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第二章(03) 湖に潜むもの

 湖畔から大分離れたところで、兄妹は一晩を過ごすことにした。


 湖から距離を置いたところ、そこも死に汚染され生命は息づいていなかったが、湖周辺に比べればずっと良い場所だった。枯れて石のようになった樹の根元、メサニフティーヴは丸まり、その中央で寄り添うようにフェガリヤが眠る。


 ふとメサニフティーヴは身体を動かさず、静かに目を開いた。

 妙な音が聞こえる。警戒にかすかに肌が震え、天から降り注ぐ赤い光を鱗が返す。

 頭を上げないまま、湖がある方角を見つめる。木々の向こう、わずかであるが、あの湖が見える――そしてその上を飛び回る、奇妙な影も。


 羽ばたき。独特の駆動音。そして生き物のものとは思えない威嚇の咆哮。


「……いけるか、フェガリヤ」

「もちろんです」


 メサニフティーヴが起こす前に、すでにフェガリヤも目覚め、きりりと湖の上を飛ぶ影を見つめていた。彼女はしっかりとマントに身を包めば、寝起きである様子を一切見せずに、ひらりと兄の背に乗った。


 妹を乗せた黒い竜は、大きく羽ばたき地面を離れる。静かに浮上する身体。赤い月に照らされ、夜の闇に浮き彫りになる。


 湖の上をまるで蠅のように飛び回っていたのは、やはり『戦竜機』だった。どこの国が作ったものなのかはわからない。だが鋭い爪、そして牙を持っていることから、命を奪う兵器であることに違いはなかった。羽ばたけば金属の擦れる音がする。身体から生々しく溢れ出たコードは血管を思わせた――事実『戦竜機』のコードは血管と言ってよかった。また打ちこまれたようにある機械突起も、肉や器官と呼んでよかった。だからこそ、いくら壊しても『戦竜機』は再生する。人間によっていじられた魂によって。


 その『戦竜機』は、比較的小柄なものだった。それ故にだろう、小回りがきいて、蜂や蠅のごとくぐるぐると湖の上を飛んでいた。時折湖を睨んで威嚇の声を上げる様は、あたかも水面に映る自分を敵だと勘違いしているかのようだった。もっとも、黒々とした湖は何も映してはいないものの。赤い月の光さえ、湖は深淵の穴のように吸い込むばかりだ。


 それでも『戦竜機』は湖を気にしているようだった。あるいは、その黒色に虚空を見て恐れているのか、繰り返し威嚇の牙をむく。


 メサニフティーヴは、その隙を見逃さない。力強く羽ばたけば、滑らかに、そして射し込む光のように宙を滑空する。背ではやがて来る衝撃に備えて、フェガリヤがしっかりと兄にしがみつく。


 メサニフティーヴの翼が風を生む音に気付いて、はっと『戦竜機』が頭を上げるものの、間に合わない。


 ――短く、歪な悲鳴。メサニフティーヴが『戦竜機』の首に深く噛みついていた。『戦竜機』は刹那、宙でばたばたともがくものの、やがて首が潰れる音が聞こえて大人しくなる。


 体格が同じ程度の、そして特に能力のない『戦竜機』が相手ならば、メサニフティーヴにとって心配のない相手だった。


 ここ百年近く、黒い竜は『戦竜機』と渡り合っていた。それ故に、どうしたら手早く相手を仕留められるかも学んでいる――脳を潰す、あるいは、首を潰す。それが決まれば『戦竜機』は動けなくなる。ただし、時間が経てば再生してしまうものの。それができなくとも、とにかく弱らせて動けなくしたらいい。

 そしてその後は、フェガリヤに委ねられる。


 メサニフティーヴは湖畔に降り立てば、くわえたままだった『戦竜機』を地面に落とした。『戦竜機』は動かず、ぎぎぎと弱々しい声を漏らしている。


「ありがとうございます、兄様。あとは私が」


 黒い竜の背から、銀色の少女が飛び降りた。フェガリヤはしずしずと『戦竜機』に近寄れば、頭のすぐ横に座り込む。動くことのできない『戦竜機』は彼女に噛みつくこともできず、もがくこともできない。


 少女は唇を軽く舐めると、息を吸い、穏やかに歌い始めた。

 それは子守唄。それは月の光の言葉。魂を導く祈りと旋律。微睡へと誘う慰め。


 扉が開かれる。導きが差し伸べられる。

 フェガリヤが光を帯び始める。月の赤色、その向こう側にまだある、優しい銀色。

 小さな手がそっと伸ばされ『戦竜機』の頭を撫でた。そのように改造されたのだろう『戦竜機』の巨大な一つ目は、直前までぎょろぎょろと動いていたものの、はたとフェガリヤを見据えて動かなくなる。苦しさと執念をにじませた唸り声も消え失せる。


