Drop.013『 WhiteCuracao〈Ⅱ〉』【4】
だが、今回、彼を泣かせ悲しませたのは、紛れもない自分だ。
だから、離せと言われた彼の腕から、手を離した。
彼を傷つけた自分に、彼に触れる資格はない。
彼を傷つけた自分に、彼の時間を奪う資格も、ましてや、彼の心を奪う資格も――、ありはしないのだ。
「………………」
彼が作った、色とりどりの料理が盛り付けられていた食器たち。
彼が奮発までして用意してくれた、早摘みのワイン。
そんな彼が、楽しげに笑いながら口をつけていたワイングラス。
わざわざ早くから家に来て、彼が料理を作ってくれていたキッチン。
彼が座っていた椅子。
彼が背を向けて泣いていた廊下。
彼が居なくなり、音を失った室内。
そのすべてが、酷く悲しげで、酷く寂しげで、酷く虚しい。
そんな酷く切ない空間で独り佇む花厳は、黙したまま、その金色の瞳で、桔流を呑みこんでいった扉を、ただ、眺めた。
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桔流は、早々に花厳のマンションから出ると、顔を隠すようにして手早くマフラーを纏う。
次いで、フードを深々と被ると、夜道を足早に進んだ。
幾年ぶりかに溢れてきた涙の止め方など、桔流は覚えていない。
そんな、厄介なほどに決壊した涙腺への対処法を必死に模索しながら、桔流は、なるべく人気の少ない道を選び、歩みを進めた。
そして、しばし腰を落ち着けられる場所を求め、
(――この時間だし。この公園なら……)
と、桔流が、慣れ親しんだ公園に足を踏み入れようとした瞬間。
その公園の入口まで聞こえるほどの大きな声で泣き喚く女の声が聞こえた。
その女の声の合間には、微かにだが、それを宥めるような男の声も聞こえる。
桔流は、それに思わず舌打ちをする。
(――タイミング悪ぃんだよ……クソ……)
そして、心で悪態をつきながら即座に引き返すと、それからはとにかく顔を伏せて歩いた。
しかし、時刻は深夜。
(あんまり顔隠して歩いてたら、警察に職質されっかな……)
今の状態で夜道を歩き回るのは、目元を腫らす桔流にとって、得策ではない。
そんな桔流は、落ち着ける場所を求め、足早に夜道を歩き回る中、未だ落ち着かぬ涙腺を窘めると、
(赤の他人に、こんな情けねぇ顔見られるなんて御免だし……)
とひとつ思うなり、意を決し、とある場所へと向かう事にした。
そして、どうにか目的地に到着すると、その足でその建物の裏手へと回った。
次いで、その裏手のとある場所で、扉にもたれるようにすると、桔流はその場で、ずるずるとしゃがみ込んだ。
そうしてしゃがみ込むと、桔流はマフラーを目元に押し付ける。
しかし、どれだけ強く柔らかなマフラーを押し付けても、決壊しきった涙腺は、ほろほろとするのをやめる事はなかった。
「――さいあく……」
それからしばらく奮闘したが、柔らかな布地が湿ってゆくだけで、涙腺の反抗期は留まるところを知らない。
そんな反抗期に根負けし、ついにマフラーを手放すと、桔流は溜め息をついた。
「はあ……」
しかし、そんな溜め息も、上手くつく事ができなかった。




