ブタちゃんビューティーサロン・ピグマリオンへようこそ! お客様、そこは(物理的に)滑りますのでご注意ください
コナミ「PROJECT ZIRCON」の二次創作です。
©Konami Digital Entertainment
GLORYが誇る、巨大な複合施設『サンクチュアリ』。
その一角には、重厚な石造りの建物があった。
看板には優雅な筆記体で『ブタちゃんビューティーサロン・ピグマリオン』と記されている。
だが、道行く人々はその前を通るたびに背筋を凍らせ、早歩きで去っていく。
なぜなら、ガラス張りの陳列窓越しに見える光景が、あまりにも「裏社会の粛清」を連想させるからだ。
店内にどっかりと座っているのは、身長二メートルを超える巨漢、コーネリアス・V・ピグナイトである。
GLORYでも一番の仕立て屋『針の技巧者』が手がけた、チャコールグレーのスーツ。
それは、コーネリアスの筋肉の鎧を包み込むのに悲鳴を上げているようでいて、一分の隙もない。
オールバックに撫で付けられた髪。
カミソリのように鋭い眼光。
コーネリアスが手にしているのは、身の丈ほどもある黄金の巨大ブラシ――ジルコンギア『ゴールデン・ブリストル』だ。
コーネリアスは、その凶器のようなブラシを振りかざした。
そして、目の前の「貴婦人」に振り下ろした。
シュッ。
空気すら切り裂く鋭い音と共にブラシが走る。
だが、そこには血飛沫ではなく、神々しいほどの光沢が生まれた。
コーネリアスの目の前にいるのは、体重三百キログラムを誇る美しき雌豚、エリザベスである。
エリザベスの肌は、コーネリアスのジルコン力『摩擦係数ゼロ』によって、物理法則を無視したツルツルの輝きを放っていた。
ハエが止まろうとすれば、着地した瞬間に摩擦ゼロの表面でスリップする。
そして、音速で壁に激突するだろう。
「……素晴らしい。エリザベス、今日の君の肌は、サンクチュアリのドーム天井をも超える輝きだ」
コーネリアスは満足げに頷いた。
そして、絹のハンカチで額の汗を拭った。
コーネリアスは「最高の磨き手」として、この国で最も豚を愛し、豚に愛された男である。
コーネリアスにとって、このサロンは城であり、聖域だ。
しかし、この平穏な朝には一つだけ、コーネリアスの完璧な眉間に皺を寄せる心配事が存在した。
カウンターに置かれたその紙は、サンクチュアリ管理委員会からの『営業停止通知』である。
理由はこうだ。
『貴店の周辺床面において摩擦係数が著しく低下しており、通行人が意図せずムーンウォーク状態でスライド移動してしまう事故が多発しているため』
実に嘆かわしいことだ。
GLORYの民は知性を誇るという。
それなのに、足元の滑らかささえ制御できないとは。
「やれやれ。揉め事を恐れるあまり、真の平和を拒絶するとはな。これではコーネリアスの悲願である『サンクチュアリ・ブタちゃん万博』の開催など、夢のまた夢だ」
コーネリアスは、ジルコン装備『ゴールデン・ブリストル』を背負った。
コーネリアスの目的はただ一つ。
この堅苦しいサンクチュアリを、豚への愛とローションで満たすこと。
そして、全ての市民を「ブタちゃん教」の信徒に変えることだ。
そのためには、まずこの理不尽な呼び出しを取り消させなくてはならない。
その上で、逆に公式イベントとしての許可を勝ち取る必要がある。
コーネリアスはエリザベスの鼻先に、最高級トリュフを一粒置いた。
摩擦がないため、トリュフは鼻の上でコマのように回転した。
「行くぞ、エリザベス。議長ウィリアム・グローリーのお膝元で、本当の『栄光』とは何かを教えてやるのだ」
コーネリアスはサロンの自動ドアを抜けた。
センサーが反応する前に、気配を滑らせて開けたのだ。
そして、サンクチュアリの大通りへと出た。
行き交う研究者や役人たちが、ヌルヌルと輝く巨大な豚と、殺し屋のような大男を見る。
彼らはさっと道を開けた。
コーネリアスはエリザベスの手綱を小指一本で優雅に操る。
