第五章 74話 軍備と育成
1554年1月5日
新年となり本日、年賀のため家臣一同が政庁に集まる。
大峰家では、しめ飾りや、門松、鏡餅などは飾り、この1月5日の年賀の式はやるが、何々初め、何々初めなどの儀式は一切やらない。
昔は小豪族なりにやっていたらしいが、祖父が無駄だと言ってやめてしまったらしい。それをやるなら各自が鍛錬に励めというのが祖父の考え方だ。やらないからと言ってのんびりしていていいわけではない。皆当然わかっているが。
そのため昨日までは正月気分でよかったが、この年賀の式が終わるといつもの激しい調練や、仕事が始まる。その区切りの式だ。
信秀「皆おめでとう。昨年は、武衛が京から戻って参った。武田、北条と結ぶことになり、上州を得た。上杉家、尼子家、長尾家も我が一門となった。それに、家臣や、一族衆も増えた。かなり大きく動いた年だった。本年も大きく動くと考えている。越後での戦は避けられないだろう。それに合わせて周りも動いてくる可能性がある。皆には大変だろうが益々励んでほしい。本年も宜しく頼む。」
一同「ハァッ!」
父上からの挨拶があり、その後、屠蘇が配られ、年賀の宴となった。
人が多い。
一族、家老、重臣もかなり多くなった。家臣も、中級、下級の者たちは俺が見たことない者もいるようだ。
皆が一丸となって大峰家のために働いてくれている。
感謝の気持ちを新たにし、俺も今年頑張ろう。暮れは遊びすぎた。
今年はやることがたくさんある。
まずすることは、六神隊の選別だ。将を分けただけでまだ兵がいない。
現在、領内の兵は、大峰城に一万三千、前橋城及び上州の各地合わせて一万五千、松本城に五千、飯山城に三千、上田城に千、龍岡城に五百となっている。
この大峰城の一万三千の中から二千を選び、青竜に五百、各五隊に三百ずつを付けることにする。
他の兵よりも厳しい調練を行うため、希望制にした。条件は二十五歳以下で武術、馬術に自信がある者。
同時に、俺ら世代や下の世代の子らをこちらも希望制で募り、未来の兵として厳しく鍛えることにした。
将来的に六神隊も大きくしていきたい。
次に、学校を作ろうと思う。
自分が恵まれた環境にいたため気付かなかったが、普通の子たちが学ぶ教育機関がないのだ。
一族重臣の子たちは祖父のカリキュラムがあるため、英才教育が行われているが、中級以下の家臣や、他の町人、職人たちや商人、農民たちの子は教育が受けられていない。もしかしたらその中に優秀な人材がいるかもしれない。
すぐには効果が出ないかもしれないが、何年後かを見据えて、領内全ての子たちが教育を受けられるようにしたい。とりあえず、大峰城下の子たちから始めよう。
下は五歳から、上は何歳でも。二十歳や三十歳を超えてから学びたい者も出てくる可能性もある。
そして、これはという者がいたら、一族重臣の子たちに混ざって祖父のカリキュラムを受けてもらおう。
だから、一般学校と特進学校の二つを作る。今後は祖父のカリキュラムを特進学校と呼ぶことにする。
一族重臣の子は最初から特進学校で学ぶ。
一般学校は三ノ丸の東門を出てすぐの場所を買い取って建設しよう。校舎、武道場、食堂、そして領内の遠くから来た者のために寮も作ろう。生徒一万人規模のマンモス校の設立。
特進学校は西の馬場門を入った辺りの本丸内部に、これは空いている土地があるためそこに作ろう。
こちらも校舎、武道場、食堂、宿舎も作り、こちらの者たちは、馬術と鉄砲、新陰流も学べるようにしよう。こちらもできれば生徒五百人くらいの学校にしたい。
すぐに建物施設の建設と講師の選定に取り掛かろう。
それと、職業の世襲をやめようと思う。農民の子は農民に、武士の子は武士になるという当たり前を変えよう。武士の子でも戦が嫌で、農作業や、職人の仕事が得意でやりたい者だっているし、農民、町人の子が賢くて政治に優れていたり、体が大きくて武芸に優れ戦に出て活躍できたりする者もいるかもしれない。
職業が偏る心配があったので事前に調べてみたら、そんなことはなかった。勝手に、武士になりたいという者が多いのかと思っていたら、全くそんなことはないらしい。
大峰領は豊かで、農民や職人、町人もかなり豊かな生活をしている。戦に出ることなく、生活がしっかりしていれば農民になりたい者も多いのだ。
大峰領は完全に兵農分離しているし。これを進めていこうと思う。
馬の交配は、八善屋が新年早々、アラブ馬、バルブ馬、カルスト馬を届けてくれた、まだ浅川園の牧場に慣れるのに時間が掛かりそうな感じだ。理想の、大きくて強くて速くて気性が穏やかで扱いやすい馬が生まれるのには五年くらいはかかるだろう。これは安倍家の馬の調教師たちに頑張ってもらうしかない。
武蔵が言っていたように、牛、豚、鶏で、品種改良に成功しているから知識は蓄積されているようだ。期待して待とう。
そして昨年末、遠距離銃の開発に成功した。これには、陸奥と治平、忠兵衛はじめ鍛冶師の皆さんの努力が報われた形になった。その遠距離銃のことを大峰銃中村式と呼ぶことになった。中村式は孫一、源左衛門の意見も取り入れ、この雑賀出身の二人を中心に鉄砲の腕が特に優れている者の中から、六神隊の者とは別に三百人を選び、百五十人ずつを二人が指揮することとした。その選定もこれからしなければならない。
長尾景虎との戦には間に合わないかもしれないが、明日から六神隊、中村式雑賀隊の選定を始めよう。
学校の建設も岡部、甲良大工集団にお願いして準備が整い次第始めてもらおう。