「あなたも還りましょう、月に」


 少女が囁けば『戦竜機』は返事をするようにかすかな声を漏らした。それは殺戮のために作られた兵器から出たとは思えない、安堵の溜息だった。

 奪い、殺すためだけに作られた存在は、優しい光を放ちだす。

 ――牢獄の奥底。魂が光となって溢れ出てくる。自身の身体を包む。


「大丈夫ですよ……もう、大丈夫なんです、みんなが待っていますよ……」


 ついに『戦竜機』の全てが光に変わった。渦巻いて、そしてフェガリヤの光と一つになっていく――銀の少女を通して、魂は月へと還っていく。

 月の赤色のその向こう、かつての月は、確かにまだそこにあるのだから。


 けれども赤色が魂をはねのける。そして『戦竜機』の中、魂は閉じ込められて出られない。

 だからこそ、フェガリヤは歌う。自身が扉となり、竜の魂を導く。

 月は竜の心。月は竜の還る場所。

 ――そして銀の少女は、月と繋がった、涙。


 すべての光がフェガリヤに溶け込み、やがて光は消えていく。けれどもしばらくの間、光の残像は辺りに漂っていた。死が支配するこの場所に、あたかも灯火のようだった。

 終わるまで、メサニフティーヴはただ使命を全うする妹を眺めていた。


「――フェガリヤ!」


 しかし異変に気付いて、黒い竜は警戒の声を上げた。はっとして銀の少女も気付いてそれを見る。


 ……漆黒が居座る湖。それが突然波打ち暴れはじめたのだ。

 まるで生き物のように。広げた黒色の布の下、何かが潜んでいるかのように。

 湖が起き上がろうとしている、というべきだろうか。


 兄様、とフェガリヤが声を上げる前に、メサニフティーヴは彼女の目の前に走ってきていた。すぐさまフェガリヤは背に乗り、メサニフティーヴは地面を蹴って宙に舞い上がる。少し間をおいて、兄妹がいた場所は重々しい黒色に叩きつけられる。

 まるで湖の水が形を得たようだった。


「何ですか、あれ……何の、生き物ですか?」


 巨大な何かが湖に潜んでいる。妹が怯えているのを、兄は背で感じた。けれども一体何がいるというのだろうか。漆黒は赤い月明かりに照らされても、透き通ることなく見えない。

 だがメサニフティーヴは「生き物」という言葉を頭の中で反芻する。


「……生き物であるはずがない。こんな環境で、生きることのできるものはいないだろう」


 だが確かに、何かがいる。何かが蠢いている。泥のような何かが……。


 赤い月。そこにかかっていた薄い雲が風に拭われると、赤い光は更に鋭さを増す。

 漆黒の湖。何かが浮上しようと、水面の近くまでやって来ていた。

 やっと見えてきた何かは――泥そのもの。

 否。


「まさか……『屍竜』か?」


 どろどろとしたそれは、何かが溶けたものだった。水中を漂い、また沈んでいったかと思えば、底をずりずりと這い回る。


 驚くべきは、その大きさ。湖の底半分ほどを埋めるように広がっていた。

 『屍竜』だとしても、ただの『屍竜』ではない。

 あれほどに大きい竜、存在するわけがない。


「……何体もの『屍竜』が、どろどろに溶け合って一つになっているんだわ」


 気付いたフェガリヤが口を開く。

 ぼんやりと見える輪郭。翼のようなものがいくつもあった。尾のようなものも。手足もまるで植物のように生えて、漆黒の水中で揺れていた。数々の隆起は、よく見れば背骨や肋骨、首の骨や頭蓋骨の形に浮かび上がっている。


 もはや、竜と呼んでいいのかわからないそれ。腐敗物の塊。

 あまりにも恐ろしく、おぞましい存在が、湖の底で眠っていた。ぼこぼこと、生まれたあぶくが水面まで昇って破裂する。


 しばらくして、その巨大な集合体は、再び湖の底に沈んで見えなくなった。けれども、あぶくはまだ、いくつか昇ってきていた。


 ――先程の『戦竜機』は目に特徴的な改造を施されていた。恐らく、目のいい『戦竜機』だったのだろう。

 だからこそ湖の底で息を潜めていた存在に気付き、牙をむいていたのだ。

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