六日目 都会の地
目が覚めたのは朝の5時だった。帯広まで来ると朝が寒いということもなく、かと言って暑いわけでもないちょうど良い気温だった。それでも旅をしているときはなぜか早く目が覚めてしまうのだ。
今日は札幌を観光したあと、函館まで行こうと思っているが、そんなに急ぐ必要は無かった。しかし、せっかく早起きしたので、早めに行こうと思う。
札幌への始発は6時45分発特急とかち2号である。僕は昨日買ったおにぎりを食べて、大浴場で朝風呂に入る。やはり僕一人だった。宿泊客が少ないわけではなく、朝早くに起きているのが僕だけなのである。日曜日の朝のホテルの駐車場には、多くのバイクとわナンバーの車が朝日を浴びている。
出発の準備を終えると、少し膨らんだリュックを背負い、捲れた半袖をもとに戻す。フロントに鍵を預け、ホテルをあとにした。あと15分で列車は出発する。
ピヨピヨと鳴り響く駅で、フリーパスを財布から取り出し、改札へ向かう。このフリーパスは今日含め残り3日である。それは、旅の終わりが近づいているのを伝えている。
4番線ホームには、10人くらいの人がいた。僕は自由席の案内を確認し、列に並ぶ。観光客が多いようだ。既に高いところに向かいつつある太陽の光が気持ちいい。
しばらくすると、明るめのチャイムとともにアナウンスが流れる。
「まもなく4番線に、特急とかち2号札幌行きが到着いたします」
そしてすぐに、黄色い列車がホームに入ってきた。
早速列車に乗り込む。車内は、こんなことを言うと一部から怒られそうだが、今まで乗ってきた特急とあまり変わらない。まぁ、良く言うと人が多い路線もそうでない路線も同じくらいのサービスを提供しているのだ。これはすごいことだと思う。
僕はゆっくりする前にやらなければいけないことがある。毎朝恒例、宿探しである、今回は函館でしかも土曜日なので正直取れるか怪しい。とりあえずネットで探してみることにした。
10分ほど調べると、函館駅からは離れているが、個室の3000円の宿が2つ見つかった。3000円ちょうどであるあたり、どちらも個人がやっているのだろう。どちらでも良いとは思ったが、近くに温泉がある方をネットから予約した。
札幌までは3時間ほどかかるので、自由席の車両に戻り、座席に座る。朝早いこともあり、がらがらだった。
帯広で買った旅行がテーマの小説は、男女2人で原付きに乗って北海道を旅するものだった。一応言っておくが、イラストではナンバープレートが黄色だったので違反ではない。実際の地名は書かれていなかったが、なんとなくどこを指しているのかが分かった。例えば、ここはハッカの町だとあったら北見だろうなとか、海外へ向けた看板が多く見られるとあったら根室だろうなとか、頭の中に地図を描いて読めるくらいには分かった。
列車は南千歳駅に停車した。北海道に来た日にここ通った。まだ5日前の話なのに、少し懐かしい気持ちになった。半年ぶりに地元に帰ったときの気分だ。一週してきたんだなと思い、この5日間のことを振り返る。
それからしばらくし、札幌駅に到着すると、急に人が多くなる。平日朝の品川駅よりも人が多いんじゃないかと思うほど混雑していた。
現在の時刻は9時40分。函館では夜景を楽しみたいので、暗くなったころに到着すれば良い。そうすると15時30分に札幌駅を出発する特急北斗14号に乗れば良さそうだ。これまでの旅で分かったのだが、最初にどの時間の列車に乗るか決めて、それまで自由に過ごすやり方が一番楽しめるようだ。
最初に向うのは、北海道で絶大な人気番組を次々と制作しているテレビ局のビルである。北海道に来てまでそんなところ行くのかよと思われそうだが、ここでグッズを買うために遠くから足を運ぶ人もいるくらいである。以前は札幌駅からさらに地下鉄で20分ほどの場所にあったのだが、現在は移転して、駅から徒歩で行けるようになったらしい。
人混みの中を歩いては、空いている場所に行ってスマホの地図を見るのを何度か繰り返していると、テレビ局の黄色いキャラクターが見えたので、そこに向かって歩いた。
テレビ局の名前が書かれてある入り口に警備員がいたので、近くをウロウロしていたが、警備員がどうぞと手を動かしたので、頭を下げて、中に入った。
おみやげコーナーにはそのテレビ局が放送している番組のグッズが置いてあった。そんなに多い訳では無い。しかし、棚2つ分の小さなグッズコーナーには10人近くの人がいた。