そして、サンクチュアリの中心である中央タワーのエレベーターホールへと滑り込んだ。
コーネリアスの歩き方は、周りからは直立不動のまま地面を浮いているようにしか見えない。
滑りやすさゼロの靴底が、サンクチュアリの硬い床と完全に調和しているからだ。
あるいは、拒絶を果たしているからかもしれない。
「止まりたまえ! これより先は議会関係者以外立ち入り禁止だ!」
立ちはだかったのは、頭の固そうな警備員たちだ。
警備員たちの制服には少しのシワもない。
GLORYの厳しい決まりを体現しているようだ。
だが、コーネリアスはサングラスの奥で冷ややかに微笑んだ。
「関係者? 定義が曖昧だな。コーネリアスは『美を行う者』であり、議長は『美を理解する者(であるべき存在)』だ。ゆえに、我々は魂のレベルで関係している」
コーネリアスは止まらない。
警備員が止めようと手を伸ばす。
だが、コーネリアスはその手が触れる寸前に、自身の表面の摩擦を消滅させた。
ツルッ。
警備員の手はコーネリアスのスーツの上を虚しく滑る。
その勢いのまま警備員自身が回転して、エレベーターの呼び出しボタンを綺麗に押してしまった。
「感謝する。君の手際は実に円滑だ」
ポーン。
タイミングよく開いた扉に、コーネリアスとエリザベスは吸い込まれた。
呆然とする警備員たちを残し、エレベーターは最上階へと上昇を開始する。
サンクチュアリの最上階、議長執務室。
そこは、GLORYの頭脳が集う場所であり、理性と論理の聖域だ。
音も爆発も防ぐ重厚な扉の前で、コーネリアスは身だしなみを整えた。
エリザベスの背中に細かい塵がないか確認し、一吹きして輝きを増させる。
「よし。エリザベス、君の愛くるしさ(と質量)で、議長の理性を粉砕するのだ」
コーネリアスはノックもせずに扉を開けた――わけではない。
ノックしようとした拳が滑ってドアノブに当たり、その衝撃で鍵が偶然外れたのだ。
さらにドアが滑らかにスライドした。
あくまで事故である。
「失礼する。この上ない提案を持ってきた」
広い執務室の奥には、大量の書類と立体映像の画面に囲まれた机があった。
そこに、一人の青年が座っていた。
その青年こそがウィリアム・グローリー。
腐敗した王政を倒し、共和制国家を打ち立てた若き議長である。
ウィリアムは眉をひそめ、不法侵入者へと視線を向けた。
「……君は、サロン『ピグマリオン』の店主だな。管理委員会から報告は受けている。滑りやすさの数値を書き換えたことによる公衆衛生法違反、および物理法則への冒涜の疑いで」
ウィリアムの声は冷静で、理知的だった。
だが、コーネリアスは見逃さなかった。
ウィリアムの視線が、コーネリアスを見ていないことを。
その足元、ツヤツヤに輝くピンクの巨体、エリザベスに釘付けになっていることを。
「ブゥ〜♪」
エリザベスが愛想よく鳴き、つぶらな瞳でウィリアムを見つめた。
ウィリアムの眉がピクリと動く。
ウィリアムが持つペンを持つ手が、かすかに震えた。
(……か、可愛い。なんだあの光沢は。まるでマシュマロとダイヤモンドの合成物……!)
ウィリアムの心の声が聞こえるようだ。
だが、立場あるウィリアムはコホンと咳払いをして、厳しい表情を崩さない。
「……して、何の用だ。ウィリアムは多忙だ。君のペットの自慢話なら、動物愛護局へ行ってくれたまえ」
コーネリアスは、ゆっくりと机の前まで進み出た。
床を滑って。
「訂正していただこう、議長。これはペットではない。『平和の理想』だ」
「理想だと?」
「その通り。GLORYの理念は『栄光』と『知性』。しかし、角張った議論ばかりで、国民の心は荒んでいないかね? 見てくれたまえ、このエリザベスの曲線を。ここには一切の『角』がない。そしてコーネリアスの施術により、一切の『摩擦』もない」
コーネリアスは、懐から最高級オイルを取り出した。
そして、エリザベスの背中に垂らす。
キラキラリーン!
