Drop.005『 Shaker〈Ⅲ〉』【5】
「ほら、帰ろうぜ」
あの様子では、例え気付く事が出来る距離であっても、花厳が見ている事など、彼は気付きもしないだろう。
案の定、酔い潰れた連れの青年に肩を貸しながら、呼びつけてあったらしいタクシーに乗り込んでいくまでの間に、酷く楽しげにする彼が花厳に気付く事はなかった。
そして、そんな彼らを乗せたタクシーは、夜の街でひとつエンジンをふかすと、ゆっくりと発進した。
花厳は、そのまま遠ざかってゆくタクシーをぼうっと眺め見送る。
花厳は、その中。
昨日、自分に向けられていた彼の笑顔を思い出していた。
(あぁ……)
思い出した彼の笑顔は、それから脳裏に張り付いて離れなくなった。
(あぁ。そうか……)
花厳は気付いた。
(また、一歩遅かったな。俺は……)
そして、苦笑する。
(桔流君にはもう、恋人が居たんだな……)
次いで、力なく笑い、小さく言った。
「今更気付いても遅いんだよ」
そんな花厳の声は風に攫われ、賑やかな繁華街に呑まれていった。
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「おやおや。御影。――また潰れちゃったのかい?」
地域でも名の知れた稲荷神社――〈白幸稲荷神社〉に面した大きな平屋の玄関で、己の同居人とその友人を出迎えた白髪の男――月泉樹神は苦笑した。
純白の毛並が美しいホッキョクギツネ族の獣亜人である樹神は、その稲荷神社の若い神主であった。
「う~……」
そして、同居人の友人――桔流に肩を借り、何とか住まいに辿り着き、玄関で呻いているのは、この稲荷神社で神主の手伝いをしているカラカル族の青年――凪御影である。
そんな御影に、桔流は呆れた様子で言った。
「――ったく。ちょっと目ぇ離すとすぐコレだ」
愛おしげに御影を見やりつつ、樹神は穏やかに言った。
「ふふ。いつもすまないねぇ。桔流君。――御影を担いで疲れただろう。君も少し休んでいったらどうだい?」
すると、桔流は歯を見せにかりと笑うと、言った。
「ありがとうございます。樹神さん。――でも、俺、明日また仕事なんで。――ささっと帰って寝ちゃおうと思います」
そんな桔流に、
「おや。そうかい? ――じゃあ、手荷物が大丈夫なら」
と、穏やかに言った樹神は、手渡すために用意していたらしい瓊本酒を桔流に差し出した。
桔流は、それを見るなり大いに喜んだ。
「えっ! いいんですか! ――これ、珍しいやつ」
「もちろん。――丁度二本頂いてね。いつもの御礼に受け取っておくれ」
「わぁ~、めっちゃ嬉しいです! ありがとうございます!」
そして、満面の笑みを浮かべ、心から喜んでくれているらしい桔流に微笑むと、樹神は言った。
「それじゃあ、下まで見送ろう」
すると、桔流は樹神を制し、すくと立ち上がった。
「あ、大丈夫です! タクシーに下で待ってもらってるんで! ――ってのと、俺より御影、なんとかしてやってください」
またひとつ、少年のように笑んだ桔流に、樹神は苦笑しながら礼を言う。
「ふふ。すまないね。ありがとう。――帰り道、気を付けてね」
「はいっ!」
そして、酔っているせいか、いつもより子供っぽい笑顔と共に一礼をした桔流は、玄関の扉を丁寧に閉めると、頂戴した瓊本酒を大事に抱えながら、ぴょんぴょんと神社の階段を下った。




