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PROJECT ZIRCON

ブタちゃんビューティーサロン・ピグマリオンへようこそ! お客様、そこは(物理的に)滑りますのでご注意ください

作者: 一宮九葉
掲載日:2025/12/10

コナミ「PROJECT ZIRCON」の二次創作です。

©Konami Digital Entertainment

 GLORYグローリーが誇る、巨大な複合施設『サンクチュアリ』。

 その一角には、重厚な石造りの建物があった。

 看板には優雅な筆記体で『ブタちゃんビューティーサロン・ピグマリオン』と記されている。

 だが、道行く人々はその前を通るたびに背筋を凍らせ、早歩きで去っていく。

 なぜなら、ガラス張りの陳列窓ショーウィンドウ越しに見える光景が、あまりにも「裏社会の粛清」を連想させるからだ。


 店内にどっかりと座っているのは、身長二メートルを超える巨漢、コーネリアス・V・ピグナイトである。

 GLORYグローリーでも一番の仕立て屋『針の技巧者(マエストロ)』が手がけた、チャコールグレーのスーツ。

 それは、コーネリアスの筋肉の鎧を包み込むのに悲鳴を上げているようでいて、一分の隙もない。

 オールバックに撫で付けられた髪。

 カミソリのように鋭い眼光。

 コーネリアスが手にしているのは、身の丈ほどもある黄金の巨大ブラシ――ジルコンギア『ゴールデン・ブリストル』だ。


 コーネリアスは、その凶器のようなブラシを振りかざした。

 そして、目の前の「貴婦人」に振り下ろした。


 シュッ。


 空気すら切り裂く鋭い音と共にブラシが走る。

 だが、そこには血飛沫ちしぶきではなく、神々しいほどの光沢が生まれた。

 コーネリアスの目の前にいるのは、体重三百キログラムを誇る美しき雌豚、エリザベスである。

 エリザベスの肌は、コーネリアスのジルコン力(ジルパワー)摩擦係数ゼロ(スリップ・エンド)』によって、物理法則を無視したツルツルの輝きを放っていた。

 ハエが止まろうとすれば、着地した瞬間に摩擦ゼロの表面でスリップする。

 そして、音速で壁に激突するだろう。


「……素晴らしい。エリザベス、今日の君の肌は、サンクチュアリのドーム天井をも超える輝きだ」


 コーネリアスは満足げに頷いた。

 そして、シルクのハンカチで額の汗を拭った。

 コーネリアスは「最高の磨き手(ハイ・ポリッシャー)」として、この国で最も豚を愛し、豚に愛された男である。

 コーネリアスにとって、このサロンは城であり、聖域だ。

 しかし、この平穏な朝には一つだけ、コーネリアスの完璧な眉間にしわを寄せる心配事(懸念事項)が存在した。


 カウンターに置かれたその紙は、サンクチュアリ管理委員会からの『営業停止通知』である。

 理由はこうだ。

『貴店の周辺床面において摩擦係数が著しく低下しており、通行人が意図せずムーンウォーク状態でスライド移動してしまう事故が多発しているため』

 実に嘆かわしいことだ。

 GLORYグローリーの民は知性を誇るという。

 それなのに、足元の滑らかささえ制御できないとは。


「やれやれ。揉め事(トラブル)を恐れるあまり、真の平和なめらかさを拒絶するとはな。これではコーネリアスの悲願である『サンクチュアリ・ブタちゃん万博』の開催など、夢のまた夢だ」