窓から差し込む日光が反射し、執務室全体が虹色の光に包まれた。
「おお……」
ウィリアムが思わず声を漏らす。
「こ、これは……物理的な表面張力と光の屈折率が、計算され尽くしている……! 欠点のない『球体』への接近だ……」
食いついた。
コーネリアスは畳み掛ける。
「議長。コーネリアスが求めているのは、営業停止の撤回ではない。この『平和の球体』をサンクチュアリの象徴として認め、万博を開催することだ。国民は皆、このスベスベ感に触れることで、心の中の不和を解消するだろう。これぞ、論理的に導き出される『最大多数の最大幸福』ではないかな?」
ウィリアムは葛藤していた。
議長としての威厳と、個人的な好みが、ウィリアムの脳内で激しい議論を戦わせている。
こんなふざけた男を追い返すべきだ、という威厳。
今すぐあのツルツルの背中を撫で回したい、という願望。
「……君の主張には、一定の論理性がある……かもしれない。だが、証拠が不足している」
ウィリアムは立ち上がり、机を回って二人の前に立った。
「その『摩擦なき平和』とやらが、実際に国を運営する助けになるほどの癒やしかどうか……ウィリアムが直接、確かめる必要がある」
ウィリアムは震える手を、エリザベスの背中へと伸ばそうとした。
その時だ。
ジジジ……!
執務室の緊急通信モニターが赤く点滅した。
「議長! 緊急事態です! サンクチュアリの地下動力炉に、謎の武装集団が侵入! 『エネルギー・コア』を占拠し、空調システムを停止させました!」
「なんだと!?」
ウィリアムの顔色がごく真面目なものに戻る。
「空調が止まれば、サンクチュアリ内の精密機器が熱暴走し、国の機能が麻痺するぞ!」
犯人グループからの映像が割り込む。
画面に映ったのは、薄汚れた作業着を着た男たちだ。
彼らは「反技術・ラッダイト同盟」を名乗る過激派だった。
「我々は要求する! 直ちに全ての機械を捨て、自然に帰れ! さもなくば、この動力炉を爆破して、サンクチュアリをサウナに変えてやる!」
コーネリアスはサングラスの位置を直した。
「やれやれ。せっかくの商談が台無しだ。無粋な連中だよ」
この危機は、逆に好機かもしれない。
赤く点滅する警報灯が、ウィリアム・グローリー議長の青白い顔を照らし出していた。
国の危機である。
空調の停止は、精密機械で構成されたサンクチュアリにとって、心停止にも等しい致命傷だ。
だが、その混乱した執務室の中で、ただ一人と一匹、涼しい顔をしている男がいた。
コーネリアス・V・ピグナイトである。
コーネリアスは懐から櫛を取り出し、乱れかけたオールバックを撫で付けた。
そして、パニックに陥る議長に向かって、静かに、しかし力強く声をかけた。
「……議長。落ち着きたまえ。パニックは精神の『摩擦』を生み、摩擦はさらなる熱を生むだけだ」
「き、君に何がわかる! これはテロだぞ! 軍隊を派遣しようにも、動力炉への通路は障害物で封鎖されている!」
コーネリアスは口の端を吊り上げ、サングラス越しに鋭い光を放った。
「障害物? 邪魔な物? ……ふん。コーネリアスとエリザベスの前には、いかなる障害も存在し得ない」
コーネリアスはゆっくりと、議長の机に両手をついた。
ツルッと滑りそうになったが、体幹で耐えた。
「取引だ、ウィリアム・グローリー。コーネリアスがその不届き者たちを、文字通り『排除』して差し上げよう。コーネリアスの唱える『摩擦なき平和』が、ただの理屈ではないことを証明してみせる」
「君が……? たかが美容師に何ができると言うんだ」
「美容師ではない。『最高の磨き手』だ。世の汚れを落とし、滞りをなくすのがコーネリアスの仕事だ」
コーネリアスはエリザベスの頭を撫でた。
