いただきます
部屋や家、施設や土地等の、一旦、人が区切った場所に、人が居着かず、出入りもしないと、やがて其の場所が傷む場合があります。
場所が傷むと、場所でなくなります。在った物や通じた道理が失せたり変わったりして、無かった物が現れたり、非道理が横行したりするようになります。
部分が直ぐ傷み切ったり、全体が少しずつ傷んだり、場合によって区々です。
いずれの場合も傷んだら、容易に元に戻りません。
そこで傷みそうな場所に、有志達が人擬きを置いています。
各々の含蓄に応じて、2つと同じ物はありません。熟達した有志のほど精巧で、未熟な有志のは粗雑です。
目的は人が戻るまでの、場所の傷みの防止ですから、巧拙は頓着されません。
それより人擬きを置いた場所へ、何かの拍子に人が来た時、“人が居る”と誤解させない方が重要です。
この点、人擬きは、人擬きを感知した人が、“あれは決して人でない”と直感できるようにしてあります。
概して人の直感が最も鋭く働くのは、危機に対してと分かっています。そこへ作用するようにしてあります。
例えば形態や姿勢、配置や透過度を人ならざる具合にしたり、身動ぎや瞬き他の不随意運動を除去したり、特異なにおいや触感を付与したりです。
上体の側面を太腿の側面にぺったり付けて、通路の半端な位置へ静止し、いつまでも息を吸わない等です。
各有志任意の調整により、“あれは決して人でない”と、危機的な直感を惹起させます。
一方、過度な危機感を抱かせて、せっかく場所へ来た人を撤退させてはいけません。
従って、人に感知された人擬きは、直ちに感知した人へ向き合います。
“気付いたよ”と表情で示したり、声を出したり、近付いたり、招いたりして、人が場所へ定着するよう友好的に働き掛けます。
慈しむ眼差しを固定し、待ち兼ねたように前進して、下から挨拶する等です。
遺憾にも行き違いが生じて、人が撤退してしまったら、根気強く漸近しつつ、関係の再構築に向けて試行錯誤を繰り返します。
大抵の場合、この過程で、場所へ来た人が定着します。連鎖的に他の人が来て、一緒に定着する場合もあります。
定着に至った人達が、撤退する事はまずありません。
但し、人擬きを回収すると、再び撤退したり、更に他の人が来て、連れて行ったりしてしまうので、特別な事情がなければ、基本的に人擬きは置きっ放しが良いとされています。
こうして放置された人擬きが、長い間に劣化して、調整が乱れたり、予期せぬ働き掛けを呈したりする場合があります。
勝手にあちこち行き来したり、定着したりした結果、元々いた人が撤退して、新しく場所が空になったり、人が失われたりして、問題視されています。
それでも、傷みそうな場所への、有志達による人擬きの設置が、禁止も制限もされないのは、やはり此れが抜きん出て洗練された対人的取り組みだからでしょう。
現状、此れより効率的に、群れから少数を分離させ、人の群れに対して非侵襲的に、人を得る方法はありません。
私達が在ってゆく為に、人を得なければいけない以上、得た人は感謝と敬意の志を持って、余さず利用し尽くすべきです。
既に知られている通り、稀に、特殊な技能を揮う人に出会すと、欠落させられたり、消失させられたりします。
この危険を負いながら、そうした人すら得て、自らの含蓄とし、更に優れた人擬きを設置し続ける有志達は、正に志を体現する、最たる存在と言えます。
私達は、有志達に、得た人と等しく、あるいは一層の感謝と敬意の志を持って、有志達が得た人達の配分に与ります。
同じ感謝と敬意の志を、今、皆さんの前に配分されている、この人達も持っていました。
この人達が、こうして、配分される前、志の表明に用いていたのが、冒頭に共有した人語です。
皆さん、揃えて、発してみましょう。
――はい。良いですね。
それでは、じゅうぶん解析して、各自の含蓄としてください。
終.