 コーネリアスは、ジルコン装備(ジルコンギア)『ゴールデン・ブリストル』を背負った。

 コーネリアスの目的はただ一つ。

 この堅苦しいサンクチュアリを、豚への愛とローションで満たすこと。

 そして、全ての市民を「ブタちゃん教」の信徒ファンに変えることだ。

 そのためには、まずこの理不尽な呼び出しを取り消させなくてはならない。

 その上で、逆に公式イベントとしての許可を勝ち取る必要がある。


 コーネリアスはエリザベスの鼻先に、最高級トリュフを一粒置いた。

 摩擦がないため、トリュフは鼻の上でコマのように回転した。


「行くぞ、エリザベス。議長ウィリアム・グローリーのお膝元ひざもとで、本当の『栄光グローリー』とは何かを教えてやるのだ」


 コーネリアスはサロンの自動ドアを抜けた。

 センサーが反応する前に、気配を滑らせて開けたのだ。

 そして、サンクチュアリの大通りへと出た。

 行き交う研究者や役人たちが、ヌルヌルと輝く巨大な豚と、殺し屋のような大男を見る。

 彼らはさっと道を開けた。


 コーネリアスはエリザベスの手綱リードを小指一本で優雅に操る。

 そして、サンクチュアリの中心である中央タワーのエレベーターホールへと滑り込んだ。

 コーネリアスの歩き方は、周りからは直立不動のまま地面を浮いているようにしか見えない。

 滑りやすさゼロの靴底が、サンクチュアリの硬い床と完全に調和しているからだ。

 あるいは、拒絶を果たしているからかもしれない。


「止まりたまえ! これより先は議会関係者以外立ち入り禁止だ!」


 立ちはだかったのは、頭の固そうな警備員たちだ。

 警備員たちの制服には少しのシワもない。

 GLORYグローリーの厳しい決まりを体現しているようだ。

 だが、コーネリアスはサングラスの奥で冷ややかに微笑んだ。


「関係者? 定義が曖昧だな。コーネリアスは『美を行う者』であり、議長は『美を理解する者(であるべき存在)』だ。ゆえに、我々は魂のレベルで関係している」


 コーネリアスは止まらない。

 警備員が止めようと手を伸ばす。

 だが、コーネリアスはその手が触れる寸前に、自身の表面の摩擦を消滅させた。

 ツルッ。

 警備員の手はコーネリアスのスーツの上を虚しく滑る。

 その勢いのまま警備員自身が回転して、エレベーターの呼び出しボタンを綺麗に押してしまった。


「感謝する。君の手際は実に円滑スムースだ」


 ポーン。

 タイミングよく開いた扉に、コーネリアスとエリザベスは吸い込まれた。

 呆然とする警備員たちを残し、エレベーターは最上階へと上昇を開始する。


 サンクチュアリの最上階、議長執務室。

 そこは、GLORYグローリーの頭脳が集う場所であり、理性と論理の聖域だ。

 音も爆発も防ぐ重厚な扉の前で、コーネリアスは身だしなみを整えた。

 エリザベスの背中に細かいちりがないか確認し、一吹きして輝きを増させる。


「よし。エリザベス、君の愛くるしさ(と質量)で、議長の理性を粉砕するのだ」


 コーネリアスはノックもせずに扉を開けた――わけではない。

 ノックしようとした拳が滑ってドアノブに当たり、その衝撃で鍵が偶然外れたのだ。

 さらにドアが滑らかにスライドした。

 あくまで事故である。


「失礼する。この上ない提案を持ってきた」


 広い執務室の奥には、大量の書類と立体映像ホログラムの画面に囲まれた机があった。

 そこに、一人の青年が座っていた。

 その青年こそがウィリアム・グローリー。

 腐敗した王政を倒し、共和制国家を打ち立てた若き議長である。

 ウィリアムは眉をひそめ、不法侵入者へと視線を向けた。


「……君は、サロン『ピグマリオン』の店主だな。管理委員会から報告は受けている。滑りやすさの数値を書き換えたことによる公衆衛生法違反、および物理法則への冒涜ぼうとくの疑いで」


 ウィリアムの声は冷静で、理知的だった。

 だが、コーネリアスは見逃さなかった。

 ウィリアムの視線が、コーネリアスを見ていないことを。

 その足元、ツヤツヤに輝くピンクの巨体、エリザベスに釘付けになっていることを。


「ブゥ〜♪」


 エリザベスが愛想よく鳴き、つぶらな瞳でウィリアムを見つめた。

 ウィリアムの眉がピクリと動く。

 ウィリアムが持つペンを持つ手が、かすかに震えた。

(……か、可愛い。なんだあの光沢は。まるでマシュマロとダイヤモンドの合成物ハイブリッド……!)

 ウィリアムの心の声が聞こえるようだ。

 だが、立場あるウィリアムはコホンと咳払いをして、厳しい表情を崩さない。


「……して、何の用だ。ウィリアムは多忙だ。君のペットの自慢話なら、動物愛護局へ行ってくれたまえ」


 コーネリアスは、ゆっくりと机の前まで進み出た。

 床を滑って。


「訂正していただこう、議長。これはペットではない。『平和の理想イデア』だ」

理想イデアだと?」

「その通り。GLORYグローリーの理念は『栄光』と『知性』。しかし、角張った議論ばかりで、国民の心は荒んでいないかね? 見てくれたまえ、このエリザベスの曲線を。ここには一切の『角』がない。そしてコーネリアスの施術により、一切の『摩擦』もない」


 コーネリアスは、懐から最高級オイルを取り出した。

 そして、エリザベスの背中に垂らす。

 キラキラリーン!

