第四章 72話 四人の姫とそれぞれの事情
1553年12月23日
朝から父上に呼ばれたため、今日は、半兵衛、久作兄弟を連れて、父上の館に向かって歩いている。
久作「北信濃の冬は寒いですね。」
信輝「そうだな。美濃に比べると寒いな。」
久作「本日は大殿はどのようなお話でしょうね。」
信輝「何だろうな。」
この久作、なんだか軽い。兄の半兵衛はほとんど喋らないが、久作はよく喋る。中身のない話をするのが好きみたいだ。
父上の館に着き、部屋まで案内される。
信輝「父上、信輝参りました。」
信秀「入れ。」
信輝「失礼します。」
信秀「早速だが、急に一族の者に四人の嫁をもらうことになった。誰にもらうかをお主が決めてくれ。」
四人?
信輝「どういった方々でしょう。」
信秀「ああ、公方様よりの使者が来た。まず、西国で毛利氏が尼子氏の居城、月山富田城を落としたそうだ。そしてその尼子の遺臣たちが最後の当主晴久殿の子、義久殿、桜殿を守って落ち延び、足利将軍家に援軍を求めに行ったらしい。公方様は助けてやりたいのはやまやまだが、今は六角、細川が領内のあちこちで兵を挙げ、その鎮静で西国に援軍を出せない。もし余裕があっても毛利氏と戦うだけの力はない。さらに尼子義久殿も毛利と戦う気はなく、今15だが、既に隠居したいと言っているということだ。尼子遺臣たちは、お家再興のため、西国ではなくても晴久殿の娘、桜殿を娶って、家名を継ぎ、自分たちを家臣としてくれる者を探してほしいということになり、公方様は大峰家の一族から誰かということを仰られ、こちらまで使者とともに参られたということだ。桜殿は9歳。それがまず一人。」
信輝「はい。」
六角、細川が動き出したのか。あの時逃がしてしまったからだ。
尼子滅ぶの史実よりもだいぶ早いな。毛利がそんなに力付けているのか。西国も情報集めておかないとだめだな。
尼子の家名か。京極氏の別れだっけ?佐々木氏だっけ?源氏か。まあ家名はもらっておいても損はないか。順番的に、播磨にしよう。年齢的にも問題ない。
信秀「次に、その公方様からの使者が、三国湊、直江津経由で来たわけだ。そして、越後で長尾晴景殿に会われ、今の経緯をお話しされたところ、晴景殿が、長尾の後も大峰の子に自分の娘を嫁がせて継いで欲しいと言ってきた。ずっと争っている弟の長尾景虎殿が継いでも良さそうだが、晴景殿派に付いて何年も戦って来た者たちがもう納得できないらしい。そして景虎殿は戦には強いが政治を見ないので、そんな主には仕えられないといった者たちも多いようだ。この長尾晴景殿の娘、恵殿が二人目。8歳。」
信輝「はい。」
これは予想外だな。そこまでとは。長尾景虎殿に継いで欲しくないって者が増えているなら、その者たちと共に戦えるか。こっちは越前だな。こっちも年齢的に問題ない。
信秀「三人目と、四人目は既に大峰にいる。公方様が、足利家と大峰家の結びつきを強くしたいとのご意向で、詩殿のお付として一緒に来ていた、一色晴具殿の娘、唯殿13歳と、京極高吉殿の娘、孝殿13歳を大峰家の一族の嫁にしてほしいと使者が伝えて来た。二人の親もそうしてほしいと言っているそうだ。」
信輝「はい。」
詩に仕えていたあの二人か。あの二人がそんな家の子たちだったとは。詩が言っていたが、近江と、下総がそれぞれと仲良くしていて、二人もお互い好意を持っているらしい。もう少し様子を見てこちらからお願いしようとしてたくらいだ。ちゃんと、どちらがどちらか間違えないようにして、あの二人にしよう。こちらもよかった。
信秀「どうする?」
信輝「尼子家は播磨に継いでもらいましょう。たまたまですが、名乗りが信久ですので、久の字を義久殿から頂いたという形にして、尼子播磨守信久と名乗ってもらいましょう。長尾家は越前に。長尾晴景殿にお伺いを立て、景の字を頂き、長尾越前守信景と名乗ってもらうことにしましょう。一色、京極は近江と下総に。こちらで宜しいでしょうか?」
信秀「そうだな。それがよい。」
信輝「尼子家の方はいいとして、長尾家は越前にすぐに来るようにと言うでしょうか?」
信秀「実は、尼子家の者たちと、長尾家の使者たちには善光寺で待ってもらっている。今からお主も共に行こう。」
信輝「はい、畏まりました。」
善光寺に向かうために立ち上がった。
山頂から山を下り、本丸、二ノ丸、三ノ丸と南に下って行き、善光寺に辿り着いた。
善光寺には毎年多額の寄進を行っているため、このような時に使わせてもらえることになっている。
本堂に入ると、二つの集団がいた。二つともかなり若い。一つには俺より年下もいるようだ。こちらが尼子か。久しぶりに『鑑定』を使ってみる。
そうか!尼子の遺臣っていうとこれか!
