18話:ヒロイン(リエル):舞踏会と別れ
三日前、ターマイン様から取引なプロポーズを受けてから思考がモヤモヤする時がある。それに、他の生徒からかけられた言葉が楔のように胸に刺さっている。心が重くなり、少しずつ変わってきている。
そんな状態で、私は舞踏会に向けてリリア様から社交ダンスを教えてもらっていた。まずは基本的な足運びから始まり、今は実際に手を取り合って踊っている。
視線を落とすと胸が揺れるのが見れる。たゆんたゆんする大きな双丘に視線誘導されている。理性を投げ捨てて飛び込みたい。前にされたように抱きしめられて、おっぱいに捕まえられたい。
「足元を見たらダメよ。姿勢が崩れるわ」
注意されて視線を戻す。
うぐぐ……ちゃんと集中しよう。舞踏会で下手なステップを踏んだらリリア様に失礼だし。舞踏会で二人で踊りたいし。
揺らぐ理性と芽生える欲望の狭間で踊り続け、どうにか人前で問題なく踊れるレベルのダンスを習得できた。
「ダンスの練習、上達してるわね。舞踏会ではみんなに見せてあげましょう」
お世辞かもしれないけれど、その言葉に励まされ、私はさらに頑張ろうと思える。リリア様から貰える何気ない一言や一挙一動で、私の中の感情はますます複雑になっていった。
舞踏会の夜の自室、ウルスさんに手伝ってもらい、リリア様と同じようにドレスに着替えた。
私のドレスは明るい青が広がるフリル袖のデザイン。ただでさえ私好みなのにリリア様が私のために選んでくれたことが嬉しくて、鏡で自分の姿を確認しているだけでニヤニヤが止まらない。
「こんなに立派なドレスが着れるなんて、思ってもみませんでした」
見違えるような自分を見ていて思わず呟くと、リリア様は微笑みながら答えてくれた。
「着飾ったリエルもかわいくて、お姫様みたいね」
その言葉に、私はまた嬉しくなった。
リリア様の紫色のレースドレスも、私にはとても綺麗に見える。首を垂れたくなる気品さと美しさがあって、立ち姿を見るだけで魅了されて心が引きずり込まれる。世界中の何もかもが、リリア様を引き立てるためだけに存在しているように感じる。
「リリア様も素敵です。ドレス姿が美しくて、芸術の完成形です!」
私は緊張しながら舞踏会の会場に足を踏み入れた。
緊張の理由は初めての舞踏会だから……じゃなくて、リリア様と組んだ腕にある。部屋を出た時、リリア様から「私たちはパートナーでしょ」って絡めてきた。まるで恋人のような気分だ。緊張と共に、バカみたいに顔がにやけるのを必死に抑えた。来る途中、油断してちょっと漏れ出たかもしれない。
「リエル、一緒に踊りましょう」
腕を外したリリア様が手を差し出す。
「はい!」
綺麗な手を傷つけないように、そっと重ねた。手のひらから伝わる温度と感触。他の誰よりも冷たく、他の誰よりも暖かい手。ずっと握りしめていたくなる手だ。
憧れの人と手を繋いで、ドレス姿で踊るなんてドキドキする。
なのに、平民の私に向けられる敵意を含んだ無数の視線が、手を震わせ、体を固くさせる。
私は動けずにいると、リリア様が私を引き寄せた。距離が縮まり、赤い瞳に吸い込まれるような感覚に襲われる。
気がつく間もなく、私たちはダンスを始めていた。
リリア様の顔は近く、あまりに美しくて目をそらせない。頬がほんのりと赤らんでいるように見え、胸が高鳴る。
もう周りは気にならない。リリア様しか見えない。踊りに夢中になって、次第に周囲の音が遠く感じられる。リリア様の存在が、私にとって全てになっていく。
ダンスが進むごとにリリア様の優雅な動きにますます魅了され、広い会場なのに私たちだけのものに思えてくる。手のひらから伝わる温もりが、私の中に深く染み込んでいく。
私たちのダンスは一つの物語が展開するかのように続き、私はその美しい瞬間に溺れ込んでいった。
ダンスを終えると、息も体も熱くなっていた。
どうにか息を整えるためにも、一度離れておこう。
「飲み物を取ってきます!」
言ってすぐ、ダンスのために開けられた空間から離れた。飲み物が置かれているテーブルを見つけて近づく。グラスに手を伸ばす前に、肩を掴まれた。
「おい、平民が何してるの?」
振り向くと、目立つ色と装飾のドレスを着た二人の女子生徒がいた。一人は前にリリア様に話しかけてきた人で、もう一人は私を壁に押し付けた人だ。顔をしかめたその表情は、私に向けられる軽蔑の色で満ちている。
「まだリリア様に付きまとって、何を考えているの? あなたなんか、リリア様にふさわしくない矮小な存在だってのに」
その言葉が、私の心に重くのしかかる。言葉を返すことができず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。胸の中に溢れる言い返したい気持ちが喉の奥で塞がれたまま、言葉にならない。
「あなたみたいな平民が、どんな努力しても無駄よ。リリア様の品位を汚すようなことはしないでね」
私に向けられる視線はますます冷たく、攻撃的だ。心の中で何度も反論したいと思ったが、目の前の彼女たちの鋭い視線に圧倒され、身体が萎縮する。