 窓から差し込む日光が反射し、執務室全体が虹色の光に包まれた。


「おお……」

 ウィリアムが思わず声を漏らす。

「こ、これは……物理的な表面張力と光の屈折率が、計算され尽くしている……! 欠点のない『球体』への接近アプローチだ……」


 食いついた。

 コーネリアスは畳み掛ける。


「議長。コーネリアスが求めているのは、営業停止の撤回ではない。この『平和の球体』をサンクチュアリの象徴として認め、万博を開催することだ。国民は皆、このスベスベ感に触れることで、心の中の不和ストレスを解消するだろう。これぞ、論理的に導き出される『最大多数の最大幸福』ではないかな?」


 ウィリアムは葛藤していた。

 議長としての威厳と、個人的な好みが、ウィリアムの脳内で激しい議論を戦わせている。

 こんなふざけた男を追い返すべきだ、という威厳。

 今すぐあのツルツルの背中を撫で回したい、という願望。


「……君の主張には、一定の論理性がある……かもしれない。だが、証拠が不足している」


 ウィリアムは立ち上がり、机を回って二人の前に立った。


「その『摩擦なき平和』とやらが、実際に国を運営する助けになるほどの癒やしかどうか……ウィリアムが直接、確かめる必要がある」


 ウィリアムは震える手を、エリザベスの背中へと伸ばそうとした。

 その時だ。

 ジジジ……!

 執務室の緊急通信モニターが赤く点滅した。


「議長! 緊急事態です! サンクチュアリの地下動力炉に、謎の武装集団が侵入! 『エネルギー・コア』を占拠し、空調システムを停止させました!」

「なんだと!?」


 ウィリアムの顔色がごく真面目なものに戻る。


「空調が止まれば、サンクチュアリ内の精密機器が熱暴走し、国の機能が麻痺するぞ!」


 犯人グループからの映像が割り込む。

 画面に映ったのは、薄汚れた作業着を着た男たちだ。

 彼らは「反技術アンチ・テクノロジー・ラッダイト同盟」を名乗る過激派だった。


「我々は要求する! 直ちに全ての機械を捨て、自然に帰れ! さもなくば、この動力炉を爆破して、サンクチュアリをサウナに変えてやる!」


 コーネリアスはサングラスの位置を直した。


「やれやれ。せっかくの商談プレゼンが台無しだ。無粋な連中だよ」


 この危機は、逆に好機かもしれない。

 赤く点滅する警報灯が、ウィリアム・グローリー議長の青白い顔を照らし出していた。

 国の危機である。

 空調の停止は、精密機械で構成されたサンクチュアリにとって、心停止にも等しい致命傷だ。

 だが、その混乱した執務室の中で、ただ一人と一匹、涼しい顔をしている男がいた。

 コーネリアス・V・ピグナイトである。

 コーネリアスは懐からくしを取り出し、乱れかけたオールバックを撫で付けた。

 そして、パニックに陥る議長に向かって、静かに、しかし力強く声をかけた。


「……議長。落ち着きたまえ。パニックは精神の『摩擦』を生み、摩擦はさらなる熱を生むだけだ」

「き、君に何がわかる! これはテロだぞ! 軍隊を派遣しようにも、動力炉への通路は障害物バリケードで封鎖されている!」


 コーネリアスは口のを吊り上げ、サングラス越しに鋭い光を放った。


障害物バリケード? 邪魔な物? ……ふん。コーネリアスとエリザベスの前には、いかなる障害も存在し得ない」


 コーネリアスはゆっくりと、議長の机に両手をついた。

 ツルッと滑りそうになったが、体幹で耐えた。


「取引だ、ウィリアム・グローリー。コーネリアスがその不届き者たちを、文字通り『排除スリップ』して差し上げよう。コーネリアスの唱える『摩擦なき平和』が、ただの理屈ではないことを証明してみせる」

