第三話:更に予想外
これまでのあらすじ。
犬になった俺は、次期魔王様を吃驚してデストロイしてしまい、死ぬ覚悟で現・魔王様に会いにいったのだが、どういう訳か魔界第七地区とやらを任された――以上。
……冗談だろ。
大事なことなので、繰り返す。当然、胸の内でだ。
しかし、魔王はにべなく「話は終わりだ」と俺たちを強制送還した。
さすが魔王様。横暴だ。フッと身体が浮いた瞬間、ゼルディスがその黄金色の瞳で、俺を一瞥した。
そして気付けば、さきほどの魔王城の前である。俺は話のはの字も聞かなかった魔王への怒りを、ピクリとも反応を返さなくなった魔法陣を前足で叩くことで何とか落ち着かせた。ついでに爪痕も刻んでやった。どうでもいいが、メデカも俺に倣うように引っ掻いていた。これが猿真似ってやつか。
そんななかでシュタインだけは、口を手で覆いながら難しい顔をして考え込んでいる。いま頼れるのはシュタインしかいないため、俺はシュタインの顔を見上げた。
気付いたシュタインが、すっと膝をつく。
「ケルベロス様。そう、ですね……まずはあの岩を砕いてください」
いや、そこはまず『お話しましょう』とかじゃね?いまだに状況がさっぱりなんだが、それ以前に『俺自身』についてもさっぱりなんだが。
しかしシュタインは真顔で、2mほど先にある岩を指差している。結構な大きさの岩だ。あれを砕けって、扉をぶち破ったみたいにすればいいのか?
「あの岩に向かって吠えて下さい」
吠えるの?マジで? 犬みたいに?いや、犬だけど。犬だけども。
「――お願いします。大事なことなんです」
俺が嫌がっているのを感じたのだろう。シュタインは懇願するように言い募る。
俺は渋々と、シュタインが指し示す岩の方へと身体を向けた。シュタインから鬼気迫るものを感じたからだ。
「ワ……、ワン‥‥」
だが出たのは非常に情けない声だった。
「キィー‥‥」
「申し訳ありませんがケルベロス様、もう少し大きな声で吠えて下さい」
……羞恥心で死ねたら、俺はもう死んでます。なんだコレは、新手の苛めか。しかも中途半端なだけに余計に――つうか、メデカてめぇ!!
「何も聞いてません」みたいに耳抑えるとはどういう了見だ。ないわー、ってか?
こっちの台詞だ。
八つ当たりで唸りながらメデカを睨み付ければ、メデカは逃げ出した。
「ケルベロス様、それは『威嚇』です。まだ下級魔物のベベルにしか効果はありませんが、使いこなせば魔族にも有効です」
……。
逃げ出したメデカを一瞥して、シュタインは淡々と『威嚇』とやらについて説明した。
ベベル?ベベルってメデカの事だよな?あいつ、ベベルっていうのか……まぁもうメデカでいいだろ。下級魔物とか言ってたが、魔物と魔族って違うのか?どう違うんだよ。そこを説明しろよ。
次々と与えられる情報を処理しきれねぇんだけど、マジで。
――と、頭の中が飽和状態な俺と違い今の光景に思うところがあったのか、再びシュタインは口を手で覆い思案していた。そして「もしかすると」と小さく呟き、「ケルベロス様、あの岩をべベルだと思って吠えて下さい」と言った。
「……」
シュタインは何を言ってるんだ。
メデカと思えと言われても、俺はいまので溜飲が下がってしまった。
それに、あれだ。弱い者苛めしてるみだいじゃないか。さすがにな……俺としては強い奴をぶちのめす方が気分が良い。そう思っている。これは本当だ。
だが、さっきからメデカの奴がチラチラチラチラと覗いては、飛び跳ねてんだが。しかも手まで叩いてんだけど。何だあれ、完全に挑発だよな。
『やーい、ここまで来てみろ犬野郎』って声が聞こえてくるんだが……。
「どうぞケルベロス様、お怒りのまま吠えて下さい」
そんな俺の心情を察したのか、シュタインが笑顔で岩を指差す。
俺は、覚悟を決めた。
自尊心?ボロボロだ。だが次も醜態をさらすくらいなら思いっきり吠えてやる!
「ウウゥ……ガァウ!!」
そして――何が起きたのかといえば、砕けた。
粉々に、とまではいかないが砕けた岩が宙を舞って地面に突き刺さるくらいには。
「やはり、ケルベロス様の魔力は感情……心に左右されるようですね」
その光景を眺めていた俺にシュタインが得心がいったように頷いた。まだよく――というかさっぱり解らないが、俺の魔力はシュタイン曰く心に左右されるらしい。なんだその『本当の力、それは心の強さだ!』みたいな常套句が聞こえてきそうなソレは。
そういうのは、少年漫画の主人公に任せるべきだろう。
ここは魔界。そして俺は魔王が従えるべき存在、らしい。
どう考えても悪役ポジションである。お約束な展開ならば、勇者に中盤あたりでやられそうだ。もしくはラスボス+俺みたいな。あ、でもラスボスポジションに当てはまりそうな次期魔王を俺は天に召しちまったから……この場合、どうなるんだ?わからねぇ。
「上手く魔力をコントロール出来るようになれば問題ありません。それに心の強さによって魔力が増幅する、というのは奇才です」
……もう解らないことだらけで、考えるのも億劫になってきた。
「ケルベロス様。魔力のコントロールと身体を動かす事がまずは最優先です」
解らないが、シュタインの言う事に従った方が俺は良いんだろう。
俺の臣下だ、とシュタインは言った。それが本当かどうかは解らない。ここは魔界で相手も魔界の住人である以上、すんなり信用は出来ない。
だがここまでの間、俺に接してきたシュタインの態度は、真摯なものだった。
しかし、シュタインの主である俺が臣下の言葉にすんなり従う、というのは妙に不服だ。思わず、喉を鳴らす。するとシュタインは笑顔から一転して、厳しい表情を浮かべた。
「俺の態度が失礼である事は承知しています。どうしても許せないのでしたら、後で噛み殺して下さって構いません」
ぶっ飛んだ思考だな、おい。
内心でぎょっとしたが、シュタインの忠誠心を感じる。少し、シュタインを信用しても構わないかもしれないと思った。
まさか一秒も満たない間に、撤回する事になるとは思わなかったが。
――本能で飛び退いた。
見れば、俺がたったいま飛び退いた場所を大剣の刃が切り裂いている。いつの間に抜いたのか。いやそれよりも、ほんの一瞬でも遅れていたら、俺の身体は研かれた刃に真っ二つだったろう。
ぞわり、と肌が粟立った。実際には紫紺色の毛が逆立ったが。
「……」
じりっとシュタインから目を離さずに、土を踏みしめる。
俺はいま、こいつから、命を取られかけた。それも躊躇なく。
「ケルベロス様、あなたはお生まれになったばかり。ですが、そんな事は関係ない。弱いものは死ぬ、それだけがここの理です」
シュタインはそう言って、剣を下げた。だが、俺はまったく安心出来なかった。シュタインは酷薄な笑みを浮かべて話を続ける。
「そして、強いものにこそ頭を下げる。ケルベロス様、俺が真に頭を下げるに足る器かどうか――魅せて下さい」
刺すような、殺気だった。