僕はテレビ局のマスコットキャラクターと、白いヘルメットがついたボールペンを2つずつ買った。函館行きの特急の時間まではまだ3時間以上ある。僕は、黄色いマスコットキャラクターを、手で潰したり膨らませたりと遊びながら、とりあえず散歩する。
大きな街を歩くのは1日目以来で、東京で見慣れた看板が立ち並ぶ。札幌で何か観光しようと思っていたのだが、結局このあとは、東京にもあるような店に入ってぶらぶらしていた。狭苦しい都会も、1週間近く人の少ない場所で生活すると、街の騒がしさのようなものが恋しくなっていたようだ。静かな場所はもちろん魅力がある。でも、休日の札幌のように、多くの人が歩き、いらっしゃいませの声が聞こえてくる。そんな場所も同じくらいの魅力がある。そういえば、東京に来たばかりの頃も同じことを思った気がする。そんなことをぼんやりと考えていた。
札幌駅近くの全国チェーンのコンビニでお菓子やジュースを買い、札幌駅の5番のりばホームへと上る。昼食は札幌でこれまた東京でも見るようなハンバーガーで済ませた。特急北斗自由席と書かれた札の前に並ぶ。すると、すぐに黄色と紫色の大きな特急列車がやってきた。やがて停車し、僕は開いた扉から車内へ乗り込む。そして、見慣れた紫色の自由席に座った。
札幌と函館を繋ぐこの特急北斗には、大きなキャリーバッグを持った観光客が多かった。乗客は多く、立ち客も見られた。
札幌を出ると車掌が検札に来る。乗客は不慣れな様子で特急券やフリー切符を車掌に見せる。
「どちらまで?」
「登別です」
「特急券よろしいですか?」
「森までですね~。ありがとうございます」
この先列車が向かう地名が聞こえてくる。乗客の半数くらいは登別や苫小牧で降りるようで少し安心した。
ところで、北海道に行ったことがない人は札幌と函館は割と近いというイメージを持っていると思う。確かに地図で見ると、北海道の南西にある2大都市みたいな雰囲気があり、1~2時間で行けそうにも見える。実際僕も最初はそう思っていた。しかしそれは大きな間違いである。地図をよく見てほしい。室蘭市と森町の間には海があり、直線では行けないのである。この海の名を内浦湾と言い、この周りを、円を描くように列車は走る。そのため、直線距離では30キロメートルほどである2つの町を、列車は140キロメートルのレールを辿って走っていくのだ。
よって15時30分に札幌を出発したこの特急列車は、4時間近く掛けて函館に向かうのである。そう、また列車内で長い時間を過ごすのだ。
この旅では多くの時間を列車内で過ごしているような気がする。実際そうなのだ。1日平均5時間は乗っている。最初のうちはこの時間が勿体ないと思っており、こんな旅でいいのかとも思っていた。しかし、この北海道では車窓からの景色が壮大なのである。特に釧網本線の3時間は、ずっと外の景色に飽きずに楽しんだものだった。また、外の景色に飽きてきた時でも、たまに外の景色を眺めながら本を読んだりお菓子を食べたりする時間はたまらなく好きだった。
乗客が多く、賑やかな車内は観光地の特徴なのだろう。車内の放送はよく聞こえなかった。それでも1週間近く聴き続けて覚えた自動放送の部分だけはよく聞こえる。
北海道の特急列車では、電光掲示板に次の駅までの距離が表示される。登別までの距離が短くなるにつれて網棚(実際には網ではない)の荷物が減っていく。
「まもなく登別、登別です」
放送とともに、残りの荷物が降ろされていく。外国語の放送が終わる頃には扉の前に長い列ができていた。
やがて列車は登別に停車した。寂しそうだった駅のホームは、一瞬で多くの観光客で埋め尽くされていった。中には列車と一緒に写真を撮る人も見られた。
しばらくすると、再び列車は大きなエンジン音を立てがら駅を出発した。登別からも乗客はいたようだが、座席が埋まるほどでは無かった。
僕は山側の座席に座っていたので、海側へと移動した。検札のときに「特急券を拝見させていただきます」と言われたので、フリーきっぷを出し「函館までです」と言うと、車掌は縦長の紙にメモを書いた。僕は札幌を出たときにも一度見せていたのだが、そのときに車掌は座席と行き先をメモしているのだと今更気づいた。仕事を増やしてしまったことを申し訳なく思う。
乗客も少なくなってきたので、コンビニで買っておいたお菓子をテーブルに広げ、リュックから小説を取り出す。長時間の乗車となると食べきれないくらいの量のお菓子を買ってしまう習慣は変えたいものだ。