「女なのに青いドレスなんてね」
「華やかな場所に不釣り合いだわ」
「……っ!」
私のせいでリリア様が選んでくれたドレスまで悪く言われてしまった。あまりに冷たい言葉に、私はその場を離れたくて足が自然と動いた。背中にまだ刺さるような冷たい視線を感じながら、急いでその場を離れた。
「ごめんなさい。問題があってグラスを持ってこれませんでした」
リリア様は苦言もせずに、私の手を掴んだ。
「ついてきて」
リリア様に手を引かれ、静かなバルコニーへと出た。周囲のざわめきが遠くなり、冷たい夜風が肌を撫でる。
「派手な鳥かごよりも、こっちの方がいいわね」
銀色の髪が月光を受けて輝き、夜風でたなびく姿が、流れ星のようで目を奪われる。
リリア様は私の手をそっと放し、向き直る。赤い瞳には心配の色が見えるけれど、そこには何も言わずに私を見守っているような静かな優しさが感じられた。
私は自分の中でも湧いてきてしまった疑問をぶつけてみた。
「どうして……私のドレスに青色を選んだのですか?」
あの二人や他の生徒の華やかな装いと比べて、私のドレスはどこか控えめに見えた。リリア様がなぜ青いドレスを選んだのか、理解できなかった。
「あなたの瞳の色に合わせたからよ」
まさかの答えに、息を吞む。
「リエルの瞳は青空のように澄んでいて、いつまでも見ていたくなる。私の中で最も清らかで美しい色。だから同じ色のドレスを選んだの」
「………あぁ……」
リリア様の言葉が心に響いた瞬間、私は自分がずっと見逃していたことに気づいた。リリア様はいつも私を見ていてくれた。平民の一人じゃなくて、リエルとして誰よりも見てくれて、目を合わせてくれていた。
リリア様の微笑み一つが私の世界を照らしていた。
「リリア様、私は……」
「うん」
「私は……!」
好きだと言いたい。でも、言えない。告白しちゃいけない。
リリア様は優しいから無下にはされないかもしれない。でも、そんなの、優しさに付け込んだだけの迷惑な行為になる。何も釣り合わなくて、リリア様にふさわしくない私がしたら絶対にダメ。許される立場にない。
全部わかっているのに……理解しているのに……。
湧き上がる想いを抑えきれなくて、涙になって溢れてきた。目から零れる想いが止まらない。
ふわりとリリア様に抱きしめられた。優しさと気配りが、私を包み込む。温かい腕の中で、ただただ涙を流していた。
リリア様が好きです。そばにいて欲しいです。
リリア様が好きです。そばにいたいです。
リリア様が好きです。見つめられたいです。
リリア様が好きです。見つめたいです。
リリア様が好きです。愛されたいです。
リリア様が好きです。愛しています。
リリア様のことが大好きです。
心の中で想いを吐露しきって、ようやく涙が収まった。
「どうして泣いたのか教えてもらえる?」
優しく聞かれ、つい口を滑らせそうになるのをグッと我慢する。
「……言えません」
「そう」
「ごめんなさい、部屋に戻ります。少しだけ、一人にさせてください」
小走りで部屋に戻り、マジック便せんを机の上に出す。
自分の声だけど、自分じゃないような声が頭に響く。
『間違ってない選択』頭が痛い。
『そうしないといけない』吐き気がする。
『他に手段はなく、これこそが正しい』気分が悪い。
私は好きな人とこれから先も関係を保ちたい。恋仲になれなくても、会える理由や立場が欲しい。だからこそ、ターマイン様の取引に乗る。
便せんに名前を書くと、便せんが鳥の形に変わって窓から飛び去った。すぐに学園の裏門に迎えが来るはず。
早く……早く行こう……。
日記に自分の気持ちを書き留めてから、身一つで部屋を出た。
迎えの馬車に乗り込み、窓越しに離れていく学園を眺めていると心がキュッと締まっていく。
屋敷に着き、案内されて三階の客間に通された。少し待つように言われて一人でソファーに座っていると、部屋の扉が開く。
ターマイン様が複数人の使用人と共に客間にやってきた。
「ボクの屋敷にようこそ。よく来てくれたな」
彼がフッと笑い、表情を変える。
「騙されたとも知らずにさ」
侮蔑の表情は、私に話しかけてきた女子生徒たちと質が似ていた。
騙された? 私が?
「ど、どういう意味ですか?」
彼がポケットから、金属製の腕輪を取り出した。
「君にも影響を与えたコレ、魔の遺物を使い物にするために君の力が必要でさぁ。今夜から協力してもらうよ。あー、そうそう、学園とかへの連絡や対応はこっちで都合をつけるよ。学園の外、しかもボクの屋敷にいる君のことなんて、どうとでも内密に処理できるしな」
どう考えてもマズい。逃げ……られない。部屋の出入口に彼らがいるし、ここは三階だから窓から飛び降りるなんて出来ない。
迷っているうちに、使用人が私の手首を掴む。手首をギリギリと締め上げられて恐怖を感じる。
「やめてください! 離して!」
抵抗しようとしたけど、ガツンとした衝撃を頭に受けて私は意識を刈り取られた。




