氏康、此処に在り
あまり大きな声では言えないが、私はラーメンのスープをご飯にかけて食べるのが好きだ。
特に、博多 一幸舎などの泡系とんこつラーメンでそれをやるのにはまっている。
スープににんにくを潰して混ぜ、レンゲですくってご飯にかけてかっこむ。
だいたいふた月に一度あるかないか、至福のひと時である。
しかし、これが実に容易ではない。
いざ実行しようとすると、心に住まう氏康が、
「お主。よもやねこまんまのようにしてご飯を喰らう気ではあるまいな?」
ぐさり、私に苦言を呈するのだ。
「飯くらい好きに食わせろ」
「周りをみよ。女性客がおるぞ。そのようなさもしい食べ方をしたらあの者らがどう思うか」
「あっはっは。女子供の目を恐れて好きに飯も食えぬようではこの令和の世、とても生き残れんわ」
「Instagramで妖怪ねこまんまラーメン男などと晒されでもしたら、武門の恥ぞ」
「?! 下らぬことを申すな。家系ラーメンや天下一品では珍しくもない……」
「ここはとんこつラーメン店ぞ。周りを見てみい。観光客、家族連れ、女性も多い。あやつらがそのような食い方をしておるか?」
「そ、それは……」
このようなやり取りの末に、あきらめることもある。
氏康とは北条氏康である。若いころ次のような逸話を耳にしてからというもの、度々あらわれては私を戒めるようになった。
Wikipedia 北条氏政 より引用
食事の際に氏政が汁を一度、飯にかけたが、汁が少なかったのでもう一度汁をかけ足した。これを見た父の氏康が「毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条家もわしの代で終わりか」と嘆息したという逸話である
(ちなみにこれは後世の創作と思われる。
初出は1656年に松田一楽入道秀任なる人物が書いた武者物語にある。
人文学オープンデータ共同利用センターで閲覧すると、82枚目辺りに書いてある)
「いや、お前かけてんじゃん。汁」
「作法とは時と場によってうつろうもの」
「なるほど。時勢の流れを読めずして没落したお武家様が言うと、説得力が違うな」
「……」
さて、この氏康が顔を出すのはなにもラーメンに限ったことではない。
「プリンが食べたい」
「お主。いまプリンが食べたいと申したか?」
私は大の甘党で、許されるのであれば「いまだけ女子高生」と何食わぬ顔でスイーツパラダイスに突撃したいくらいである。が、勿論そんなこと氏康が許すはずもない。
「プリンなど女子供の食い物。偉丈夫の食べ物にあらず。上馬もお主の代で終わりか」
「JOJOの億泰みたいなこと言いやがって……」
本当は丸源ラーメンに行けばソフトクリームを食べたい、ミニストップに入ればなめらかプリンパフェ(得盛)を頼みたいのだが、毎度氏康が邪魔するので食べられずにいる。
しかも氏康は食べ物に限らず、身だしなみであったり、言葉遣い、果ては音楽の好みまで、あらゆることで口出ししてくるのだ。
おかげで外向きは北方謙三先生の小説に出てくるようなハードボイルドな男になっている、に違いない。
「あ、上馬さん。ここにわさびありますよ」
「ああ、ありがとう」
クソッ。俺はわさびが嫌いなんだ勧めてくるな。
「そんなんいちいち誰も気にしないよ」皆さまそう思われることだろうが、そうはいかない。
氏康が私を見張っているのである。