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黒く 白く

作者: 景雪

 白いコーヒーカップにコーヒーが満たされている。黒い男はミルクピッチャーからミルクを注ぐ。

 「ミルク、好きね」

 白い女は笑う。ミルクは渦を巻いてコーヒーの黒に混ざっていく。なみなみと入れられたミルクのせいで、コーヒーはたちまち淡い色に変わる。

 「苦いのは苦手なんだよ」

 黒い男も笑う。

 「わたしは、苦いのが好きよ」

 白い女はブラックのまま飲んでいる。唇の端についたコーヒーを、女は舌の先で舐めとる。そして思い出したように言う。

 「そういえば、さっき何を読んでいたの?」

 「え? ああ。小説だよ」

 「誰の?」

 「黄色い国の作家だよ。四月に大雪が降った年の夏に、大量の光る虫が見られるんだ。光る虫は、“ホタル”っていうんだよ」

 「光る虫? 見てみたいわ。読み終ったら貸してよ」

 「うん。貸してあげるから読んでよ」

 黒い男が笑うと白い前歯が目立つ。白い女はそれを見て微笑んだ。



 白い人の国と、黒い人の国と、黄色い人の国があった。三国は隣り合っていた。

 一番文明が発達しているのは白い国だ。比較的寒冷な気候で、裕福な人が多い。身体は大柄で、性格は陽気、自己主張が強い。大きな建物があり、鉄道網が発達し、車が多く走っている。

 一番人口が多いのは黄色い国だ。小柄で勤勉、器用、口数が少なく真面目な人が多い。黄色い国には四季の変化があり、春には桃色の花が、夏には光る虫や木に張り付いて鳴く虫が、秋には赤く染まる木々が、冬には白い雪が降る。

 一番面積が広いのは黒い国だ。広大な面積の多くを砂漠や草原が占め、一年中気温が高い。耳と鼻が大きい巨大な動物や、たて髪の生えた獰猛な動物など、珍しい生き物がたくさんいる。黒い国の人は貧しいが、細かいことは気にしない大らかな性格だった。


 黒い男と白い女は白い国に住んでいる。白い国は鉄道や大きなビルがたくさんあるので人手が足りない。だから黄色い国と黒い国から出稼ぎ労働者を受け入れている。白い人と黄色い人、黒い人は同じ席に座れない。同じトイレを使えない。正確に言えば、白い人専用の席やトイレがある。黄色い人と黒い人は白い人専用のそれらを使うことはできない。

 黒い男と白い女が、同じ席でコーヒーを飲んでいるといつも周りから視線を感じる。決して好意的な視線ではない。金属でできた冷たい矢じりが投げつけられたような視線だ。二人はもうすっかり慣れた。誰にどう見られようが構わなかった。

 白い女の父親は地方議会の議員だった。議員になって二十五年、副議長を務めたこともある。彼女は女中が三人いる屋敷で何不自由なく育った。欲しい物は何でも買ってもらえた。

 「ヴァイス。お前の結婚相手は白い国中を探して見つけてやるからな」

 白い女が十八歳を過ぎた頃から、父親は口癖のようにそう言った。

 「お前にふさわしい白い男を探してきてやる」

 特に深く考えず、白い女は父親の言葉を聞き流していた。

 二十歳になった頃、白い女は知った。自分の父親が、白い人と黄色い人、黒い人を差別する政策を推進している中心人物だということを。議会は全て白い人で構成されていた。白い人を優遇する政策に反対する議員はいなかった。

 白い女は考えた。黄色い人、黒い人と自分の間に、一体どんな違いがあるのだろうかと。生まれ持った肌の色はそんなに誇り高いものなのかと。黄色い人も嬉しければ笑うし、黒い人も悲しければ泣く。それは白い自分とも何ら変わらないのではないかと考えた。

