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サミュエル視点です
「失礼ですが、お嬢様とヴィスターク様はご親交がおありだったでしょうか?」
こてん、と首を傾げ幼い仕草で問われ、私は慣れた笑顔を浮かべながら答える。
「父は昔、ラジーアント家でお世話になっていたことがあるんですよ」
正確には、父は家庭教師のようなことをしていたのでお世話をしていた方だが、言う必要は無いだろうと誤魔化すと、ジェイクと呼ばれていた男は「いえ」と首を振った。
「ヴィスターク宰相にお嬢様が師事していた時期があることは存じております。僕は元々、ラジーアント家の執事だったので」
「僕の家は代々ラジーアント家にお仕えしているので、お嬢様の事は幼いころから存知上げているのですよ」とジェイクは何でもないように続けた。
驚くがしかし、納得もいく。
綺麗な所作や、自分を前にしても動じない豪胆さは、王家の血筋を引くラジーアント家で鍛えられたものなのだろう。フィーネリア嬢とも親し気なわけである。
「驚きました。それがまた、なぜ商いを?」
それにしても、歴史と威厳のある家門を離れてなぜ、と問えばまたしてもなんでもないように笑われた。
「化粧品が好きなんです」
ふふ、とジェイクはくすぐられたように笑う。
「男がおかしいとお思いでしょう。僕もそう思っていました。けれど、冬になると乾燥で悩むお嬢様にバームをお作りしたらとても喜んでくださって…。それからお嬢様に強請っていただく度にあれこれと作っていたら、気付いたら店を構えていました。」
不思議ですよねえ、と笑うが笑い事だろうか。
そんな簡単な話ではない気がするのだが、と口を開こうとすると、階下が騒がしいことに気がつく。
「なんでしょう」
ジェイクもそれに気が付き、二人して下をのぞき込むと、二人の女性、それから一人の男性の周りに人だかりができていた。
若い女性方がきゃあきゃあと声を上げている。
「わ、セーラとアレク、ルシエラまで…他にも集まってきそうだな…」
「知り合いですか?」
面倒な…と嫌そうな顔に問いかけると、ええ、とジェイクは頷いた。
「ご婦人方に人気の、靴、帽子、ドレスのデザイナー、というかオーナー共です。みんなラジーアント家の屋敷に務めていた元同僚で、今でもお嬢様のご要望を叶えるのに心血注いでいる同志です。言わば、お嬢様の強欲の象徴ですかねえ」
からからと笑う楽しそうな姿に、なんだか呆気にとられてしまう。
幼いころから、式典や夜会など公式な場で挨拶を交わす程度の関りしかないフィーネリア嬢は、美しいがその分、毒々しい女性というイメージだった。
金を湯水のように使い、ドレスだ宝石だ茶器だと常に流行の最先端にいる彼女は、同じドレスは二度と着ないのだという。「欲の限りを尽くす強欲姫が王太子妃になどと」と、未来を憂う貴族は多い。
しかし父は一度たりと、その声に頷いた事は無い。
健気で愛らしいエリーザを虐げている、という声もよくよく観察してみれば、貴族のルールを良しとしないエリーザと、貴族らしい貴族のフィーネリア嬢が対立しているだけだった。
けれど、貴族のマナーなどくだらないと言うエリーザの、その真っ直ぐさこそが彼女の魅力だ。
気安く笑いかけて名前を呼んでくれるエリーザの声はただ愛らしく、私は彼女のほっとした空気が好きだ。分け隔てのない優しさは、降り注ぐ光のように暖かで居心地が良い。
庶民であろうと聖女であろうと、私は彼女に「サミー」と子供のような愛称で呼ばれるたびに、胸が張り裂けそうになる。
殿下はなぜ、エリーザではなく強欲姫を選んだのだろうと、それは純粋な疑問だった。
「…フィーネリア嬢は、使用人をすぐに辞めさせると噂でしたが」
「は?」
「あ、いや噂です。私は信じていませんよ」
ジェイクは「ですよね」とにこりと笑った。
一瞬殺されるかと思った。
「僕たちのせいでしょうねえ。お嬢様は使えると思った人間には、ぞんぶんに我儘を仰るんです。それで、気付いたら独り立ちしている者が多くて。まあ、お嬢様のストレートな物言いが耐えられないとか厳しすぎるって奴もいますし。噂を聞きつけて売り込みに来たものの断られた連中も多くいましたから、そういう連中が立てた噂でしょうね。殺そうかな。」
最後にぼそっと呟かれた言葉は聞かないことにした。
どうやって探す気だ、とかつっこむと凄い闇を見そうだ。もしかしなくとも、フィーネリア嬢は敵に回してはならない人物かもしれない。
「まあ、そんなわけでお嬢様に新作を見せたいとそれを口実に、お嬢様に会いにきたのでしょうね。仕方ない、通してやるか。何せお嬢様は他国のものがお好きでないからなあ」
「…それはまた」
「我儘でしょう?」
ジェイクは、なぜか嬉しそうに笑った。
「お嬢様はね、ご自分の財産が他国に渡るのは我慢ならないんですって。だから欲しいものは国内でつくらせるんです。お嬢様が強欲なせいでこの国の技術力って日々進化しているし、お嬢様の元にはこうやって新作を持った技術者が押し寄せるんですよ」
