一日目 上陸
新作です。時間があまり取れそうにないので不定期更新になります。気長に待っていただけると嬉しいです。
地図を見ながら読むと、より楽しめると思います。
疲れた。こんな人生に。僕は高校を卒業して社会に出た。地元島根県松江市から上京し、品川駅からすぐの場所にあるIT企業に勤めていた。特別な思いがあって入社したわけではなく、ただ東京という街に憧れただけであった。最終面接に行くときに乗った、寝台列車からの景色は輝いて見えた。サンライズ出雲の小さな窓の外には、僕の知らない世界が広がっていた。列車を降りたとき「東京~、東京~」とアナウンスが流れてワクワクした。品川駅の広大な通路を行き交うサラリーマンも、別の世界の人間に見えた。僕もこの世界の一員になりたい。そう思っていたときもあったっけ。
あれから二年が経った夏の日、僕は品川駅の大量に並んだモニターをぼんやりと見ながら会社へと歩いていた。今日で会社を辞めるのだ。現実は輝いているわけでもなく、朝8時に出社し、夜遅くまで働く。終電になることもあった。東京の終電は夜遅くまであり、23時51分発に乗れば、翌日1時には八王子のアパートに帰ることが出来る。忙しかった日々も、今日で終わりだ。
上司からの言葉も聞き流したところで僕は会社を後にした。同期からは
「元気でな、徹」
と言われた。
限界が来る前にブラック企業を辞められたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。おかげでスッキリした。貯金も割とある20歳。しばらくは遊んで暮らせそうだ。人も少ない平日の昼間、僕は羽田空港にでも行くことにした。
品川からは羽田空港まで電車一本で行くことが出来る。それも15分くらいだ。ちょっと変わったものでも食べようと思い来てみたのである。しかし、空港ってのは恐ろしい。旅する人々、行き交う方言、放送のチャイム。この空気感が旅へと誘惑する。しかも2時間後の羽田発新千歳行きの便に空席があった。価格は2万円ほど。僕はその場でクレジットカードで支払ってしまったのだ。
支払ってから気づいた。今日は何も持ってきていない。リュックには水とペンくらいしか入ってない。現金も少なかった。とりあえず空港のコンビニに入り、5万円ほど下ろして歯ブラシとパンツ、おにぎりを買った。
チェックインを済ませて、保安検査を通る。搭乗口まで歩き、椅子に座った。飛行機は、松江へ帰省するときに何度か乗ったので慣れていた。そしてリュックからおにぎりを取り出した。会社を辞めて、これから乗る飛行機を眺めながら食べるおにぎりは、世界で一番美味しかった。
20分ほど経っただろうか。放送が流れた。
「本日はご利用いただきありがとうございます。ただいまよりご搭乗のご案内をいたします」
すると周りに座っていた人たちがゾロゾロと並び始めた。僕もその列に並ぶ。
ゲートでQRコードを提示すると、何もない通路を徐々に近づくエンジンの音を聞きながらしばらく歩く。そして、機内へと入った。「21Aっと」頭の中で唱えながら、一つずつ増えていく数字を見ていく。
そして「あった」そう思い、リュックを前の座席の下へ置き、座席に座る。飛行機には何度か乗ったことはあるが、北海道方面にしか出ていないこの航空会社は初めてで、独特の機内にテンションが上がる。
全員が座席に着き、落ち着いたところで、天井からモニターが出てきた。そしてアナウンスが流れる。
「本日はご搭乗いただきありがとうございます。ただいまから機内のご安全についてご案内いたします」
すると7割位の人がモニターを見る。残りの3割は飛行機に乗り慣れているのだろうか。スマホの画面を見たり本を読んでいた。
放送が終わり、飛行機の離陸の準備も整った。一度エンジンの音が小さくなった。そして「ウィーーーン」と爆音を立て、加速した。ガタガタと揺れる座席はスッと宙に浮いた。さよなら東京。果てしなく続くビルに別れを告げる。
東京の街も見えなくなった頃、僕はパンフレットを手に取った。僕は数時間前に飛行機を予約した。計画も何も無いのだ。旅行自体、修学旅行で行った広島、京都と、小学生の時に家族で行った愛媛くらいだ。
函館の夜景、富良野のラベンダー畑、美瑛の自然、日本最北端の宗谷岬、網走監獄、釧路湿原。見るものすべて行きたいと思った。時間もあるし、一周するのも良さそうだ。僕は北海道を一周してみようと思った。
1時間ほど経っただろうか。飛行機は海を渡り始めた。本州とはここでお別れだ。今見ている陸地は青森県だろう。こうして眺めると、日本は小さく思えた。
「ポーン、ポーン」
「皆様、着用サインが点灯しました。シートベルトをしっかりとお締めください」
もう少しで着陸するようだ。窓の外には北海道の街が見える。広大な自然の中に見える赤い屋根の家たち。ここが同じ日本だとは思えなかった。そして、陸は近づきやがてゴォーと音を立て着陸した。
新千歳空港に到着し、北の大地へと上陸した。夏ということもあり、半袖を着ていたが、肌寒かった。飛行機から降りる人たちは皆、北海道に慣れているのだろうか、カーディガンを羽織っている人が多く見られた。
新千歳空港からは列車で札幌まで行けるらしく、とりあえず乗り場まで向かった。その間、札幌の宿を探してみる。どうやら北海道にはホステルやらライダーハウスやらが多く、一泊2000円から3000円くらいが相場らしい。僕は札幌駅から徒歩15分のホステルと呼ばれる、木造のカプセルホテルのような場所を予約した。
