12話:悪役令嬢(リリア):私の最期
雨が窓を叩きつける音が響く夜、私は部屋の中で読書をしていた。外は嵐のようで、時折光る稲妻が暗闇を照らし、その後に続く雷鳴が部屋全体を揺るがした。
私の心臓は大きく跳ね、手に持つ本が小刻みに震える。たかが雷、部屋の中にいれば安全だと冷静に考えようとするが、思考はすぐに恐怖に飲み込まれてしまう。
身体の深いところから、体温が消えていく。薄着に当たる水色のネグリジェ姿だからではなく、精神的な部分で冷たくなってきている。
電気が空気を切り裂く轟音が、とある記憶を想起させる。
前世で最期を迎える前の記憶だ。
芸術大学に通う女子大学生の私は……山中でキャンバスに向かっていた。誰でも登山できるような場所から、少し外れた人気のない見晴らしの良い場所。車から抱えて持ち込んだキャンバスを立てて風景を描いている。
景色を独り占めしながら、筆を滑らせる。青空を薄めた青色で塗りたくる。白い雲は輪郭をブラシで表現。遠くに見えるも力強い山々を描くために、絵の具を混ぜて重量感を出していた。
絵が完成に届きそうな頃、雨が降り出した。山の天気は変わりやすいというが、あっという間に大雨になってしまった。自分の身を雨から守る合羽はなかった。防水シートは持ってきており、シートをかけたキャンバスを抱えながら慌てて走った。雨雲がゴロゴロと唸り声をあげる中を走り続けていると、ぬかるんだ地面に足を滑らせてしまった。
地面に倒れ込む瞬間、キャンバスが手から離れて前方に放り出された。キャンバスが地面に叩きつけられた音が響き、シートは外れて剥き出しになった。すぐに立ち上がろうとするも、打ちどころが悪いのか強い痛みが生じて力が入らなかった。這いずるように身体を動かし、キャンバスに手を伸ばすもまだ届かない。
激しく降り注ぐ雨粒が、キャンバスを容赦なく打ちつける。目の前で、描いた色が流れ落ち、混ざり合って泥のような色に変わっていくのを見て、胸が締め付けられる。時間をかけた絵が、瞬く間にぼやけていく。
絵具が水に溶けて流れ落ちて消えゆく様子は、私の作品を……いいや、まるで私を否定するかのようだった。
私は……伸ばしていた手を降ろしていた。
寒い。雨が全身から熱を奪っていく。頬に触れる雨粒は氷のように感じ、泥と雨水で冷たくなった手から感覚が薄くなっていく。
うるさい。雷鳴と共に視界が白く染め上がる。雷が落ちるたびに、身体ごと鼓膜が震える。雷が近づいてくる。
轟音と眩い光。
全ての色が、私が、失われた。
前世の私は……直撃か落ちた場所から感電したかまでは分からないが、雷で命を落としたことだけは確かだ。
つまり、雷の音が私をこんなにも恐怖させるのは転生直前の記憶が原因になる。冷静に分析をして落ち着こうとしても、雷鳴が響くたびに体が震え、心が揺さぶられる。
私は恐怖に負けて、部屋で勉強しているリエルによろよろと近づいて名前を呼んだ。
「リ…リエル……」
「リリア様、どうしましたか?」
リエルの優しい声に、私は少しだけ安心する。しかし、次の雷鳴が響くと安堵感は一瞬でかき消されてしまった。
「雷が…怖いの……。お願い、そばにいて……」
私の声は震え、涙がこぼれそうになる。リエルは私の言葉を聞くと、すぐに勉強をやめて私の手をいたわるように握ってくれた。手を引かれ、ベッドの方へ向かう。
「リリア様、大丈夫です。私がいますから」
リエルの言葉が、私を支えてくれる。
リエルの手の温もりが、私の心を少しだけ落ち着かせてくれる。
私をベッドに座らせて、そっと胸に抱きしめてくれた。リエルの恰好は、私のネグリジェのピンクの色違いで、薄いから体温がよく伝わってきた。私からも腕を回し、抱きしめて熱を求める。震える体が少しずつ落ち着いてくる。
雷鳴が再び響く。体がビクリとして硬直するが、温かい抱擁の中にいると私の根源から来る恐怖と冷えが和らぐ感覚を覚える。リエルの手が私の髪を優しく撫でてくれて、心の中に安心感が広がっていく。
「リエル…ありがとう……」
私は胸に顔を埋めて感謝の言葉を呟いた。涙をこらえきれなかったが、最初に泣きそうになっていたのとは別の涙だった。
リエルは何も言わず、ただ私をしっかりと抱きしめ続けてくれる。リエルの温もりと優しさが、雷の恐怖を少しずつ遠ざけてくれる。
リエルの心臓の音が聞こえた。その鼓動が、恐怖でささくれた心の形を軟化させる。心地よい命の音が私を癒してくれる。恐怖から解放され、心が静かに穏やかさを取り戻していく。
雷鳴はもう、私の耳に入らなくなっていた。