そこには山中鹿之介10歳がいた。
棚ぼたで山中鹿之介を家臣にすることになった。まあ、播磨の家臣だけど。
七難八苦の鹿之介だよ。よかった。
あとの二人は立原久綱24歳、三沢為清18歳。この二人もまあまあ有名だ。
尼子三傑と言われているうちの鹿之介と立原久綱の二人が家臣になってくれた。
もうひとつは。これも豪華なメンバーだ。
長尾政景28歳、屋代政国29歳、甘粕長重19歳、樋口兼豊15歳。
上杉景勝と直江兼続の親がいる。二人はまだ生まれていないはず。
長尾政景殿は坂戸城どうしたんだろ?
そして甘粕景持だ。今の名前は長重だが、この人も越前の家臣になってくれるのか。
こっちも大当たりだ。
話をすると、尼子家臣は、大峰家当主の三男が尼子を継ぐということを聞き大喜びし、別部屋にいる桜殿にも伝えに行ったようだ。尼子義久殿も自分が戦場に行かなくていいと思ったのか、めちゃめちゃ喜んでいた。尼子家臣はこのまま大峰城に住むことになった。とりあえずは父上の屋敷に入り、婚姻が済んだら家臣たちも播磨の屋敷へ。
月山富田城の落城の時の話を聞くと鉄砲が大量に使われたらしい。そんなの史実でなかったよな。俺が川中島で鉄砲使ったのが広まって鉄砲集めて使う人が増えたのかな?でもそんな簡単に集まる物でもないしな。
やっぱり一度、遠いけど毛利まで戸隠衆に行ってもらおう。
長尾家は、一度この四人が結果を春日山城に持ち帰り、再度、晴景殿の意向を聞いて後日こちらに来ることになった。晴景殿は病が進行しているため、すぐにでも隠居したいそうだ。
聞いたら、坂戸城は景虎殿に落とされたらしい。今、晴景殿が抑えているのは頸城郡のみ。景虎殿は魚沼郡、刈羽郡、三島郡。一番北の蒲原郡はまだ諸勢力がたくさんいて統一されていないらしい。
そこまで聞いて、とりあえず、今日は帰ってもらうことにした。
二日後、長尾家の四人が来て、晴景殿の意向を伝えてくれた。大峰の四男が長尾を継いでくれれば、春日山城に無理にすぐ来なくてもいい。名乗りも自分の偏諱から、信景と名乗って欲しい。ただ、自分は早く寺に入って隠居したいため、誰か代わりの者を春日山城主として寄越して欲しいということだ。少し勝手なような気もするが、仕方ない。頸城郡と春日山城が手に入るのだ。それに、ついに海が手に入る。日本海側だけど、海は海だ。
年が明けて、気候が暖かくなってきたら、恵殿がこちらに来て、その後こちらから湯塚玄蕃叔父が春日山に入ることに決まった。それに合わせて、飯山城には高梨勘解由叔父が入ることになった。
三月くらいになりそうだ。
あと、本人に確認した上で、一色家の唯殿が近江の、京極家の孝殿が下総の妻となった。
詩も嬉しそうだった。