私は、楽しそうなジェイクの笑顔に、そうか、とだけ返した。
私の知るフィーネリア嬢と、ジェイクの語るフィーネリア嬢は同じようで、違う。きっと、父の知るフィーネリア嬢とも、殿下の知るフィーネリア嬢とも違うのだ。
私は、真実なにも知らなかったのだ。
「街の様子をお知りになりたいなら、都合の良い連中でもあります。ヴィスターク様、よろしいでしょうか?」
にこ、と人の良さそうな笑顔に、私も微笑み返す。
「勿論です。いろいろとお聞かせいただけますか?」
フィーネリア嬢の話も、もっと聞いてみたいと思う。
機転が利く頭の良さ。
情けない私にも愛想を尽かさない懐の広さ。
私に賛辞を惜しまない温かさ。
澄ました顔が時折見せる、子供のような顔。
花がほころぶような、愛らしい表情。
どれもが、初めて知る彼女の姿だった。
心が浮き立つような、それを、なぜ私は今まで知らなかったのだろう。
殿下は、きっと知っている。
「あら、なんだか騒がしいわね」
冷たいアイスブルーの瞳がくるんと丸くなる、14歳の少女らしい顔を。
私なんかの為に激昂する、優しさを。
難解な政治の話を必死に学んでいた、小さな少女の姿を。
白い肌によく似合う、青いドレスの凛とした美しさの中にある、その愛くるしさを。
「サミュエル様?」
名を呼ぶ、狂おしいほどに蠱惑的な唇の温度を。
「っ」
「さ、サミュエル様?」
なんだかとんでもない事を考えてしまった気がして、思わず顔を背ける。
見たことがないブルーの唇が、頭にこびり付いて離れない。
人本来の色ではない唇の色に違和感を抱いてもおかしくないはずなのに、その濡れたようなブルーは、菫色の髪と涼やかな目の色によく似合っていた。氷の女王のような佇まいと、雪の精のような儚さを奇妙に共存させた姿は、なんというか、目に毒だ。
こちらを心配する声に、そろそろと視線を戻すと、眉を寄せた悩まし気な顔に体温が上がる。
「ジェイク、やっぱり青は挑戦しすぎなのではなくて?」
「大変刺激的でよろしいかと」
にこりと笑うジェイクはなぜ平気なのだろう。
私はなぜ、こんなにも動揺しているのだろう。
「刺激的、ってそれ褒めているのかしら」
「ええ。力いっぱい。ヴィスターク様も同じご意見では?」
「え?」
きょとん、とした顔の幼さと、ブルーの毒々しさよ。
この心の嵐を、どう伝えるべきかと口を開き、
彼女の顔が凍り付いた。
さ、と真っ青になるフィーネリア嬢の隣では、ジェイクの顔色も土色だ。
なぜだろう、寒い。
すごく寒い。すごく。背中が凍り付いている気がする。
振り向きたくない。
振り向いてはいけない。
けれど、振り向かなくてはいけない。奇妙な緊迫感にかられ、そろそろと振り向くとそこには。
魔王がいた。
いや、眩い銀糸の髪に、宝玉のような緑の瞳、我が国の次期王たる王太子ユーリウス殿下がいた。
「久しいな。息災だったか?」
淡々と告げられる挨拶はジェイクに向けられている。
ジェイクが頭を下げると、その鋭い眼光はこちらへ向けられた。思わず、肩が跳ねる。
す、と目を細めた殿下は、人を2、3人殺めてきたのではないかというくらいの真っ黒のオーラが嘘のような甘やかな声で、フィーネリア嬢の名前を呼んだ。
「フィリア」
「は、はい」
気位の高い彼女らしくない、どもる声を後ろに聞きながら、冷や汗が止まらない。
「君はまた…性懲りもなく、俺を怒らせるのが上手だな?」
首をかしげる殿下の声はどこまでも優し気だ。
無表情で真っ黒いオーラなのに。逸らされない眼光の鋭さはアイザック殿の殺気に負けていないのに。
——こんな方だったろうか。
私の知るユーリウス殿下は、いつも無表情で冷静な方だ。
冷たい冬の空のように、物静かで透明な空気が、どこか浮世離れしている。そんな方だったはずなのに。
猛吹雪なんだが。
豪雪なんだが。
「サミュエル」
名を呼ばれ、胃がぎゅうと捻じれるように痛む。
笑顔を崩さずに返事ができたことを褒めてほしい。
「公務の合間の、婚約者との貴重な時間なんだがな。」
そう、例え「出て行け」と冷たく切り捨てられようとも笑顔を絶やしてはいけない。
貴族たるもの、怯えや恐れを顔に出すなどあってはならぬし、相手が殿下とあっては尚の事である。
私は大人しく、殿下とフィーネリア嬢に一礼し階段に足を向ける。
せっかくなので、本当にこのまま街を歩いて帰ろう。
紙の上ではない生きた声が知りたいのは嘘ではない。
ただ、
「サミュエル様!」
呼ばれて、振り返れば目尻が上がった勝気な瞳が、私を捕らえる。
それから、瞳と揃いのアイスブルーがゆっくりと弧を描いた。
毒々しくも美しい彼女が浮かべる笑みは、それでも子供のように無邪気で。
「諦めてはだめよ。貴方は努力の人でしょう」
に、とどこか誇らしそうに笑う顔は、知っているのだ。
私が、父の名に恥じぬようにと、今の自分をつくりあげたことを。
積み重ねてきた時間の重さを、私の孤独を。
それはきっと、彼女もそうだから。
「…ええ、もう諦めてなんてやりませんよ」
笑い返す私の嵐を、貴女はきっと知らない。