第1話 空にきらめけ!ドリームスピカ誕生!(後編)
ウサギを抱えて走り出した私は、その勢いのまま全速力で来た道を戻る。
そして近くの民家の塀に素早く身を隠して息を潜め、見つからないようにこっそりと、ブロック塀の隙間から辺りの様子を伺った。
塀越しに見えるのは、私の後を追い掛けてきたであろう3匹の怪物の姿。
しかし、奴らはその場で立ち尽くしていたかと思うと、辺りをウロウロとし始める。
よかった、私がここにいるとは気付いていないみたい。後はこのままどこかへ行ってくれれば……。
暫くそのまま隠れていると、奴らは私がもっと遠くへ逃げたと思ったのか、それぞれ別々の方向へと走り去っていった。
それを確認すると同時に、張り詰めた空気が少し和らぐ。
安心したらどっと疲れが襲ってきた。
実際に走っていた時間は10分もないはずなのに、1時間くらい逃げていたような錯覚さえ覚える。
しかし、これからどうしようか。
奴らがうろついている以上は下手に動き回れないけれど、このままここにいても危険だ。
出来ることなら家に戻りたい。けれど、もしまたあの怪物に鉢合わせてしまったら、今度はどうやって切り抜ければいいのだろう。
そんなことをグルグルと考えていると。
「あの」
どこからか声が聞こえた。
はっとして周囲を見回してみるけれど、近くには人っ子1人どころか、鳥も猫も見当たらない。
いや、正確に言えばいないこともないんだけど……。まさか、ね……?
恐る恐る、自分の腕の中に視線を落とす。
すると、くりくりとした桃色の瞳と目が合った。
「……あなたはだあれ?」
ウサギの口がパクパクと動く。
そしてそこから発せられたのは、鈴を転がしたような可愛らしい女の子の声で。
……。
………。
……え?
「ウ、ウサギが喋った!?」
私が声を上げると、ウサギは手を口元に当てた。
「しーっ。あいつらに見つかっちゃうよ」
あっ、ご、ごめん……。
動揺のあまり暫くウサギの目をぽかんと見つめていると、彼女は私の腕から抜け出して地面に降り立つ。
「ごめん。びっくりさせちゃったね」
彼女の声は、先程聞こえてきた叫び声に非常によく似ているものだった。どうやら、声を上げたのはこの子だったらしい。
彼女は私の顔を見上げて首を傾げる。
「それで、あなたはだあれ?」
「私?私は早乙女あかり!あなたは?」
笑顔で挨拶をすると、彼女は少し微笑んで、
「キララだよ。よろしくね」
と名乗った。
しかし次の瞬間、桃色の身体がふらりと傾く。
慌てて手を添えて支えると、彼女は一瞬驚いたような顔をして目をぱちくりとさせた。
「大丈夫?」
「……う、うん。大丈夫」
本人はそう言って笑っているけれど、その笑みは明らかに引きつっているし、心做しか声にも元気がない。
おそらく、ずっと長いこと逃げ続けていたのだろう。
「無理しちゃ駄目だよ、ちゃんと休まないと……って、休めるような場所もないか」
どうしよう。私の手とか、肩くらいなら貸せるけど……。うーん……。
私がそうして唸っていると、彼女は不思議そうに目をぱちくりとさせた。
「どうしてそこまで優しくしてくれるの?」
「え?」
「だって、私とあかりは初対面でしょ?助ける理由も何も無いはずなのに、迷わずあいつらから助けてくれて、今だって気を使ってくれてるよね。どうして?」
その問いに、一瞬言葉を詰まらせる。
どうしてと言われても、理屈で動いている訳ではないから自分でも上手く説明出来ない。まあ、強いて言うなら……。
「放っておけなかったから。それじゃ駄目かな?」
私の答えを聞いたキララはもう一度目をぱちくりさせた後、花のように微笑んだ。
「ありがとう。あかりは優しいんだね」
「いやいや、私は当たり前のことをしてるだけだよ」
そう言って笑うと、彼女は首を横に振る。
「そんなことないよ、すごく格好よかった。それに、アクムーダに普通の人間が立ち向かうなんて中々出来ることじゃないよ」
「そ、そうかな?何だか照れるなぁ……」
私としては、いてもたってもいられなくなり、気付いたら身体が動いていただけで、そんなに大層なことをしたつもりはない。それでもお礼を言われて悪い気はしないし、むしろちょっと嬉しい。
……って、ん?
「ちょっと待って。アクムーダって何?」
危ない危ない。あまりにも自然な流れだったものだから、サラッと聞き流してしまうところだった。
聞き慣れない単語だけれど、話の流れ的にあの怪物達のことを言っているんだと思う。
「もしかして、あいつらについて何か知ってるの?」
もしそうなら教えてほしい。奴らが何者なのか、なぜ襲ってくるのか、そしてもしあるのなら……奴らへの対抗策も。
そう言うと、キララは快く頷いて話し始めてくれた。
「あいつらはアクムーダって言って、世界中を悪夢に染めようと企む邪悪な存在、キングアクムーダの手先なの」
キングアクムーダ?何それ?