「君が……? たかが美容師に何ができると言うんだ」

「美容師ではない。『最高の磨き手(ハイ・ポリッシャー)』だ。世の汚れを落とし、滞りをなくすのがコーネリアスの仕事だ」


 コーネリアスはエリザベスの頭を撫でた。


「成功報酬は、サロンの即時営業再開、そして『サンクチュアリ・ブタちゃん万博』の開催許可。……悪い話ではあるまい?」


 ウィリアムは迷った。

 だが、モニターに映るエリザベスの姿を見て、一種の希望を見た。

 危機的状況にあっても動じない、堂々たる姿。

 単に眠いだけなのだが。


「……わかった。その『滑らかな解決』とやら、見せてもらおう。ただし、失敗すれば君もテロリストの仲間として牢屋行きだ」

契約成立ディールだ」


 コーネリアスたちは直ちに地下へと向かった。

 サンクチュアリの地下、動力炉エリア。

 そこは既に、サウナのような蒸し暑さに支配されていた。

 冷却システムが停止し、巨大なタービンの排熱が充満しているのだ。

 通路の奥、動力炉の制御室前には、作業用ロボットの残骸やドラム缶で築かれた壁があり、武装した男たちが陣取っていた。


「おい! 誰か来たぞ!」

「軍隊か!? ……いや、なんだありゃ?」


 テロリストたちが目にしたのは、異様な光景だった。

 高級スーツを着た大男と、異常なほどテカテカ光る巨大な豚が、非常階段の手すりを滑り台のように滑り降りてくる。

 シューーーッ……スタッ。

 コーネリアスは音もなく着地し、汗一つかかずにスーツのほこりを払った。


「やあ、諸君。少し暑苦しいね。君たちの熱気イデオロギーのせいかな?」


 リーダー格の男が、巨大な配管用レンチを構えて怒鳴った。


「な、何だ貴様は! 我々はラッダイト同盟だ! 機械文明を否定し、自然への回帰を……」

「自然への回帰。悪くない響きだ」


 コーネリアスは巨大ブラシ『ゴールデン・ブリストル』を構えた。


「だが、君たちのやり方は美しくない。角が立ちすぎている。もっとこう……円滑スムースに行こうじゃないか」

「ふざけるな! やっちまえ!」


 十数人の男たちが、武器を振りかざして殺到した。

 狭い通路。

 逃げ場はない。

 だが、コーネリアスは不敵に笑った。


「展開せよ、絶対滑走領域。――『摩擦係数ゼロ(スリップ・エンド)』!」


 コーネリアスが靴底で床をトンと踏む。

 その瞬間、コーネリアスのジルコンの力(ジルパワー)が床材に伝わった。

 コンクリートの細かな凹凸が瞬時にならされ、滑りやすさの数値が極限までゼロに近づく。

 ツルッ!


「あ?」


 先頭を走っていた男が、何もないところで転倒した。

 それだけではない。

 後ろから続いていた男たちも、まるで氷の上にバナナの皮を敷き詰めたかのように、次々と足を取られる。

 そして無様なダンスを踊り始めた。


「うおっ!? 立てねぇ!?」

「滑る! なんだこの床!?」


 男たちは起き上がろうとして手をつく。

 だが、手も滑り、膝も滑る。

 その場でもがき続けるだけの「生きたカーリングストーン」と化した。


「嘆かわしい。重心の制御がなっていない。……エリザベス、手本を見せてやりたまえ」

「ブヒィッ!」


 エリザベスが突進した。

 エリザベスもまた摩擦ゼロの環境にいる。

 だが、コーネリアスとの長年の特訓により、壁や天井さえも蹴って加速する「立体的な動き(三次元機動)」を身につけているのだ。

 ピンクの砲弾と化したエリザベスは、もがくテロリストたちの間を縫うように滑り抜けた。

 そして、彼らをボウリングのピンのように跳ね飛ばした。

 カーン! カコーン!

 小気味よい音が響く。

 テロリストたちは通路の奥、ゴミ集積所のダストシュートへと正確に入れられていく。


「ストライク。……いや、三連続ターキーかな?」


 コーネリアスはゆったりと滑り、最後に残ったリーダーの男の前に立った。

 男は壁に背中を預け、震える足で必死に立っている。


「ひ、ひぃぃ……! 化け物め……!」

「違うな。コーネリアスはただ、世界を滑らかにしたいだけだ」


 コーネリアスは懐からオイル缶を取り出し、リーダーの足元に一滴垂らした。

 それが最後の一押しとなった。

 ズザーーーッ!