「成功報酬は、サロンの即時営業再開、そして『サンクチュアリ・ブタちゃん万博』の開催許可。……悪い話ではあるまい?」
ウィリアムは迷った。
だが、モニターに映るエリザベスの姿を見て、一種の希望を見た。
危機的状況にあっても動じない、堂々たる姿。
単に眠いだけなのだが。
「……わかった。その『滑らかな解決』とやら、見せてもらおう。ただし、失敗すれば君もテロリストの仲間として牢屋行きだ」
「契約成立だ」
コーネリアスたちは直ちに地下へと向かった。
サンクチュアリの地下、動力炉エリア。
そこは既に、サウナのような蒸し暑さに支配されていた。
冷却システムが停止し、巨大なタービンの排熱が充満しているのだ。
通路の奥、動力炉の制御室前には、作業用ロボットの残骸やドラム缶で築かれた壁があり、武装した男たちが陣取っていた。
「おい! 誰か来たぞ!」
「軍隊か!? ……いや、なんだありゃ?」
テロリストたちが目にしたのは、異様な光景だった。
高級スーツを着た大男と、異常なほどテカテカ光る巨大な豚が、非常階段の手すりを滑り台のように滑り降りてくる。
シューーーッ……スタッ。
コーネリアスは音もなく着地し、汗一つかかずにスーツの埃を払った。
「やあ、諸君。少し暑苦しいね。君たちの熱気のせいかな?」
リーダー格の男が、巨大な配管用レンチを構えて怒鳴った。
「な、何だ貴様は! 我々はラッダイト同盟だ! 機械文明を否定し、自然への回帰を……」
「自然への回帰。悪くない響きだ」
コーネリアスは巨大ブラシ『ゴールデン・ブリストル』を構えた。
「だが、君たちのやり方は美しくない。角が立ちすぎている。もっとこう……円滑に行こうじゃないか」
「ふざけるな! やっちまえ!」
十数人の男たちが、武器を振りかざして殺到した。
狭い通路。
逃げ場はない。
だが、コーネリアスは不敵に笑った。
「展開せよ、絶対滑走領域。――『摩擦係数ゼロ』!」
コーネリアスが靴底で床をトンと踏む。
その瞬間、コーネリアスのジルコンの力が床材に伝わった。
コンクリートの細かな凹凸が瞬時に均され、滑りやすさの数値が極限までゼロに近づく。
ツルッ!
「あ?」
先頭を走っていた男が、何もないところで転倒した。
それだけではない。
後ろから続いていた男たちも、まるで氷の上にバナナの皮を敷き詰めたかのように、次々と足を取られる。
そして無様なダンスを踊り始めた。
「うおっ!? 立てねぇ!?」
「滑る! なんだこの床!?」
男たちは起き上がろうとして手をつく。
だが、手も滑り、膝も滑る。
その場でもがき続けるだけの「生きたカーリングストーン」と化した。
「嘆かわしい。重心の制御がなっていない。……エリザベス、手本を見せてやりたまえ」
「ブヒィッ!」
エリザベスが突進した。
エリザベスもまた摩擦ゼロの環境にいる。
だが、コーネリアスとの長年の特訓により、壁や天井さえも蹴って加速する「立体的な動き」を身につけているのだ。
ピンクの砲弾と化したエリザベスは、もがくテロリストたちの間を縫うように滑り抜けた。
そして、彼らをボウリングのピンのように跳ね飛ばした。
カーン! カコーン!
小気味よい音が響く。
テロリストたちは通路の奥、ゴミ集積所のダストシュートへと正確に入れられていく。
「ストライク。……いや、三連続かな?」
コーネリアスはゆったりと滑り、最後に残ったリーダーの男の前に立った。
男は壁に背中を預け、震える足で必死に立っている。
「ひ、ひぃぃ……! 化け物め……!」
「違うな。コーネリアスはただ、世界を滑らかにしたいだけだ」
コーネリアスは懐からオイル缶を取り出し、リーダーの足元に一滴垂らした。
それが最後の一押しとなった。
ズザーーーッ!
