った。しかしその瞳は臆することなく俺を捉えたままだ。 構わずに地面を蹴り上げて走り出す。
地面を踏みしめるたびに、針山の上を走っているようだった。それでも俺は走った。
シュタインが剣を構える。ぐんぐんと速度をあげてシュタインの間合いに入った。すでに剣は横に振りかぶられ、勢いよくこちらに向かっている。当たれば、首がもってかれる。
だが、かまわねぇ。
このまま喰ってやる!!
「……っ!」
シュタインの動きが一瞬止まった。違う。下がったんだ。
一瞬の隙。喰らいつくつもりで開いた口で吼えた。
踵が地面をえぐり、砂を巻き上げながらシュタインの身体がぶっ飛ばされていく。俺はそれを追いかけながら更に吼えた。
シュタインの手から剣が離れて宙を舞った。地面を蹴る――捕らえた。
シュタインの両肩に爪を食い込ませて抑えつけ、躊躇なく喉元を狙う。俺の勝ちだ――シュタインの赤い目が大きく見開らかれた。
「……ケルベロス様?」
俺はシュタインから退くと、背を向けた。後ろ足で首を掻きながら、砂埃を払い落とす。背後でシュタインが上体を起こすのがわかった。
腑に落ちない、といった視線を背に感じるが、俺は無視して尻尾を揺らした。
身体から痛みは引いていた。いつから痛みが消えたのかは解らない。
シュタインをかみ殺す気だった。だが、驚愕に見開かれた瞳がゆるりと閉じられていくのを見て、我に返った。
『噛み殺して下さって構いません』
こいつは、嘘はつかねぇ。
それが解っただけで充分だ。なにより俺の勝ちだし。俺の勝ちだし。
ゆらゆらと揺れる尻尾を抑えられない。
「ケルベロス様」
さっきまでとは違う感嘆の込められた声音に背後を振り返る。見れば思ったよりもくたびれた恰好のシュタインが、膝をついて頭を下げていた。
「……我が魂名はアレックス。身命を賭して、あなたさまにお仕えいたします」
そう言って、下げていた頭をあげたシュタインが俺を見上げた。赤い瞳が一瞬だけエメラルドのように輝いてみえた。
俺は自然に頭の中でアレックスと呟いていた。何度も、何度も、それを脳に刻みつけるように。
とても大切なものを貰った気がした。