「えっと……分かりやすく言うと、皆に悪夢を見せて起きられなくしちゃおうとしてる悪い奴、って感じかな」
悪夢を見せる……って、そんなことが出来るの?
「あいつらには出来ちゃうんだよ。ほら、周りに誰もいないでしょ?それは、キングアクムーダの部下が人々に悪夢を見せてるからなんだよ」
キララは辺りを見渡しながらそう答える。
なるほど。やけに人がいなかったのにはそんな理由があったんだ。
ん?ということはつまり、現在進行形でそいつらが悪いことをしてるってこと?それってかなりまずいんじゃ……?
「うん。奴らをあのままにしていたら、悪夢を見る人がどんどん増えて、世界が大変なことになっちゃう。何とかしないと……」
そう話す彼女の表情は深刻で、元々垂れ下がっている耳も、心做しか更に力が抜けてぺたりとしているように見えた。
……そっか。キララはこんなに小さな身体で、フラフラになりながらも世界の危機に立ち向かっているんだ。
「それで、街の人達を助けるにはどうしたらいいの?」
そう聞くと、キララの表情が一層真剣なものへと変わる。
「皆を起こす方法は1つだけ。悪夢を払う力を持った存在『ドリミーナ』を見つけること」
「ドリミーナ……?」
何だか今日は知らない単語ばかりが出てくる。
「ドリミーナは、私達夢の妖精の間で伝わる戦士のこと。悪夢の力が強くなりすぎて、私達の手にも負えなくなった時のための切り札……って感じかな」
疑問符を浮かべる私を見て、キララはそう付け加えた。
ふむふむ。よく分からないけれど、何となくすごそうな感じはする。
それで、そのドリミーナっていうのはどこにいるの?
そう聞くと、キララは困ったような顔を浮かべて口を開く。
「ドリミーナは、夢の妖精とパートナーになった人間がなれるって言われてる。だからキングアクムーダは手下に命じて、私のことを捕まえようとしているの。私達夢の妖精を排除することが出来れば、あいつらの野望を止められるのは誰もいなくなるから」
なるほど。キララがアクムーダとかいう怪物に襲われていたのはそういう訳だったのか。
「うん。だけど1番の問題は、夢の妖精とパートナーになれる人間は誰でもいいって訳じゃないこと」
ということは、何か条件があるの?
「そういうことなんだと思う。だけど、その条件は私も知らないの。言い伝えでは『妖精とパートナーの心が1つになった時にドリミーナは目覚める』って言われているけれど……」
キララはそこまで言うと俯いてしまった。
ええと……一連の話をまとめると、あの怪物達はアクムーダといって、人々を苦しめようと企む悪い人達の手下。そして奴らをやっつけるにはドリミーナという存在を探さなくてはならない、ということらしい。
むむ、分かったような、分からないような……。
しかし困った。私達だけであいつらをどうにかするのは難しいし、ドリミーナとやらを探すにしても手掛かりがない。
けれど、ここであれこれ考えているだけでも何も解決はしないし、何より彼女の話を聞いたら余計に放っておけなくなってしまった。
……よし、決めた。
「ドリミーナ?っていうのを探すの、私も手伝うよ!」
「え?……いいの?」
私の言葉に、キララは顔を上げて目を見開く。
「もちろん!私に任せて!」
笑顔でそう答えてみせると、暗かった彼女の表情がぱあっと明るくなった。
「ありがとう、あかり!」
「えへへっ。どういたしまして」
嬉しそうなキララを見ているとこちらも暖かい気持ちになって、先程まで怪物に追い掛けられていたことすらも忘れてしまいそうになる。
……やっぱり、誰かと一緒っていいな。1人では心が折れてしまいそうな時でも、側にいてくれる相手がいるだけで頑張れる気がしてくる。
この子の為にも、ドリミーナを何とかして探し出さないと。
「よし、頑張ろう!」
そう気合を入れて立ち上がったその時。
「あかり、危ないっ!」
キララがそう叫んだ次の瞬間、突然地面から黒い蔦のようなものが何十本も飛び出してきた。
「わあっ!?」
それらは意思を持っているかのようにうごめき、複雑に絡み合いながら伸びていく。
……何が何やらよく分からないけれど、何だか嫌な予感がする。とりあえず、早くここから離れた方がよさそうだ。
「キララ、こっち!」
彼女を抱えて走り出そうとした途端、何かに思い切り引っ張られる。
「なっ、何!?」
見ると、蔦のうちの何本かが私の胴体に巻き付いて身動きを封じていた。
解こうにも蔦同士が複雑に絡み合っていて、どこから手を付ければ解くことが出来るのか分からないし、力任せに引っ張ってみても千切れるような様子もない。
そうこうしている間に、蔦はどんどん伸びて籠のような形を作っていき、私達はあっという間に閉じ込められてしまった。
「この蔦……まさか……」
キララが呟くと同時に、くすくす、という笑い声が辺りに響く。
「そう、そのまさかだよ」
