ちび鬼てんまの日本征服計画
私の名前は橘葵。どこにでもいる、ごく普通の女子高生。
日課は近所の神社で道草をして 甘味処『ささめ』の新作団子をチェックすること。
そして そんな私の平穏な日常に ちょっぴり不思議な闖入者が現れたのは つい先週のことだ。
「えいえい おー……」
神社の境内 その隅っこ。
誰も使っていない手水舎の裏で 小さな男の子が段ボール箱を相手に、小さなこぶしを突き上げていた。
頭には ちょこんと可愛らしい二本のツノ。虎柄のだぼっとしたズボンを履いている。どう見ても迷子のコスプレキッズだ。
「キミ どうしたの? ママは?」
私が声をかけると その子はビクッと体を震わせ キッと私を睨み上げた。
「な 馴れ馴れしいぞ人間! われは鬼ヶ島家の正統後継者 てんまなり! この日ノ本を我が手に収めるため はるばる鬼の里より参ったのだ!」
男の子――てんまくんは ふんすふんと鼻息荒く宣言する。
あまりの可愛さに思わず私の口角がゆるんだ。
「そっかー。征服 がんばってね。とりあえず これ食べる?」
私はカバンから さっき買ったばかりの『ささめ』のきび団子を一本差し出した。
てんまくんは一瞬 眉間にしわを寄せたが、甘い匂いには抗えなかったらしい。おずおずと受け取ると 小さな口でぱくりと食べた。
途端に その栗色の瞳がキラキラと輝く。
「なっ……! これが人間の兵糧か! なんという甘美なる罠……! よかろう 今日のところはこれくらいで許してやる!」
こうしてちょろ鬼のてんまくんの壮大(笑)な日本征服計画が始まったのだった。
【征服計画その①:眷属を使役し 人心を掌握せよ!】
数日後のこと。
てんまくんは 神社の境内にいる鳩や猫を全部集めて 何やら演説をしていた。
「聞け 獣たちよ! 今この時より汝らはわれの眷属である! さあ この町の人間どもに 吾輩の威光を知らしめるのだ!」
てんまくんが号令をかけても、どこ吹く風の眷属(猫)たち。
彼らは思い思いに寝転がり、あくびをして、挙句の手に彼の足元にすり寄ってゴロゴロと喉を鳴らしている。
……うん ただ懐かれているだけだわ。
「わー てんまくん動物に好かれるんだね! すごいすごい!」
私がペットボトルのお茶を差し出すと てんまくんは悔しそうに唇を噛んだ。
「ぐぬぬ……。まあいい。これだけの数がいるのだ。この街を掌握するのは時間の問題だ…!」
その眷属たち マタタビ一つで戦闘不能になるけど大丈夫なんですかね……
【征服計画その②:秘密兵器を開発し恐怖で支配せよ!】
また数日後のこと。
てんまくんは境内の砂場で泥だらけになって何かをこねていた。
「フフフ……。古文書に記されし伝説の呪物『泥団子』……。これが完成すれば 人間など……!」
彼が作っていたのはピカピカに磨き上げられたそれは見事な泥団子だった。なるほど これはこれで芸術的かもしれない。
「……売る気?」
「たわけ‼ これは投げるものだ‼」
「そうなんだー。でも てんまくん すごいんだねー! 私 じゃ作れないなー」
とりあえず話をそらす。これがもし誰かにあたったら洒落にならない。
私がウェットティッシュで手を拭いてあげると てんまくんはきょとんとして……
「す……すごい?」
「うんうんすごいよ……さすがてんまくん‼」
「す……すごいのは当然であろう‼ 何せこのわれは鬼ヶ島家の正統後継者 てんまなのだから!」
「わーすごい‼ かっこいいー」
「ふふふふふ‼ やっとこのわれのすごさが分かったか‼ どうだ われの配下になるのならこの泥団子をくれてやろう」
……きび団子をくれる桃太郎じゃないんだから
ちょろ鬼てんまくんはその後 もっとピカピカの泥団子作りに精を出していた。第二計画も こうして平和に頓挫した。
そんな日々が続き 季節は夏から秋へと移ろい始めていた。
その日 学校の帰りに神社へ寄ると、てんまくんが一人、しょんぼりとブランコに座っていた。
「どうしたの てんまくん。元気ないね」
「……葵」
てんまくんはぽつりと私の名前を呼んだ。
「われは無力だ……。計画はことごとく失敗……。これでは、ご先祖様に顔向けできぬ……」
その小さな背中は あまりにも寂しそうだった。
日本征服なんて意味の分からないこと言ってたけど まあ彼なりに一生懸命だったんだろう。
私は何も言わず、てんまくんの隣のブランコに座った。
そして、自分のマフラーをほどいて、彼の首にそっと巻いてあげる。
「!」
「最近 寒くなってきたからね。風邪ひいちゃうよ 征服者さん」
「……なぜだ」
てんまくんが、潤んだ瞳で私を見上げる。
「なぜわれに優しくするのだ。吾輩は お前の国を奪う敵なのだぞ」
「無理だと思うけど……」
「なぁ……」
「あ…ごめんごめん ちょっと本音がもれちゃった」
「き…きさま‼」
てんまくんが立ち上げる。私はそんなてんまくんに向けて
「少しさ……趣向を変えてみない? 人類を支配する方法の……」
「……趣向だと?」
「そ…だって考えてみようよ。力で支配して反乱でもされたらどうするの」
「決まっておろう‼ そのような反乱分子など我の力で」
「できるかな~。知ってる 人間って怖いんだよ?」
「は……ないをいう……人間など」
「この日本には鬼の伝承があるのは知ってるよね? つまり過去にも鬼たちは人間と接触したはずなんだけど……どうして無事なんだろう?」
「どうして……ってそれは……なぜだ?」
「すべて返り討ちにしたからだよ。しかも捕獲した鬼たちを その生態を研究するために解剖したり人類の医療の発展のための動物実験にしたり 挙句の果てに鍋で煮込んで……あー想像しただで寒気がしてきたわー」
「な……そ…そんな‼ そんなはずが‼」
「ちなみにー君の目の前にいる女の子はどうだろうか 果たして本性は善良な人間なのかなー」
私を見つめているてんまくんの顔がみるみる青ざめていく。
「それと……」
「わ……わかった‼わかったからもう……よい‼」
気が付けば彼はすっかりおびえきっていた。
それから俯き しばらくの間 言葉はっすることはなくなった。
まいったな……言いすぎたかな?
私は次の言葉をかけようとすると 彼は顔を上げると何かを決意したように宣言した。
「……よかろう! 方針を変更する!」
「え?」
「性急な征服は、かえって民の反発を招く! まずは、この国の重要人物たる“葵”を観察し、人心掌握の術を学ぶことにする! これぞ長期的な視野に立った新たなる征服計画なり!」
そう言って彼は私の手をぎゅっと握った。
「というわけで、葵! これからもわれの観察対象として、そばにいることを許可する!」
その顔は いつもの自信満々な鬼の坊やに戻っていた。
でも その口元が ほんの少しだけ笑っていた。
こうして 鬼の少年てんまくんの日本征服計画は今日も再び幕をあげた。
そんなてんまくんを見て 私から言えるのはただ一つ
ーー今日も日本は平和です