 そんな折、白い女は黒い男に出会った。黒い男は、彼女が事務吏員として勤める役所の清掃夫として働いていた。

 休憩室で、白い女がいつものようにコーヒーをブラックで飲んでいると、

 「すごいね。そんな苦いの僕は飲めないよ」

 黒い男はそう話しかけた。

 白い女は突然背後からかけられた声に驚きながらも、彼の大柄な体躯に似合わない可愛らしいつなぎ姿に噴き出しそうになった。

 「あなたは、ミルク入れるの?」

 「うんと入れるんだ。僕は甘い物が大好きなんだよ」

 白い女と黒い男はこうして出会った。



 「ホタルって虫は、何で光るか知ってる?」

 「分からないわ。何で?」

 黒い男は、グラスをひょいと傾けてコーヒーの残りを飲み干す。

 「求愛しているんだって。オスがメスに愛を囁いているんだ」

 「へえ、素敵ね。見てみたいわ。ホタル」

 黒い男は白い女の瞳に輝きを認める。ホタルよりもずっと美しいと口には出さなくても強く思う。

 「今日は遅番だからこれから仕事なんだ。明日、またここで会おう」

 「ええ」

 二人は席を立ち、“ヴァイナハト”と書かれた看板の前で別れる。そうして白い女の心を寂しさが埋める。私はあの人とずっと一緒にいたいのに。世間体を気にしてそれは叶わない。パパだって、きっと反対するに違いない。私は人の目を気にしている――。


 「ヴァイス、変な男と付き合っていないか?」

 家に帰ると、ちょうど居間を通る際に、白い女は父親に問いかけられた。

 「変なって? 全然変じゃないわよ」

 「お前、黒い男と付き合っているそうじゃないか。すぐに別れなさい。妙な噂をたてられたらどうする! 二度と会うんじゃない」

 父親は有無を言わせず一方的に言い放つ。

 「パパ。あの人は良い人よ!」

 「黒い奴に良いも悪いもあるか! お前は奴と違う世界に住んでいるんだぞ」

 「何が違うって言うの? 白か黒かの違いじゃない?」

 「お前はまだ子供だから分からないんだ。 大人になれば分かる」

 「私はもう子供じゃないわよ!」

 居間を飛び出して白い女は自室にこもった。その夜は、父や母の呼びかけにも答えなかった。


 次の日、約束通り“ヴァイナハト”で白い女は黒い男を待った。男は約束の時間が来ても現れなかった。時間に几帳面な彼にしては珍しいことだった。

 約束の時間が三十分過ぎた頃、黒い男は来た。顔に暴行された跡があった。

 「どうしたの? シュヴァルツ?」

 黒い男は、切れた唇の端を押さえながら言う。

 「ヴァイス、僕とはもう会わない方が良い」

 「何で? どうして?」

 黒い男は答えない。ただ黙ってうつむいているだけだ。

 「ねえ。何か言ってよ。私はあなたのことを愛しているのよ?」

 近くの席でホットティーを飲んでいた白い男女が、蔑んだ視線を白い女に投げた。

 「僕は……」

 「何? はっきり言ってよ」

 「僕は、君が、大嫌いだ」

 そう言い終わるか終わらないか、白い女の右手が黒い男の左頬を打った。黒い男の大きな身体はよろめき、ホットティーを飲んでいる白いカップルのテーブルにぶつかった。

 「邪魔だよ。どこかに行けよ、黒」

 カップルの男の方が吐き捨てるように言った。黒い男は駆け足で街の人ごみに消えていった。


 ――僕は、君が、大嫌いだ。

 茫然と街を歩きながら、白い女は黒い男に言われた言葉を思い出していた。

 ――僕は、君が、大嫌いだ。

 自分だけだったのだろうか。愛していたのは自分だけで、勝手に両思いだと勘違いして有頂天になっていたのだろうか。白い女は動きが鈍る脳をフル回転させて考えた。遊ばれていたのだろうか。自分は子供だったのだろうか。

 ――お前はまだ子供だから分からないんだ。 大人になれば分かる。

 父に言われた言葉が蘇った。

 目的もなく歩き、気付くと自分が勤める役所の裏手に来ていた。ここは日当たりが悪く昼でも暗い。人通りも多くない。

 ふと、視線を道端に移して、黒い男が座りこんでいるのを見つけた。白い女は物陰に隠れて彼を見る。彼は、身体を折り曲げて何かを手に持っている。

 黒い男が持っているのは白い女が写る写真だった。それを見つめながら、彼は身体ごと震わせて泣いていた。心の底からすくい取ったような嗚咽が、路地裏の静けさを埋めていた。

 シュヴァルツ……そう言いかけて白い女は人影に気付いた。黒い服を身にまとった怪しい男が、銃を向けて黒い男を狙っている。黒い男は気付かない。このままでは、危ない――。