 リーダーは悲鳴を残し、物理法則に従って滑り去っていった。

 制圧完了。

 コーネリアスは動力炉の制御パネルに近づいた。

 幸い、テロリストは触る前に滑って転んでいたため無事だった。

 再起動スイッチを押す。

 ブゥゥゥン……。

 重低音と共に冷却ファンが回り始め、涼しい風が吹き抜ける。


「ふぅ。仕事の後の涼風は格別だね、エリザベス」


 コーネリアスは通信機を取り出し、議長に報告を入れようとした。

 だがその時、動力炉の奥にある扉が開いていることに気づいた。

 立ち入り禁止の『高濃度ジルコン保管庫』だ。

 そこには、テロリストとは違う、もっと不気味な気配が漂っていた。

 コーネリアスは通信機のスイッチを切った。

 議長への報告は後だ。

 コーネリアスの「磨き手」としての直感が告げている。

 この扉の奥に、放置できない「よどみ」が存在していると。


「……エリザベス。少し待っていてくれ。ここから先は、少し『角』が立つかもしれない」


 コーネリアスはエリザベスを安全な場所、すなわち制御パネルの前に待機させた。

 そして一人で、開かれた保管庫の闇へと足を踏み入れた。

 そこは、表向きは「ジルコン鉱石の保管所」とされている。

 だが、空気の密度が違う。

 重く、冷たく、そしてかすかに……生き物のような臭いが漂っている。

 コーネリアスはスーツの内ポケットからペン型ライトを取り出し、闇を照らした。

 光の先に浮かび上がったのは、巨大な培養槽だった。

 円筒形の強化ガラスの中は、エメラルドグリーンの保存液で満たされている。

 その中心に「それ」は浮かんでいた。


 それは、一見すると巨大な肉の塊のようだった。

 だが、よく見ると、無数のジルコン結晶が皮膚から突き出し、脈打つように発光している。

 定まった形がないのに、どこか人の形を真似ようとしているような、おぞましい造形。


「……これは、『ジルコン融合体アマルガム』の実験体か」


 コーネリアスは眉をひそめた。

 GLORYグローリーは知性の国である。

 だが、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。

 かつて一部の科学者たちが、「ジルコンの力を人工的に増幅させる」という禁断の研究に手を染めたという噂は聞いていた。

 これが、その成れの果てか。

 培養槽のラベルには、冷徹な文字でこう記されていた。

『実験体名:強欲グリード。状態:凍結封印中。危険度:SSS』

 テロリストたちは、この部屋を隠れ家にする際、誤って封印装置の一部を壊してしまったようだ。

 保存液の循環ポンプが停止し、液の温度が上がり始めている。

 ドクン……。

 肉の塊が、小さく痙攣けいれんした。


「……目覚める気か」


 コーネリアスは巨大ブラシを構えた。

 コーネリアスのジルコンの力『滑りやすさゼロ』は、防御には滅法強いが、攻撃力は皆無に等しい。

 もしこの怪物が暴れ出せば、サンクチュアリは壊滅するだろう。

 その時、背後でエリザベスの鳴き声がした。

「ブヒィッ!」

 エリザベスが、制御パネルから何かをくわえて持ってきた。

 それは、テロリストのリーダーが落としたと思われる、一枚の古びた記録媒体メモリーカードだった。


「……お手柄だ、エリザベス」


 コーネリアスはカードを受け取り、近くにあった解析端末に差し込んだ。

 テロリストが持ち込んだものだ。

 画面に表示されたのは、『強欲グリード』の研究データと、その「制御コード」だった。

 ――『実験体は強い「欲求」に反応して活性化する。特に、知識欲、支配欲、そして食欲』


「なるほど。GLORYグローリーの民の『欲』を餌にする怪物というわけか」


 コーネリアスは冷ややかに笑った。


「だが、残念だったな。コーネリアスの欲求は、そんな生易しいものではないぞ」


 ドクン、ドクン!

 培養槽のガラスにヒビが入る。

 怪物の目覚めは秒読みだ。

 コーネリアスは解析端末からカードを引き抜いた。

 制御コードによる封印?

 そんな小手先の手段では、この国が生み出したゆがみである怪物は止まらない。

 根本的な解決が必要だ。


「……汚れは、溜め込むものではない。磨き落とすものだ」


 コーネリアスは静かに、しかし断固とした意志を込めて、巨大ブラシ『ゴールデン・ブリストル』を構えた。

 ピキキ……パリンッ!!

 培養槽のガラスが砕け散り、保存液が洪水のように溢れ出した。

 その中から、ジルコンの結晶をまとった肉の塊――生物兵器『強欲グリード』が、叫び声と共に解き放たれた。

 ギョォォォォォ!!