登別の次の東室蘭を出発してしばらくすると、海が見えてきた。内浦湾である。しかしここで窓に水滴が1つ飛んできた。その水滴はみるみるうちに数を増やしていく。天気が一気に変わったようだ。こんな天気でも海の向こうに見える陸地は森町辺りだろうか。もしここが陸地ならば車で30分くらいで着きそうな距離である。そんな場所へこの特急列車は1時間半ほどかけて向かってゆく。
お菓子を食べながら海を眺めていると、一つ思い出したことがあった。そういえば前に見たテレビ番組で日本一の秘境駅、つまりこんなところに駅があるのと驚くような駅日本一がこの辺りにあったことを放送していた。名前は確かおぼろだったっけ。スマホを取り出し、僅かな電波を拾いながらマップで調べた。
その駅の名は小幌駅だった。この特急列車はその駅は停車しない。でも通過はするので見ることはできるはず。この先洞爺駅を出発してしばらくの場所にあるようだ。
洞爺駅を出発してからは小説を閉じ、スマホでマップを開く。列車はトンネルを抜けてはまた入ってを繰り返す。スマホに表示される現在地は瞬間移動を繰り返していた。
現在地が小幌駅に近づくにつれて緊張してきた。特急列車のスピードは速く、スマホに表示されている現在地はどんどん進んでいく。途中豊浦駅を通過したらしいが、全く気づかなかったので自信がなくなってきた。
小幌駅の一つ前の礼文駅を通過すると心拍数が再び上がる。やがて列車はトンネルに入った。スマホのマップではこのトンネルを抜けるとすぐに日本一の秘境駅、小幌駅があるようだ。僕は高速で流れるコンクリートの壁を見ている。1分くらい経っただろうか。警笛がトンネルに響いた。次の瞬間、開けた土地が見えた。一瞬だけ緑色の駅名標が見えた。そしてすぐにトンネルへと入っていった。
はっきりとは見えなかった。でも確かに駅があった。周辺に人が住むような場所は無かっただろう。恐らく何も知らなければそこに駅があると気づかないと思う。地元の島根にも木次線という路線には秘境駅と言えそうな駅はある。でもさっき通った小幌駅は次元が違った。
北海道に行くことは人生で今回だけのつもりだった。しかし、今回の小幌駅や途中行けなかった美瑛などやり残したことがたくさんできてしまった。残り60年の人生でもう一度北海道へ行かないといけないようだ。
列車はそんなことを考えている僕にはお構いなしに函館へと走ってゆく。列車は森駅に到着。ようやく内浦湾を周り終えたようだ。この森駅では近くに有名ないかめしの駅弁がある。今日は時間がないので行けないが、帰りに時間があれば行こうと思っている。
森駅を出発すると海は見えなくなり、いくつかの駅に停まりながら、終点の函館に到着した。
函館の街は夜を迎えていた。天気が雨だというのもあるのだろう。僕は「ようこそ函館へ。」と書かれた看板を一つひとつ見ながら改札へと向かった。駅のコンビニでは傘が売れているようだ。
駅を出るとすぐにバスターミナルがあった。函館の夜景が見れる函館山へはどのバスに乗るのか分からなかったが、「函館山ロープウェイご利用のお客様~、ご乗車くださ~い」と聞こえてきたので、そのバスへ乗り込んだ。
バスの中はつり革を掴めないほどに混雑していた。外は車内の会話すらもかき消すほどに雨が降っている。隣の家族連れのお父さんは「今日は雨だし夜景は見られないかもね」と話していた。
バスに乗ったときからずっと手に握っていた240円を運賃箱に入れ、バスを降りる。その先にはロープウェイ乗り場へと続く列ができていた。
ロープウェイの切符売場には山頂のライブカメラの映像が流れている。らしい。というのも画面が真っ白なのである。今日の天気は雨。気温の低い山頂ではそれが霧となっているようだ。
モニターをしばらく見て、帰る人も多いようだ。券売機へ向かう人はそういなかった。僕も行くかどうかしばらく迷ったが、ロープウェイに乗るのは小学生ぶりだから乗りたいというよくわからない言い訳を見つけて券売機へと向かった。
リュックから財布を取り出していると、男性スタッフから
「山頂の様子はご覧になられましたか?」
と声をかけられた。ロープウェイの往復切符は1500円するのである。登った後に見られなかったなどとクレームが来ても困るからだろう。
「はい。大丈夫ですよ」
と僕は答え、券売機にお金を入れた。
階段を登り、乗り場へ到着した。土曜日なのに暇そうなガイドポールの迷路を抜け、ロープウェイの前までたどり着いた。
5分ほど待っただろうか。四角形の大きな乗り物がゆっくりと降りてくる。やがて停まり、ガラスの向こう側に人が降りてゆく。そして、こちら側の扉が開き、スタッフが「お待たせいたしました!前の方からどうぞ~」と言った。