 白い女は、黒い男と銃を持った男との間に割り込む形で飛び出した。刹那、銃弾が黒い男目がけて発射された。白い女は黒い男をかばい、彼と一緒に銃弾に貫かれた。


 「早くしろ! 娘を助けろ!」

 病院に怒鳴り声が響く。

 「ドクターは、ドクターはどこだ! 早く手術をしろ! 金はいくらでも出す!」

 白い女の父親は、気が違ったようにまくし立てる。

 「私が執刀医です」

 そう言う小男に、白い女の父親は更に声を大きくする。

 「貴様、黄色い貴様が何を言う! 分をわきまえろ!」

 「ドクター・コバヤシはこの病院で一番腕の良い医師です」

 病院長が言う。それでも父親は興奮を抑えられない。

 「黄色い猿が手術だと? 笑わせるな! もし、死なせでもしてみろ。貴様の首を晒し首にしてハゲ鷹の餌にしてやるぞ!」

 黄色い執刀医は、脅し文句に少しも動じない。

 「必ず成功させてみせます。難しい手術なので、私一人でやらせていただきます」

 「貴様一人で何ができる!」

 未だ怒鳴り続ける父親に、黄色い執刀医は不敵な笑みを浮かべながら小声で話しかける。

 「先生、随分危ない橋を渡りましたね。お嬢さんは銃で撃たれている。誰の差し金ですかねえ? 来月の選挙に影響しなければいいけど」

 「うぐ……」

 父親はそれきり黙る。

 「お嬢さんは必ず助けます。私の命にかえても。ですから私の言う通りにさせていただく」

 黄色い執刀医はマスクをかけ、手術室に向かった。もう彼を止める者は誰もいなかった。


 手術室には、黄色い執刀医と白い女、黒い男だけがいた。白い女と黒い男は、銃弾が急所の近くを貫いて虫の息だった。黒い男は意識を失っていが、白い女はかろうじて意識を保っている。

 「先生……黄色い国の人?」

 「ああ。そうだ」

 手術のために二人の髪の毛を剃る。白い女の薄い金色の長髪は手術室の床に無機質に散らばる。

 「黄色い国には、光る虫がいるんでしょう?」

 「私は、ヒノエマタという村出身だ。四月に大雪が降った年は、夏にものすごい数のホタルが見られる」

 「素敵……見てみたいわ。ホタル」

 「大手術になる。もう眠りなさい」

 二人に麻酔を注射する。白い女が少しだけ顔を歪める。

 「先生……私たちを、死なせてください」

 執刀医は答えない。

 「どうせ、この世界にいても結ばれないなら、あの世で幸せになります」

 執刀医はやはり答えない。

 「先生……お願いします……死なせ……て……」

 白い女は意識を失っていった。死後の世界へと続いている階段を、降りていく気分で彼女は眠りについた。



 目覚めた時、白い女は生きていた。生き残って、一人だった。一ヶ月で退院できること、黒い男は死んだことを父親に告げられた。包帯で全身ぐるぐる巻きの自分の姿は惨めだった。目を閉じれば彼がいた。白い目と歯がやたらと目立ち、いつも笑っていた。彼がすぐそばにいないことが信じられなかった。彼のいない世界など意味がなかった。包帯が取れて自由になったら、すぐにでも彼の待つ場所に行くつもりだった。


 「ヴァイス! ヴァイス! どこだ!」

 白い女の父親が怒鳴る。

 「畜生! どこに行った? 今日退院だろう!」

 怒声が病院内を埋めるが、その声に答える者はいない。

 わめき散らす父親と取り巻きの間を縫うように、白い男と黒い女が手をつないで病院の廊下を歩く。誰も彼らを呼びとめない。世界に自分達しかいないかの如く彼らは入り口を出て外に向かう。

 「先生」

 帽子で身元を隠し、黄色い主治医はタクシーに乗るところだった。

 「具合はどうだい?」

 「ええ。お陰さまで。とっても良いです」

 黒い女は言う。白い男が微笑する。

 「先生」

 黒い女が問う。

 「何だい?」

 「先生、私たちは何も変わっていないのに、父や他の人は私たちに気付かなかったみたいなんです。先生、何か魔法をかけてくださったんですか?」

 黒い女の顔をしばらく見つめていた黄色い医師は、口の端をやや持ち上げて笑った。

 「ああ。そうだね。君たちは何にも変わっていないね」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  拝見させていただきました。  おぉ……緻密な表現は相変わらず見事ですね。具体的になってしまいますが、中ほどの「心の底からすくい取ったような嗚咽が~」や、終わり際の「目覚めた時、白い女は生…
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