 その声は、サンクチュアリ中の人々の「知識欲」や「出世欲」といった欲望をかき集めたような、不快な音の塊だった。

 怪物は定まらない形の体をくねらせ、触手のような腕を伸ばしてコーネリアスに襲いかかる。

 だが、コーネリアスは動じない。

 コーネリアスは襲い来る触手を、まるでダンスの相手の手を取るように優雅に受け流した。


「『反射円舞曲リフレクション・ワルツ』……!」


 触手はコーネリアスのスーツの上を滑り、明後日の方向へ逸れて壁を砕いた。

 そして、コーネリアスの順番ターンが来た。


「さあ、施術の時間だ。その歪んだ欲望ボディライン、私が矯正してやろう!」


 コーネリアスは『摩擦係数ゼロ(スリップ・エンド)』を展開し、床を蹴った。

 いや、滑った。

 コーネリアスは氷上のフィギュアスケーターのように加速し、怪物の懐へと飛び込んだ。

 シュババババババッ!!

 黄金のブラシが唸りを上げた。

 それは攻撃ではない。

 狂気的なまでの「ブラッシング」だ。

 ブラシの毛先が、怪物の体の表面を覆うジルコン結晶や、ヘドロのような皮膚を捉える。

 そして、物理法則を無視した速度で磨き上げていく。


「ここだ! この角張った結晶! これが君の不和ストレスの原因だ!」

「そしてここ! この淀んだ色の皮膚! エネルギー循環(けっこう)が悪い証拠だ!」


 ギ、ギョォォォ……!?

 怪物が困惑の声を上げた。

 攻撃されているのに、痛みがない。

 それどころか、生まれて初めて感じる「快感」があった。

 凝り固まった欲望が解きほぐされていくような感覚に、体の力が抜けていく。

 コーネリアスのブラッシングは止まらない。

 コーネリアスは遠心力を利用して回転し、竜巻トルネードとなって怪物の全身を磨き続けた。

 摩擦熱は発生しない。

 あるのは純粋な「研磨」のエネルギーだけだ。

 やがて、奇跡が起きた。

 怪物を覆っていた禍々しいジルコン結晶が、研磨によって角が取れ、美しい球体へと変化していく。

 ヘドロのようだった皮膚は、古い角質が剥がれ落ちるように浄化されていく。

 下から真珠のような光沢を持つ、滑らかな肌が現れた。

 ギョ……キュ〜ン……。

 怪物の叫び声が、甘えたような鳴き声に変わった。

 数分後、そこにいたのは生物兵器ではなかった。

 全身が宝石のように輝く、巨大で、どこか愛嬌のある、定まらない形のマスコットキャラクターのようなものだった。


「……ふぅ。悪くない仕上がりだ」


 コーネリアスは汗一つかかずにブラシを収め、満足げに頷いた。


「どうだね? 欲望のままに暴れるより、美しく輝く方が気分がいいだろう?」


 キュ〜ン♪

 元・怪物は嬉しそうに体を震わせ、コーネリアスにすり寄ってきた。

 ツルツル滑るので、衝突事故スレスレだった。

 その時、背後でエリザベスが「ブヒィッ!」と鳴いた。

 エリザベスは、新しく生まれた「輝く仲間」を見て、競争心ライバルしんを燃やしつつも、歓迎しているようだ。

 動力炉は安定し、地下の危機は去った。


 コーネリアスは通信機のスイッチを入れた。


「……議長。聞こえるか? 地下の『清掃』は完了した。ついでに、少しばかり大きな『粗大ゴミ』も再利用リサイクルしておいたよ」


 通信機の向こうで、ウィリアム議長が安堵の息を吐くのが聞こえた。


「……君は一体、何者なんだ? まあいい、約束は守る。サロンの営業再開を許可しよう。そして万博の件も、前向きに検討する」


 交渉成立だ。

 コーネリアスはエリザベスと、新しい仲間――仮の名前はグリードちゃんだ――を引き連れ、意気揚々と地上へ向かうエレベーターへと向かった。

 コーネリアスたちのサンクチュアリでの冒険は、まだ始まったばかりだ。

 この地下で手に入れた新たな力とマスコットは、来るべき万博で大きな武器となるだろう。

 だが今は、久しぶりの地上で、エリザベスに最高級のトリュフを食べさせてやることが先決だ。


「さあ、行こうか。地上が我々の輝きを待っている」


 コーネリアス・V・ピグナイトの、滑らかで、少しばかりヌルヌルした栄光の日々は続く。





<了>

勢いのまま完成させたけど、世界観あってるのかな~

続かないぞ…たぶん

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