Drop.010『 Stir〈Ⅲ〉』【1】
小さく笑い、ふと見上げてきた桔流に、花厳は首を傾げる。
「ん?」
すっかりと力が抜けている桔流は、ゆるりと微笑み、ゆるりと紡ぐ。
「かざりさん……それ……なんか……、――ヤらしい、いみ……はいってますか?」
ベッドの件に関しては、嘘偽りなく、純粋な気遣いからの言葉だった。
しかし、その手前で、桔流に対し邪な想像をしていた事も、また事実だった。
それゆえ、花厳は、思わず言葉に窮した。
― Drop.010『 Stir〈Ⅲ〉』―
そんな花厳だったが、すぐに自身を落ち着けると、あくまでも平静を装い、苦笑して言った。
「まさか……」
すると、桔流は、
「ふぅん……。――なぁんだ……」
と呟くと、正面に向き直り、目を伏せた。
花厳は、そんな桔流の言葉に微かに動揺する。
そして、黙したまま、桔流の横顔を見つめた。
「………………」
先ほどの桔流の言葉は、いつもの“からかい”だと思った。
しかし、からかいにしては、その後の落胆したような声色と、含みのある言葉が妙に気になる。
花厳は、己の心に妙な圧迫を感じ、静かに息を吐く。
そして、それに圧されるまま、花厳は尋ねる。
「――………………残念そう、だね」
そんな花厳の声に、くたりとソファにもたれたままの桔流は、ゆっくりと瞬きをする。
「――………………」
花厳は、黙したままの桔流に静かに続ける。
「――“そういう意味”だった方が、良かった?」
すると、桔流は、相変わらず正面を向いたまま、またひとつ瞬きをすると、先ほどより少ししっかりした口調で言った。
「――……どうでしょう……。――自分でもよく、分からないですけど……。――ただ」
「――……“ただ”?」
花厳は、ゆっくりと繰る。
桔流は紡ぐ。
「――……どっちでも……いいかなって、思いました……」
そんな桔流の言葉に、つい欲心を煽られた花厳は、本能に駆られそうになる自身を制し、伺う。
「桔流君。それ……。この状況で言われると、誘い文句みたいにも聞こえるけど……」
すると、桔流は、ひとつ息を吐いて言う。
「――……そうですね。――……でも、それも……どう受け取ってくれても……いいです……」
もし、今、目の前にいる相手が桔流でなければ、花厳は迷いながらも、その者の肌に――、その首筋に――、手を伸ばしていただろう。
だが、今、花厳の目の前に居るのは、桔流なのである。
よって、花厳は、桔流との間にあるこの一線を、情欲に駆られた勢いで越えるわけにはいかなかった。
桔流に恋をしていた花厳の心は、すでにその恋を愛に転じさせていた。
だからこそ、花厳の心は、一時の欲心に運命の選択権を委ねる事を赦さなかった。
(急ぐ必要はない。――今、欲に負けてこの一線を越えてしまったら、きっと、桔流君はまた、誤った方向に進んでしまう。――だから、今の彼と、身体の関係を先に持つわけにはいかないんだ……)
花厳は、アルコールと本能が理性を屈服させようとする圧を払いのけ、ひとつ微笑んだ。
「そっか。――でも、ベッドの事は本当に、変な意図があって言ったわけじゃないんだよ。――だから、安心して休んでくれて大丈夫。――仕事終わりだし、君も疲れてるでしょう」
桔流は、そんな花厳の言葉を黙したまま聞く。




