第1話 異世界の少女と入れ替わる。
「お前は誰だ。ベルの偽者」
冷たく低いバリトンボイスにぞわりと鳥肌が立った。
目の前には私を見下ろす焦げ茶色の髪と晴れやかな空の色の目をした男。
その男に私は首元に銀色に光る鋭い剣の切っ先をあてられている。
少しでも左にずらせば”この身体の美しい髪が”切れてしまうだろう。
そんなことは”悲劇の少女”のためにさせたくない。
私はどうやって男を納得させるか脳をフル回転させた。
どうしてこうなっているのかを説明する前に、一ヵ月前のことからお話させてほしい。
私が勤めている会社の新人が連続して退職し、仕事が私に全部回ってきて連日終わらぬ仕事量で深夜残業終電帰宅。
一番早い案件が終わったタイミングで中途採用の人と派遣の人が入ってくれたので、ようやく今日からほんのちょっとだけ早く時間に家に帰ることができるようになった。
「疲れた~~~。今Uバー注文したら家に着くころ届くかな~。」
晩御飯を注文しようとスマホを出すが、安心しきって力が抜けた身体からするりとスマホが手から離た。咄嗟にキャッチしようと手を伸ばした時に体勢を崩し、スマホともども池の中にどぽんと落ちてしまった。
季節は冬。
水中は暗く、肌を突き刺すような冷たさでスマホを探すなんてとんでもない。
命が優先だと水面に這い上がろうとするが水を吸ったコートなどが全身鉛のように重く苦しい。
動きを抑圧する服やカバンを脱ぎ捨てると軽くなり、浮力が増した。
光が見えて手を伸ばすと、突如下からがしりと足を掴まれた感覚に、ごぼりと息を吐きだしてしまった。
慌てて口元を手で押させ掴まれた感触がする足の方を見ると、そこにはウェーブがかかった髪が四方に広がって揺らいでいて、西洋人形のような見た目とドレスを着た少女が私の右足を絶対に放さないと言わんばかりに力強く掴んでいた。
全身を駆ける恐怖に残っていた息をすべて吐き出してしまった。
消えゆく意識の中、水中では声は聞こえにくいはずなのに、はっきりと可愛らしい、それでいて悲哀と絶望に染められたような振動が耳に届いた。
「貴方になりたい」
少女に引きずられてブラックアウトし、その後目が覚めたら真っ暗な空間にいた。
不思議なことに光もないのに自分の身体ははっきりと視認できた。
死んだのだろうかと状況を確認していると、ぼうっと光の玉が足元から現れ、目の高さまで浮いてきた。
それに触れてみると、大量の映像が脳に直接流れてきた。
誰かの記憶、よく観察してみると先ほど足を掴んだ少女に似ている。
いや、見た目も声も同じだ。
大昔の西洋の建物で、同じくその時代のような貴族の服を纏った両親と幸せそうに少女は笑っている。
”マリーベル”
春の庭のいい匂いが立ち込める中、元気に走り回り、日の光にキラキラと輝く金髪の少女を母親がそう呼んでいた。
少女はマリーベルというのか。
温かな光景に目を細めていたが、それはある出来事によって崩れた。
マリーベルが6歳になった時、弟が生まれたのだ。
弟の誕生をマリーベルは両親と共に喜んでいたが、両親は跡継ぎが生まれたことがたいそう嬉しく、マリーベルを後回しにして弟にかかりっきりになったのだ。
マリーベルは優しく賢い子で、弟を愛し、跡継ぎが大事だからと我慢していた。
側仕えがお勉強を頑張られると褒めて頂けますよと言ったので、マリーベルは勉強や淑女教育を頑張った。
テストでいい点が取れたと報告すると「よくやった」と頭を撫でてもらったが、
「お父様、お母様」
「話は後で聞く(わ)」
「お父様、お母様」
「帰ってから聞く(わ)」
「お父様、お母様」
「忙しいんだ後にしなさい」
「後にして頂戴。」
以前はご褒美は何がいい?と優しく聞いてくれていたのに、両親は息子の教育にかかりっきり、異常なほどの保護愛で常に息子を側に置き、ついにマリーベルの話しすら聞かなくなってしまった。
彼女からピシリと何かにヒビが入った音が聞こえた。
これはいわゆるネグレクトだ。
親は不自由のない生活を与えているのだからネグレクトなんかじゃないと言い張る人もいるかもしれないが、子供が求める愛情を与えない時点で私の世界ではネグレクトだ。
大昔では男尊女卑が当たり前なので、おかしいと言えないのがとても胸が痛い。
マリーベルは親の興味を引くために、悪いことをし始めた。
最初にやったことは勉強をサボること。
家庭教師が両親に報告したら、両親は眉をきつくひそめて娘の方を見て叱った。