その声と共に、蔦を挟んだ目の前に1人の男の子がぱっと現れた。
ボロボロになった袖の長いグレーのパーカーを着ていて、髪はくすんだ金色。その毛先は所々はねていて、長い前髪から暗い紫色の瞳が覗いている。
その姿を見るに、年齢は小学校の高学年くらいだろうか。
キララは彼の姿を見るなり、途端に険しい顔をして口を開く。
「チェイス……!」
「チェイス?」
キララの知り合いなのだろうか。けれど彼女の様子を見るに、仲が良いという訳ではなさそうだ。
「チェイスは、キングアクムーダの手下の1人。アクムーダ達を操って、町の人々に悪夢を見せていた張本人だよ」
「えっ!?」
ばっと男の子の顔を見て目を擦る。
どこか陰はあるけれど、その姿は何度見ても普通の人間の男の子だ。
それなのに、あの怪物達を操って悪さをしている悪い奴だなんて……とてもじゃないけれど信じられない。
けれど、キララが嘘を言っているとも思えないし、そもそも、何も無い空間から突然現れることが出来る時点でどう考えても普通の存在ではないだろう。
「その通り。ボクがキングアクムーダ様の手下の1人のチェイスだよ」
一方、チェイスと呼ばれた男の子は何やら嬉しそうに目を細め、服の袖を口元に当てながらニヤニヤと笑う。
「面白かったよ、君達の逃げる姿。特にそこの君が道に転がってる缶に躓いて転んでた時なんかは……くすくす、思い出すと間抜け過ぎてまた笑えちゃうくらい」
ぐっ、嫌な所を突いてくるな。そういうのはあまり蒸し返さないでほしいんだけど。
……えっ、というか、見てたの?
「でも、追いかけっこはもうおしまい。これ以上遊んでるとキングアクムーダ様に怒られちゃうし、その妖精をさっさと捕まえて帰らなきゃいけないんだよね」
彼はそこまで言って、右手をこちらに伸ばしてくる。
「という訳で。それ、渡してくれない?」
ニコニコと優しげな笑みを浮かべながらも、その言葉からはこちらの有無を言わさぬような威圧感を感じる。
……けれど、そんなものに負けてはいられない。
「(気持ちを強く持つんだ。大丈夫、大丈夫、大丈夫……)」
心の中で3回唱えて、腕の中の、未だ険しい顔を浮かべるキララの頭をそっと撫でる。
「大丈夫だよ。絶対守ってみせるから」
「あかり……」
そう言って彼女を隠すように抱き締めた後、もう一度チェイスの方へと目を向ける。
「それは出来ない」
私の答えに、彼は一瞬眉をぴくりと動かせる。
しかし、すぐにわざとらしい笑みを貼り付けて両手を広げた。
「じゃあこうしようか。それを渡してくれたら君のことは見逃してあげるよ」
……本気で言っているのだろうか。交渉をしているつもりなのかもしれないけれど、そんなことを言われて私が大人しく引き下がると思ったら大間違いだ。
街に怪物を溢れさせて、皆に悪夢を見せるような相手に捕まってしまったら、一体何をされるか分かったものじゃない。少なくとも碌な目に合わないのは確かだろう。
そんな奴にキララを差し出して自分だけ助かったとしても、少しも嬉しくなんかない。
数秒の間睨み合った後、チェイスは私に引くつもりが無いことを悟ったのか肩を落として大きなため息をつく。
「……面倒くさいなぁ。なら、これならどう?」
そう呟いてパチンと指を鳴らすと、蔦の締め付けが一層強くなった。
「ぐぁ……!?」
痛みのあまり、思わずうめき声が溢れてしまう。
く、苦しい……。だけど、これくらいでへこたれる訳にはいかない!
「あかりっ!」
「あーあ。君が素直に言うことを聞いてくれないから悪いんだよ?大人しく渡してくれたらそんな目にも遭わなくて済んだのに。恨むなら僕じゃなくて、自分の愚かさを恨んでよね」
「言いたいことはそれだけ?」
「……は?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべていたチェイスが、私の言葉を聞いて怪訝そうな顔へと変わる。
それに構わず私は続けた。
「あなたに何を言われたって、何をされたって、私は私のやったことを愚かだとは思わないし、後悔だってしない。間違ったことなんか何もしていないって胸を張って言えるよ」
そうだ、私は何も間違っていない。
自分1人が確実に助かるよりも、2人で一緒に助かる可能性に賭ける方がずっといい。
「……まさか君、まだ諦めてないの?僕に掛かれば君なんて簡単にやっつけられちゃうんだよ?実際、さっきまではアクムーダ達を相手に逃げ回ってばかりだったじゃない」
確かに彼の言う通り、先程までは逃げることしか出来なかった。
けれどそれは、私が1人ぼっちだったからだ。
今は違う。放っておけない、力になりたいと思える相手が……キララがいる。
「守るべき誰かが、一緒にいてくれる誰かがいるなら、怖くたって立ち向かえる。
そう簡単に諦めたりなんかしない!」
そう叫んだ次の瞬間、辺りが眩い光で包まれた。