リーダーは悲鳴を残し、物理法則に従って滑り去っていった。
制圧完了。
コーネリアスは動力炉の制御パネルに近づいた。
幸い、テロリストは触る前に滑って転んでいたため無事だった。
再起動スイッチを押す。
ブゥゥゥン……。
重低音と共に冷却ファンが回り始め、涼しい風が吹き抜ける。
「ふぅ。仕事の後の涼風は格別だね、エリザベス」
コーネリアスは通信機を取り出し、議長に報告を入れようとした。
だがその時、動力炉の奥にある扉が開いていることに気づいた。
立ち入り禁止の『高濃度ジルコン保管庫』だ。
そこには、テロリストとは違う、もっと不気味な気配が漂っていた。
コーネリアスは通信機のスイッチを切った。
議長への報告は後だ。
コーネリアスの「磨き手」としての直感が告げている。
この扉の奥に、放置できない「淀み」が存在していると。
「……エリザベス。少し待っていてくれ。ここから先は、少し『角』が立つかもしれない」
コーネリアスはエリザベスを安全な場所、すなわち制御パネルの前に待機させた。
そして一人で、開かれた保管庫の闇へと足を踏み入れた。
そこは、表向きは「ジルコン鉱石の保管所」とされている。
だが、空気の密度が違う。
重く、冷たく、そしてかすかに……生き物のような臭いが漂っている。
コーネリアスはスーツの内ポケットからペン型ライトを取り出し、闇を照らした。
光の先に浮かび上がったのは、巨大な培養槽だった。
円筒形の強化ガラスの中は、エメラルドグリーンの保存液で満たされている。
その中心に「それ」は浮かんでいた。
それは、一見すると巨大な肉の塊のようだった。
だが、よく見ると、無数のジルコン結晶が皮膚から突き出し、脈打つように発光している。
定まった形がないのに、どこか人の形を真似ようとしているような、おぞましい造形。
「……これは、『ジルコン融合体』の実験体か」
コーネリアスは眉をひそめた。
GLORYは知性の国である。
だが、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。
かつて一部の科学者たちが、「ジルコンの力を人工的に増幅させる」という禁断の研究に手を染めたという噂は聞いていた。
これが、その成れの果てか。
培養槽のラベルには、冷徹な文字でこう記されていた。
『実験体名:強欲。状態:凍結封印中。危険度:SSS』
テロリストたちは、この部屋を隠れ家にする際、誤って封印装置の一部を壊してしまったようだ。
保存液の循環ポンプが停止し、液の温度が上がり始めている。
ドクン……。
肉の塊が、小さく痙攣した。
「……目覚める気か」
コーネリアスは巨大ブラシを構えた。
コーネリアスのジルコンの力『滑りやすさゼロ』は、防御には滅法強いが、攻撃力は皆無に等しい。
もしこの怪物が暴れ出せば、サンクチュアリは壊滅するだろう。
その時、背後でエリザベスの鳴き声がした。
「ブヒィッ!」
エリザベスが、制御パネルから何かをくわえて持ってきた。
それは、テロリストのリーダーが落としたと思われる、一枚の古びた記録媒体だった。
「……お手柄だ、エリザベス」
コーネリアスはカードを受け取り、近くにあった解析端末に差し込んだ。
テロリストが持ち込んだものだ。
画面に表示されたのは、『強欲』の研究データと、その「制御コード」だった。
――『実験体は強い「欲求」に反応して活性化する。特に、知識欲、支配欲、そして食欲』
「なるほど。GLORYの民の『欲』を餌にする怪物というわけか」
コーネリアスは冷ややかに笑った。
「だが、残念だったな。コーネリアスの欲求は、そんな生易しいものではないぞ」
ドクン、ドクン!
培養槽のガラスにヒビが入る。
怪物の目覚めは秒読みだ。
コーネリアスは解析端末からカードを引き抜いた。
制御コードによる封印?
そんな小手先の手段では、この国が生み出した歪みである怪物は止まらない。
根本的な解決が必要だ。
「……汚れは、溜め込むものではない。磨き落とすものだ」
コーネリアスは静かに、しかし断固とした意志を込めて、巨大ブラシ『ゴールデン・ブリストル』を構えた。
ピキキ……パリンッ!!
培養槽のガラスが砕け散り、保存液が洪水のように溢れ出した。
その中から、ジルコンの結晶をまとった肉の塊――生物兵器『強欲』が、叫び声と共に解き放たれた。
ギョォォォォォ!!