マリーベルは久しぶりに両親が私を見てくれたと興奮した。
その味を占め、両親に見てもらいたくてサボりを続けたが、次第に親は呆れて叱りもしなくなった。
私たちには跡継ぎの息子がいるんだもの、とマリーベルは両親にとって期待されなくなり、視線も合わせてもらえず、声もかけてもらえない幽霊のような存在になってしまった。
つんざくような大声を出しても物を破壊しても躾室に閉じ込められる。
その不満は弟にぶつける様になった。
「お前なんか生まれなければよかった!お父様とお母様を奪った泥棒!!」
最初は物を隠すなどの悪戯から始まった行為が、過激になり流血沙汰の暴力になり、ついにマリーベルは弟を階段から突き落とした。
両親は息子を守るためマリーベルを田舎の別邸に閉じ込めた。
マリーベルはすべてを恨んだ。
(マリーベルは愛着障害に…)
不憫だった。
今すぐ少女を抱きしめたかった。
しかし手を伸ばしても幽霊かのようにすり抜けて触ることができない。
口の中で鉄の味が広がっていく。
マリーベルの性根が曲がってしまったのは間違いなく親の所為。
子供が間違いを犯しても叱る人間に親がならなかったことも、他の人間いなかったのが不幸だ。
その上跡継ぎの弟だけを手元に置いて連れまわすとなれば、マリーベルはどうでもよい子だと言っているようなものだ。
私は何もできないまま続く映像を眺めた。
ある日メイドたちの会話で弟が魔法の才能があることがわかり、王立学院に入学することを知る。
復讐の絶好のチャンスだとにやりと笑い、弟を陥れるためにマリーベルは再度勉強をした。
元々才能があった魔法をどんどん高めていき、可愛らしい美貌から美しい女性に成長していき、彼女は淑女を演じ伯父に入学を願った。
両親はようやく心を入れ替えたかとほっとし、喜んで娘を王立魔法学園に入学させた。
美貌と才能を持つ彼女を羨望する者が増えていき、取り巻きができるほどだった。
首席で卒業し、王宮魔法使いとして登城し、美貌と知性をフル活用し、男を侍らせ弟が出世できないよう手を回していくのだった。
マリーベルはどれだけ自分が弟より優れているかと両親にアピールしたが、残念ながら無駄だった。
息子は姉より劣るだけで不出来ではない。
このまま結婚させて跡継ぎを作ればいいだけのことだと、親は子に求めていた優秀さをいらないものとしたのだ。
マリーベルは今だ両親に愛される弟を見て、世界が真っ黒になった。
実の両親の最大の裏切りである。
泣きっ面に蜂、初恋の男性が別の女性と結婚することを知ってしまった。
田舎の屋敷に閉じ込められた彼女を不憫に思い、何度も訪ねて優しくしてくれた親戚の侯爵家の騎士。
彼はマリーベルの初恋の男性で、彼女を妹のように可愛がり、両親がいない寂しさを埋めてくれる人だった。
彼に認められたい、相応しい女性になりたいと魔法や貴族マナーを勉強する原動力にもなった。
しかしそれはあっさりと裏切られてしまった。
マリーベルは自暴自棄になり、初恋の男性の婚約者を殺害し、暴走した魔法で母国を混乱の渦に落とした。
やがて捕まり、歴史上最悪の魔女の烙印を押され二十二歳という若さでマリーベルは処刑された。
記憶の濁流は止まり、また暗い静寂の闇に包まれた。
大量の涙が頬を伝い、胸の服に染みをつけていたのをようやく気付く。
あまりにもつらい光景で身体を丸め、黒い地面を見つめた。
地面に涙が落ちるとバキリと大きい音が鳴り、地面が崩れ落ちた。
強烈な浮遊感と共に私の意識はそこで途切れた。
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「お嬢様!」
誰かに呼ばれる声が聞こえて重たい瞼を無理やり開けた。
そこには豪華な装飾が施された天井。
背中からは肌触りがとても良く、柔らかく沈み込んでいる。
声の方を向くと、メイド服を着た女性が心配そうに私を覗き込んでいる。
「ああ、よかった、目が覚めて。池に落ちて熱を出して数日意識が戻らなかったのですよ、マリーベルお嬢様」
今マリーベルと言った?
「まりーべる…?」
「熱で意識が混濁していますね。そうですよ、貴方はマリーベル様。この伯爵家のご息女です。」
医者が部屋に入ってき、診察をしながら私の疑問に返答した。
鏡を持ってきてほしいとメイドに頼み、すぐさま手渡された手鏡を覗き込む。
そこには池の中で私の足を掴んだ―記憶の濁流で見た金髪の美しい少女。
「うそ……」
そこで私は悲劇の少女に成り代わったと理解した。




