第五章(07) 魔手
月の光が、徐々にではあるが、確実に曇っていく。人間達は感じてはいないものの、竜達はひしひしと感じていた。
そして竜の里を侵略しようとする、人間と『戦竜機』が力をつけてきていることも、彼らは感じていた。
ある日、フェガリヤが子供の竜達と遊んでいる時だった。谷を守る戦士達が帰ってきたときいて、フェガリヤは兄とその友ハイムギアを迎えに行ったが。
「兄様! ハイムギア様!」
ぼろぼろに傷ついた二体を見て、銀の少女は悲痛な声を上げた。
「おっと、それ以上近づかないほうがいいぞ。服を汚してしまう……婆さんに怒られるぞ」
ハイムギアが笑うが、彼は後ろ足の片方を引きずっていた――ハイムギアがこうも負傷するとは、ひどく珍しいことだった。そもそも彼は普段、傷の一つも負わない。透明になって姿を消す能力があるため、攻撃を受ける前に奇襲し、敵を仕留めることができたからだ。
「どうやら……俺の力が衰えたか、奴らが更に力をつけてきたか、どちらからしい」
集まってきた竜達に、ハイムギアは説明する。
「それと、仲間が数体連れて行かれた……」
皆が言葉を失って、傷ついた戦士達を見つめていた。やがて彼らは、まずは身を清めるために川へと向かい始める。フェガリヤも兄についていこうとするが、兄は優しく微笑んだ。
「心配するな、フェガリヤ。皆とここで待っていなさい」
「でも兄様もハイムギア様も怪我を……」
「高台で月の光を浴びれば怪我も治る。だからそう、泣きそうな顔をするな」
けれども戦火は、静かに忍び寄ってくる。ゆっくりと、燃え広がっていく。
「……『戦竜機』の隊列を見ました」
別のある日、フェガリヤは恐る恐る口にした。
人の姿である彼女。必要になったのならば人々に紛れられるように、またより人間の暮らしを学ぶため、ウースラに連れられ街に行くこともでてきた。数回目の訓練から帰って来たその日、彼女は兄にぽつぽつと街で見たものを話した。
『戦竜機』を初めて見たこと。竜であるものの、もう竜ではないこと。竜、あるいは人間を傷つける兵器であるのに、人々は喜んでその隊列を見送っていたこと。そしてその隊列は、カイザロン谷とは別にある、竜の里へ向かって行ったこと――。
「フェガリヤよ……この谷は、何があっても我々が守る」
フェガリヤは決して「怖い」とは言わなかったが、メサニフティーヴは小さな妹に寄り添った。銀の少女も兄に寄り添い、その体温を感じていた。
だが、それは、まさに災害のように訪れた。
――フェガリヤが生まれて、五年が経とうとしていた頃だった。まだ幼さを残しているものの、年月相応に銀の少女は大人びた。背が少し伸び、身体は丸みを帯び、胸も膨らんだ。
その日、彼女は家の前で、ハイムギアと共に本を読んでいた。小さな竜と言えども、ハイムギアが本をめくるのは難しい。だから彼を手伝って、共に文章を追っていた。
「ナクニラの街は音楽が有名で、三つの巨大な……お、お、おるち……?」
「『オーケストラ』です、ハイムギア様」
「おーけすとら?」
「はい。他の本で読んだのですが、音楽を奏でる団体のことです」
フェガリヤが人間の文化を学ぶと同時に、ハイムギアも人間の文字や文化を理解していった。だがより深く学んでいるフェガリヤの方が多くを知っているため、ページをめくるだけではなく、こうした手伝いもしていた。
そうして本を読み進めていると、奇妙な音が聞こえた気がして、フェガリヤは顔を上げる。
「あら、兄様かしら……」
メサニフティーヴは里で用があり、昼過ぎにここに来る予定だった。そろそろ来ても、おかしくはなかった。だが。
「……違う」
ハイムギアが顔を上げる。空を睨む。
低く、生き物らしくはない音。空の彼方に、黒い影いくつか。谷の最奥部からではない。外からやって来ている。
ウースラ婆さん、とハイムギアが呼べば、家から老婆が出てくる。なんだい、とウースラは口を開く前に、低い音を耳にして空を見上げる。ハイムギアは空を睨んだまま続ける。
「フェガリヤを連れて、ここから離れた方がいい。谷の奥へ向かって……足元に気をつけて」
低い音は近づいて来る。黒い影は竜に似た輪郭を得てくる。
フェガリヤには何もわからなかったが、ウースラに肩を抱かれた。ウースラはそのまま歩き出すが振り返って、
「チビ羽トカゲ、あんたはどうするんだい?」
「奴らがここまで迫ってきたってことは、見回りの仲間がやられたってことだ……これ以上、侵入させるわけにはいかない」
灰色の竜の身体がちかちかと瞬く。まるで色が失われたかのように透明になれば、強い風が渦巻く――飛び立ったらしい。
低い音を響かせる影は、もうすぐそこまで来ていた。
竜によく似た姿。けれども肉と鉄が混じったような身体。数々の歪な突起。揺れるコード。そして抉り取られた後に、作り物の瞳を入れられたかのような目。口を開ければぎぎぎと鈍い音がする。
「『戦竜機』……」
ようやくフェガリヤはそれの正体に気付いて、目を丸くした。
ついにここまでやって来た。竜を狩りに。兵器を作るために。
竜の全て――魂をも使ったという、不死身の存在。
固まって、フェガリヤはそれを見つめていた。全身が冷える。胸の内が跳ねる。
――何かが燃え上って、叫びたくなる。
だが、それが何であるかわからなかった。まだ火がついたばかりで、わからなかった。だから答えを探して『戦竜機』を見上げたまま、ウースラが引っ張るのも無視してその場に留まる。
『戦竜機』の一体がフェガリヤを認めて吠える。その背に乗せた人間も、地上に人間がいることを確認する。そして手綱を握るが。
――まるで突風に貫かれたかのように、その『戦竜機』は宙でひっくり返った。首筋に穴が開き、血が噴き出す。暴れるものの、次の瞬間には翼に赤い筋が走り、ふらふらと『戦竜機』は人間を乗せたまま落ちていく。
透明化したハイムギアは、驚く別の『戦竜機』へ間髪入れず襲いかかる。
「フェガリヤ、行くよ!」
ウースラに名を呼ばれ、はっとフェガリヤは我に返る。いま、ハイムギアが命がけで戦っている。この間に逃げて、何とか竜の里にたどり着き、助けを呼んでこないと。
フェガリヤはウースラと共に先へ急いだ。だが。
――空を破くような音が轟いた。背後で激しい光が瞬く。
そして聞こえたのはハイムギアの悲鳴。
フェガリヤが振り返れば『戦竜機』の一体が電撃を帯びていた。と、それと対峙するように、ちかちかとハイムギアが姿を現す。その羽ばたきは不安定で、彼は宙でふらついていた。けれども彼はもう一度姿を透明にする。
すると対峙していた『戦竜機』が咆哮を上げた。金属と織り交ぜられた翼が白熱したかと思えばばちりと音を上げ、たちまち電撃が辺りに広がる。
人間により改造され引き出された、竜の力のなれの果てだった。
再びハイムギアが悲鳴を上げる。ずしゃりと地面に落ちた時にはもう、透明化は解けていた。と、『戦竜機』に乗った人間が、長いものをハイムギアに投げつける。
『竜血鉄』の槍。竜の血で作られた槍。竜の弱点は竜。槍は灰色の竜の身体に突き刺さった。