空港と駅の連絡通路を歩き、新千歳空港駅に到着した。そこには大きな北海道の地図があった。よくよく見ると、小さく「北海道と本州の大きさを比較」と書かれており、本州の地図が重ねて描かれていた。
なんとういことだ。端と端が大阪東京間くらい、いや、それ以上あるじゃないか。1時間前に、北海道を一周すると決めた自分を憎んだ。観光しながら行くと10日くらい掛かるだろうか。少し不安になったが、今は職もない自由の身。「まぁ大丈夫さ」と言い聞かせ、快速エアポート171号札幌行きに乗った。
新千歳駅の次の南千歳駅を発車すると、隣に男性が座った。50を過ぎた父くらいの年齢だろうか。大きなリュックと一眼レフを抱えている。しばらくすると
「君は半袖だけど寒くないの?北海道の人は強いね」
そう言われた。
「いや、僕さっき東京から来て...」
「そうかそうか、俺も大学生の夏休みに初めて北海道一周したとき、寝台列車から降りたら寒くて驚いたな~。北斗星の乗客で半袖は俺くらいだったよ」
その男性も終点札幌まで行くらしいので、北海道の旅行についていろいろと教えてもらった。このあと札幌でゆっくり過ごそうと思っていたが、旅の準備で忙しくなりそうだ。
「まもなく終着、札幌、札幌です」
男性の声の自動アナウンスと、終着という響きに新鮮さを感じながら、列車を降りる支度をした。
やがてホームに降りると
「またどこかで会えたら」
そう言われて、男性と別れた。一人になろうと思ってここに来たつもりだったが、どこへ行っても人間は一人になれないようだ。しかし、気分は良かった。
暗くなり始めた札幌でやることはたくさんあった。まず、男性から教わった切符を買うことだ。札幌駅で券売機を探し、タッチパネルを操作する。おトクなきっぷの中から「北海道フリーパス」を探して購入した。価格は27000円で、1週間、北海道の普通、快速、特急列車と一部のバスに乗ることができるのだ。つまり、交通費がこれ以外ほとんど掛からないということだ。素晴らしい。北海道一周にどれだけのお金がかかるのか不安だったが、これさえあれば、あとは食費と宿泊費くらいで済みそうだ。
次に僕は衣料品店へ向かった。駅構内...なのかは分からないが、スマホで調べると、札幌駅南口付近にあるらしいので、そこへと向かった。
東京や松江でも行っていた全国チェーンの衣料品店。こんな場所へきても変わらない場所があることに安心感を覚えつつ、僕は990円の半袖Tシャツを二枚、セール品コーナーにあった長袖Tシャツを二枚買った。会計後に
「すみません、試着室で着替えて行ってもいいですか」
ダメ元で聞いてみたが
「はい!大丈夫ですよ~」
と笑顔で返された。北海道の人が優しいのか、この店の方針なのかは分からないが、少なくともそれはごく自然な笑顔に見えた。
店を出ると、今度は書店へと行くために、札幌駅方面へ少し戻った。やはり、東京の神保町で見たことのある店名の下を抜けて店に入る。しかし、ここは東京の店舗とは違い、駅前とは思えないほどの広さだった。僕はその広大な店内から、時刻表を探した。今どきスマホがあるから紙の時刻表なんていらないだろうと思ったし、そもそも時刻表という本があることも知らなかった。しかし、列車で話した男性は
「電波の繋がらない場所だと電車の時間も分からなくなるから必ず買うんだよ」
と言われた。20分ほど店内を彷徨い、ようやく時刻表が5冊ほど並んだ場所を見つけた。僕はその中から、小さな時刻表と書かれた本を手に取った。
書店を出ると、時刻は20時を回っていた。旅の準備もようやく終わったのでご飯でも食べることにした。何を食べるかって、もちろん札幌ラーメンだよ。
僕は再び南口の方まで歩き、ラーメン店が集まる場所へ行った。その中の店にテキトーに入ってみた。
なんとなくメニューを見てみたがやはり味噌ラーメンを注文した。
待ち時間は少し長く感じたが、やがてテーブルに味噌ラーメンが置かれた。久しぶりの長距離の移動で疲れていたこともあり、お腹もずいぶん空かしていた。僕は早速箸をとり、いただくことにした。
結論から言うと、おいしかった。スープの味は西日本出身の僕の口には控えめであっさりと感じられたが、それも悪くない、むしろ良いと思った。忘れかけていた幸せという感情を蘇らせてくれた。そんな味だった。
僕は店を後にし、宿へと向かった。ここから徒歩で15分ほどだ。知らない街の夜の散歩は恐怖心はあるもののワクワクもした。知らない道、知らない店の看板、東京や松江とは違う人柄。その全てが新鮮だった。
ホテルに到着すると、独特の木の香りがした。受付は同じくらいの年齢と思われる女性だった。
「こんばんは~」
ここでも自然な笑顔で迎えられた。
「あっ、こんばんは。本日予約してました山本徹です」
「はい!かしこまりました!」
ホテル内でのマナーや利用の説明をしばらく聞いた後、僕はベッドへと向かった。小さな正方形の入口から中へ入ると、僕が横になれるのがやっとの狭い空間になっていた。東京に来るときに乗っていたサンライズ出雲のノビノビ座席くらいだろうか。窮屈に思いつつも非日常的な空間に心が躍る。
シャワーを浴び、寝る支度も済んだところで、今日は寝ることにした。明日は富良野へ行こうと思っている。朝も早いので今日はもう寝ようと思う。明日からどんな世界が待っているのだろう。そんな事を考えながら、僕は目を閉じた。