ロープウェイには、扉の前で待っていた人全員が乗り込んだ。30人くらいだろうか。真っ暗な車内からは外の景色がよく見える。ロープウェイはガクっと揺れ、静かに動き始めた。
高度が上がるに従って、函館のオレンジ色の灯りが数を増やしていく。夜の街並みは、いつの間にか夜景へと変わった。その景色は素晴らしかった。大きなガラスの外に映る函館の夜景は、まるで映画でも見ているような気分にさせる。しかし、その感動も束の間、白い煙のようなものが、その夜景を奪ってしまった。
ロープウェイを降りると、足元は真っ白だった。まるで雲の上にいるような気分だ。それからいくつかの階段や通路を抜け、展望台屋上へと向かった。
屋上に着いた頃には雨は止んでいたものの、周囲は真っ白な世界だった。雲の上と言うよりは雲の中のようだ。ここへは車で来たのであろう観光客が多くいた。しかし、皆残念そうな様子である。そもそもどの方向に夜景が見えるのかも良くわからない。ざわめきの中から「せっかく来たのにね」「残念だったね」と聞こえてくる。
展望台には階段があり、少し高い場所がある。その場所からは俯いて帰っていく人の姿も見える。このまま待っていても時間だけが過ぎていきそうなので、僕も少し休憩したら帰ろうと思っている。
展望台の手すりにもたれて15分ほど経った。ここに到着したときにいた赤い服の人も、大きなカメラを抱えた人もいなくなった。最初に展望台にいた人の多くは帰ったようだ。僕も帰ろうと思い、足元に置いていたリュックを持ち上げる。そして階段を降りる。その時、サーッと音がなり、風が吹いた。
真っ白な霧が何処かへ流れていった。
その瞬間、函館の夜景が一面に広がった。
展望台のざわめきが一瞬にして歓声に変わった。
時間は10秒も無かっただろう。目の前の白い壁は、さっきまで函館の夜景だった。今までの人生見てきたものを探しても、ここまで美しいものは無かった。今にも涙が出そうなほどに素晴らしい景色だった。
ロープウェイを降り、函館の街を歩く。今の気持ちを言葉にするのは難しいのだが、例えるならば、映画館で映画を見終わった後の気分だ。
時刻は21時前。僕は夜ご飯を買いにコンビニへ向かう。またコンビニかよと思われそうである。しかし、ここ函館には有名なコンビニがあるのだ。細い道を抜けると、そのコンビニが見えてくる。
左の建物には大きなやきとり弁当、右の建物には大きなハンバーガーの絵が書かれている。今日は左のやきとり弁当があるコンビニへ入る。
店内にはカウンター席のようなものがあり、そこに置いてある紙に欲しい弁当を書くらしい。どれが美味しいのかまでは調べていなかったので、特におすすめと書かれたやきとり弁当にチェックし、店員に渡した。
やきとり弁当の入った袋を片手に赤レンガ倉庫の中を歩く。この時間になると観光客も少なくなった。オレンジ色に輝く道はどこか寂しそう。僕は海沿いのベンチに座り、やきとり弁当を食べた。
人気も無くなってきたので、そろそろ宿へと向かうことにした。今から十字街へ行けば谷地頭への路面電車に乗れそうだ。僕は空の弁当箱が入った袋をリュックに詰め、再び歩く。
あまり馴染みのない路面電車は新鮮だった。夜の街中を電車で走るのはまるで夢の世界にいるような気分にさせる。乗客は僕と地元の男子高校生の2人。彼にとってはこれが日常なのだろう。ずっとスマホの画面を見つめている。
終点谷地頭に到着した。高校生に続いて僕も列車を降りる。ここから宿へは徒歩5分くらいだ。大きな建物の横の坂道を登ると、小さなゲストハウスの文字があった。
お洒落という言葉が似合う受付で、
「予約してました、山本です」
と言う。そういえば今日喋ったのが初めてのような気がした。観光地では旅人同士の交流が少なくなる。
小さな鍵をもらい、2階へ上がる。今日の宿は個室。壁は薄いものの、宿泊客のマナーは良いようでそこまで気にならなかった。ホテルの案内の中に周辺施設の紹介があった。谷地頭温泉。さっき見かけた大きな建物がその温泉だったらしい。明日の朝、行ってみようと思う。
共用のシャワーを浴び、歯磨きを済ませ、あとは寝るだけになった。もうすぐ日付が変わる。今日もいろいろあったなと思い、SNSを開く。稚内で出会ったみんなの投稿もあった。その関連で、今北海道を旅している人たちの投稿も流れてくる。同じ時に展望台にいた人も見かけた。僕は、帰りのロープウェイで撮った函館の夜景とともに、今日のことを投稿した。そしてユキさん、レナさん、Ayuさんの投稿にいいねをして、僕は眠りに就いた。