Drop.017『 Shake〈Ⅰ〉』【2】
「――はい」
それに、法雨もひとつ瞬き微笑むと、言った。
「それじゃあ、行ってらっしゃい。桔流君」
そんな法雨に、桔流はしっかりと頷き、応じた。
「はい。――行ってきます」
その後。
すでに緊張し始めている己の心を宥めながら、更衣室での着替えを終えた桔流は、ふとスマートフォンに目を向ける。
そして、軽く深呼吸をすると、退勤をした旨を伝えるメッセージを打ち込み、送信した。
すると、返信はすぐに返ってきた。
[今、電話して大丈夫かな]
桔流はそれに、
[大丈夫です]
と、返信しつつ、店の裏口の扉を開いた。
そこでひとつ空を見上げれば、しばし曇った夜空が、桔流を穏やかに見返す。
しんしんと冷え込んだ夜の風は、今宵も、雪をも予感させるほどに冬らしいものとなっていた。
「さっむ……」
そんな夜風に桔流が言うと、コートのポケットの中でスマートフォンが震えた。
スマートフォンを見れば、そこには着信画面が表示されている。
桔流は、その表示を見ながらひとつ深呼吸をすると、通話ボタンを押した。
「――はい」
『桔流君。お疲れ様。――電話で大丈夫だったかな』
スマートフォンに繋がれたイヤフォンを伝い、久方ぶりに聴くその声に、桔流は、己の心が酷く満たされるのを感じた。
(重症だな――)
桔流は、それに苦笑すると、花厳に言った。
「お疲れ様です。はい。大丈夫です。――もう、店も出たところなので」
花厳は、安堵したような声で言う。
『そうか。良かった。――じゃあ、近くまで車で向かうから、少し待てるかい?』
桔流は、街中を進みながら頷く。
「はい。大丈夫です」
運転中なのか、イヤフォン越しにカチカチと微かなウィンカー音を響かせながら、花厳は言う。
『分かった。――じゃあ、着いたらまた連絡するよ。――あ。すぐに着くけど、外は冷えるから、暖かい所に居てね』
桔流は、どのような経緯を経ても、決してその優しさを欠く事のない花厳に微笑み、頷いた。
「――はい……」
桔流は、その後。
通話が終了した事を示す画面表示を、しばし眺めてから、顔を上げた。
(花厳さんが来るまで、どこに居ようかな。――暖かい所って言われたけど……、今は、風にあたってたいかも。――と、なると……)
そして、桔流は、ふと思い立つと、近場の公園に向かう事にした。
そんな桔流は、昨夜。
久方ぶりに、花厳へのメッセージを打っていた。
花厳の話を最後まで聞かず、酷い言葉を乱暴に吐き散らし、礼儀もなく家を出て行った事――。
花厳からのメッセージに、永らく返信をしなかった事――。
昨夜綴ったメッセージでは、まず、それらの無礼を謝罪した。
そして、その上で、
[もし、花厳さんさえ良ければ
会って話がしたいです]
と、添え、メッセージを締めくくった。
目的地の公園までやってきた桔流は、ベンチの背もたれに腰掛けると、そのメッセージを見返した。
(――ちゃんと話そう……)
桔流は、ひとつ深呼吸をする。
過去、何かと迷いがちであった花厳に偉そうな事を言っておきながら、同じ立場になった途端。
自分は、身動きすらとれなくなった。
だが、法雨も言っていた通り、何もせずに居れば、本当にこのまま――、花厳の事を何も分からないまま――、すべてが終わってしまう。