その声は、サンクチュアリ中の人々の「知識欲」や「出世欲」といった欲望をかき集めたような、不快な音の塊だった。
怪物は定まらない形の体をくねらせ、触手のような腕を伸ばしてコーネリアスに襲いかかる。
だが、コーネリアスは動じない。
コーネリアスは襲い来る触手を、まるでダンスの相手の手を取るように優雅に受け流した。
「『反射円舞曲』……!」
触手はコーネリアスのスーツの上を滑り、明後日の方向へ逸れて壁を砕いた。
そして、コーネリアスの順番が来た。
「さあ、施術の時間だ。その歪んだ欲望、私が矯正してやろう!」
コーネリアスは『摩擦係数ゼロ』を展開し、床を蹴った。
いや、滑った。
コーネリアスは氷上のフィギュアスケーターのように加速し、怪物の懐へと飛び込んだ。
シュババババババッ!!
黄金のブラシが唸りを上げた。
それは攻撃ではない。
狂気的なまでの「ブラッシング」だ。
ブラシの毛先が、怪物の体の表面を覆うジルコン結晶や、ヘドロのような皮膚を捉える。
そして、物理法則を無視した速度で磨き上げていく。
「ここだ! この角張った結晶! これが君の不和の原因だ!」
「そしてここ! この淀んだ色の皮膚! エネルギー循環が悪い証拠だ!」
ギ、ギョォォォ……!?
怪物が困惑の声を上げた。
攻撃されているのに、痛みがない。
それどころか、生まれて初めて感じる「快感」があった。
凝り固まった欲望が解きほぐされていくような感覚に、体の力が抜けていく。
コーネリアスのブラッシングは止まらない。
コーネリアスは遠心力を利用して回転し、竜巻となって怪物の全身を磨き続けた。
摩擦熱は発生しない。
あるのは純粋な「研磨」のエネルギーだけだ。
やがて、奇跡が起きた。
怪物を覆っていた禍々しいジルコン結晶が、研磨によって角が取れ、美しい球体へと変化していく。
ヘドロのようだった皮膚は、古い角質が剥がれ落ちるように浄化されていく。
下から真珠のような光沢を持つ、滑らかな肌が現れた。
ギョ……キュ〜ン……。
怪物の叫び声が、甘えたような鳴き声に変わった。
数分後、そこにいたのは生物兵器ではなかった。
全身が宝石のように輝く、巨大で、どこか愛嬌のある、定まらない形のマスコットキャラクターのようなものだった。
「……ふぅ。悪くない仕上がりだ」
コーネリアスは汗一つかかずにブラシを収め、満足げに頷いた。
「どうだね? 欲望のままに暴れるより、美しく輝く方が気分がいいだろう?」
キュ〜ン♪
元・怪物は嬉しそうに体を震わせ、コーネリアスにすり寄ってきた。
ツルツル滑るので、衝突事故スレスレだった。
その時、背後でエリザベスが「ブヒィッ!」と鳴いた。
エリザベスは、新しく生まれた「輝く仲間」を見て、競争心を燃やしつつも、歓迎しているようだ。
動力炉は安定し、地下の危機は去った。
コーネリアスは通信機のスイッチを入れた。
「……議長。聞こえるか? 地下の『清掃』は完了した。ついでに、少しばかり大きな『粗大ゴミ』も再利用しておいたよ」
通信機の向こうで、ウィリアム議長が安堵の息を吐くのが聞こえた。
「……君は一体、何者なんだ? まあいい、約束は守る。サロンの営業再開を許可しよう。そして万博の件も、前向きに検討する」
交渉成立だ。
コーネリアスはエリザベスと、新しい仲間――仮の名前はグリードちゃんだ――を引き連れ、意気揚々と地上へ向かうエレベーターへと向かった。
コーネリアスたちのサンクチュアリでの冒険は、まだ始まったばかりだ。
この地下で手に入れた新たな力とマスコットは、来るべき万博で大きな武器となるだろう。
だが今は、久しぶりの地上で、エリザベスに最高級のトリュフを食べさせてやることが先決だ。
「さあ、行こうか。地上が我々の輝きを待っている」
コーネリアス・V・ピグナイトの、滑らかで、少しばかりヌルヌルした栄光の日々は続く。
<了>
勢いのまま完成させたけど、世界観あってるのかな~
続かないぞ…たぶん




